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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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五十五章 ヤルカ飼い



 第五十五章 ヤルカ飼い





 身動きが取れないヴィソロゴダンの獣の叫び声を後ろに聞きながら、シュミレットに腕を掴まれたままのルーネベリはガラスのない大きな窓枠の方へ連れて行かれた。

 青年を抱えて移動したオルシエが窓枠に足を掛けていた。ヴィソロゴダンのいうようにやはり枠の向こう側は崖というのは事実だろう。向こう側には赤い空らしきものが遠くに見えていた。

 オルシエの足先が何もない宙に突き出ていた。しかし、オルシエはまったく心配している様子もなく「飛び降りる」と言った。

 負傷したケンネル青年を背負っているリカ・ネディは言った。

「刺さった爪は抜けないよう固定したけどよぉ。背負っているだけでも危険な状況だ。飛び降りるなんてすりゃ、背中の坊ちゃんは死んじまう」

 オルシエは言った。

「深手を負っていても心配せずに飛び降りろといっていた。脱出時の為に色々と味方が下で準備して待機しているそうだ」

「本当か?何もなかったらどうする」

「自らの命や仲間を犠牲にしてまで俺たちを騙すわけがない。俺は信じて飛ぶ。判断は委ねる」

 そう言うと、オルシエは青年を抱えたまま勢いよく窓枠の向こう側へと飛んだ。当然のごとく、オルシエは落下してすぐに姿が見えなくなった。アラが窓枠まで走り、枠を掴み窓枠から身をのりだして飛び降りたオルシエがどうなったのか目視して確認した。

「無事だ。下で手を振っている。リカ・ネディ、先に行け。怪我人が優先だ」

「オルシエが手を振っているてかぁ?あの堅物、そんな茶目っ気のあることもできたんだな。お先に」

 リカ・ネディがケンネル青年を背負ったまま小走りして窓枠から飛び下りていった。まるで水中に飛び込むような仕草をした後に姿が見えなくなった。それからすぐに「おーい」と下の方からリカ・ネディの声が聞こえたので上に残った皆は安心した。何らかの方法で無事なのだろう。

 リカ・ネディの後に無言でバッナスホートが飛び下り、アラ、シャウの順で飛び降りた。ただ、ルーネベリが飛び下りる番になり、下を見ずに飛び降りようと窓枠から飛んだ時、遂にヴィソロゴダンの拘束が解けて、シュミレットに後ろから襲いかかる光景を見てしまった。

「先生!」

 叫んだところでルーネベリは落下している最中で、もう戻りようがなかった。腕を伸ばしても届かず、見えるのは黒い牙を剥き出しにしたヴィソロゴダンと振り返ったシュミレットの後ろから何もない建物の外壁へ移っていく光景だけだった。視界が壁で遮られ、シュミレットがどうなったのかはわかなかった……。

 ルーネベリがふわふわの何かの上に落下し受けとめられたけれど、それが何なのか悠長に観察などしている余裕がなかった。着地するなり、血相変えたルーネベリはふわふわの何かから降りて近くにいたアラに近づき、肩を掴んで言った。

「先生が、先生があの化け物に襲われた!上に戻らないと。手を貸してくれ」

 上を指さしてルーネベリは必死にアラに訴えかけたが、アラは「ルーネベリ、落ち着け」と言った。

 しかし、ルーネベリには落ち着いてなどいられなかった。いつも守ってくれている賢者があの恐ろしい化け物であるヴィソロゴダンに襲われそうになっていたのだ。あの鋭利な鉤爪とあの黒い邪悪な牙であの少年にしかみえない華奢な賢者を噛みちぎり、斬り裂いたかもしれない。それなのに、たった一人で残してきてしまった。

