四十六章
第四十六章 アラの不安
「何!」
アラが剣の柄を力強く握りしめて叫んだ。
リカ・ネディは笑った。剣一本すら持っていない無防備なネディを、アラが切りつけないと見越しているのだろうか。アラに剣先を向けられているというのに少しの動揺も見られないどころか、真剣な面持ちでルーネベリの目を見つめ、腹にぐっと力込めてアラよりも大声で叫んだ。
「我が名はリカ・ネディ!剛の世界に生まれた武道家なり。歳は三十五、鍛錬を重ね二十数年。名誉のために戦うが、無駄な争いはせぬと我が命を懸けて誓う。汝、応え給え!」
思わずルーネベリは肩をびくつかせた。かつてこれほどまでに大声で人様に話しかけられたことがあるだろう。圧倒されてしまい、ルーネベリは少し呆然としてしまった。
ルーネベリの前に立っていたアラはため息をついて剣を下した。そして、リカ・ネディもオルシエももう攻撃してこないと思ったのか、剣を背中の鞘に戻しながらルーネベリを振り返った。
「ルーネベリ、自己紹介してやってくれ」
「えっ?」
アラは渋々といった様子で言った。
「武道家の正式な挨拶と自己紹介を兼ねた口上だ。礼儀は礼儀で返さなければならない。返すつもりがないなら、私ではなく、挨拶されたお前が戦うことになる」
「えっ、なんだって!どうしてそういう事になるんだ。まったくよくわからないんだが、どういうことか説明してくれないか?」
ルーネベリの慌てる様子を見て、アラは一度オルシエやネディの方をちらっと見てから、ルーネベリに小さな声で言った。
「戦わないと口上述べている人間に返事をしないということは、無視をするということだ。武道家にとって挨拶を無視されるということは侮辱にほかならない」
「返事をしないだけで侮辱になるのか?」
「そうだ。戦いたくなければ、口上を述べた者と同じように名とどこの世界の生まれであるのか、何者か、年はいくつかを話さなければならない」
「そうか……。武道家にはそんな決まりがあったんだな。俺は、普通に話していいのか?」
「応え方には特に決まりはない。返事をすればいい」
「そうか、わかった。じゃあーー」
ルーネベリはしばし俯いて息を吐いてから、ぱっと顔を上げてアラの隣まで少し歩いて、リカ・ネディとオルシエに向かって言った。
「はじめまして、自己紹介します。俺はルーネベリ・L・パブロ。剛の世界出身ですが、理の世界育ちの学者です。歳はどうやらリカ・ネディさんと同じのようです。俺は剣すらまともに握ったことがなく、戦いすらしたことがありません。俺と今も今後も戦おうとは思わないでもらいたい」
リカ・ネディは首を横に傾けた。オルシエにいたっては視線が明後日方向をむいている。
ネディは呟いた。
「――武道家以外にもいたのか。学者っていやぁ、ちまちまと文字を書いている連中だろう。俺たち武道家とは対極にいる存在じゃあねぇのか?」
ルーネベリは言った。
「いや、別にちまちま文字を書く職業では……。まぁ、でも、武道家と対極の存在というのは合っていると思いますが……」
アラはルーネベリの前に左腕を伸ばして言った。
「私の友だ。無駄な争いをしないなら、放っておいてくれ」
ネディは言った。
「せっかく出会えたのに、これでおさらばってか?もう少し付き合ってくれよ」
アラは「何だと?」と叫んだ。ネディはしばし真顔になったのちに言った。
「本音を話すぜ。俺らは行き詰っている。この庭は複雑すぎる。文字を書く連中なら頭はいいだろう?頭のいい奴に考えてもらうほうが早くこの庭から出られるしよ。あと、俺らが目的を遂げるまでの間でいい、同行させてくれ。頼む。お前らに迷惑はかけない」
「お前の要求に応えろというのか?私たちにはそんな義理はない」
「無償とは言わねぇからよ。この件が落ち着いたらそれなりの礼はする」
