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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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四十章



 第四十章 平の庭





 座席から尻が浮いた瞬間、ルーネベリが腹の底から絶叫したのはいうまでもない。

叫びたくて叫んだのではなく、身体が落下する恐怖を少しでも和らげようとして自然と口から出たものだったが。胃までも口から飛び出るのではないかと思うほどの気持ち悪さを感じながら、手摺にしがみついていた。全身の毛が逆立ち、全身にどっと湧き出た冷や汗が吹き飛んでゆく。手摺を握る両手が冷たくなりながらも、落下する衝撃を受けて激しく揺れていた。

 ーー一体どれほどの高さから落下していたのだろう。情けないことにルーネベリが最初に叫んだことだけは覚えていたが、皆がどうしていたかなどを見た記憶さえなかった。

 後でシュミレットから聞いた話では、この時、シャウやアラも叫び。あのプライドの高いバッナスホートすらも押し殺すような声で叫んでいたそうだ。まぁ、それもそうだろう……。明らかにおかしいのは絶叫せずに皆の様子を冷静に見ていた賢者様のほうだ。

 魔術師であるシュミレットは球体が水圧で押しつぶされないように球体内部を強化しながら、落下速度を一定の速度に保っていたそうだ。いくら奇力体とはいえ、やはり普段肉体が感じている感覚は失われていない。奇力体でも相当なダメージを負ったとき、どうなるのかはわからないからだろう。だが、高速で落下していく球体の中でそんなことをできるだろうかと疑問をぶつけてみると、シュミレットは「それが魔術師というものだよ」と恰好をつけた返事が返ってきた。ルーネベリは納得がいかないのでさらに問い詰めてみると、驚くべきことがわかった。絶叫しながら手摺にしがみついていたルーネベリたちと違い、慎重に力を使いながらシュミレットは空中で浮かんだままの状態で落下に合わせて下に向かって移動していたのだとか。皆を宙に浮かせられなかったのは力を使いきらないようにするためだとは言っていたが、絶叫しないはずだ。少なくとも、自力で降りていたわけで、一人だけ落下はしていなかったらだ。

 ルーネベリの間の抜けた発案とはいえ、端からこうなるとシュミレットはわかっていたはずだ。まったく酷い無茶をさせる。

 幸いなことに、落下中にルーネベリとアラ、シャウ、バッナスホートは何度も気絶をしていた。いつ気絶していつ目覚めて、いつ気絶したのか皆の記憶は曖昧だった。

ただ、「ルーネベリ、ルーネベリ」とシュミレットの声で飛び起きた時には、いつの間にか目的地に到着しており、皆がぐったりと座席に寝そべっていた。球体は落下している様子もなく、水上にぷかぷかと浮いている状態だった。

 意識がぼんやりとしたまま、先ほどの落下中の出来事についての説明を聞いた後にシュミレットのクスリ笑いを聞いたとき、ルーネベリはこれまでに感じたことがないほど賢者様に怒りを覚え、わなわな震えながら感情のまま文句を言おうと口を開こうとした。すると、シュミレットが間髪入れずに球体をパックリと開けて、外の世界が見えた。眩しい光が差し込んできて、ルーネベリは顔を反らした。

 意識を強引に反らされて尚、腹が立ったのだが。ぱっと目についたものを見て、湧いて出た怒りが腹の底へ引っ込んでしまった。

「……宮殿?」

 目覚めていたバッナスホートが咳払いした。

「でかいな」

 二人の声が聞こえたのか、もぞもぞと身体を動かしながらアラとシャウが目覚めた。そして、ルーネベリとバッナスホートが見ている光景を見て、圧倒されてか立ちあがろうとしていた。

 先に球体から出ていったアラが目の前の景色を見て呟いた。

「美しい」

 五人の目の前には壮大な宮殿が建っていた。水色と青と白のタイルで彩られた六つの高い段々となった城壁が、それほど高くはないが横に長い城を囲む、そう、壮大な宮殿だ。城壁も城も左右切れ目なくどこまでも果てしなくつづいており。ぱっと見た様子では長方形に見えなくもなかったが、もしかしたら、この宮殿は平の庭全体を占めているのではないだろうか。