 絶望と緊張と不安が入り混じり取り乱しているルーネベリはアラの肩を掴み揺さぶり迷惑をかけているとは全く考える事もできなかった。

「女性に乱暴を働くな!」 

 シャウがルーネベリを力一杯押しのけた。ルーネベリの巨体は地面に転がった。

「ルーネベリ!――シャウ、よせ」

 アラがそう言ったけれど、シャウは首を横に振った。

「アラさん、お優しいところはあなたの美徳だ。しかし、この男は我を忘れて女性であるあなたに手を……」

「少し肩を揺さぶられた程度だ。鍛えている私には問題はない。そんなことよりも、あの方の事が心配だ」

 ルーネベリは身体に痛みを感じながら倒れたまま顔をあげた。

「アラ、悪かった。俺は……」

 弱々しく言葉を吐くルーネベリにアラは同情した。

 ルーネベリと同じ立場であればアラもまた取り乱していたかもしれない。アラはシュミレットの正体を知っており、ルーネベリがどのような存在かも大方わかっていた。しかし、いつも二人が話している姿を見るたびにとても仲のいい友人や親友のようにしか思えなかった。深い友情は仲間意識を強める。大切な仲間を危険な場所へ置き去りにしたままの心境は計り知れないほどの苦痛を伴う。パシャルとカーンがいなくなった後、アラはとても落ち込んだ。そんな時、シュミレットとルーネベリには精神的におおいに助けられた。新しい友は励ましてくれたのだ。せめて何かできることをしてやりたいと思うのはある意味では当然かもしれない。

 アラは胸元で拳を握り言った。

「私が探しに行こう。ルーネベリは皆といてくれ」

「アラさんが?あなたこそ残ってください。危険だ。他の人に……」とシャウが言った。

「他の人などいない。オルシエもリカ・ネディも怪我人を抱えて先に行った。悔しいが、バッナスホートは私たちの中で一番強い。皆の護衛として置くべきだ。頭のいいルーネベリもここに置いておくべきだ。常に策を講じてくれた。そうなると、残るは私とシャウだけだが。シャウはあの方とは親しくはないだろう。顔もよく覚えていないのではないか?」

 シャウは焦った。アラの言う通りだった。シュミレットは常にフードをかぶっていて顔をまじまじと見た覚えがなかった。探したところで同じ背格好の少年が数人以上いれば見比べてもわからないだろう。アラはシャウに言い聞かせるように言った。

「私が行くべきだ。ここで待っていてくれとは言わない。皆と先に行ってくれてもかまわない」

「いんえ!アタチが探してきてやーよ」

 

 急におかしな話し方の、風変わりな声を発する玩具のような声が頭上から聞こえてきた。

「アタチならちょこっと行って戻ってこられらー」

 ルーネベリとアラ、シャウが頭上を見上げると、ピンク色のふわふわとした毛髪のヤルカの王ヴィソロゴダンに瓜二つの顔をしたーーいや、目が四つではなく二つだけしかない化け物がちょうど上から覗き込んでいた。ルーネベリとシャウは思わず悲鳴をあげてしまった。

 ピンク色の獣は頬を膨らました。

「しっつぅれねー。アタチ、一番あっしがはえーのー。王様に見つかってもー帰ってこらえらー。アンタたちは、先にアジトに行ってらーよー。そこで、まってっらー」

 実に聞き取りにくい話し方だが、獣は嬉しそうに不気味な二つの目を細めて壁を難なくよじ登って行った。アラは倒れたままのルーネベリに手を貸してやり、ルーネベリは呆然と壁をよじ登っていくピンクの獣を見上げながら立ちあがった。

「あの子はガーライって言います。すぐ戻ってきますよ」

 また急に話しかけられて三人が振り返ると、白いマントを羽織った薄緑の髪の女性が恥ずかしそうににっこりと微笑んだ。

「かわいいでしょう。私の子なんです。ここはあの子に任せて、アジトに来てください。皆が待っています」

「待っている?」

 アラが聞き返すと、緑色の髪の女性は頷いた。

「ケンネルが予言をしたんです。彼の予言はとても当たりますーーあっ、お礼がまだでした。ケンネルとエートを助けてくれてありがとうございます。皆さんもアジトでゆっくり休んでください」

 ルーネベリは少し落ち着いてきたので、薄緑の髪の女性に言った。

「彼らの事も心配ですね。重症でしたし……」

「しばらく休めばケンネルもエートは元気になります」

「爪が身体を貫いていたんですよ?」と、ルーネベリ。緑の髪の女性はこっくりと頷いてから、空を指さした。

「あれが見えますか?砂時計です」

「えっ?」

 アラとルーネベリとシャウが空を見上げると、なんと、空には金でできた巨大な砂時計が浮いていた。光る赤い砂を貯めるガラスの二つの器はどちらも三角錐で、ちょうど砂が下の器にあと少しで満杯になるところだった。

