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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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五十二章 大掃除



 第五十二章 大掃除





 オビアの妻アーチェルムは世界の底の底から這い出て女神の庭を訪れ、赤毛の獅子クインルと結婚したのだ。つまり、地の底から出てくることができるならば、この世界でも恐らくは地の底へ行くことも可能なはずだ。隠されているものが地の底へ行く入り口だとするならば、隠されていないものとは何だろうか……。

 そもそも隠されたものと隠されていないものを同時に得ることなどできるのだろうか。少なくとも隠されていないものはルーネベリたちが一度は目にしたことがあるものだろうが、さほど意識をしていないものだとでもいうのだろうか。そういえばーーと、ルーネベリは顎に手をあて思った。

 城の中庭にいた時、奇妙な捻くれた顔をした生き物がいた。あの生き物は特別隠れているといった様子ではなかったが、気づいたときには姿を消していた。あれはもしかすれば、「境」と関係があるのかもしれない。あの生き物が「境」を通りに抜けてしまえば、ルーネベリの目に見えなくなるということが十分にありえることだからだーー。そうだ、あの「境」が邪魔なのだ。

「あっ」と、突如閃いたルーネベリがふと漏らした声に、シュミレットが聞いた。

「どうかしたのかな?」

「あぁ、先生。俺、アラがあの『境』を剣で巻き付けているのを見たんですよ。あの『境』は何か棒のようなもので巻き付けて取り除くことができるんじゃないですか?」

「取り除いてどうするつもりかな?」

「掃除するんですよ。きっと、『境』はこの平の庭の至る所にあるはずです。隠されていないものこそが、『境』そのものなんですよ」

「僕には隠されているように思えるけれどね」

「隠しているものが他にあれば、どちらも手に入れることができるはずです。まぁ、とにかく、一度やってみるべきだと思います」

 ルーネベリはさっそくエフネラたちに「境」の掃除をしようと提案してみた。メーアもマハ姉妹もそんなことをして何の意味があるのかさっぱりわからなかったようで首をしきりに傾げていた。ところが、メルナスはルーネベリに近づいてきて「手伝いたい」と言い出した。

 ルーネベリは驚いた。率先して何かをしようとする男だとは思っていなかったからだ。ルーネベリは言った。

「手伝ってもらえるのはありがたいですが……。掃除ですよ?」

「私は間違っていました。家族も守れず、見栄ばかり。今までの心の醜い私は捨て去ります。夫として父親として家族の為に気を強く持つようにします。

皆様には大変、感謝しております。妻を救っていただいたうえに、愚かな私と妻の誤解まで解いてくださいました。このご恩に少しでも報いるために、掃除でも何でもします。どうか手伝わせてください」

メルナスのやる気に満ちた目に押され、ルーネベリは苦笑いした。メルナスも根は悪い男ではなかったようだ。誤解が誤解を生み、妻

スエナとの関係が複雑化し取り返しがつかなくなってしまったのだ。

 ルーネベリは頷いた。

「わかりました。手伝ってもらいましょう」

 メルナスははじめて綺麗な顔を綻ばした。

「ありがとうございます。手はじめに何をすればよろしいですか?教えてください」

 ルーネベリは「境」の掃除をするために大勢の人々に声をかけほしいと頼んだ。ただ、平の庭全体を掃除するにはとても時間がかかってしまうので、城の中庭を中心に掃除をはじめたいということを伝えた。

 エフネラが聞いた。

「どうして中庭を主に掃除なさるのかしら。城の中庭に何かあるのかしら?」

 ルーネベリは言った。

「わかりません。ただ、城の中庭で妙な生き物を見たのですが、目を離した途端に消えたんです。あの中庭には『境』が他よりも多いのではないかと考えているだけです。『境』が多いところから掃除をしたほうが、何かわるかもしれませんよね」

「『境』が多い?」

 エフネラはよくわからなかったようだが、メーアがルーネベリの代わりに説明をしてくれた。

「エフネラさん、お客様は塵掃除と同じように考えていらっしゃるのです」

「塵掃除ですって?」

「はい。塵掃除をするとき、塵を一カ所に集めてお掃除をします。ただ、時間がない時は見えている塵を先にお掃除してしまうのです。そうすれば、塵は目立たなくなります。時間がある時にお掃除していない場所を少しずつお掃除もできます。急ぐ必要がなくなります。  