 アラにつづいて宮殿に見とれながらぞろぞろと皆が球体の外へ出て行った。皆が球体の外に出終わると、シュミレットは球体を小さくしてまたポケットにしまいこんだ。それから、手際よくバッナスホートから鉱石の花を一つ、シャウから鉱石の花を受け取った。一つはその場で半分に割り、後二つはマントの下の小さな鞄にしまいこんだ。鉱石の花は残り五つとなっていた。平の庭を下る時までに持つだろうか……。


 バッナスホートは右側の城壁の方を指さした。

「あそこに城門がある」

 皆が見てみると、確かに右手側に大きな城門があり、その門は大きく開いていた。あそこから城壁の中に入れるようだ。少々、城門までの距離はあったが、歩こうという事になった。

 アラが歩くと、シャウは一生懸命にアラの傍にぴったり張り付いて落下中の話をしはじめたが、アラは興味がなさそうに小さく頷いていた。守ってくれていたカーンがいないので、どう接していいのやらアラは困っていた。そんな二人の様子を後ろから見ながら歩いているバッナスホートは意地悪い笑みを浮かべていた。何を考えているのかまったくわからない男だ。

 バッナスホートの後ろを歩いていたルーネベリとシュミレットはしばし無言だったが、ルーネベリが口を開いた。

「先生」

「まだ怒っているのかな?」

「えっ?」と、ルーネベリがシュミレットの方を見下ろすと、シュミレットは言った。

「確かに、君が怒るのも無理はないと思い直してね。滝を下る前に話しておくべきだったかなと」

 ルーネベリはシュミレットが素直に反省をしていたので、妙な気分になって赤い髪を掻いた。

「あぁ、いや……。まぁ、今度から先に言ってもらえると助かりますが。あ、いや、でも、話してもらっても結局結果が同じなら意味がないような……。とにかく、そうではなくてですね、俺の話したいことはそのことじゃないんですよ」

 一人で両手を振りながら落ち着きがない助手を見て賢者様は笑いそうになったが、口元を覆ってあえて笑いを堪えて言った。

「何かな?」

 ルーネベリは言った。

「女神様が一度だけ助けてくれると言っていた件です」

「なるほどね」

歩きながらシュミレットは即答してこっくり頷いた。

「えっ?俺が何を言いたいのかわかるんですか」

「わかりますとも。パシャルたちのことだね」

「……はい、そうです。有効かどうかはわかりませんが、一度だけ助けてもらえるならパシャルたちの為に使いたいなと思いまして」

 シュミレットは口元から手を離して言った。

「君の考えはわかるよ。でも、恐らくは心配はいらないだろうし。僕らは女神様が助けてくれる一回を使う時が来るだろうから、その時は迷わずに使うべきだと思うのだよ」

「どういうことですか?」と険しい顔をしたルーネベリ。シュミレットは言った。

「君の話を聞いて思い出したのだよ。僕らが女神の神殿でシャウたちに出会ったときのことを覚えているかな?」

「えぇ、はい。同じ場所にいたにもかかわらず、女神様が何かするまで互いの姿が見えませんでした……あっ」

 ぱっと明るい顔をしたルーネベリにシュミレットはクスリ笑い、言った。

「恐らく、あれと同じ状態になったのだと思うのだよ。同じ場所にいるけれど、互いが見えず同じものを共有していない」

「ってことは、パシャルたちは女神様が救ってくれる一回で助かったかもしれないってことですか?」

「少なくとも、命は助かっただろうね。だから、僕は先ほど『なるほど』と答えたのだよ。だけれど、これから先はわからないよ」

 ルーネベリは歩きながらふにゃっと上半身の力を抜いた。

「あぁ……。でも、よかったです。俺たちのせいでと思うと、辛かったんですよ。後でアラにも教えます」

「そうするといいだろうね。ちょうど城門の前で待っているから、隙を見て話してあげなさい」

「わかりました」

 水色と青と白の涼し気な配色のタイルでつくれた城門には開かれた大きな白い門があり、ちょうど門の前にアラとシャウ、バッナスホートは立っていた。先に着いたので、ルーネベリとシュミレットを待っていたのだが。二人が落ち合うなり、アラが言った。

