表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
122/179

四十二章



 第四十二章 己の姿





「ルーネベリ……。どうした、何かあったのか?」

 アラがそう聞いたので、ルーネベリはアラの目につくようにワゴンを軽く押した。

「食事と酒を頼んだ。何が入っているのかはわからないんだが、一杯どうだ?奇力体だから腹が減ることはないだろうが、食事を楽しむぐらいできる」

 アラは目を伏せたように金属製の箱型ワゴンを見た後、ルーネベリを見て言った。

「楽しむか……。他には誰かいるのか?」

「いや?俺だけだ」

「そうか……。入ってくれ」

 妙に沈んだ様子のアラは扉を大きく開けてくれたので、ルーネベリはワゴンを押して部屋の中へと入った。

 アラの部屋はルーネベリの部屋と同じベッドや布張りのソファや低いテーブルなどの家具が置かれていたのだが、すべて無地の薄いピンク色に統一されていた。アラはあまりこの部屋が好きではないようで、ガラスのない窓際へと歩いて行った。

 ルーネベリはワゴンを押して、窓際で座り込んだアラの傍まで近付いた。

「元気がないな?」

 アラは憂鬱そうに壁に寄り掛かった。

「少し思うところがあってな」

「寝ていたのか?――そういえば、奇力体の実験をしていなかったな」

「実験?」

 突拍子もないことを言い出したルーネベリは顎に手をあて立ったまま一人でぶつぶつと呟きだした。

「そう、実験だ。感覚は普段と同じだが、空腹感や眠気を感じた覚えがない。忘れているだけだろうか?……いや、平の庭に来るまで食事どころか水さえ口にしていなかった。肉体がないということは欲求が抑えられるということなんだろうか」

アラが小さく笑った。

「そんな沢山のことを一度によく考えられるな」

「えっ?」

 アラは言った。

「欲求やら、肉体がないやら」

「あぁ、俺は学者だからな。疑問を口に出すと考えずにいられない。迷惑だったか?」

「……他に気になることはないのか?」

 ルーネベリは床に座り込んだ。

「他に、というと?――あぁ、ワゴンの中身は何だろうな。美味いものならいいんだが」

 アラは少し黙って、「戸を開けてくれ。私も何か食べたいと思っていた」とワゴンを指さした。ルーネベリは「そうだな」と頷いては箱型ワゴンの引き戸を引いた。

 金属製の箱の中は半分に縦に仕切られていた。横に二段に仕切られるものをよく目にするが、縦に仕切られているのは酒瓶が入っている為だったようだ。十五センチ程度の黒い酒瓶が、銀色の水の張られた器の中に入っている。恐らくは冷やしているのだろう。底が浅く口のだだ広いボウルに大きな台がか細いガラスの脚で繋がっている小さなグラスがシルク生地のような滑らかな土台に収められている。そして、見たこともない真っ赤な無数に花びらをもつ花が二本添えられており、洒落ている。

 もう片方の仕切られた空間には小さな皿が二枚置かれており、手前のさらには白乳色のソースのかかったよく焼かれた厚切り肉が二十枚ほど円形に綺麗に並べられ。奥の皿には野菜のような青々とした植物の葉がふんだんに盛られており、その上に色とりどりの硬そうな豆のようなものがのっていた。匂いは香ばしく、少し甘くも感じた。料理はどちらも温かくはなさそうだったが、酒のつまみにはよさそうだ。

 ルーネベリはまず黒い酒瓶を取り出して床に置いた。グラスも二つ置いて、料理の皿も二つ置いた。既に床に座り込んでいるので、わざわざテーブルを持ってくるのも煩わしかったからだ。アラは何も言わず、ルーネベリがワゴンの中に栓抜きはないかと探していると、酒瓶の栓を豪快に短剣で起用に抜き取りグラスに酒を注いだ。グラスに黒い液体が満たされた。珍しい黒い酒だ。

 ワゴンの中には栓抜きも料理を食べる道具は一切入っていなかったのでそのことをアラに伝えると、アラは別の短剣をルーネベリに差し出してきた。流石に短剣で食べるのは怖いので、素手で食べると言って断った。


