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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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四十五章



 第四十五章 新たな二人



 アラの言葉を聞いて、ルーネベリはまさかパシャルかカーンがここにいるのかと思い、アラが見た人物の方を見てみたが……。

 アラの目線の先に立っていたのは、パシャルやカーンとも似ても似つかない真っ黒な髪に強烈な赤い小さな瞳、口元と額に同じく真っ黒な布を巻き付け、両手以外のすべの素肌をすっかり隠した服まで黒づくめで細い長身の男だった。その男の腰には剣がぶら下がっており、剣の柄まで黒かった。アラと同じように武道家なのかもしれないが、少し風変りに見えた。

 ルーネベリはアラに言った。

「知り合いか?」

「あぁ、名はオルシエだ。その後ろにいるのがリカ・ネディ。こんなところでまた会うとは思わなかった……」

 アラの話しぶりでルーネベリはこの二人とアラはどこかで会っていたということをはじめて知った。もちろん、アラが言ったのはリカ・ネディ一人だけのことだったのだが。その詳細をルーネベリが知る由もなかった。

しかし、リカ・ネディという名前はどこかでルーネベリは聞いたような気がしていた。

 オルシエという男が籠からおりた後、リカ・ネディらしい男が籠からおりてきた。新緑色のベストを着て、ベストから出た太い腕には黒い刺青がびっしりと彫られている。褪せた痛んだオレンジ色の髪で、いかにも柄の悪そうな容姿だった。ただ、不思議なことにリカ・ネディは剣を持っていなかった。それどころか、リュックや鞄などの荷物らしい荷物すら持っていない。柄の悪い容姿のこの男は武道家ではないのだろうかとルーネベリは思った。

 アラはさっと身を後退させ、とても小さい声で言った。

「ルーネベリ、今すぐここを去るぞ」

「えっ?」

 腕をアラに引っ張られてルーネベリはよろけた。二人の姿は生垣に隠れて向こうからは見えないはずだが、アラは不安そうに言った。

「リカ・ネディとここで会うのは不味い。あいつはバッナスホートの弟分だ」

「弟分?」

「リカ・ネディはバッナスホートの言いなりだ。二人を会わせてはいけない。――しかし、リカ・ネディとオルシエがなぜ供にいるのだろうか。オルシエは私と同じようにバッナスホートを恨んでいるはずだ」

「えっ、どういうことだ?」

 ルーネベリがアラに聞き返した時、生垣の向こうから太った女性の声が聞こえた。


「感謝いたしますわ、オルシエ様。わたくし、いつもはこのような不埒な出来事とは無縁ですの」

 オルシエに話しかけたようだが、オルシエは無言だった。太った女性はそれでも上品に微笑みかけて言った。

「あの者に罰を与えたいのですけれど、良い方法が思いつきませんわ。なにか良い罰はありませんこと?」

 その問いかけのあと、しばし沈黙がつづいたのだが。明るい男の声が言った。

「お嬢さん、尻叩き五十回なんてどうだ?」

 太った女性の声が驚いた様子で言った。

「お尻を叩くのですか?」

 男の声が相槌を打った。

「あぁ、木の棒きれでもいい。二度としないように身体に教え込ませてやりゃいい。俺は女を苦しめる奴は大嫌いでやしてね。五十回でも優しい方だ」

 その言葉に怯えて甲高い男の悲鳴が聞こえた。あの白い服の美男子だろう。格上だろう太った女性に声を出していいとも言われていないにもかかわらず、恐怖のあまりに勝手に声を出してしまったのだ。

 太った女性は冷たい口調で言った。

「作法も守れないとは嘆かわしいわ。罰だけじゃなく、等級も下げた方がよろしいかもしれませんわね。わたくし、あなたの等級を存じておりますの。お茶会であなたのよろしくない噂を何度も耳にしましたからね。最上人等級七でしたわよね。話してよろしいわ」