「門兵がいない」

 アラにそう言われて城門の周辺を見渡してみたのだが、確かにその通りだった。門兵はいないどこか、誰もいる様子がなかった。これほど壮大な宮殿にしては警備が手薄だなとルーネベリは思った。

 シュミレットは言った。

「中へ入ってみましょう。誰かいるかもしれない」

「はい……」

 頷いたルーネベリたちは待ちきれずに「アラ」と声をかけた。アラが振り返ると、シャウも振り返った。アラに話があったのだが、シャウが離れようとしなかったので気まずくなってルーネベリは苦笑った。アラもシャウを横目に見ながらも、どう言えばいいのかかわからず諦めてルーネベリに言った。

「話してくれ、ルーネベリ」

「あぁ、それが……」

 ルーネベリがパシャルたちは命が助かったかもしれないという話をすると、アラもシャウも顔を明るくして喜んだ。そして、どうしてそんなことがわかるのかという話をされたので、説明をしていた。

 ルーネベリたちがそういった話をしている間に、シュミレットとバッナスホートは城門から城内へと入っていた。

 シュミレットが見下ろした城内の地面は白いタイルが舗装されていた。まるで神の庭で見たあの道とそっくりの作りだが、この城内の通路は横幅が異常に広かった。およそ十メートルはあるのではないだろうか。十メートルほどの道にびっしりと綺麗な白いタイルが敷き詰められている。道の両端には白い壁があったが、それ以外は観賞用の植物すら置かれていない。

「誰もいないな」とバッナスホートが呟いた。

 シュミレットは言った。

「先へ進んでみよう」

 二人が城内の通路の先へとを歩きだしたのを見て、ルーネベリはアラたちに話しながら歩きだした。アラもシャウもルーネベリの話を一方的に聞いていた。アラが笑みを見せたのはそれから五分後のことだった。アラが笑うと、シャウはアラの顔を見て微笑んでいた。アラはパシャルたちが無事だとわかるとすっかり気分がよくなったので、ルーネベリの背に片腕をまわして半ば抱擁する形で礼を言った。ルーネベリは驚いてアラの後ろにいたシャウを見た。シャウは少し眉を顰めたが、ルーネベリに礼を言ってきた。少なくとも、シャウには敵視されていないようでルーネベリは安心した。

 アラから離れてルーネベリは城内を見まわした。何もない白いタイルと遠くに見える白い壁だけの空間を見て、バッナスホートと同じように「誰もいないな」と言った。

 三人よりも少し先を歩いていたシュミレットとバッナスホートは無言のまま歩きつづけていると、突然、薄い透明な膜のようなものが全身に纏わりついて瞬時に解放された。まるで透明なシートを突き抜けたような感覚だ。後ろを振り返ると、ルーネベリたちの姿はなく、白いタイルと遠くに見える白い壁があるだけだ。

 一方、後ろの方を歩いていたルーネベリたちは突然目の前にからシュミレットとバッナスホートの姿が消えたので、慌てて二人が消えた方へ全力で走って行った。そうすると、ある地点から透明なシートのようなものが全身に張りついたと思ったらすぐに消えていき、三人が驚いたのも束の間、後ろを振り返って立ち止まっていたシュミレットとバッナスホートにぶつかった。五人はタイルの上で尻もちをつく羽目になってしまった。

「いたっ」

 皆がそれぞれそう言った声を聞いて、互いが消えていなかったのかと姿を目視で確認しあった。


 ルーネベリは尻もちをついたまま言った。

「てっきり、どこかへ飛ばれたのかと思いましたよ」

 シュミレットはマントを払いながら立ちあがった。

「僕もそう思ったよ。今のは何だったのだろうね」

「さぁ……」と、ルーネベリも腰の汚れを払いながら立ち上がると、急に綺麗な歌声が聞こえてきた。女性の歌声だ。歌と共に微かに音楽も聞こえてきた。少々賑やかすぎる音楽だ。

 音楽の聞こえてくるシュミレットや立ち上がったバッナスホートの後方を見てみると、大勢の着飾った人々が走りながらこっちらに向かってきていた。よくよく見れば、人々は丸い物や棒状の楽器、八つの弦楽器のようなものを何十人と演奏しながら走っている。歌をうたっている女性にいたっては、四人の白い服で着飾った男性たちが椅子を抱えており、その上に座って腕を高らかに伸ばして歌っている。これは無理があるんじゃないかと思うほどの光景だった。