 ルーネベリとアラはグラスを手に取り乾杯した。

 黒い酒を口にすると、見た目とは違って鼻まですっと駆け抜けていく爽快な味わいに一瞬恍惚とした。それから、酒の余韻を感じながら厚切り肉に手を伸ばして口にすると、じわっと肉汁が酒の余韻を上手い具合に掻き消し、何の肉かわからないというのに旨さに虜にされる。最高の組み合わせだ。

「美味いな」

 アラがぼろっと漏らした声にルーネベリは深く頷いた。酒通だけが知っている楽しみ方が目の前にあった。平の庭で最初に飲んだ酒よりも感慨深い。

 ルーネベリが酒を飲み干し、酒瓶を持って二杯目をグラスに注いでいると、アラがぽつりと言った。

「気を配ってくれていたというのに、素直に感謝できずにすまなかった」

「あぁ、いや。気を悪くしたら、俺の方こそ悪かった。パシャルやカーンの代わりをしようと思ったんだが、そう上手くはいかないよな」

 アラがグラスを床に置いて言った。

「ルーネベリは何も悪くない。私の心の在り方の問題だ。武道を嗜む者がいつまでも心が弱いままで情けない……。どうしても受け入れられない」

 目を伏せ、眉を寄せて苦悩しているアラを見てルーネベリもグラスを床に置いた。そして、アラが何に悩んでいるのかを考えようとした。

人の心は見た目ではわからないものだが、少なくともこれまでの短い経緯の中でアラが受け入れられないと感じる出来事が起こったことは確かだろう。すべてはわからなくとも、ほんのわずかでも友として理解することができればアラの助けになるのではないか。ルーネベリは余計なお世話だとは重々承知の上でだったが、やはりここは避けるべきではないと思った。

ルーネベリはアラに言った。

「俺とアラの付き合いは短い。それはわかっている。悩みを打ち明けてもらえるほど信頼されていないだろうといことも」

 アラは言った。

「そんなことはない。ルーネベリのことは信頼している。賢者様のことも信頼している。私にはない沢山の知識でこれまで導いてもらった。いつもあんな風に沢山の人々を助けてきたのだろうな。二人には尊敬の念すら感じている」

「まぁ、先生に対してそう思うのはわかるが。俺は尊敬してもらえるような人間じゃない。ただただ、疑問を解きたいと思っているだけだ。俺の身の上話になるが――俺は剛の世界で生まれたんだが、生まれて間もなく理の世界へ両親と共に移ったんだ。俺の両親は夫婦共に料理人だったから理の世界へ移って喫茶店を開いた。今でも理の世界で喫茶店をやっている。家族は両親だけだな」

「剛の世界の人間が料理人か。珍しいな」

 ルーネベリはグラスに手を伸ばして二杯目の酒を飲んだ。

「そうらしいな。料理人になった理由は聞いたんだが忘れたな。親戚に料理が上手い人がいたとか何かだった気がするな。まぁ、元々剛の世界でも小料理屋をやっていて、小料理屋に食事しにきていた学者夫婦と仲良くなって理の世界への移住を勧められたらしい。まぁ、その学者夫婦っていうのがボルポネという名で。夫妻には子供がいなかったから子供の頃の俺はとても可愛がられて、大学を卒業してから研究室に属していた時は俺の上司でもあったんだ。両親は剛の世界の文化を俺には受け継がせようという気もなかったものだから、俺は根っからの理の世界の人間として育った。

 酒と煙草は大学時代の友人たちの影響だろうな。論文を書いている時の苛立ち防止だったんだが。いつからか楽しみになった。先生と理の世界で出会ってからは、それまでの常識を叩き壊されることの連続だった。苦労することもあったが、知らない事を知れる喜びというのは何事もにも代えられない価値がある。なにより、先生と共に過ごす時間は楽しいな。後悔があるとするなら、先生の助手になる前まで交際していた彼女のことだろうな。最近は彼女のことをよく思い出す。色々な女性と出会ったが、彼女だけは特別だった。認めたくないんだがな」