 先ほどまでの自信たっぷりの物言いとは打って変わって、震えるような男のか細い声が言った。

「あっ、あ、ありがとうございます……。さささ、最上人、と、と、と、等級七でございます……」

 太った女性は上品に笑った。

「わたくし、最上人最上等級ですの。私のすぐ下の等級にこのような者がいては、他の者たちに申し訳が立ちませんわ。地位を持つ者はその地位に相応しい振舞いをしなければ、下々の者たちに侮られてしまうものですわ。地位に溺れてわがまま放題に呆けていたから、このような事にも気づくことができなかったのね。

 あなたのお顔はとても美しいけれど、心にその等級は相応しくないわね。ただ、あなたを下人にまで格下げしてしまうと、あなたのご両親まで格下げすることになってしまうわ。わたくし、あなたのご両親も存じておりますの。とても下々の者に親切で良い方々だわ。あのような良い方々が、『格下げ』してしまうと、この庭では生きていけなくなるわ。それはあまりにもお可哀そうだから、あなたのご両親の良い行いに免じて最上人等級一まで格下げすることに留めましょう」

 太った女性は言った。

「そしてーー、妻は何人いるのかしら?話していいわ」

 美男子は小さな声で言った。

「妻はおりません……」

「妻は?一人も?」

「はい……」

「そこにいる娘さんたちの中から妻を娶るつもりだったのかしら?」

「いいえ……」

「じゃあ、どうして娘さんたちを誑かしていたのかしら。仰って」

 美男子の声がもはや消え入るようだった。

「遊び相手にと……」

「まぁ、呆れた。なんて無責任な人なのかしら。一体、あなたの屋敷には何人娘さんたちがいるの?」

「七十人ほどです……」

「七十人も?それも、皆妻ではないのでしょう。許せないわ。直ちに、娘七十人を屋敷から解放しなさい。それから金輪際、あなたが妻も子も持つことを固く禁じます。もちろん、屋敷に娘を置くことも禁じます。これからはご両親や周囲の者すべてに良くすること。リカ・ネディ様の仰るようにお尻を五十回、いいえ、娘七十人ですものね。七十回棒で叩く刑も付け加えます。それで改心しないようであれば、あなただけを下人等級一まで格下げさせるわ。それでどうかしら?」

 人は見た目にはよらないものだというが、扇に隠して菓子を頬張っていたあの太った女性はとても賢明な女性だったようだ。ルーネベリはすっかり感心してしまった。隣にいるアラでさえ納得するほどの厳しい裁きだった。

 太った女性が「話していい」と生垣の向こうで言うと、白服の美男子だろう声が「お受けいたしました。ありがとうございました」と沈んだ返事をした。先ほどは焦って震えていたようだが、今は突きつけられた現実に絶望しきっているようだった。

 太った女性は次に言った。

「等級の順位が変わりました。ここでわたくしの次に等級の高い者は誰かしら?話していいわ」

 とても綺麗な女性の声が溌溂と言った。

「最上人等級五でございます」

あの貴婦人だろう。太った女性が言った。

「お茶会であなたの姿を見かけたわ。最上人等級五であるのなら、お茶会の給仕を管理していたのではなかったのかしら?」

「仰る通りでございます。お茶会にて等級四の者たちに給仕の指示をしておりました」

「それならどうしてここにいるのかしら?他の娘さんたちがここにいる理由もご存じなら話してちょうだい。ドレスの汚れや、食べ物が地面に散らかっているのは理由があるからでしょう」

「かしこまりました。お話いたします」

貴婦人は太った女性が正当な裁きをしてくれたと思ったのだろう。美男子に対して話すよりも、より丁寧にそして優しい口調で経緯を話した。

 上人等級一の娘「黒髪の美女」が床に伏せた友の為に城で余った食事を運んで庭を歩いている最中に、最上人等級三の娘「金髪の美女」とぶつかりドレスと庭を汚してしまい、最上人等級三の者が格下の上人等級一の者を叱っていたところ貴婦人が騒ぎを聞きつけてやってきたという趣旨だ。貴婦人は二人に事情を聞いている途中で、先ほどまで格上だった美男子がやってきて、ドレスを汚した娘を屋敷に連れ帰ろうとしていたことも話した。

