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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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五十一章



 第五十一章 ガテの書





 ルーネベリは言った。

「どうして先生が?」

 シュミレットはフンッと鼻を鳴らして言った。

「君ね、僕が趣味だからという理由だけで読書をしていたのだと思っているのかな」

「読書?」

 ルーネベリは頭を傾げ、シュミレットが分厚い本を読んでいる姿だけを思い出した。何の本を読んでいたのかは聞いていないのでわからないが、分厚い本の山に囲まれていた気がする。あの本の中に平の庭の歴史が書かれていれば、確かにシュミレットが何らかの情報を持っていてもおかしくはない。賢者様ははじめから手っ取り早い手段を取っていたのだ。なぜ気づかなかったのだろうかと思いながら「あぁ……」とルーネベリは唸った。

 シュミレットは言った。

「残念だけれどね。ルーネベリ、君の思っているものではないのだよ」

「えっ?」

「君はこの庭の歴史の本を読んだと思っていただろう?」

「そうですが。……あれ、違うんですか?」

 シュミレットはこっくり頷いた。

「歴史ではないのだよ。僕が読んだのはこの平の庭へ旅に来た者が残した伝奇のようなものだね。著者はガテという人物で、旅先で語り聞いた話を本に纏めるのが趣味で、平の庭と高の庭を何度も往復して調べた変わった人物のようだよ。ガテによればどうも、この世界の人々は本に書き記して後世に残す習慣がないようなのだよ。だからこそ身分差による弊害も知らなかったのかもしれないね」

「そうなんですか?」とルーネベリは驚いてメーアやエフネラ、メルナス、スエナ、マハとハノ姉妹の顔を見まわした。

 エフネラがさも当然のごとく言った。

「本は読むものですわ」

 ルーネベリは言った。

「えぇ。でも、その読む本は誰かが書き、誰かが製本して作らなければ誰も読むことはできませんよね。俺たちがいう『歴史』というのは、その世界で起こった出来事を文字にして本に記して、未来を生きる人々に何が起こってきたのかという事実を教えるものです。歴史を知れば人々の文化がどのように時代ごとに移り変わってきたのかがわかりますし、同じ失敗を繰り返してはいけないという事もわかりますよね」

 戸惑ったようにエフネラはメーアを見てから言った。

「それはとても素敵ですわね。わたくし、お客様が置き残していく本しか知りませんでしたわ。――本が作れる。作れるとわかったのなら、ぜひ私たちの歴史の本を作ってみたいわ。そうして大勢の人に読んでもらいたいわ」

 ハノがそっと小さな声で言った。

「エフネラ様。私たち文字は読めません。お願いします。文字の読めない私たちにも読める本を作ってくださいませんか?」

 エフネラは「そうね……」と歯切れの悪い返事をした。彼女は本が作れるという事をつい今しがた知ったばかりで、文字のない本の作り方など知らないのだ。

 ルーネベリは助け舟を渡そうと思い、言った。

「それならいい方法がありますよ。絵と簡単な文字だけを書けばいいんですよ。簡単な文字ならば、覚えれば読む人にとって文字を覚える勉強にもなります。それを俺たちは『絵本』と呼びます。まぁ、俺たちの世界では立体映像が主に多いのであまりないのですが……」

 エフネラはぱっと顔を明るして、両手を組んだ。

「本に絵を描いた、絵本!それはお見事な考えですわね。わたくしの家には絵の上手い者がおりますのよ。彼に手伝ってもらえば、立派な本ができますわ。だけど、彼の名前も聞かなければなりませんわ。わたくし、彼の名前も知りませんの……情けないわ」

