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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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四十九章



 第四十九章 行き違い





「姉?」とルーネベリが首を傾げたところ、黒髪の美女がぱっかり空いた入り口から顔をだした。

「狭い家ですが、お入りください」

 黒髪の美女の姿が建物の中へと消えると、シュミレットがさっと先に灰色のくたびれた建物の中に入っていった。ルーネベリも中に入ったが、確かにこの家というのは狭いと入った瞬間に思ってしまった。廊下だろうが、灰色の壁と壁の間が異常に狭い。大柄のルーネベリは身体をやや傾けなければ、すっぽりはまって抜けられなくなりそうだった。先を歩いているシュミレットは華奢だったので両壁にぶつからずにさっさと廊下を通り過ぎて奥の部屋に行ってしまった。これはアラたちも苦労するだろうなとルーネベリは思いながら、なんとか身体を捻りながら奥の部屋に辿り着くと、そこは少し広い部屋だった。ただ、広いといっても、せいぜい人が入れても十人ほどだろう。

 部屋の奥には枯草を敷いた石のベッドが置かれ、そこには茶色く薄い布のベールで顔を隠している女性と、その脇にのんびりと座る黒髪の腹の大きな女性がいるだけだった。椅子は一つもなかった。

 黒髪の美女は腹の大きな妊婦に向かって言った。

「姉さん、挨拶をして」

 この妊婦と黒髪の美女は姉妹なのだなとルーネベリが思っていると、妊婦が腹を抱えてベッドから立ち上がろうとしたのでルーネベリは言った。

「あぁ、結構です。そのまま座っていてください」

「ありがとうございます」と、黒髪の美女と似た声で妊婦は言った。妊婦は妹とは容姿が似ておらず、美人とはやや言い難いが、大人しく奥ゆかしい印象だった。

「私はハノの姉のマハと申します。この身ですから城では働けず。看病をしておりました」

マノと名乗った女性は大きい腹を撫でて小さく微笑んだ。

彼女が名乗ってくれたおかげで黒髪の美女の名前がハノということをはじめて知った。そういえば、平の庭に来てから一度も名前を聞いていなかった。なぜだろうか、ルーネベリはそのことに今の今までまったく気づかなかった。

 黒髪の美女ハノは奥で顔を隠している女性の方に手を差し伸べて言った。

「彼女が私の友人スエナです。病の為、容姿が変わり果ててしまいました。お見苦しい姿でお目を汚したくないと申しております」

 ルーネベリが頷く前に、シュレットがぴしゃりと言った。

「僕はかまわないよ。見せてもらおう」 

「えっ!ちょっと、先生――それはあまりにも無神経では……」

 シュミレットはルーネベリを見上げて言った。

「君ね、僕らは彼女に会いに来たのだよ。様子を見せてもらわなければ、困るのだよ」

「それはそうですが……」

 ルーネベリは気まずく思いながらも、ちらりと黒髪の美女ハノや彼女の姉マハに目配らせした。そうすると、やはり、姉妹も困ったような顔をしてしまった。彼女たちの友人の変わり果てたという姿を知っている分、気が引けたのだろう。どうしようかと、ルーネベリは思った。シュミレットの言い分は正しいが、女性に強要するのはいかがなものだろうかと……。


「まぁ!こんなに狭くてよく通れますわね」

 太った女性の明るい声に思わずルーネベリは驚いた。太った女性はお付きもの一人の助けてもらいながらあの狭い廊下を歩いてきた。まだ広い部屋に着くと、ふぅと息をついて皆を見渡して「ごきげんよう」と言った。