ネディは頭を下げた。だが、アラは折れなかった。
「礼など不要だ。お前たちと共に行動を取りたくない。傍にいるだけで迷惑だ。即刻、この場から立ち去れ!」
顔をあげたネディはへらっと笑ってみせた。
「あぁー流石に傷つくなぁ。迷惑だろうが、この好機を逃せばもう二度とやってこないだろうからな。俺も必死だ。いくら断られても、俺らはお前らについていくぜ。力づくでもな」
「ならば、やはりこの場で私と一戦交えるか?私が負ければルーネベリを連れて行くといい。目当てはルーネベリだろう」
「――いいや。男姉ちゃんも含めて『皆』だ。俺が勝ったら承知してくれよ」
「それでは、私が勝ったらお前たちの意に従いこの場から立ち去る。私が負ければお前たちの意に従い同行を認める。これでいいな、リカ・ネディ?」
「あぁ、それでいいぜ。ちゃっちゃと戦おう」
アラは凄んだまま背中に背負った大剣の柄を握り、前へ歩いて行った。ネディはオルシエに向かって「剣を貸してくれ」と言った。二人は戦うつもりらしい。
ルーネベリは慌てて言った。
「ちょっと待ってください。どうして戦う方向になっているんですか?」
アラはルーネベリを振り返り言った。
「ルーネベリ、そこで勝敗の行方を見届けてくれ。私は簡単には負けない」
「いや、アラ、やめてくれ。そういうことじゃない。戦う必要はないだろうと言っているんだ」
「武道家同士で交わした取り決めだ。負けた方が相手の意に従う」
ルーネベリは言った。
「だから、それはやめてくれと言っているんだ。そもそも俺は武道家じゃない、学者だ。武道家の礼儀に従ったからといって、武道家たちの習わしにすべて従う必要もない。それに同行者は他にもいるんだ。勝手に決めて後で怒られるーーいや、別行動したいと言われるかもしれない。そのほうが大問題だ。言っておくが、そうなったら俺には何もできないからな。俺は単なる学者だ。武道家でも魔術師でもない」
アラは魔術師と聞いてルーネベリが賢者様のこと言っているのだとすぐにわかった。見た目は子供のようでも年長者なうえ賢者様だ。シュミレットの意見を仰がずに勝手に決めてしまうのも如何なものだろうかとアラは考えた。
オルシエから大剣を借りて持っていたリカ・ネディも何かを思ったのか頷いた。
「賢いな。俺が男姉ちゃんに勝ったとしても、同行者たちに拒まれたらまた戦う羽目になる。同行者の中には兄貴もいる。兄貴は俺を拒むことはないだろうが、他の同行者がどうするかはわからない。兄貴より強い人間がいるかもしれない」
アラは急いでネディを見た。
ルーネベリは知らないが、バッナスホートだけではなくネディもまた賢者の存在を知っている。同行したいというのは賢者が目的かもしれないとアラは思い、アラは胸が苦しくなった。セロトでは先に進めないことを覚悟して友の為に賢者の名を出したが、先に進んだ今、非常によくしてくれている賢者様に対する酷い裏切り行為だったのではないだろうかと気づいたからだ。今更、どのようにアラが賢者様の正体を知っており、二人もの人物にその正体を告げてしまったのかを打ち明ければいいのかもわからない。話せば話したで、せっかく友になったルーネベリがなんというだろうかと心配で心がいっぱいになってしまった……。
ネディは大剣をオルシエに返した。戦いをやめるつもりだ。
何も知らないルーネベリはてっきりネディが理解してくれたのだと思い、深く頷いた。
「そうです。ここで戦っても意味がないんですよ。だから、俺が条件を出します。俺の条件を双方が飲んで約束を交わせば問題はないと思いますよ」
ネディは言った。
「条件は何だ?」
ルーネベリは頷いて言った。
