三十三章
第三十三章 流動する川
シュミレットがカーンとシャウに釘を刺していた頃、ルーネベリたちのグループは女性のリンを探して神の庭を歩いていたのだがーー。案の定、女神の神殿の裏側に少し行ったところでルーネベリたちの方も早々に白髪だが若い女性のリンと遭遇することができた。むしろ、彼女たち六人が走って近づいてきたといったほうがいいだろう。十七、十八歳ぐらいだろうか。六人の若い女性のリンたちは目の前にいる五人の色男たちなど眼中にない様子で、口を開いてからというものの、マグマの巨大なヘルビウスをだしたシュミレットのことばかりを聞いてきた。六人が一様にきゃっきゃと好奇心一杯に聞いてくる様子はかわいらしくもあったが、何度もしつこく聞いてくるので、次第に「聞いて、聞いて」とまるで餌を欲しがる雛鳥が口をぱくぱく開けているかのように見えてきた。元気があって結構だったが、結局のところルーネベリには女性というよりもまだ子供にしか見えなかったのだ。
バッナスホートはどうやら男五人もいれば女性のリン一人ぐらい簡単に口説けるのだろうと思っていたのだろう。残念ながらここにはいないシュミット目当てのリンたちに囲まれ、読みがだいぶ外れて罰が悪いのか黙り込んでいた。パシャルもカンブレアスもグヒムも困った様子でルーネベリを見ていた。パシャルはともかく、カンブレアスもグヒムもそういった面では自信があったのだろう、興味がなかったという素知らぬ顔で遠くの方を眺めだした。
ルーネベリは仕方なく、シュミレットに怒られるのを覚悟で、六人のリンたちにシュミレットのために力についてや補充の仕方を聞きたいと言った。六人はそれら二つの質問にはすぐに答えてくれたのだが、次にルーネベリが高の庭へついてきてほしいと言うと、六人は途端に嫌な顔をして逃げるように去って行った。
「しまった!」とルーネベリが言葉を選ぶずに率直に話してしまったことを後悔していると、しばらくしてから一人のまた別のリンが近寄ってきた。彼女は先ほどの六人よりかは少し上の二十歳ぐらいだろうか、長い白髪の髪を編んで両肩から垂らし白い目はくりくりとしていて愛らしく、全体的にふっくらした体型をしていた。おっとりとした様子でルーネベリに話しかけてきたのだ。
「私が行きますね」
「えっ?」
「女神様の神殿で話を勝手に聞いていたリンが噂を流していましたね。下の庭までおりる人を探しているんですよね?」
「あぁ、それはそうなんだが……。えっと、突然だな。本当についてきてくれるのか?」
リンはにっこりと微笑み、両手を組んで優しく言った。
「せっかく上がってきて下までおりたいなんて人、ここには私しかいないですね」
「そうなのか……。でも、どうしてそんな協力的なのか聞いても……」
「おい」とバッナスホートが口を挟んだ。余計な事を聞くなといわんばかりの剣幕だったが、おっとりとしたリンは「ここにいたくないからですね」と言った。
それにはパシャルも気になったのか、「どうしてだぁ?」と言った。すると、リンは言った。
「私は遠い昔に友達の身代わりにリンになりましたね。上にあがってきた新しいリンに友達が亡くなったのを聞いて、私はもうリンでいたくないんですね。元に戻りたいんですね」
「それは残念な話だったな……」とルーネベリ。リンは言った。
「私は行きますね。連れて行ってくれるのなら、あの黒いマントの人の助けになれますね。そういう人をお探しですよね?」
どうしても行きたいと本人が言うので、ルーネベリたちには幸運なのことには違いないとルーネベリは思うことにした。連れていくと決めたからにはこちらの話をもっとするべきだろうと、おっとりとしたリンにルーネベリたちが何人いて、目的についてまで話した。そして、下の庭へおりるのは命に係わるとても危険な旅になるかもしれないとも話をしたが、リンの気持ちはまったく変わりそうになった。見た目はとてもおっとりしているようだが、中身は芯のある娘のようだった。
話がすべて終わると、おっとりしたリンは言った。
「下におりる間際に、私に名をつけてくださいね。リンと名乗れるのは神の庭にいる間だけなのですね」
「わかった。考えておく」
ルーネベリは新たに仲間として加わったリンを連れて、集合場へと向かうことにした。
シュミレットたちと合流してさっそくルーネベリは苦笑いするしかなかった。紫色の半透明な塊に閉じ込められて中で内壁を叩いている少女をアラとカーン、クワン、シャウが運んできたのだろう。塊の傍らに立つ賢者様は後からきたルーネベリたちに「遅かったね」と得意げに言っただけだった。手っ取り早くすませたようだが、なんだか納得がいかなかった。どう見ても、少女は無理やりに連れ去られてきたような状況だ。もう少し少女と会話をしようとするなり、なんなりすればよかったのではないだろうか……とも思うが。賢者様がそういった細やかな努力をするとは思えないので、助手であるルーネベリが閉じ込めれらた可哀そうな少女の為に後で何かをしてあげようと思った。音と口がきけなくても目は見えるかもしれない。生憎、紙とペンがリュックに入っているのを思い出した。