 マハが挨拶の為に腹を抱えてまた立ち上がろうとしたが、太った女性がとめた。

「いいのよ。用があるのはあなたではないの。妊婦のあなたは楽にしくしてらっしゃい」

 マハは座ったまま腹を抱えて深々と頭を下げた。

 太った女性は微笑んでマハのお腹をさすった。

「良い子が生まれるといいですわね。子供は好きですわ」

「ありがとうございます」マハは小さな声で言った。太った女性はまた微笑みながらベッドの上で顔を隠している女性の方を向いた。

「心配しないでちょうだい。用があるといっても、あなたに何かをするつもりなどありませんのよ。ただ、顔を見せてもらえると嬉しいわ」

 スエナという女性は顔を隠したまま消え入りそうな声で言った。

「醜いお顔をお見せするなど……」

 太った女性は言った。

「病ならば仕方がないことですわ。どんな姿でもかまいません。わたくしにお顔を見せてちょうだい。さぁーー」

 丸々とした腕を伸ばして太った女性はスエナのベールを捲りあげた。

 露になったスエナの顔はいくつもの大きな赤紫色の痣があり、肌の色が見えないほど顔中に広がり痛々しかった。どうやらこの痣が原因でスエナは目を失明してしまったようだ。虚ろにルーネベリとシュミレットが立つ方を見つめているが、視線が合う事はなかった。

スエナは太った女性が驚きも罵りもせず、「あぁ……。どうしてこうなってしまったのかしら」とただ母親のように優しく尋ねる声を聞いてぼろぼろと両目から涙を零した。

 スエナは泣きながら言った。

「どなたかはご存じありませんが、私のこの顔を見て罵らないお優しい方です。でも、私にはお優しくしていただく資格はございません。私は罪人です。……こうなってしまったのは私の自業自得なのです。身分違いの恋をした報いです」

 太った女性は首を傾げ、太った女性は自身の高価だろう黄金のドレスを惜しむことなく掴んで彼女の涙を拭いた。スエナは触れられた感触から慌てて「穢れてしまいます」と言ったが、太った女性は言った。

「大丈夫よ、何事も起こりませんわ。それよりも、わたくし、身分違いの恋をしてこのような病を患ったと聞いたことがありませんわ。何かが起ったからこそ、こうなってしまったのでしょう。何があったのかを聞かせてもらえるかしら。ぜひ話を聞いて、あなたの為に何かをしてあげたいの」

 その言葉を聞いてスエナは感極まって大泣きしてしまった。太った女性はスエナを抱きしめて背を撫でた。

 スエナは鼻を啜り、もう見えない目を閉じて言った。

「私には助けを得られる資格はないのです。私はある高貴なお方に仕える最下人等級三のものでした。私は主である高貴なお方を慕い、下々の者の掟を破り、高貴なお方に胸にある想いを伝えました。高貴なお方は私の想いに応えてくださり、私は高貴な方の傍に置いてもらえることになりました」

「結婚したのね?」と太った女性が言うと、スエナは首を頷いた。

「二人だけで密かに誓いを立て結ばれました。とても幸せでした。子供も生まれ、私は高貴なお方の妻になれたと思っていました」

 スエナは苦しそうに唸り、また鼻を啜った。

 太った女性はスエナの頭を撫でて言った。

「何かがあなたの幸せを奪ったのね?」

「私の身分です。他の高貴なお方が屋敷に訪ねてきたとき、高貴なお方は私を屋敷の奥に隠しました。それから私はずっと屋敷の奥で暮らすようになりました。子供にも高貴の方にも会えず……。高貴の方は私を見て恥ずかしいとよく言っていました」

「妻に対して酷いことを言う人ね」と太った女性は怒った様子で言った。

 スエナは首を横に振った。

「あのお方は何も悪くありません。私はあまりにも身分が低く、表に出て妻の役目を果たせませんでした。私は高貴なお方に、別の妻を娶ってくださいと頼みました。私では高貴な方の妻に相応しくないと言いました」

 スエナはまた涙を流し、言いつづけた。

「高貴なお方はお屋敷に女性たちを連れてきました。身分の高い女性たちです。私はお屋敷の奥で隠れて暮らしていたので会うことはありませんでした。笑い声や音楽だけが聞こえていました。私は身分の高いお方が幸せだと思っていました。でも、身分の高いお方は私のことを怒っていました。お屋敷に女性が来るたびに、身分の高いお方は私と他の女性たちを比べて罵りました。私はお屋敷の奥に隠れてでなくなりました。お屋敷はどんどん賑やかになりました。   

 ある日、私が隠れていた奥の部屋に、身分の高い女性がやって私を見つけました。女性は高貴なお方の妻だと言いました。私はその方々の命令に従い、お屋敷を綺麗にし、女性たちのドレスを洗い。食事を作りました。そうすれば、夫である高貴なお方にも尽くせるのだと思いました。とても辛かったですが、私は幸せでした。罪人の私には過ぎた幸せでした。あの女性たちが私の子供を見つけた日、私は罪の重さにようやく気付きました」

