四十一章
第四十一章 人の心
集団と共に三つ目の門を超えると、奥の方に四つ目の門が見えた。そして、そのさらにずっと奥には平の庭に到着したときに見たあの美しい宮殿、いや城が見えてきた。どうやら城は三階建てのようで、門からはみでた上二階は城の壁にはアーチ状の窓が幾つも連なっていた。
そこで気づいたのだが、外から見ると城壁は六つの高い段々となっていた。あれは入口の城門と、城内にある五つの門だったのだろう。全く気付かなかったが、坂道を歩いてきたということなのだろうか……。四つ目の門まで歩き、五つ目の門を通り超えると、ようやく城に辿り着いた。
城の前には庭が作られており。見たこともない木肌のつるつるした木が真っすぐ天に向かって伸びているかと思うと、途中で綺麗なカープを描いて折れ曲がり、木の頂上は地面に向いていた。なんとも不思議だが、さらに不思議なのは、その木の葉だ。涼し気な針のような細い葉を幾つも曲がった木に掴まるようにぶら下がるように生えている。その木は城沿いに一直線に並んで植えられており。地面には白い石が敷き詰められていた。ピンク色の大きな毛の長い鳥が何羽か庭を歩きまわっていた。庭の奥には横に細長い池があるようで、そこから美しい鳥の囀りが聞こえてきた。ここはまるで保養地のようだった。
ルーネベリたち五人は庭と壮大な城を見上げて感動していたが、集団たちが城の中へ入るように急かしたので庭ではあまりゆっくりとはしていられなかった。
渋々、城の銀色の扉を通っているとき、ルーネベリはふと考えた。なぜ、最初ルーネベリはこの城を見た時「宮殿」だと思ったのだろうかと。正直、城か宮殿かはわからなかったが。壮大な佇まいから王の住まいだと思ったのかもしれない。どちらにせよ、城は城。王や皇帝がいるのかもしれない。詳しく平の庭について話を聞かせてもらえればいいのだが……。
一人であれこれと考えているうちに、集団に案内されて大きな部屋に着いていた。
ルーネベリはうっかり城内をあまりよく見ていなかった。後で見学させてもらおうと思っていると、集団たちがどこからともなく運んできたオレンジ色の革張りの座り心地のよさそうな五つの椅子に座るように勧められ、椅子に腰を下ろした。
やはり、いい椅子だ。座った途端にルーネベリの巨体が沈み込んで、優しく包み込んだ。思わず「あぁ」と声がでてしまった。
集団たちはすかさず傍に寄ってきてルーネベリにこう言った。
「お飲み物はいかがですか?」
明るい色香のある声だったので、ルーネベリが見ると、いつの間にか集団は若い女性ばかりにすり替わっていた。若い女性たちの髪の色は青や赤や黒に茶色と様々で、どの女性も綺麗に着飾った美女ばかりだ。給仕してくれるつもりなのだろうが、露出の多い胸元を強調したドレスや、腰回りの細さを強調したドレスを着ているところを見ると、何かしら思惑があるのではないかとルーネベリは静かに疑っていた。
――ルーネベリたちの住む十三世界、第三世界アルケバルティアノ城城下の娯楽街には「女王の酒樽」以外にも酒屋が多く、二人席しかない小さな店も含めれば数千件以上はあるのではないだろうか。そんな多くの酒屋を飲み歩いていると、今と同じように若い美女たちに囲まれるという似たようなことが幾度もあった。そういう時は一見得をしたように思えるのだが、ついうっかりしていると、何か貴重な所持品を盗まれそうになったり、注文すらしていない高い酒や料理の料金を支払わされそうになった。もちろん、ルーネベリの飲み友達の方が若い美女たちよりも格段も上手で、毎回助けてくれたので被害に遭ったことはなかったが。美女が大勢いるときは何かしら裏があるのではないかと思ってしまうのだ。
警戒心は薄れることはなかった。だが、「上等なお酒も沢山ご用意してございます」と女性たちに言われ、ルーネベリは高の庭で酒を飲み損ねたことを思い出してしまった。思い出してしまうと、酒好きというのは飲みたくなるものだ。
「じゃあ、その上等な酒を頼みます」
女性たちは愛らしく返事をして下がって行った。すぐに茶髪の美女が一人大きな透明な青いグラスと大きな白い瓶を盆にのせて運んできた。