「きっと教えてくれますよ」とルーネベリ。エフネラは頷いた。

「手はじめにわたくしの屋敷にいる者たち皆を開放しますわ。歴史の本にはそのことも書かなければなりませんわね。皆が自由になるはじまりの日ですわ」

 エフネラが微笑んだので、ルーネベリも笑った。

「これから忙しくなりますね」

「そうですわね。おかげさまで、わたくし胸が熱くなる思いですわ。やりたいことが沢山、次から次へと思い浮かびますもの」

「それはよかった」とルーネベリが言いかけたところ、エフネラは隣に立つメーアの両手を優しく握りしめた。


「ねぇ、メーア。わたくし、これからとんでもないことをしようと思いますの」

「エフネラ様」

「わたくしのことはエフネラと呼び捨てて呼ちょうだい。――聞いて。わたくしたちに歴史の本が作れるなら、わたくしたちには歴史も作れるということですもの。わたくしの手で身分制度を壊して、わたくしのお屋敷の者だけではなくて、平の庭の人々皆をもっと自由に解放したいの。そして、歴史にこれまでの非道な出来事と、わたくしたちがこれからする出来事をすべて包み隠さず書き記して残したいのよ。平の庭であなたのような不憫な思いをする子供がいなくなるようにしたいの。リンが何者かはわかりませんけれど、行く当てがないがないなら、子供がいない夫婦に引き取ってもらえばいいわ。わたくしの従妹として手を貸してくれないかしら」

「……そんな、私など。役不足です」

「そんなことないわ。あなたが手伝ってくれるなら心強いわ。従妹なのにどうして身分が違うの。あなたは苦しんできたのにわたくしは苦しんだことなどないのよ。不公平だわ。そんな世界、はじめから作るべきではなかったの。わたくしとあなたが手に手をとって、皆に訴えかけましょう。すべてが思い通りにいかないかもしれませんわ。それでも平の庭を変えるべきだわ。そうしなければ、平の庭はきっといつか疲れ果て病んだ人ばかりの世界になってしまうわ。重荷はそれぞれが自分で持つべきよ」

 メーアはエフネラの手に力を入れて握り返した。ぽたぽたと涙を流して俯いたが、エフネラがメーアの顎を持ち上げた。

「こっちを見て。わたくしはあなたがいれば強くなれるわ。あなたも強くならなくてはならないわ。共に望む世界を作りましょう。もうわたくしのためにあなた自身を犠牲になどしないで。わたくしは、あなたと対等でいたいの」

 メーアは嗚咽しながら、精一杯「えぇ、えぇ……」と頷いた。

 彼女が泣いていた理由は誰もがわかるわけがなかった。彼女のこれまで生きてきた時間は誰も知ることはできない。ただ、従妹であるエフネラがメーアの未来を変えようとしていることだけはわかる。それは、その部屋にいた平の庭の者たち皆にとっても喜ばしいことだった。

 マハは大きく膨らんだ腹に手を置き、生まれてくる子供の未来を思い。ハノは寄り添うメルナスとスエナの二人を見て考えたこともない明るい未来を思い描いた。

 ルーネベリはエフネラこそが選ばれた人物だと思っていたが、何に対して選ばれたのかがようやくわかった。エフネラは平の庭の指導者となるべく選ばれたのだ。彼女自身まだ本当の意味ではそのことに自覚はしてないだろうが、彼女が指導者としてなる入り口にようやく立ったのだ。

 平の庭の人々はそれぞれが身分を持ち、その身分に合わせた生活を送っていた。彼らはただ身分の通りに規則正しく生きてきた。だが、それは不遇の者たちの犠牲の上に成り立っていた栄華だった。

身分の高いエフネラが先頭に立ち、多くの者たちに呼びかければ、賛同する者も多くでてくるだろう。もちろん、反対する者たちも大勢いるに違いない。高い身分の者たちの反発は防ぎようもないだろう。理想を叶える為には、とてつもなく長い道のりになるだろう。多くの犠牲を出すかもしれない。だが、エフネラのように誰かが平の庭の人々を導び、その代では難しくとも、意志を受け継ぐものたちが繋いでいくことになるだろう。平の庭は変革の時を迎えたのだ。

 ルーネベリはエフネラに言った。

「あなたが望む世界の為に、何かお手伝いできることはありませんか?」

 エフネラは首を横に振った。

「いいえ、ございませんわ。お客様方に出会わなければ、わたくしはここへは一生来なかったと思いますもの。心から感謝しております。これから先はわたくしたち中の庭の人々の力できっと成し遂げてみせますわ」

 ルーネベリは微笑みながら頷いた。

彼女たちの行動が実を結み、変わった平の庭をルーネベリたちは見ることはできないだろうーーと、そんな気がしていた。しかし、多少なりとも、未来を行こうとする彼女たちに手を貸すことができて嬉しかった。ただただ、見られない事だけを残念に思うだけだった。