「どういうことですか?」と口を挟んだのはルーネベリだった。スエナは躊躇せずに答えた。

「私の子供は大きくなってからは高貴なお方の書斎でお仕事の手伝いをするようになっていたそうです。成長するほどに子供の顔が私と似ていると気づいた身分の高い女性たちは私を問い詰め、私にすべてを白状させました。私と高貴なお方が夫婦であると伝えると、罪だと言われ、怒った身分の高い女性たちに水の入った石をぶつけられ、このような病を罹りました。私はお屋敷を追い出されました。行くあてもない私は、友達のマハとハノを頼りました。――私の命はもう長くはありません。どうか、ここで罪を悔いながら静かな余生を送らせてください。お願いします」

 スエナは太った女性から離れて頭を深く下げた。太った女性はスエナに頭を上げるように言ったが、スエナは散々な目に遭ったせいか頑なに「資格がない」と言いつづけた。

 ルーネベリは思った。スエナの話は聞き覚えがある。それもそうだろう、あの白い衣の美男子の話と一致する点が多いのだ。恐らく、スエナはあの男の屋敷にいたのだろう。ルーネベリが考えていた余罪があったという予想は誤りだ。ただ、男側の言い分を聞いていなかったのだ。

 太った女性が必要だったというのも予想通りだ。茶会に向かうべきではないという事も。しかし、妻はいないと言い、七十人もの女性を屋敷に置いていた件を解決すれば、その後、平の庭を出る為の通過点に通じる出来事が起こるとでもいうのだろうか。この先のことがまったく予想がつかなかった。


 ルーネベリはとりあえず肝心な人物を呼ぶ必要があると思い、太った女性のお付きの小さな者に、あの白い服の男を連れてきてもらえるように頼んだ。お付きの者はすんなり頷いて、家の外へ出て行った。

 お付きの者はすぐに白い衣の美男子を連れてきた。男は腹を立てていたのか、綺麗な顔を醜く歪ませていた。

 男が部屋に入って来るなり、スエナは顔をベールで隠そうとした。だが、男はちらりとしか見えなかった女性の顔を見て叫んだ。

「スエナ?」

 ベールで顔を隠したスエナは震えながら太った女性の腕に掴まった。

 白い衣の美男子は言った。

「どうしてお前がここにいる!今の顔はどうした?どうして、そんな顔になったんだ」

 飛びつこうといわんばかりにスエナの元へ駆け寄った白い衣の美男子をルーネベリは引きとめた。

「待ってくれ。彼女は怯えている。冷静に話をしよう」

 男が見ると、スエナは太った女性の腕に顔を埋めていた。よほど変わってしまった顔をこの男に見られたくなかったのだろう。またしくしくと泣き出してしまった。

 太った女性は白い衣の美男子に向かって言った。

「誰が近づいていいと許したのかしら。その場に座りなさい」

 金のドレスを着た等級の高い太った女性を見て、男は渋々言われるがままにその場に座り込んだ。そして、部屋の中を見まわした。石のベッドしかない寂しい部屋だ。どうしてこんな場所にスエナがいるのかがわかっていない様子だった。この男はスエナが病を患うきっかけなどは知らないようだ。

 シュミレットはベッドの近くまで行き、太った女性の隣に座った。様子をみるつもりらしい。

 ルーネベリは太った女性に向かって言った。

「スエナさんの経緯を含めて今の時点でわかっている事すべてを確認しながら話をしてもいいですか?そうしなければ、根本的な問題を話し合えないと思うんです」

 太った女性は頷いた。

「わたくしもそう思いますわ。わたくしにできることは何でもお手伝いいたします。お好きなさって」

「ありがとうございます」

 ルーネベリはさっそく話をしようと思ったのだが。先に太った女性と衣の美男子に名前を聞いた。後から名前を聞くのは失礼だとはわかっていたが、話の途中で名前をわざわざ聞いて話を遮るよりかはいいかと思ったのだ。