「先にご用意できたものをお召し上がりください」
ルーネベリの席の隣にはいつの間にかテーブルが置かれており、茶髪の美女が盆を置いて、青いグラスに注ぎ入れた。酒の色は透明だった。ルーネベリは酒の入ったグラスを受け取った。すると、茶髪の美女は「他のものもご用意して参ります」と言って下がって行った。
ルーネベリはレソフィアに来て、いや、見知らぬ世界に来てはじめての酒に口をつけた。すっと最初は甘く澄んだ水のように清らかな味わいの後はぐっと舌を締めつけるように辛い。身体の奥底まで染み渡るような味わいだ。良い酒だ。グラスを手に持ちながら、心地の良い椅子を全身で堪能しながら深く息を吐いた。
「極楽だ」
疲れを一切感じていなかったせいもあるだろうが。夢心地だった。
どこからか気分のよくなる落ち着いた音楽が聞こえてきた。誰かが演奏してくれているようだ。
これであとは上手い煙草があれば言う事はもうなにもないが。特別、煙草を身体は欲していなかった。奇力体だからだろうかとも思ったが、考えてみれば煙草は随分も前から吸っていない。賢者と共にいると吸わない日が多くなった。その理由は謎を解明したい欲求のほうが優っていたからだろう。禁煙したいわけでもないが、このまま吸わないという選択肢もあっていいと思いはじめていた。
上等な酒を二口、三口した後、酒の余韻を楽しみながら前を見てみると、シュミレットが同じように椅子に座っているのが見えた。
賢者様は何をしているのかと思えば、本を読んでいた。分厚い古そうな本だ。
シュミレットの座る椅子の周りには本が山のように積み重なっていた。この短期間で誰が運んできたのだろうと思うと、姿が見えなくなっていた若い男たちがせっせと分厚い本を数冊抱えて運んでいる。どれも古い本のようで、埃が舞っていたので若い男たちの傍で中年の女性たちが本を拭きながら歩いている。皆、大忙しだ。
しかし、読書に勤しむシュミレットは彼らに気づいていなかった。黒髪をきっちりと後ろで纏め、肌の露出のない地味な青いドレスを着た眼鏡をかけた若い女性が一人、シュミレットの座る椅子の隣に置かれたテーブルの前に立って静かにお茶を淹れていた。なんという気遣いだろう。眼鏡をかけた女性が読書するシュミレットの邪魔をしないように壁になっているのだ。
給仕されるならあのような女性の方がルーネベリもよかったなと我儘なことを思ってしまったぐらいだ。
ルーネベリはシュミレットより左側を見た。本の山を越えた隣側にはバッナスホートが座っていた。
バッナスホートの周りには大小問わず長短問わず、剣という剣が展示するように四角い透明な箱の中に入って並んでおり、中年や年配の男性たちがバッナスホートに向かってなにやらしきりに話しかけていた。剣の話だろうか。バッナスホートの隣には赤髪で紫色のドレスを着たふくよかな美女が密着するように座っており、バッナスホートが左手に持つ小さな白く濁ったグラスに酌をしていた。笑い声はあげていないが、ルーネベリと同じように楽しんでいるようだった。
バッナスホートの左側にはアラが座っていた。
アラの方はバッナスホートとは違って辛そうな顔をしていた。アラの周りは美しい男性が取り囲んでおり、皆跪いて何かをアラに向かって話しかけているのだが、アラは右手を伸ばして首を横に振って明らかに断っているようだった。困っている様子の男性たちはそれでも諦めずに何か話しかけていた。
どうみても揉めているように見える。ルーネベリはアラに助け船を出すべきだろうかと思い、椅子の肘置きに手を置いて立とうとしたのだが、いきなり右隣から若い女性たちの甲高い笑い声が聞こえて見てみると、隣は女性たちが大勢取り囲んでいて、皆嬉しそうにしていた。隙間からでも姿は一切見えなかったが、恐らくは隣はシャウが座っているのだろう。シャウは金髪で色白の美男子だ。ここにいる若い男性たちよりも見目麗しいので、若い女性たちが騒ぐのも無理はないだろう。
上手い酒も心地の良い椅子も名残惜しいが、グラスをテーブルに置いて、ルーネベリは席から立ちあがった。