 太った女性の表情がルーネベリたちからは見えなかったが、快く思っていないのだけはわかった。「オホン、オホン」と無理な咳払いをしていたからだ。

 貴婦人は太った女性に言った。

「最上人等級三の者たちがこの庭にいた理由をお訊ねください。上人等級一の者には給仕中に私用で動いていたことを既に叱り、注意をしました」

 太った女性は言った。

「よくわかったわ、ありがとう。ドレスを汚した娘は病のお友達の為に食事を運んでいたのね。なんて優しい子なのかしら。給仕の時間でなければ、その心掛けは良いことだわ。あなたに代わって、病が治るまでの間、わたくしがそのお友達に消化の良い温かい食事を用意させましょう」

 声は聞こえなかったが、きっと黒髪の美女は喜んでいるだろうなとルーネベリは内心思った。太った女性は良い人のようだ。貴婦人が黒髪の美女の代わりに言った。

「恩恵を賜り、ありがとうございます」

「当然のことですわ。早く治るとよろしいわね」

 太った女性は「オホホ」と笑った。貴婦人がまたお礼を丁寧に言った。

「重ね重ねありがとうございます。どうか、この際ですので、すべて解決していただきとうございます」

「そうね。でも、お茶会に戻らなくてはならないから、はやく解決した方がいいわね。わたくしも娘が三人も庭にいたことが気になりますわ。ドレスを汚された娘を含めた三人、口を開いて良いからこの庭にいた理由を話しなさい」

 太った女性がそう言うなり、大きな鳴き声が聞こえた。あの金髪の娘と、赤髪と茶髪の娘も三人とも揃って泣きながら言った。

「申し訳がございません」

「お茶会が開かれるとお聞きしてーー」

「こんなことになるなんて……」

 三人がそれぞれ一斉に話したというのに、太った女性は「お茶会」と聞いてすぐに三人が何を話そうとしていたのか察し、「オホホ」と笑った。

「若い娘が考えそうなことね。大方、お茶会にやってくる格上の若い殿方たちを見に来たのね。格上の者に見初められても、等級はあがらないうえに、弄ばされそうになったわね。これに懲りて見る目を養いなさい。三人ともドレスを汚されて感謝しなさい。ドレスを汚されなければ、助けてくれる人にも出会えなかったわ」

「はい……」

 三人の女性たちも消え入るように返事をした。


 太った女性のいうように、もしも、ドレスも汚されず、貴婦人も太った女性も現れなければ金髪の女性はあの美男子以外の男でも、よからぬことを企んだ男に騙されていたかもしれない。それに、黒髪の美女も食事でドレスを汚したおかげで友に温かい食事を食べさせてやることもできるようになったわけだ。奇妙な話だが、災いが福と転じたのだ。このような出来事に遭遇するのは偶然だろうか。

 ルーネベリは高の庭で出会った黒豹の言っていた「レソフィアを出るための必要な通過点」という言葉を思い出していた。もしかしたら、この出来事は、この中の庭を出るために必要な通過点なのではないだろうか……。

 ルーネベリが考え事をしていると、突然、アラがルーネベリの腕を掴んで引っ張り走り出した。

「――えっ?」

 何の説明もなく腕を引かれ、無理やり走らされたのでルーネベリは驚いた。アラは走りながら左手で後ろの大剣を柄から抜いている。ますますルーネベリは驚かずにいられなかった。ルーネベリもアラも、生垣に隠れて話を聞いていただけだ。誰かに気づかれた様子もまるでなかったというのに、アラはなにをそんなに警戒しているのだろうかとルーネベリはぼんやりと思っていると、アラの掴んだ腕にまた強く引かれ前へと押し出され、その反動を利用してアラがくるっと身を翻してルーネベリより後方に立つと、大剣を大きく振るった。