 ルーネベリが酒瓶を掴んで三杯目をグラスに注いでいると、アラも酒を一口飲んで言った。

「お前にもそういう人がいたのだな」

「アラにもいたのか?」

「あぁ。長い間忘れられなかった人がいた。もう結婚をして幸せになったが……」

 ルーネベリは少し減ったアラのグラスに酒を注ぎだした。

「どういう人だったんだ?」

 アラはお礼を言ってから一口酒を飲んだ。

「誰にでも優しく、心の綺麗な人だった。黒夜のあの出来事がなければ、あの人は足を悪くすることもなかった。私は助けることができなかったことをずっと悔いていた」

 ルーネベリはアラたちと出会った頃に聞いた話だとすぐにピンときた。アラの苦悩は黒夜の夜からはじまっているようだ。ルーネベリは何も言わず、アラが自然と話しだすのを待った。

アラは酒を飲んで、深くため息をついた。

「私の家族は両親と私と妹が三人だった。両親は武道家の端くれで、パシャルやカーンのように他の世界へ用心棒として出稼ぎに行っていた。家にはいつも私と三人の妹しかいなかった。そんな私たちの面倒を時折看てくれていたのが近所に住む八つ上のトワ姉さんだった。姉さんは優しくて、妹たちのように人形遊びをすることを嫌い、木刀を振り回していた私にいつか立派な武道家になるのだと言って励まし褒めてくれた。生まれてはじめて好きになった人だった」

 ルーネベリははっとした。アラがいう「あの人」というのは女性だったのだ。アラが何に対して苦悩しているのかがそこでようやくわかった。思えば幾つか思い当たる節はあった。シャウに女性として扱われ、男たちに囲まれてさぞ嫌な思いをしたのだろう。受け入れがたかったのだろう。なぜ今まで気づかなかったのだろうか……。

 ルーネベリは言った。

「そのお姉さんの身に何が起こって足を悪くしたんだ?」

 アラは空のグラスを床に置いた。

「姉さんはいつも二つの下のバッナスホートの話をしていた。あいつは両親が早くに亡くなり、友人だったトワ姉さんの叔父の家に預けられて育ったらしい。その縁でトワ姉さんはバッナスホートの面倒も看ていた。バッナスホートは武道の覇者に認めらるほど剣術の才があり、十六にして既に何度か武術の大会で勝していた。トワ姉さんはバッナスホートを好いていて、いつしか二人は交際をするようになっていた」

「バッナスホートと付き合っていたのか……」

 アラは言った。

「あの男は信用ならない男だ。――黒夜の夜、私は十歳だった。両親が不在のまま黒夜を迎えて家の食糧が底を尽き、トワ姉さんを頼るために家を出た。家の外は悪夢だった。あちこちで家が燃え、人という人が食料を奪い合い戦っていた。あの惨たらしく光景を長い間口にもしたくはなかった。身を隠しながら姉さんの家に辿り着くと、姉さんの家族が玄関先で倒れていた。息はあったが、傷だらけで動けなかった。姉さんはどこかと聞くと、食料と一緒に武道の覇者たちに連れ去られたと聞いた。私はバッナスホートが武道の覇者を兄貴分として慕っていたから、交際しているトワ姉さんは無事だと信じていたが。トワ姉さんの両親は大人を呼んで探してくれと頼まれた。私は一緒に探してくれる大人を探したが、どこへ行っても食料を奪い合って争っていて誰にも頼めなかった。

 私は一人で姉さんを探しに行くことに決めた。覇者たちがいる場所は知っていた。針山と針山の間に渡し場を作り、その上に城のように築いた小屋に住んでいると有名だった。私は針山をのぼってその小屋に乗り込んだ。小屋には盗んだ大量の食糧と若い娘たちが何人も縛り上げられて囚われていた。姉さんは覇者の傍らに座らされ、震えながら奴隷のように食事を給仕されられていた。無鉄砲だった私は覇者に立ち向かったが、歯が立つはずがなかった。バッナスホートは何もせず私が叩きのめされる様をだた見ていた。姉さんは私を守ろうと身を挺して私に覆いかぶさり、覇者に何度も蹴られ、小屋の外へ連れて行かれ。そのまま小屋から地面へ……」

「なんて酷いことを……」

「私は大怪我を負ってまったく動けず。誰かがマーシア様を呼んで助けに来てくださらなければ、姉さんの命は助からなかった。覇者はマーシア様が捕え、黒夜が終わった後に時の牢獄へ送られたが。バッナスホートは咎めを一切受けなかった。覇者の命令に無理やり従わされたと言いつづけ、大人たちはバッナスホートの言い訳を信じた。私はバッナスホートに何度も姉さんを助けないのかと叫んだが、あの男は私が幼い女であることを見下し愚弄するだけで、なにもしなかった。私は永久にあの男が許せない」