酒を樽ごと小さな荷車に乗せて運んできた若い美女たちが、慌てて駆け寄ってきた。
「何事かございましたか?」
「いや。せっかく酒を用意してもらって申し訳ないんですが、どこか休める部屋を用意してもらえませんか。できれば、あそこにいる友人の分の部屋も。思った以上に疲かれてしまったので、休みたいんです」
ルーネベリは若い男性たち囲まれたアラを見てそう言った。若い美女たちは振り返り、アラを見て非常に残念そうにルーネベリに言った。
「お部屋をご用意します」
若い美女たちにルーネベリは会釈して、アラの方へ歩いて行った。大きな男が近づいてきたので、若い男性たちは嫌でも気づいて立ち上がった。
ルーネベリは若い男性たちにも言った。
「悪いが、友人と共に先に休ませてください。過酷な旅だったものので少し休息が必要なんです」
若い男たちもまた大層残念そうな顔をした。だが、アラの方はルーネベリの言葉でほっとした様子だった。ここにはもう居たくないといわんばかりに椅子からさっさと立ち上がって、アラはルーネベリの目を見ると小さく頷いて若い男たちに言った。
「そうさせてもらたい。色々と疲れてしまった」
目を伏せたアラの言葉はあながち嘘ではなさそうだ。気心の知れたパシャルやカーンとも別れ、知らない男たちに囲まれて、さぞ精神的に疲れたことだろう。もう少しルーネベリが気遣うべきだったなと思った。
ルーネベリの元に若い金髪の美女が歩いてきて言った。
「お部屋までご案内します」
シュミレットたちに一言言うべきかとも思ったが、そう遠くへ行くわけでもないうえに、お楽しみ中のところを邪魔するのも悪いので、黙って案内をしてくれる美女の後をアラと二人で歩いて部屋から出て行った。
部屋から出て少し廊下を歩くと、外から見たのと同じ形状のあのガラスのないアーチ状の窓が連なった回廊に出た。一階も外の階と同様の作りになっているようだ。回廊からは綺麗な中庭が見えていた。青く茂った苔が地面を埋め尽くしており、その上には丸く大きな岩がどんと置かれている。その岩の上には足が二本極端に短く、胴体が異様に膨らみ、そこから左右に小さな腕が二本でており、顔は胴体の真ん中に埋め込まれてどうしてか捻くれた顔をしていた。随分と灰色の奇妙な形の像が置かれているのかと思えば、それは生きているようで、二つの黒い目がぱちぱちと瞬きしていた……。
「あれは何ですか?」
ルーネベリが美女に聞くと、美女は「知りません」と言った。
「えっ?」
美女は困ったように微笑んだので、本当に知らない様子だった。ただ、案内を買って出てくれているほど城に詳しいのに、庭にいる生き物を知らないなどということはあるのだろうかと疑問に思った。飛べるような羽もないので、きっと城内を歩きまわっているのではないだろうか。
金髪の美女は回廊を左に曲がったところで言った。
「この先にお部屋がございます。手前側は旦那様がお使いください。お嬢様は奥のお部屋をお使いください。何かご用がございましたら、いつでもお部屋にある呼び鈴を鳴らしください。すぐに駆け付けてまいります」
旦那様というのはルーネベリのことで、お嬢様はアラのことだろう。アラがとんでもなく酷い顔をしていたのだが、金髪の美女はお辞儀をすると、回廊を早歩きで引き返して行った。あの奇妙な生き物について質問したのがまずかったのだろうか。
あまり深くは考えず、ルーネベリとアラは回廊をしばらく歩くとすぐにルーネベリにあてがわれた部屋のオレンジ色の扉の前に着いた。
ルーネベリはアラに言った。
「一人で大丈夫か?必要なら部屋の前まで送るが……」
アラは言った。
「さっきは助かった。礼を言う。だが、急に女扱いはしないでくれ。これまで通りでいい。良き友人でありたい」
「そうか、わかった。ゆっくり休んでくれ」
「ルーネベリもな」
アラはそう言うと回廊の先へと歩いて行った。ルーネベリはアラの後姿を見て、背中に背負った大剣が目に入った。