 エフネラはぱっとシュミレットの方を向いた。

「お客様。お帰りになる前に、ここにいる皆の為に伝奇について少しでもお話してくださらないかしら。わたくしは後で本を読めばいいですわ。でも、文字を読めない者たちにどう伝えてよいのやらわかりませんのよ。お手本を見せていただきたいですわ」

「かまわないよ」とあっさりとシュミレットは言った。

シュミレットもルーネベリと同じように何かエフネラの助けをしたいのだろうかと思ったのだが、その後に「僕らの行き先にも関わるから、話すべきだろうね」と言ったので、少し遅れて「えっ」とルーネベリは言った。まさか、伝奇に行先について書かれているとは少しも思っていなかったのだ。シュミレットはクスリと笑った。

「君は驚くと思うね。僕も驚いたよ……」

 ルーネベリは首を傾げた。賢者様が驚くならば余程の場所なのだろうが、まったく見当もつかなかった。

 シュミレットは言った。

「伝奇のはじまりは、この世界の名前の由来からはじまっていてね。『レソフィア』という名は、女神から貰ったという話だね。伝奇はほとんどこの女神レソフィアを主体に、少しよくわからない表現で描かれているのだよ」

「女神様のお話からはじまりますのね。聞きたいですわ」と、エフネラ。シュミレットはこっくり頷いた。

「わかる部分をなるべく要約してみるけれど、期待はあまりしないでもらいたいね」

「お客様が苦労なさったのであれば、わたくしが読んでもわからなかったかもしれませんわね。お聞かせいただけるだけで十分嬉しいですわ」

 エフネラがそう言うと、シュミレットはまんざらでもない顔をして言いはじめた。

「女神レソフィアがはじめて作った庭は平の庭だった。その頃の別の名で『白宮殿庭』と呼ばれていた。女神レソフィアは他の世界にいる女神たちを招いで庭のお披露目会を催した。女神たちは可愛がっている獣の子や、二足で歩く子らを連れてやってきた。女神たちは女神レソフィアの庭を褒め称えた。ところが、女神たちの子らは、女神たちの華やかな庭とは似ても似つかない貧相な女神レソフィアの庭を酷く貶した。女神レソフィアは憤慨して女神たちの子らを庭の地の底へ叩き落とし、女神たちは驚いて逃げだした。女神レソフィアは怒りのあまり平の庭の真ん中を隆起させて高い巨大な山の中へ隠れてしまった。

いくらか歳月が経ち、女神たちは女神レソフィアを怒らせたことを悔いたけれど、女神レソフィアの怒る様が恐ろしく謝りに行けなかった。女神たちは通りかかった狩人たちに相談し、代わりの者を寄こしてもらったそうだね。その代わりの者というのが『旅人』と言い、旅人は女神から預かった謝罪の鈴を持って女神レソフィアの元を訪ねた。レソフィアは頑なに心を閉ざして旅人を受け入れなかった。旅人は女神レソフィアが孤独のあまりに心を閉ざしていると気づき、別の世界から親を亡くした異種の子供三人を連れてきて、その三人の子供の中でもっとも白い髪の子に鈴を結んで女神レソフィアの元へ連れて行った。リンという名は、女神たちの謝罪の鈴からきているそうだね」

「鈴ですが……。なるほど」とルーネベリ。シュミレットはつづけた。

「リンと名付けられた子供は女神レソフィアに懐いた。レソフィアはリンを愛し、女神たちの謝罪を受け入れた。そうして、旅人に感謝して女神が籠った場所を高の庭として、旅人たちに開放することを約束した。女神レソフィアは無断で扉を沢山つくり、多くの旅人たちをレソフィアに招き入れた。女神レソフィアはリンと共に過ごすために、高の庭の上に新しい神の庭をつくった。女神レソフィアは幸せだった。しかし、女神レソフィアはけして侵してはいけない罪を犯していた。作ってはいけない扉を多数作ったために、多くの人々の運命が狂ってしまったそうだよ。――この辺りがよくわからないのだけれどね。レソフィアに運命の女神がやってきて、女神レソフィアに狂った運命を正すためにレソフィアを新しい女神の誕生の地にし、女神レソフィアにレソフィアを出るように命じた。女神レソフィアはリンを残して、レソフィアを泣く泣く後にした。女神レソフィアはそれから戻ることはなく、どこへ行ってしまったのかもわからないそうだね。伝奇によると、女神レソフィアは運命の女神になったという話を聞いた、……噂を聞いたのだったかな。忘れてしまったけれど、筆者はこのレソフィアという世界は間違いなく女神誕生の聖地だと断言していたね」