「砂時計がひっくり返ると、この庭の一日が終わります。日が変わると、この庭にいる人々の身体はどんなに深い手傷を負っても即死じゃなければ再生します。爪を刺さったまま抜かないでいてくれたおかげで、砂時計がひっくり返る直前に爪を抜けば、ケンネルは助かるんです」

「それはよかった……」

 ルーネベリが力なくそう答えると、アラがルーネベリの肩に手を置いた。シャウがまたルーネベリを睨みつけていたが、会話こそしているが、シュミレットの事が心配でたまらなかったルーネベリはまったく気づかなかった。

 ルーネベリは言った。

「それじゃあ、この空の赤さは……」

「砂時計の砂の色が空に反射しているんです。私たちはあの砂時計のことをヴィソロゴダンの呪いって言っています。私たちを死ぬまで捕らえて離さない呪い……。後の話はアジトに行ってからにしましょう。その方がいいと思います」

 何もかも心得た風にそういった女性は「あの子に乗ってください」と言った。振り返ると、水色の毛をした大きなヤルカが背後に立っていた。そのヤルカは不気味な顔を綻ばした。驚いてぽっかりと口をあけていると、ヤルカは言った。

「俺が連れっててやれらー。アジトまではすぐらー」

「はぁ……。でも、どうやって乗れば……えっ」

 水色の毛のヤルカはルーネベリの身体を掴んで強引に背に乗せた。あまりにも無理やりだったので、ヤルカの背中から姿勢を崩し、滑り落ちそうになり慌ててルーネベリがヤルカの毛を掴むと、そのヤルカは言った。

「毛じゃなくて、俺の身体にしがみつけらー。振り落とされんぞ」

「わかったから、待ってくれ」

 言われた通りにルーネベリがかっしりとヤルカの背中に抱き着いた。頬をべったりと背中につけて横を見ると、アラが黄色い毛のヤルカの背中にしがみついているのが見えた。この姿勢では周囲を見ることはできないが、きっと近くでシャウやあの薄緑の髪の女性もヤルカに乗ったのかもしれない。鞍や何かがあればいいのにと考えていると、ヤルカが跳ねてから走りだした。

 最初は軽く風を感じる程度だったが、そのうち強い風が全身へ叩きつけてくるようになった。ヤルカが恐ろしいほどの速度で走っているのだ。「はっはっ」とヤルカの呼吸音と、どくどくとはやい心音が聞こえてきた。人とは違う生き急いだような心音にどうしても不安を抱かずにはいられなかった。――背に乗せてくれたこの水色の毛のヤルカはルーネベリたちに警戒もせず、人に対して慣れていて非常に友好的のようだった。けれど、あのヤルカの王ヴィソロゴダンは敵意を剥き出しにして襲ってきた。同じヤルカだというのにどうしてこれほどまで違うのだろうか。

 ルーネベリはシュミレットのことが気掛かりで仕方がなかった。


 それからどれくらいヤルカが走ったのかはわからないが、水色の毛のヤルカの足が徐々に遅くなり、止まると、ルーネベリは顔をあげた。見ると、そこには大きな皮を繋ぎ合わせたものを太い骨の柱で支えているテントらしきものが多数点在する場所だった。アジトというのは、恐らくここだろう。

 テントの周囲には尖った骨で組まれた柵がぐるりと周囲を囲み。その柵の内側では、太腿の付け根まである長い革のブーツを履いた小柄な女性がしなやかに動きまわりながら足をとめては紐を調整していた。老婆と老人たちはテントの外にある大釜に慣れた手つきで食材らしき物の皮を剥き小さく切ってから放り込み、時折、皮を剥くのに使っていた小刀を、傍で刃物を研ぐ大柄の男の台に向けて投げつけて「切れ味が悪い」と叫んだ。

 テントの端で剣を打ち合うまだ若い少年や少女たちの姿もあった。子供たちの母親らしき女性たちは剣を指南し。多数の男たちは鎧やら剣やらをテントの中から運んできては剣を指南している女性たちとなにやら話をして、子供たちを指さしていた。大人だけではなく子供たちも戦う準備をしている、そんな風景にどうしようもない違和感を覚えた。

