四十七章
第四十七章 金の扇
「何を聞きたい?」とネディ。
ルーネベリは言った。
「お茶会で一人だけ選べと言われたとき、他に何か言われなかったか?」
「言っていた。リンがどうたらこうたら。俺もオルシエも知らない言葉だったなぁ」
「えっ、知らない?」
「知っているのか?」
「あぁ、一度リンには会っているからな」
ネディは首を傾げた。
「リンは『人』か、『動物』か何かか?」
ルーネベリは言った。
「どちらかというと人だと思う。リンに会ってないないなら、どうやって神の庭から降りてきたんだ?」
「神の庭?それも知らないなぁ。俺たちは気づいたら高の庭のガラクタ屋にいた」
「ガラクタ屋?」
「大量の何かの破片とか。擦り切れた布切れも大量にあったな。ガラクタ屋の変な店主が俺の履いていた黒い金属製の靴を見て物々交換しろと言ってきてなぁ。交換してやったら、奇妙な飯とーー見た目は奇抜だったが、美味かったなぁ。飯を食いながら店主から高の庭がどんな町か教えてもらって、店を出るときに空飛ぶ珍獣まで貰った。あの靴は珍しいものだったみたいだな。コーウェルの砦の前に落ちていた大量の靴を適当に履いただけなんだがなぁーー」
「なるほど、人によって辿る道筋は違うのか……。面白いな。ところで、高の庭では黒豹には会ったのか?」
ネディは欠伸をした。
「会った。偉そうな獣だったなぁ。あいつに会った後、赤い毛を取りに……」
「あぁ、それはもういい。わかった。そこからは同じだろうな。メトリアスの鏡を手に入れたんだろう?」
「手に入れていない」
「えっ?」
「俺は、赤毛は手に入れた。それでもっと別のいいものと交換した」
「いいもの?」
ルーネベリがそう聞くと、ネディは意地の悪い笑みを浮かべた。
「私的に使うものだ。それも知りたいのか?」
「あぁ、いいや……。言いたくないなら結構だ。だいたいのことはわかった。恐らく、リンについて知っている俺たちとお茶会に参加するのは間違っていないようだな」
「『ついている』」
にんまりと笑ったネディは口癖のようにその言葉を繰り返している。何か意味がありそうだが、本人に直接聞くのをルーネベリは戸惑ってしまう。なにも武術に秀でた彼らが恐ろしいからという理由ではない。ネディにはルーネベリやアラとも無関係な企みがあるようだ。隠しているようだが、隠しきれていない。それもわざとなのか。ネディという人物を知らないので、まるでわからない。ただ、本能的なものか、底知れない不安が過った。アラの言う通り、バッナスホートと会わせないほうがいいのではないだろうかと、早くも後悔がちらつく。
ルーネベリは内心を隠したまま言った。
「茶会が必要な通過点かもしれないなーーそれにしても、遅いな」
シュミレットたちが到着したのはそれからしばらく経ってからだった。遅れた理由は、シュミレットの状況にあった。シュミレットはフードを深く被ったまま荷車の上に置かれた椅子の上に座り、膝の上に置いた三十センチはあろうかという程分厚い本を読んでおり。その周りには山積みになった分厚い本が五つも取り囲んでいた。シュミレット自体はそれほど重くはないだろうが、本となれば別だ。あれは意外に重いもので、十三世界では軽量化が進んでいるが。この平の庭ではそんな技術はないようで、シュミレットと大量の本が置かれた荷車を若い男性たちが二十人がかりで額に血管を浮かべて必死に押してきたのだ。非常にご苦労なことだった。
しかし、迷惑をかけた当の賢者様といえば、本をずっと読んだままだ。ルーネベリが声をかけても反応がない有様だ。
「兄貴!」とリカ・ネディが明るい声で呼ぶ声で気づいたが、バッナスホートは酒瓶を一本持って静かに歩いてきた。美女は連れておらず、酔っている様子はまるでなかった。シャウは美女たちに化けさせられたのだろう。唇にうっすら紅が引かれ、金髪はオイルでも塗ったのかテカテカと光り、胸元のはだけた妙に色気のある赤い服を着て、ちらちらとアラを見ながら近づいてきた。