 アラは腰の短剣の一つを強くに握りしめた。

「あの男をこの手で罰したくて、武道家になったが。勝つことすらままならず。あの男は名声も地位も手に入れたが。私は一人で醜くもがいている。なぜ、私の心は男であるのに身体は女なのだろう。努力しても望みは叶うことはなく、生まれた時から永久に道が閉ざされている。それでも諦めきれずに天秤の剣の催しに参加した。あの男が傍にいるだけでも苦痛だったが、皆の為を思い我慢した。シャウの女を見るような熱い目線も我慢した。私の本来の姿を話せば気が楽になったことだろうが。皆の拒絶や嫌悪の目を向けられることを恐れてできなかった。苦しんでいる上に、さらに苦しむのかと思うと、カーンやパシャルにさえ本心を晒すこともできなかった。私は己で思う以上に弱い……」

 ルーネベリは首を横に振った。

「多分、パシャルもカーンもアラの本音を知っていたと思うな」

 アラは「知っているだと!」とぱっと顔をあげた。ルーネベリは言った。

「カーンが言っていたんだ。アラがなぜ男じゃなかったんだろうって。俺もそう思う時がある。まぁ、女性らしい部分もないわけでもないんだが。俺よりも強いだろうし。正義感も強い。ことあるごとにいいことを言う。友達思いだ。女友達というより男友達のように感じる」

 アラは何も言わなかったので、ルーネベリはつづけて言った。

「なぁ、アラ。この世で自分を最も責めているのは他ならない自分自身だと俺は思うんだ。他人の批判や侮辱っていうのは一瞬の出来事だ。言い放った本人はしばらくすると何を言ったのかさえよく覚えていないが。言われた側はその一瞬の出来事が辛いことほど脳裏に反響するように何度も思い出してしまい苦しむ。きっと誰よりも気にしているからだろうな。その後はもう、拷問のように暇さえあれば思い通りにいかない自分自身を責めてしまう。人間っていうのは人より劣っていると感じてしまうほど、隠そうとしたり自分自身を責めたり見栄を張ったり、悪い方向へしか進めなくなる。そういう生き物なんだろうな。

でも、その一方で、そんな本来の姿を認めてくれている人もこの世のどこかにはいるんだと忘れてはいけないと俺は思う」

「認めてくれる存在か……」

 ルーネベリは頷き、カンブレアスたちのことを思い出しながら言った。

「万人に許し認めてもらえたら幸せかもしれないな。だが、人それぞれ価値観が違うからこそ、そういうわけにもいかない。だったら、誰にでも好かれようとするより、自分らしくあろうとしたほうがいい。自分自身を殺してまで他の何かになろうなんてしないほうがいい。他人に迷惑かけるほど自分勝手になれとは言わないが、自分の個性を大事にした方が、生きることがずっと楽になると思うってことだな」

 アラはそこではじめて頷いた。

「ルーネベリ、お前は私を励ましてくれているんだな」

「まぁ、すべてが他人事でもないからな。悩みは誰にでもある。こうして人と話すことで相手の為になることを言いつつ、自分自身も納得させたりもできるから会話はいいものだよな」

 アラは小さく笑った。

「そうだな。話せば気味悪がられるだけだと思っていたが。それは私が相手を勝手にそう思うと決めつけていただけなのだな」

 ルーネベリはこっくり頷いた。

「聞いてみないとわからない。話さないとわかってもらえる機会もない。すべての人が受け入れてくれるわけでもないが。少しぐらいは受け入れてくれる人がいるんじゃないかと信じたいな」

「私はルーネベリが何者でも受け入れる。とんでもない悪党でもない限りな」

「俺もそうだな。でも、アラは悪党になったとしても義賊になってそうだな」

「義賊?」

「人々の為に戦ってそうだ。俺が悪くなったら、狂った学者か。研究に狂った学者は大勢いるから珍しくないかもしれない」

 アラは笑い、酒瓶を掴んでルーネベリのグラスとアラ自身のグラスに酒を注ぎ入れた。二人は乾杯をしてもうしばらく話をつづけた。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