 エフネラは言った。

「平の庭の人々は、庭が作られたときに女神様によって作られましたの?」

 シュミレットは「それは違うようだよ」と答えた。

「わたくしたちのご祖先様が誰かは伝奇に書かれておりませんの?」

「旅人が連れていた三人の子供のうちの二人かもしれないと伝奇には書いてあったね。二人の子供の行方は正確にはわかっていないそうでね、二人の子供が成長後に平の庭で家庭を作ったのではないかというガテの予想した内容が書かれていた。旅人が連れてきた別の種の子供たちを我が子のように育て、平の庭は次第に人が増えていったという仮説だね」

「それでもいいですわ。リンがなぜ連れてこられるのかがとても不思議でしたもの。わたくしたちのご先祖様も別の場所から連れられてきたのでしたら、皆助け合って暮らしていたのかもしれませんわね。でも、どうして身分ができたのかは書いておりませんか?」

 シュミレットは言った。

「それは書いてはいなかったね。だけど、正式な名は白宮殿庭というそうだから、この平の庭にある城は宮殿として女神以外の誰かが住んでいたのだろうね。もちろん、君たちの祖先たちの前にだよ」

 ルーネベリはその話を聞いて、そういえばと思った。平の庭に到着した当初、城を見て宮殿だと考えていた。しかし、宮殿へと歩きはじめていつの間にか城だと思うようになっていた。大した問題ではないかもしれないが、おかしいと思う事は他にもある。ルーネベリたちは平の庭の代表者を探していただろうか。何か違和感があった。

 エフネラは言った。

「かつて、城に誰かが住んでいたとは聞いたことはございませんわ」

「僕がもっともわからなかったことがあるのだよ。伝奇には僕らの向かっている『下の世界』についても書かれていてね」

「下の世界?初耳ですわね」

 シュミレットはうんうんと頷いた。

「そうだと思ったよ。平の庭の下に、『下の庭』がある。これは正確な話だそうだけれどね。下の庭に行った者とガテは最後まで出会えなかったそうだよ」

「どういうことですか?下の庭に行ったことのある者と出会えなかったら、下の庭が存在すると知りえないはずですよね。ガテは下の世界に行ったんですか?」とルーネベリは言った。

「ガテは行っていないようだよ。ガテが下の庭が存在することが確実だとしているのは、女神レソフィアが女神たちの子らを叩き落とした地の底の存在があるからだそうだね。地の底こそが、下の庭だそうだよ」

「ちょっと待ってください。地の底って、地の底ですか?そんなところ、どうやって行けばいいんですか……」

「それがもっとも僕がわからないことでね。平の庭には隠されたものがあって、隠されたものを知るには隠れたものと隠されていないものを同時に得なければならない。まるで謎解きのような文章でね。未だにわからないのだよ」

「先生がわからないこともあるんですね」とルーネベリがぼやくと、シュミレットがまたクスリと笑った。

「この世界では僕は賢者ですらないからね」

 珍しく冗談じみたことを賢者様が言っていたが、ルーネベリは半分も聞いておらず。適当に返事を返した。

「確かにそうですね……。隠されたものというのは『境』で隠されているものってことですよね、きっと」

「『境』?」とシュミレットが聞くと、ルーネベリは言った。

「城に入る前に、膜のようなものを通り抜けたじゃないですか。あれを『境』と勝手に読んでいます」

「なるほどね。それが隠されたものだとすると、隠されていないものは何だと思うのかな?」

「隠されていないもの……。そうですね……」

 ルーネベリは拳を顎にあて考えた。色々な出来事が起きて頭の中が散らかっていたが、地の底と聞いてルーネベリは高の庭で聞いたオビアの妻アーチェルムの話を思い出していた。










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