 それに加えて、お客様は目星をつけた場所を掃除することで疑念を晴らしておきたいのでしょう。差し出がましいですが、良い方法だと思います」

「差し出がましいだなんて言わないでちょうだい。わたくし、お掃除はしたことがありませんから。教えてくれて助かりますわ」

 エフネラはメーアににっこりと微笑んでからルーネベリに言った。

「どこをお掃除するのかはすべてお任せしますわ。わたくしは一度、お茶会に行って皆に話をしますわ。人々の解放の話をしてお掃除を手伝ってくれる人を集めますの。わたくしと等級が同じ者たちは反発するでしょうけれど。城には主がいたという話でもすれば興味を抱いて中庭まで見に来るかもしれませんわ。そこを捕まえてお掃除を手伝わせますわ」

「そんなことして大丈夫ですか?」

「良い機会ですもの。隠すことなんてありませんわ。皆がこの大掃除を機に、平の庭の真実を目撃すべきですもの。わたくし、楽しみでなりませんわ。後で、中庭でお会いしましょう」

 陽気な顔をしてエフネラはメーアと共に家を出て行った。大丈夫だろうかと思いながらも、部屋に残ったルーネベリたちはこれからどうするのかを話し合った。


 話し合いの結果、とりあずは妊婦のマハと病が治ったばかりのシエナは安静にしなければならないので部屋に残り、マハの妹ハノが二人の世話をすることになった。残りのルーネベリとシュミレット、

メルナスは外で待っているアラたちやこの地域に住む人々に話をして掃除を手伝ってもらうこととなった。

 シュミレットはさっさと外に出て行き、メルナスは家を後にする前に、ベッドに横たわるスエナの両手を握りしめて「行ってくるよ、愛しいスエナ」と甘い言葉を囁いた。スエナは照れながらも「はい、あなた。お気をつけて」と答えた。なんだか見ていられず、ルーネベリはマハ姉妹にお別れを言ってから外に出て行った。

 ずっとルーネベリたちが家出てくるのを待っていたアラたちは、シュミレットだけではなくルーネベリの姿を確認すると、さっそく話しかけてきた。

「ルーネベリ。部屋の中で何があったのか聞かせてくれ」

 アラの後に、シャウやリカ・ネディ、オルシエも近づいてきた。

 相当、待ちくたびれていたのだろう。バッナスホートは座り込んだ床に剣を立てて身体を支えにして目を閉じていた。興味がないのだろう。

 ルーネベリはアラたちにこれまでの経緯を話していると、やっと家から出てきたメルナスはエフネラたちが連れて行かなかった大勢の金色の衣を着た小さき者という仮の姿をした人々に「皆、私の話を心して聞いてほしい」と話しかけていた。ルーネベリは話をしながら、メルナスの話を聞いていた。

 メルナスは話した。

「この地を訪れたお客様たちのおかげで私は目が覚めた。ここに宣言する。私は身分が高かったが、それはもう過去の話だ。私の妻は身分が低かったが、それも過去の話だ。私たちはこれから等級……違う!ただのエフネラ様と共に、この平の庭の民として自由を得るために戦うつもりだ。

皆が自由を得られるようになれば、皆はもうそのような恰好をしなくてもすむ。足を縛らず、二本の足でまっすぐ地面に立つことができる!子供たちも辛い思いをさせずともすむ。私は妻と子供だけではなく多くの女性に対して辛い思いをさせた分、これからこの庭の為に尽力し償うつもりだ。皆は自由の為に、私たちを手伝ってもらえないだろうか。あなたたち皆の力が必要だ」

 精一杯心を込めてメルナスは訴えかけたのだろうが、黒い衣を着た人々はぴくりとも動かなかった。言葉も発することもなく、ただただ無言を貫こうとしていたのだ。彼らには身分の高いメルナスの言葉が届いていなかったのだ。ルーネベリは話を中断してメルナスの為に何か言おうとしたが、それよりもはやく、家の外に走って出てきた黒髪の美女ハノが皆に語りかけた。

「皆、立っていいのよ!ここにいる人たちはお客様もメルナス様も、エフネラ様も、私たちが紐で足を縛って背を低くしていたことを知っているの。知っているから、そんなことはもうしないでと言っているの。身分の高い人々は私たちが何に耐えてきたのかを知らなかったの。でも、もう知ったのだから黙っていないと言ってくれているの。私たちの為に!」