ルーネベリはいずれシャウにアラのことは諦めるように言うべきではないかと思ったが、事情が事情だ。理由を話さない限り、恋敵だと誤解を受けるかもしれない。そうなると、また厄介事が増えてしまう。ルーネベリは一旦、シャウのことは保留にすることにした。
シュミレットがようやく本から顔をあげたのは、シュミレットの座る椅子が三人の若い男たちの手によって荷車から降ろされて地面に落ち着いたときだった。
シュミレットは膝の上の本をぱたんと閉じて、近くにいたルーネベリに言った。
「お茶会に誘われたようだね」
ルーネベリは中腰になってシュミレットから本を受け取ると、本を荷車に置き、再びシュミレットの元に戻り手を差し伸べて言った。
「先生が本を読んでいる間にそういうことになりました」
さっとシュミレットはルーネベリの手を掴み、支えにして椅子から立ち上がった。
「なかなか面白い本を読んでいたのだよ。三十巻ほどあってね、最終巻を今読み終えたところだよ」
「それはよかったですね。最後まで読み終わるまで動くおつもりはなかったでしょうから。俺も助かりましたよ」
シュミレットはルーネベリの皮肉をいつものクスリ笑いで返した。そして、新に面子に加わったリカ・ネディとオルシエの顔を見て言った。
「どうやら話が随分と進んでいたようだね。知らない顔が二つ、それに、向こう側にはもっと大勢がいるようだけれどーー」
生垣の向こう側のことを言っているのだろう。生垣の向こう側にはに太った女性とそのお付きの小さな者たちや、貴婦人、金髪の女性たちがいて、ルーネベリたちを待っているのだ。生垣のこちら側からは彼女たちの姿は見えないはずだが、どうやって賢者様はわかったのだろうか。気配か何かを感じ取ったのだろうか……。
ルーネベリは、とりあえずは目の前にいる二人についてシュミレットに言った。
「リカ・ネディさんとオルシエさんです。俺たちと同行したいそうです。いいですよね?」
「僕の同意など必要かな。君が決めたのだろう?」
フードの中のシュミレットの黄金の瞳が一瞬光ったように見えた。何もかもお見通しのようで少し不気味にも思えるが、ただ、状況を見ればだいたいはの予想ぐらいはつくのかもしれないとルーネベリは思った。
「そうですよ、争いを避けるために俺が決めました。詳しいことはお茶会の会場へ向かいながら話します。先生のご意見もお聞きしたいので」
シュミレットは頷いた。
「僕の考えが必要なら、そうしましょう。けれどね、彼のあの格好は何かな。仮装をしているのかはわからないけれど、少し臭う気がするのは気のせいかな?」
シャウの方を シュミレットが見ていたので、ルーネベリは少し笑いそうになりながらぐっと堪えて言った。
「平の庭の香水かもしれません」
シュミレットは口元に手を添え、小声で言った。
「臭いを消しても問題ないね?」
ルーネベリは苦笑した。
合流したシュミレットたちと共に、生垣の向こう側にいる太った女性と元まで歩いた。太った女性は籠に乗っており、金の扇で口元を隠したままお付きの小さな者が持つ白くて丸い菓子が盛られた皿に手を伸ばして掴み、ボリボリと食べていた。待っている間、暇だったのだろう。
太った女性はルーネベリたちの姿に気づくと、慌てて籠から降りてシュミレットたちに挨拶し、それからさっそく茶会へ行こうという話になった。ルーネベリたちはぜひにと籠に乗るようにと言われたのだが、籠を抱えている小さな者たちがあまりにも不憫に思えたので遠慮しておいた。結局、籠にはバッナスホートとリカ・ネディが乗った。ルーネベリとシュミレット、アラ、シャウ、オルシエは籠の隣を歩くことにしたのだ。
太った女性のお付きの小さな者たちの行列が方向展開し、城の方ではなく門の方へ向かいだした。太った女性を乗せた籠の後ろには、
貴婦人と白い衣の美男子がつづき、その後ろに金髪の女性を含めた三人、そして、その後ろに黒髪の美女がつづいた。