 ルーネベリがヤルカの背から滑り降りると、後ろで髪を結んだ黒髪の男が一人近づいてきた。

「ようこそ、予言の方々。もう間もなく、我らの首領ケンネルに刺さった爪を抜き取るところです。ケンネルが回復するまでの間、どうぞ中に入ってお寛ぎください」

 アラとシャウがルーネベリの所へ歩いてきた。男は二人に向ってぺこぺこと頭を下げて、真正面に見える少し大きめのテントを指差した。ルーネベリは言った。

「俺たちは何も手伝わなくていいんですか?」

 男は両手をぶんぶんと横に振った。

「手伝うことなんてありません。ケンネルとエートをヤルカの王の元から連れ出してくれただけでもありがたい!先に来たお三人方は別の所で休んでもらっています。ささ、中に入ってください。何もありませんが、飲み物とお食事ぐらいは用意できます」

 ルーネベリはテントの外にある大釜を見た。きっと、あれがその料理なのだろう……。アラは男に向かって言った。

「少し話がしたい」

「はい、何でしょう?」

 ちらりとアラはルーネベリとシャウを見た。何の話かはわからないが、きっと内密に話したいことがあるのだろう。

 ルーネベリは言った。

「俺たちは先に行っているな、アラ」

「あぁ」とアラ。シャウは言った。

「アラさん、一人で大丈夫ですか?」

「私は大丈夫だ。ルーネベリと先に行ってくれ。後で」

 頷いてルーネベリは真正面にあるテントに向った。後ろからシャウがついてきたが、ルーネベリは未だにシュミレットの事が気掛かりだった為、シャウのことまで気を配ることが出来なった。シャウは一度アラの方を振り返り、それから前を歩くルーネベリの背中をじっと見ていた。

 皮のテントの中に入ると、中は床に幾重にも置かれた毛布があるだけで他には椅子もソファもベッドもなかった。床に直接座り寝るのかもしれない。ルーネベリは何も考えずに床に座り込むと、その隣に後からやってきたシャウが座った。しばし沈黙がテントの中でつづいたが、ルーネベリはまったく気にならず、ヴィソロゴダンに襲われていたシュミレットの光景を何度も思い出しては己の不甲斐なさに落ち込んでいた。そんな風に意識を他に集中させている状態だったものだから、シャウが口を開いたとき、ルーネベリは話のほとんどを聞き逃していた。

「聞いているのか?」とシャウに言われて、ルーネベリは慌てて言った。

「えっ、何だ?」

 ルーネベリがシャウを見ると、シャウは険しい顔つきでこちらを見ていた。何の話かはさっぱりわからなかったが、近くで見るシャウの顔が同性のルーネベリが認めるほど男前だったということを思い出していた。どこへ行っても女性が放っておかないだろう顔も、ずっと見ていると慣れて忘れてしまう……。

 シャウはいきなりルーネベリの肩を掴んで叫んだ。

「アラさんの事をどう思っている?」

「――へっ?いきなりなんだ。どうしてアラの話に……」

「いきなりじゃない。彼女のことをなんとも思っていないなら、これ以上は彼女のことを振り回さないでくれ」

「振り回す?何のことだ」

「親し気に話をしたり、触れたり、その気のある行動を女性に取るなんて男として恥を知るべきだ」

 ルーネベリは真剣な眼差しを向けてくるシャウを見て、我に返った。シャウに誤解されているのはずっとわかっていた。しかし、なぜこのような大変な状況でシャウはこの話をしてくるのだろうか。

 ルーネベリは片手をあげた。

「ちょっと待てくれ。色々と誤解があるようだ」

「誤解?」

「あぁ、誤解だ。すべて誤解なんだ」

「真剣にアラさんのこと想っているのか……?」

「いや、違う。その誤解じゃない。なんて言えばいいのかーー」

 赤い髪を掻き上げたルーネベリの首元をシャウが掴んできた。

「俺をからかっているのか?」

「いや、だから……違うんだ。なにもかもが間違っているんだ。どう説明すればいいのか。俺の口から言うべきなのかどうか……」

「何を言っている?」

「だからーー」と、ルーネベリがあちらこちらに視線を向けて言葉を探していると、突然テントの外から「敵襲だ!」という叫び声が聞こえた。

「えっ、なんだって?」










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