 太った女性は苦笑しながら「エフネラ」と名乗ってくれた。白い衣の美男子は「メルナス」というらしい。

 ルーネベリは皆に向っていた。

「話を整理しながら話しますね。メルナスさんとスエナさんは二人だけで結婚をしました。これは間違いありませんね?メルナスさん」

 白い衣の美男子ことメルナスは弱々しく頷いた。

 ルーネベリは頷いて言った。

「お二人にはお子さんが生まれて幸せだったそうですが、メルナスさんはどうしてスエナさんという妻の存在を隠したんですか?」

 メルナスははじめもごもごと話し、何を言っているのかが聞き取れなかったのだが、太った女性ことエフネラが「大きな声で話しなさい」と言うと、途端に声が大きくなった。

「友人に馬鹿にされたからです」

「まぁ、そんなことで!」とエフネラは呆れていた。メルナスは何か言いたげに唇を噛んだ。等級が上の者の許可がなければ話してはならないという決まりがあるからだろう。エフネラはメルナスが唇を噛んでいる様子を見て「自由に話していいわ」と言うと、メルナスは急に早口になって言った。

「あなた方には私の気持ちなどわかるわけがない。友人は格上の方と結婚し、等級が上がりました。奴は私よりも容姿が劣るというのに、私が持つものよりも高価なものを身に纏い、見せびらかしに私の屋敷に来ては、私に『妻を持つなら格上に限る』と言い。『格下との結婚は不幸だ』と言い切り、私はつい見栄を張り妻はいないと言うしかありませんでした。スエナを愛しています。しかし、スエナは最下人等級三です。スエナを私の友人たちに会わせれば、使用人のように扱うとわかっていました。私はスエナを屋敷の奥に隠しました。そうすれば、彼女を誰にも侮辱されることはないと――」

 ルーネベリもエフネラも驚いていしまった。ただの己惚れた男だと思っていたが、メルナスのスエナに対する妻としての愛情が嘘ではないようだ。

 ルーネベリはメルナスに聞いた。

「では、どうしてスエナさんに恥ずかしいと言ったんですか?子供と引き離したんですか?」

 メルナスは言った。

「私は、妻を隠さなければならない私自身を恥じていました。息子にはそんな姿を見せたくなくて、私の子供だということを隠して育てた。私はこれほどまでに美しいのに……。心が弱く、醜い。誰よりもわかっていた。私は耐え切れず、妻に当たり散らしていた。――そのうち、スエナは他の女を妻にしろと言いだした。私は気が狂いそうだった。スエナは他の女を連れてきても嫉妬しなかった。それどこから喜んでいた。私はスエナに必要とされていないと思うと、苦しくてしかたがなかった」

 メルナスの目から涙が流れた。ベール越しにメルナスを見ていたスエナがはじめて感情を露にしているのを見て衝撃を受けていた。

 メルナスは涙を衣で拭ったが、一度流れ出した涙はとまることがなかった。メルナスは言った。

「屋敷に連れてきた女たちは皆、私を愛してなどいない。私の地位と財に惹かれて群がってきた私と瓜二つの強欲な人間だけだった。いつか飽きればどこかに去っていくとわかっていたから傍に置いた。スエナがいつか嫉妬して私を繋ぎとめてくれると期待していた。私はどうしようもないほど愚かな人間だ。スエナは私を嫌い屋敷の奥に隠れてでてこなくなった。私は怒って、次から次へと女を屋敷に連れてきた。どうしたらいいのかわからず、私はすべてを忘れたかった。――もういいでしょう。お願いします。スエナに何があったのか教えてください。妻はどうしてそんなに変わり果てたのですか?」

 両手で涙を拭うメルナス姿を見てルーネベリははじめて同情心が湧いてしまった。この男は、ただただ不器用な男なのだ。地位も財も容姿にも恵まれているが、偏見のせいで人の愛し方がわからなかったのだ。そのせいで大勢を苦しめてしまったのだろう。

 ルーネベリは同じ男として情けないと思い、けして同じ事はしないだろうが。泣きじゃくる姿を見ると、あまりにも哀れに思えて、ルーネベリはスエナが病になった原因を教えてやった。メルナスが連れてきた娘たちがスエナに石を投げつけたと聞いてメルナスは床を叩いて怒った。その怒りは自身に対しての怒りだろう。

「妻は治らないのですか?」

 メルナスの問いにルーネベリが何と答えればいいかと迷っていると、「もしかしたら治るかもしれないね」とシュミレットがそう言った。









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