ルーネベリはシュミレットの隣に歩き、これまでの経緯について話した。アラはといえばオルシエの隣を歩き、シャウが後ろから首を伸ばして様子を見ていた。
ぞろぞろと茶会の開かれている会場へ向かう一団は賑やかだった。いつの間にかお付きの小さな者たちが後方で演奏をはじめ、軽快な音楽が聞こえてきた。色々と不安はあったが、心が落ち着いてまるで遠足にでも行くような気分になった。そして、一通りシュミレットに話し終えると、ルーネベリは「茶会にも酒はあるのでしょうか」と呟いた。すると、シュミレットが「紅茶が飲みたいね」とちぐはぐな返事をした。茶会が着くまでは何も起こらないと思い、すっかり気が緩み切っていた。
ところが、あともう少しで門だというところで、籠を前方で担いでいた小さな者の一人が突拍子もなく躓いた。転びはしなかったが、前のめりに姿勢が崩れたせいで籠が前方へ傾き、後方で担いでいた小さな者たちも姿勢を崩しそうになり、ぐっと踏みとどまった。籠は後方にも傾いて、また前方へと傾き、バランスを取ろうとしてしばらく大きく前後に揺れた。三人も籠に人を乗せていることもあってか、重くてバランスが取りづらかったのだろう。
バッナスホートとリカ・ネディよりも三段上の座席に座り、またこっそりと扇で顔を隠しながら菓子を食べていた太った女性は、いきなり籠が揺れだしたのであたふたとしていた。皿に盛られていた菓子は散乱しながら宙に浮かび、驚いた表紙に金の扇が太った女性の手元から離れて後ろへ飛んで行ってしまった。
「あぁ!」と太った女性が後ろを振り返りながら飛んでいく扇に腕を伸ばしたが、届くはずもなく。金の扇はクルクルと回転しながら籠のずっと後ろに落ちてしまった。金でできた丈夫な扇だったためか、壊れることはなかった。だが、落ちた場所が悪かった。つい先ほど罪に問われた白い衣の美男子が俯いていた目線の先に落ちたのだ。
太った女性が前方の籠の上で、お付きの者に「拾ってきてちょうだい」という言葉は白い衣の美男子の耳にも届いていた。
美男子はきらきらと光る豪勢な金の扇をじっと見た。扇には宝石がちりばめられており、等級が高いものしか持つことが許されないであろう緻密な透かし彫りもされていた。けれど、白い衣の美男子が見ていたのは透かし彫りではなかった。扇の角だ。扇の角は直角で鋭利になり輝いていたのだ。この扇は丈夫な金でできている。美男子の目が据わっていた。
「こんな素晴らしい品を持つほど、あの太った等級の高い女は尊いというのだろうか……」と心の中で毒づいた。本人にはわからなかったが、きっと、その気持ちは嫉妬心だったのだろう。
《私はこれほどまでに美しいのに、理不尽な侮辱を受けた!》
白い衣の美男子はしゃがみ込んで急いで扇を掴むと、そのまま太った女性の乗る籠へ走りだした。
籠の上にいる太った女性はてっきり美男子が拾って届けてくれるのだと呑気に思っているので微笑んでいたのだが、明らかに白い衣の美男子の目つきがおかしいと察したアラとオルシエは籠の前に出て、咄嗟にアラは腰の短剣の鞘に手を置き、オルシエは大剣の柄に手を伸ばしたが。二人が動くよりも素早く美男子が扇を籠にいる太った女性目掛けて振り投げたのだ。
「あぁああ!」
白い衣の美男子は奇声を発し、近くにいた小さな者にぶつかり地面に転がった。
軽い金の扇は素早く宙を回転しながら籠目掛けて飛んでいった。まさか投げるとは思わなかったので、流石のアラやオルシエも剣を抜き切る暇もなく、反射的に屈むことしかできなかった。二人の頭上を通り、このままほんの数秒飛んでいけば扇は間違いなく太った女性の顔に当たるだろう。見ているだけで何の成す術もなく、ルーネベリは目を閉じ手で両目を覆ってしまった。
飛んでくる扇を見て太った女性は悲鳴をあげた。
直撃した――、と思った。だが、隣にいるシュミレットが言った。
「お見事だね」