「ネディさんとオルシエさんが、アラや俺や同行者たちにけして攻撃や喧嘩や妨害行為をしないと約束してくれるなら、お二人の同行を認めます。ただし、二人がこの約束を一度でも破棄したら、その時点でお二人を追い出す。まぁ、これは俺にはできないので同行者にお願いしますが。これでどうですか?」
ネディは言った。
「俺らは同行できるなら条件を飲む」
アラは首を横に振った。
「私は同行したくない。いくら約束しても奴らが守るとは思えない」
ルーネベリは肩をすくめ、アラに近づいて耳打ちした。
「――ここは俺を信用して飲んでくれないか?もしここで、万が一にもリカ・ネディがアラに勝って二人の意に従うことになれば追い出すこともできなくなるが。追い出すことを条件にしていれば、いつでも約束を破られたら追い出すことができる。彼らは同行したいと思っているから、下手なことはできなくなる」
「しかしーー」
「それに、ここで二人と出会ったのは何か理由があると思う。中の庭の情報を握っているかもしれない。アラ、ここは我慢してもらえないか?」
アラは不安な気持ちを抱きながらしばし黙り込んだのちに言った。
「……わかった。ルーネベリを信じて今は我慢することにしよう。が、勝手に条件を決めていいのか?相談してからのほうがいい気がするが」
「それは大丈夫だ。下手な真似をしなければ、今更、数人増えたところで先生は何とも思わないだろうし。追い出せる条件をだしておけば、有利に働くのはこっちだ。俺はどんな理由があろうと、『従う』ことになることだけは避けたいんだ。先生が快く思うとは到底思わないからな」
ルーネベリがそう言うと、アラの顔色が曇った。
「悪かった。私は目先のことしか考えていなかった。パシャルを叱りつけていた癖に、不甲斐ない……」
「いやいや、リカ・ネディがバッナスホートの弟分と聞いて俺も心配はしている。条件をつけたのはそのためでもある」
ルーネベリにはアラが落ち込んでいるように見えた。ルーネベリとしては責めたつもりもなかったので実に不思議だった。
アラは言った。
「ルーネベリ、お前は思慮深いな。私も見習うべきだった」
「何を言ってるんだ?アラも十分思慮深いだろう」
「私はそんなものでは……」
ルーネベリは赤い髪を掻いた。
「まぁ、俺は考えるのが仕事だからな。それに、どのみち俺の考えなんて先生にはほとんどお見通しだろうから。困った状況にならない限り問題はないと思う。どうせ怒られるのは俺だ。アラはあまり心配しなくていい」
「そうだろうか……?」
「それより、少しあの二人と話をしたほうがよさそうだ。アラは関わりたくないだろうか、ここにいてくれ」
ネディに近づいて行ったルーネベリの大きな背中を見ながらアラは苦渋の顔を浮かべていた。
「お邪魔致しますわ」
黄金の派手なドレスを着た太った女性がのろのろと生垣の向こう側からこちらに歩いてきた。普段からあまり歩かないのだろう少しふらふらとしていた。金色の立派な衣を着た小さな者が女性の少し後ろから女性が転ばないようにゆっくりとついてきた。
考えてみればあれだけ大声で叫んだりすれば気づかなはずがないだろう。生垣で隔たれているだけで、リカ・ネディの自己紹介も、ルーネベリの自己紹介も丸聞こえだっただろう。そう思うと、ルーネベリは恥ずかしくなった。
太った女性はリカ・ネディやオルシエ以外にも赤髪の女と男がいるのを見てすぐに愛想よく微笑み、ドレスの裾を掴んで会釈した。
「――新しいお客様、御機嫌よう。よろしければ、皆様で気分直しにお茶会にいらっしゃいませんこと?」
やはりすべて聞かれていたのだろう。揉めていたことも知られている。なんだが気まずいが、とにかく何か返事をしなければと思い、「はじめまして……。お茶会ですか?」とルーネベリは言った。すると、太った女性は気分よく言った。