 金属と金属が激しくぶつかり合う音が聞こえ、後ろを見てみると、アラの大剣が同じく立派な大剣を受け止めているところだった。剣で攻撃してきたのはあの全身黒い衣服を身に纏い半分顔を隠したオルシエという男だった。

 オルシエは大剣をアラの大剣に押し付けたまま、ルーネベリやパシャルたちとはまるで違う強烈な赤い小さな瞳でアラの顔をじっと見て、それから後ろにいるルーネベリの顔もじっと見た。そして、すっと剣を離し、軽く跳ねて後ろに三歩下がった。

「アラ・グレイン」

 癖のある低いが、まだ若い男の声だった。

 アラは大剣を下げて言った。

「オルシエ。戦うつもりがないなら、ここではよせ」

「戦う気はない。気配を感じて追ってきただけだ」

 オルシエの強烈な赤い小さな瞳がルーネベリを見た。アラはオルシエがルーネベリを見ているのに気づいて、腕を引いてルーネベリを後ろに隠そうとした。そんなことは無駄だとアラ自身もわかっていたのだが、オルシエはやはりルーネベリについて聞いてきた。

「見たことがない顔だ。剛の世界の人間か?覇気がまるでない」

「武道家ではない。手を出すな」

 アラは大剣を鞘に納めず、オルシエを睨みつけた。オルシエはアラの目をじっと見つめた。 

 空気が一気に張り詰めた。アラもオルシエもそれからぴくりとも動かなかった。

なんと居心地が悪いのだろうか……。ルーネベリはアラの後ろで動悸がしていた。さながら、野獣に狩られる小動物にでもなった気分だ。アラが目の前に立っていてくれなれば、ルーネベリは一目散に逃げていた事だろう。オルシエのあの赤い小さな瞳が恐ろしい。同じ赤い瞳のはずだが、気迫がまるで違うのだ。狂気を含んでいるようにしか思えなかった。

 どくどくと鳴り響く心臓の音に、意識を持って行かれそうになっていた時、不意に、明るい男の声が緊張感を打ち破った。

「なーんだ、男姉ちゃんじゃねぇか」

 生垣からのんびり歩いて姿を現したのはリカ・ネディだった。アラはリカ・ネディを見るなり歯軋りをした。よほど会いたくなかったようだ。

 やはりリカ・ネディは剣も何も持っておらず、首を左に傾けて腕を組んで歩いてくる。オルシエはちらりと後ろを振り返り、大剣を背中の鞘に戻した。

 リカ・ネディは歩きながらオルシエの隣まで歩いてきて微笑んだ。

「ここで会えて嬉しいぜ。最後に会ったのはセロトという世界だったな。兄貴は元気か?」

 アラが最も聞きたくない言葉をリカ・ネディが言ったので、アラは顔を酷く顰めた。

 リカ・ネディは言った。

「そう怖い顔をするなってよ。心底嬉しいと思っているのは本心だ。坊やも相変わらず一緒か?」

 アラは首を横に振った。

「パシャルはいない、カーンも……」

「坊やはいないのか。そりゃ都合がいい。『ついている』」

 なんとも意味深な事をネディが言うので、アラが大剣の先をネディに向けた。

「何の都合だ?」

 ネディは笑った。

「俺の都合だ。かわいい坊やには見せられねぇよ」

 アラのことをからかっているのかわからないが、ルーネベリはアラの言ったことがどうやら本当のようだと思った。バッナスホートの弟分だというこのリカ・ネディという男、何か企んでいるようだ。それも、隠すどころか含みをもたせてわざわざ口に出して言っている。よほど自信があるようだ、バッナスホートと引き合わせない方がいいと、初対面のルーネベリですらそう思った。

 ネディは身体をずらして、アラの後ろに立っているルーネベリの方を見た。

「あぁー?後ろにいる男は誰だ?セロトで眠っていた男と違うな」

 アラは剣先をネディに向けたまま言った。

「お前には関係ない」

「じゃあ、俺が言わせるまでだなぁ」

 アラは言った。

「お前に手は出させない」

「手じゃなきゃいいだろうよ?」










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