アラの言う通りかもしれないとルーネベリは思った。あれほど大きな剣は重いはずだ。腰にも短剣を三本もぶらさげている。それにもかかわらず、平気で歩きまわっている。相当な力と体力がなければできないことだろう。普段身体を鍛えているアラは、非力なルーネベリとは違う。シュミレットのように魔術を使えるならまだしも、守られるべき弱い立場なのはルーネベリのほうだ。
パシャルとカーンがいなくなったため、代わりをしようと思ったが、どうも上手くいかない。二人がいなくなった分、距離感がつかめずにいるのはルーネベリのほうなのかもしれないなと思いながら、ルーネベリはオレンジ色の部屋の扉を開けて部屋に入った。
入った部屋の中はゆったりとした大きな白いシーツのかかったベッドと、白い布張りのソファと木の低いテーブルが一つあるだけの簡素な部屋だった。休みだけの部屋といった感じだ。ただ、奥にある窓はカーテンもガラスもなにもなく、アーチ状の窓があるだけで外と通じている。だからこそ、外からキラキラと光るものが見えていたので、何があるのだろうと、ルーネベリがその窓の近くまで行くと、外の景色に見入ってしまった。
なんと、そこには薄く水の張られた広い空間があり、そこに遠くにある星空がぼんやりと写り込んでいるのだった。城の前にあった庭にもいたピンク色の大きな毛の長い鳥がその上をすいすいと泳いでいて波紋が星空を掻き消すのだが、その光景はもう芸術的だった。
神の庭でも星空を見たが、平の庭で見る星空はくっきりと見えていない分、絵画のようだった。とても癒される光景だ。ルーネベリはしばらく窓辺に佇んだ。
思う存分、外の景色を楽しんだ後はベッドで横になった。ルーネベリは目を閉じてみたが、身体は睡眠を欲していなかったため、眠れそうになかった。ベッドの上でごろごろと寝転がりながら、どれくらい時間が経ったのだろうと思った。
レソフィアには時計はないようだった。時間に縛られた生活を送っている様子がなかったので、それはそれで自由気ままでいいのかもしれないが。まったく時間がわからないのは、何をしていいのかわからなくなってくる。
ルーネベリはベッドから立ち上がって、呼び鈴がないか部屋中を見まわした。呼び鈴は低いテーブルの端にちょこんと置かれていた。ルーネベリはオレンジ色の扉の前まで行って、扉を開けて呼び鈴を押した。
呼び鈴は、リンリンッと鳴った。
間もなく、回廊を歩く黒髪の美女の姿が見えた。美女はドレスの端を掴んで大急ぎで走ってくる。なんだが、申し訳ない気分になった。
黒髪の美女はぜいぜい言いながらルーネベリの前まで来ると、丁寧にお辞儀してくれた。
「呼び出して申し訳ない。食べ物と酒を二人分欲しいのですが、厨房はどこですか?自分で取りに行きます」
「いいえ!そんな事で旦那様を煩わせることはできません」と黒髪の美女は言った。
「でも……」とルーネベリは言おうとしたのだが、黒髪の美女は言った。
「お食事とお酒ですね。すぐにでも運んで参ります。お部屋の中でお待ちください。今すぐに行って参ります」
黒髪の美女は髪につけた装飾品が崩れ落ちるのも厭わず、またドレスの端を掴んで急いで回廊を走って行った。やはり、女性を働かせて申し訳ない気分で一杯になったので、ルーネベリは部屋の外で待つことにした。
間もなく、黒髪の美女は金属製の箱型ワゴンを押して回廊に現れた時には驚いた。数分も経っていなかったからだ。ワゴンを押して急いでルーネベリの前にやってきた美女は息絶え絶えに、顔を真っ赤にさせながら言った。
「ご料理と……、お酒をお二方分でございます。引き戸を開けますと、中に入っております」
ルーネベリは黒髪の美女に何度もお礼を言った。
「また何かご用がございましたら、なんなりとお申し付けください」
黒髪の美女はお辞儀して回廊を引き返して行った。
なぜそこまでしてくれるのだうかと疑問に思ってしまうが、あれほどまで必死に尽くしてくれると疑うのも悪い。人の心についてルーネベリは考えるのも疲れてしまったので、ワゴンを押してアラの部屋の前まで運んだ。
気まずさを残さないためにも、アラと話をしたかったからだ。
ルーネベリがあてがわれた部屋と同じオレンジ色の扉をノックした。少ししてから扉が開いて、アラが顔をだした。