 せっせと息を切らしながら近づいてきた集団はあっという間にルーネベリたちの周囲を取り囲んだ。

 既に立ち上がっていたアラもシャウも取り囲んでくる集団を何事かと見まわしていた。

 集団の奏でる音楽は激しく盛りあがりをみせて、強制的にぴたっと止まった。静かな沈黙がしばしつづいた。呆気に取られていたルーネベリもバッナスホート。シャウはアラを見て、アラはシュミレットを見ていた。シュミレットはじっと動かなかった。

 集団は楽器を下し。椅子に座った女性を床に下した。それから、一同一気に空気を吸ってから明るく声を合わせて言った。

「ようこそ、我らの庭へ!」

 五人は集団の勢いに圧倒されて何も言えなかった。しかし、その集団はへこたれることはなく、用意してきたように次の言葉を連ねた。

「私たちはあなた方を歓迎いたします。どうぞ我らの城へお越しください。沢山の料理をご用意しております。甘美な女性たちも、逞しい男性たちも。心を癒す音楽もあります。私たちのおもてなしを受けとってください」

「はぁ……」とルーネベリが答えると、それがあたかも五人が同意してしまったかのように集団は受け取ってしまい。集団の中にいる色とりどりのドレスで着飾った女性たちはうっとりと「感激です」と声を揃えて言い。集団の中にいる白や黒やグレーなどのシンプルな服で着飾った男性たちは「喜ばしい」と口を揃えて言った。まるで劇でもみているかのようだった。

 シュミレットは軽く咳払いをした。

「城にお招きいただいて、ありがとうございます。長旅をしてきたので少し休憩を取りたいと思っていたところです。ただ、僕らは先を急いでいるので長居はできません。失礼かとは思いますが、少しの滞在でよければ、甘んじてお招きを受けたいのです」

 集団は声を揃えて言った。

「城にお越しいただけるのであれば、お好きなときに城を出ていただいて結構でございます。ご滞在中は我々の庭で快適に過ごしていただければ嬉しい限りでございます」

 シュミレットの仰々しい態度は珍しかったが、集団を警戒してのことなのだろう。だが、集団の態度にはルーネベリも不信に思わざる負えない。皆が練習したようにぴったりと同じ行動、同じ発言をしているからだ。

 ルーネベリが気をつけたほうがいいのかもしれないと思っていると、集団の案内に従って城へ向かう事になった。

 集団に囲まれたまま白いタイルの道を歩いて行くと、またあの透明なシートを突き抜けることになった。集団はこのシートを「境」と呼んだ。何の素材でできているのかわからないが、なんらかの目的で設置されているのだろう。その「境」を超えると、何もなかったはずの通路に壁が現れ、そこには白い大きな門があった。集団はこの門を含めて五つ越えた向こう側に城はあるというので、しばらく歩くことになったのだが……。

 透明なシートは三度目に出くわすことはなかったが、何もない通路を歩くのは非常に退屈だった。集団がずっと周りを取り囲んで歩いているので、ろくに仲間内で会話もできず。監視されながら歩いているようで居心地が悪かった。

 三つ目の扉まで到着したころ、ルーネベリは思い切って聞いてみた。「この城には誰が住んでいるのか?」という問いだったが。集団は声を揃えて「この城には平の庭に住むすべての住人が住んでいます」と答えた。しかし、すべての住人が住んでいる割には、集団以外に人の行き来きがまったくないので、ルーネベリは次に言った。

「もしかして、ここは来賓用の道か何かですか?」

 集団は声を揃えて言った。

「我らは使わない道です。そんな話よりも、この庭の話をしましょう。この『平の庭』は代々、女神様にお仕えする立派なリン様を生んでいた由緒ある庭です。リン様にはお会いしたことはございますか?」

 ルーネベリは頷いた。

「白い髪の人たちですね。……そういえば、あなた方は白くありませんね。様々な髪の色をしていますね」

 集団たちは声を揃えた。

「リン様は特別だからです」

 ……なぜだろうか、肝心な話を反らされているような気がしてルーネベリはさらに疑惑を抱いた。









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