 メルナスは深く頷いて言った。

「彼女の言うとおりだ。皆、紐を外して立ち上がってほしい。そして、私たちを手伝ってほしい。この庭には秘密が隠されているそうだ。この庭の誰もが知らないことだ。この庭で生きている皆が知る必要がある。皆で見るためにも掃除を手伝ってほしい」

 一人がすっと衣の中で紐を解き、ゆっくりと立ち上がった。メルナスもメルナスを助けたハノも微笑んだ。はじめに立ったその人は男のようで、メルナスに向って落ち着いた声で言った。

「発言をお許しください」

「許可など要らない。自由に話してくれ。罰したりなど金輪際二度としないと誓う」

 その人は少し黙ったが、しばらくしてからメルナスに言った。

「お掃除であれば、命令してくだされば致します」

 メルナスはどうやら意図がまだ伝わっていないのだと思い、一人だけ立っている人物の元まで歩きだした。その行動は人々を内心怯えさせ、勇気あるその人もベールの下で目を閉じて罰を受ける覚悟をしていたのだが。メルナスはその人物を抱きしめて言った。

「誤解しないでほしい。あなたたちの意志で手伝ってほしいと思っている。嫌なら無理強いはしない。あなたが勇気を振り絞って立ち上がり話をしてくれたように。私も今勇気を振り絞り皆に話しかけている。私にはどうやって説明すればいいのか、これ以上はわからない。わからない私は行動で示すしかないと思っている。これから私はこの地区に住む人々に同じ話をして協力を募るつもりだ。もしも、私たちに協力してくれる気があるのなら、中庭で待っている。来なくたっていい。ただ、この庭は今日をもって変わることになる。できるなら、皆でその喜びを分かち合い、この平の庭の新しい思い出を皆作りながら共に生きていきたい」

 メルナスは抱きしめていた男性から離れ、皆に目配らせした。もともと美しい顔がさらに輝いて見えた。

 途切れ切れのうちに話を終えたルーネベリはメルナスを見て思った。メルナスは将来、きっとエフネラにとっていなくてはならない存在になるだろうと思った。もちろん、改心したとはいえ、人はすぐに変わることはない。メルナスはこれから失敗を繰り返すかもしれないが、今日この日のことを思い返すことが出来ればきっと大丈夫だろう。彼は大勢の前でこそ輝ける人物だ。

 結局、メルナスが最後に言った言葉ではなく、ハノの言葉を信じて多くの人々が紐を解き、ベールを外しはじめた。男や女、子供のような年頃の子たちも大勢いた。

 彼らは「何をすればいいですか?」と聞いてくるが、メルナスはルーネベリの方を向いて同じ言葉を繰り返してきた。面白く思いながら、ルーネベリは「長い棒状のものをできるだけ沢山用意してもらえませんか?ついでに、知り合いにも手伝ってもらえるように声をかけてもらえる助かります」と言った。

人々は頷いて一斉に散らばり棒状のものと友人・知人を探しに行った。

 アラは言った。

「大勢を動かして、大変な事になるな」

 ルーネベリは笑った。

「あぁ。でも、これでよかった気がする。メルナスは酷い男だと思っていたが、実は良い男だったんだな。正直、思っていた人間じゃなくて俺は嬉しく思っている」

 アラがルーネベリの背中を優しく叩いた。

「お前も良い男だ」

「アラもな。家の外で待っている間、皆を説得してくれていたんだろう。いい奴だ」とルーネベリが言い、その言葉の意味を理解したアラは笑った。すっかり仲良くなったものだ。ルーネベリとアラはますます友情が深まっていくのを感じていた。途中ではぐれたパシャルやカーン、クワンに再び会う事があれば、平の庭での思い出話もできるだろうなどとルーネベリが考えていたのだが……。二人が笑い合っている姿にシャウが熱い嫉妬の視線を向けていた。




 ルーネベリとアラは話を終えた後は、人々が持ってきた箒の柄や物干竿など棒状の生活用品を一カ所に集めて、友人・知人に呼ばれてやってきた人から数本渡して中庭へ行くように言った。これにはリカ・ネディとオルシエも率先してやってくれた。しかし、シャウはバッナスホートの隣に座り様子を見守っていた。シュミレットはといえば、棒切れを三本持って先に中庭に行ってしまった。