ルーネベリは手を少し上げ目を恐るおそる開けてみると、籠の上では金の扇の刺さった皿を持つリカ・ネディの姿があった。リカ・ネディが三段上って座席に落ちていた皿を拾いあげて、太った女性を救ったのだ。
あんぐりと口を開けて太った女性はリカ・ネディの背中を見上げていた。リカ・ネディは後ろを振り返り、太った女性にへらへらと笑いかけると、言った。
「皿があってよかったなぁ!」
リカ・ネディが皿を下した途端、金の扇が刺さった個所から亀裂音が走りヒビが入り皿は二つに割れて、金の扇と割れた破片が籠の座席に落ちた。ネディも太った女性も落ちた扇と破片に目を向けた。
あの金の扇に刺さっていれば、とんでもないことになっていただろう。太った女性の顔は真っ青になった。
結局、その後、金の扇を投げた白い衣の美男子はお付きの小さな者たちに取り押さえ後ろ手に縛りあげられた。しかし、この男をどう対処すればいいのか指示を下すはずの太った女性はあまりにも動揺をしすぎるあまりに言葉がでてこなかった。生まれてこのかた命を奪われそうになった経験がないのだ。冷静になろうとすればするほど、先ほど一体何が起こったのかがありありと思い出されて辛かったのだろう。哀想にお付きの小さな者の胸を借りてしくしくと泣き出してしまった。
しばし茶会に向かうのはやめて太った女性が落ち着くのを待つこととなった。
シュミレットは軽くため息をついた。
「大変な事になってしまったね。こんな偶然もあるのだね」
ルーネベリは頷いた。
「えぇ……。もう駄目かと思ってしまいましたよ。ネディさんは咄嗟に身体が動いて凄いですね」
「そうだね」
「籠が揺れて扇がまさかあの男の元に飛んでいくとは思いませんでしたよ。偶然にしてはあまりにも出来すぎていて……」
いきなりルーネベリの頭を殴られたような衝撃が走った。シュミレットはそれには気づかずに言った。
「出来すぎていて?」
「――えぇ。出来すぎていて、あまりにも不自然ですよね」
ルーネベリはシュミレットの方を見下ろした。シュミレットも少し見上げたのでフードの下の黄金の瞳が輝いているのが見えた。ルーネベリはシュミレットが目の前にいるというのに一人呟いた。
「待てよ……。茶会に行くことが本当に必要な通過点なのか?」
ルーネベリはこれまでの出来事を慎重に思い返した。
オルシエとリカ・ネディは平の庭に着いた当初、あの白い衣の美男子の屋敷に降り立ったと言っていた。その後、成り行きで参加した茶会を抜け出してルーネベリたちと出会うこととなる庭まで太った女性とやってきた。そのことから「茶会」こそが大事な通過点かもしれないと思い込んでしまっていたが、重要なことは別のことだったのではないだろうか……。目の前で突如として起こった不自然すぎる偶然がルーネベリの思考を一転させた。
「リン」は重要ではない。「茶会」も重要ではない。「選ぶ」必要もない。重要な情報を持っていたのはリカ・ネディたちのほうだ。あの白い衣の美男子を摘発することこそが本当の通過点なのではないのだろうか。そうなると、次はなんだろうか……。行き先は茶会ではない。「考えろ、考えろ!」とルーネベリは心の中で己に言いつづけた。
目の前でぼんやりとしながら助手が考え事に耽っている姿を見て、シュミレットはクスリと笑った。残念な事に、シュミレットにはルーネベリが何を考えているのかはわからなかったが、助手が考え事をしている時には何かがあるのだということだけはわかる。邪魔をするつもりはなかったので、シュミレットは周囲を眺めた。籠の上で涙を拭いながら太った女性はリカ・ネディに助けてくれたお礼を言っているのが見えた。リカ・ネディは彼女にとって命の恩人になる。感謝してもしきれないだろう。そんなことをシュミレットが思っているうちに、ルーネベリも無意識に目の前にいるシュミレットが見ている方向を向いていた。すると、ぱっとある場面が浮かんだ。
「わかりました!」
ルーネベリは言った。
「何がわかったのかな?」とシュミレット。
「本当に向かうべき場所がわかりました」