「お客様がいらしたときにだけ開く、特別なお茶会ですの。ありとあらゆるものをご用意しておりますの。最上級のおもてなしをさせて頂きますわ」
もてなしと聞いてルーネベリはふと思った。恐らくこの誘いには乗るべきなのだろう。しかし、このままシュミレットたちから遠ざかるのはどうだろうか。オルシエやリカ・ネディは目の前にいる太った女性ともども城と反対の方角からやってきた。ということは、このままお茶会の会場へ向かえば城からさらに遠ざかるのかもしれない。そうなったとき、シュミレットたちとはぐれるのではないだろうか……。
ルーネベリは少し考えてから言った。
「わかりました。参加させていだきます。ですが、城にいる同行者たちもご一緒させいただけませんか?」
太った女性は頷いた。
「お客様が増えるのは嬉しいことですわ。呼びに戻るのは手間でしょうから、先にお茶会へお越しいただいて、それからわたくしの使いを城にやります」
「すみませんが、今すぐに城へ同行者を呼びに行ってもらえないでしょうか?」
「えぇ、それでもよろしいですわ。いつ使いを出そうと同じことですもの。わたくしたちだけは先に向かいましょう」
「あぁ、いいえ。同行者が来るまでここで待たせてもらいたいんです。リカ・ネディさんたちと内々で話もしたいですし。楽しみは後にとっておきたいんです」
ルーネベリがそう言うと、太った女性は少し意外そうな顔をした。
「気が利きませんでしたわね。わたくしたちは籠に戻っておりますわ。わたくしの使いを今すぐに向かわせますから、戻ってくるまで少しお時間ございますわ。ごゆっくりなさってください」
「わかりました。お願いします」
太った女性は扇で顔を隠したまま、軽く身をすくませてからお付きの者たちと共に生垣の向こう側へ行った。
太った女性の姿が見えなくなると、ルーネベリはリカ・ネディに早速言った。
「話の途中でしたが、条件を飲んでもらうということでいいんですね?」
「気は変わらない。口約束は心配か?」とネディ。ルーネベリは言った。
「いいえ……。ところで、幾つか質問したいんですが。いいですか?」
ネディは頷いた。
「なんでも聞いてくれ。答えてやるぜ」
「お茶会に行きましたか?」
「行った」
「それじゃあ、お茶会で何があったんですか?行き詰ったと言っていましたが……」
ネディは気怠そうにその場に座り込んだ。
「もっと気楽に話そうぜ。そのほうは話しやすい」
「じゃあ、お言葉に甘えて。何が複雑だったのか、わかる範囲で教えて欲しい」
ルーネベリはネディに聞いたつもりだったのが、口を開いたのはオルシエだった。
「選べと言われた」
はじめて聞いたオルシエの声は男にしては少し甘い声だった。
ルーネベリは「選べ?」と聞き返した。そうすると、ネディが言った。
「一人だけ選べと言われた。だからなぁ、適当に選んだら『違う』と言われて茶会から出してもらえなかった。俺たち、散々考えたんだぜ。色々やってみたが無駄だった。ああだこうだ言われるだけで、ちっともわからねぇ。困っているときにさっきの女が出口へぞろぞろ出ていく姿が見えたから、俺とオルシエは籠に飛び乗った。すぐに見つかったんだがよ、オルシエが男の話をしたらすんなり外に出ることができた」
「男?あぁ、六十人か七十人か、屋敷に女性を置いていたあの男か……」とルーネベリ。ネディは言った。
「俺たち、中の庭に着いたとき、あいつの屋敷に降り立ったんだぜ。女たちに助けてくれと言われていたからな、籠に飛び乗ったことは、ある意味『ついていた』。そんでも、その後はどうすればいいのかわからねぇところで、あんたらに出会った。逃す手はねぇだろう?」
「まぁ、確かに。同じ状況ならそうなるかもしれない。お茶会でのことを、もう少し具体的に聞きたいんだがーー」