 ルーネベリたちも助けてくれたハノに今度こそ別れを告げてから大きな杭を持って後につづいたのは大分後になってからだった。

 黒い通路を通り、庭から城へ入り中庭へ行くと、既に人だかりができ、「境」の掃除がはじまっていた。ちょうど生き物がいた中庭の中央を除く、回廊側にどこかから運んできた梯子を立てかけ、三人がかりで梯子を支え、一人が梯子を上りながら「境」を棒に巻き付けていた。どうやらそれは先に着いていたシュミレットが指示していたようで、人だかりの真ん中にいる黒い小さなマントを着た人物が空を指さすたびに梯子が運ばれた。掃除は順調に行われているようなので、ルーネベリはシュミレットの元に行き、どこを掃除すればいいのかを聞きに行った。

 それから「境」の掃除はいよいよ本格的にはじまった。中庭は次々に運び込まれた梯子らだけになり、空からは「境」を巻き付けた棒があちこちでぶら下がっていた。掃除をはじめてからわかったのだが、「境」は屋根よりも数メートル上の空の地点まで棒で巻き付くことができたが、それ以上はできなかった。リカ・ネディが大方「境」を巻き付け終わった後に、「境」がぶらさがっている空を剣で叩き切ってみようというので、そうすることになった。

 しばらくしてやってきたエフネラとメーアは金色の衣を着た沢山の人々を連れていた。彼らは皆、足の拘束を解いて真っすぐに立っていた。そして、その中には、恐らくはエフネラと同じ身分だろう金のドレスを着た高齢の白髪の女性と金のスーツを着た若い黒髪の男性もやってきた。エフネラの話ではエフネラと同じ考えを持つ人々だというのだ。金のスーツを着た男性は両袖を捲り上げ、シュミレットたちに向って「お恥ずかしい。手遅れました」と言い、颯爽と梯子を支える手伝いをしはじめた。エフネラも負けずにドレスの裾を上げて、梯子に上ろうとしたが、流石にメーアがドレスを理由に止め。役には立たなかったが、エフネラは高齢の女性と共に巻き付けた「境」の数をかぞえることとなった。

 身分低い人々は、最初こそは驚いていたが、あまりにもごく自然と振る舞う身分の高いエフネラたちを見ているうちに慣れてきたのだろう。丁寧な言葉づかいで話かけるようになっていた。これこそがエフネラが望んでいる姿だ。微笑ましい光景だった。


 中庭の「境」の掃除がすべて終わった頃、ルーネベリとアラは梯子を上って回廊の屋根にのぼった。リカ・ネディとオルシエはいつの間にか先の上っており、梯子を屋根の上にあげるように下にいるバッナスホートとシャウに言っていた。この二人がいつ中庭に来ていたのかルーネベリも知らなかったが。梯子を屋根に上げた後、屋根に上ってきたバッナスホートが自ら「境」を切ると言い出したので戸惑った。確かにバッナスホートとシャウは「境」の掃除をしているときに姿が見えなかったのだから、せめて「境」を切るぐらいは手伝ってもらうべきだろうと、ルーネベリが勝手に頷いた。アラもリカ・ネディもオルシエも不満そうだったが、何も言わず梯子を支える側にまわってくれた。軽く謝り、ルーネベリも梯子を真っすぐ空に向けて立てるように支えた。ぐっと力を込めた。

 バッナスホートは剣を鞘から抜いてから片腕で梯子を上り、「境」の巻き付けが止まっている箇所まで近づくと、上を向いて剣を大きく振り切った。すると、「きゃあ」と空から声が聞こえてきたのと同時に切れた「境」と巻き付けた棒が地上へ落下していった。

 ルーネベリが思わず「ちょっと」と言ったのだが、バッナスホートは声の元を確認する前に、次々と剣を振りながら空を切っていった。女性の悲鳴はどんどん酷くなっていくが、バッナスホートが容赦なく切り続けたおかげで空を覆っていた境そのものがすべて地上におちて取り払われて行った。そして、境が隠していた先に見えたのは、大きな青い目玉が二ついた巨大な顔だった。ちょうど中庭を覗き込むようにこちらを見ていたのでその場にいた大勢が腰を抜かしてしまった。

「こいつは何だ……?」

 境を切った当の本人であるバッナスホートが梯子の上で呟いた途端、皆の心の中に言葉が響き渡った。

《――はやく渡して。あいつが来るわ!》









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