ルーネベリたちが連れてきたリンはシュミレットの方へ近づいて行った。
「よろしくお願いしますね」と、ぺこりと礼儀正しく頭を下げたリンにシュミレットは言った。
「事情はまだ聞いていないけれど。もちろん、こちらこそと答えさせてもらおう」
新しく仲間に加わったリンは「沢山用事を申しつけてくださいね。私は頑張りますね」と言ってにこやかに微笑んだ。これには皆、好印象を抱かずにはいられず、次々に短い挨拶を交わしはじめた。バッナスホートだけはしなかったようだが……。このリンはプライドの高そうなリンたちの中でもやはり異質の存在なのかもしれない。
ルーネベリたちに囲まれたリンを、遠くから別のリンたちが見ていた。他のリンたちは聞いた噂話からシュミレットたち十人が下の庭へ降りるということを知っていた。そして、下へおりるのを手伝ってくれるリンを探しているということも。だから、皆、集まっているシュミレットたち十人には近づこうとはしなかった。わざわざ下へおりたいなんて誰も思っていなかったからだ。
ルーネベリは遠巻きに見ているリンたちに気づいて言った。
「ここではなんですから、下へおりられる場所まで移動しましょう」
「そうだなぁ。でも、どこへ行くんだぁ?」ともっともなことをパシャルに言われてルーネベリも困った。下へおりるにはどこへ向かえばいいのだろうと考えていると、三つ編みおさげのリンが言った。
「私は知っていますね。来てくださいね」
よっぽど下へおりられるのが嬉しいのか、リンは跳ねるように鉱石の花畑に囲まれた歩道を歩いて行った。
歩道をずっと歩いて行くと、小高い丘のような場所があり。そこにも鉱石の花畑が広がっていた。この庭にはやはり花畑と女神の神殿、そして、歩道以外はなんにもないんだなとルーネベリは思った。住んでいるはずのリンたちはどこで寝起きしているのだろうと思うほどだ。小高い丘から小さな坂道を進んでいくと、徐々に整備されていた道が崩れているのが見えてきた。鉱石はところどころ砕けて、道の端に屑になって小山ができていた。神の庭というわりにはそれほど広い庭ではないというのに、手入れが行き届いていないところをみると、リンたちも滅多に来ない場所なのかもしれない。鉱石の歩道は進むほどに崩れ、途切れはじめていた。もうすぐ下へおりられるだろう場所に着くのかもしれない。
三つ編みおさげのリンはやがて完全に途切れた道からぼこぼこした鉱石の地面の上を尚も歩いていくので、紫色の塊に閉じ込めた少女を運びながらついて行くしかなかった。しばらく皆無言になっていたが、ぼこぼこした地面に途中から亀裂や至るどころ片足ほどの大きな穴があいていることに気づいて皆驚いて立ちどまった。穴は暗く、底がみえないほどだった。
「足元に気をつけろ!落ちるぞぉ」とパシャルが皆に言ったが、そんなことは心得ているといわんばかりに三つ編みおさげのリンが言った。
「ご心配はいらないですね。ここからはおりられないのですね」
ルーネベリは首を傾げ、言った。
「落ちるじゃなく、おりられないのか?」
「意地悪なリンたちがつくった偽物の穴や亀裂ですね。足を踏み外しても、地面に挟まるだけですね。穴の下にも地面はあるんですね。リンたち同士、晒し者にするためにつくったのですね。おりられる場所はもう少し行ったところにありますね」
「あぁ……」
リンが何を言おうとしているのかがルーネベリにはわかった。リンたち同士、下へおりようとする者に罰を与えようとして作ったのだろう。せっかく神の庭に上っても、目の前にいる三つ編みおさげのリンのように稀に下へおりたいと望む者もいるのだろう。
「よく知っているな」とルーネベリが言うと、三つ編みお下げのリンは言った。
「私はここには何回も来ていますからね。もう慣れっこですね」
リンはひょいっと穴を飛び越えて、その向こう側へ歩いて行った。なんだか、ルーネベリはあのおさげのリンが急に可哀そうに思えてきた。友達の身代わりにリンになったといっていたからには何か理由があったんだろうが……。ルーネベリは後ろを振り返り、クワンとカンブレアスとグヒムが運ぶ紫色の塊を見て、このレソフィアには可哀そうな娘が二人もいるのかと思うと複雑な心境となった。
三つ編みおさげのリンについていくと、だんだんごうごうと轟く音が聞こえてきた。もしや、滝があるのかと思いながらもうしばらく進むと、鉱石の崖から少し紫がかった濃いさらりとした液体が大量に流れ落ちていたが、なぜか途中で宙に浮いていて左側に流れたり右側に流れたり思や反対に逆流して上ってきたりしていて、どうもある一定の位置からは下へ落ちようとしていなかった。まるで生き物のような液体だ。一旦、娘を閉じ込めた紫色の塊を近くにおいてから十一人は液体の滝をじっくりと見ることにした。自由奔放な液体の川が神の庭を取り囲むように流れていた。もちろん、すべて宙に浮いていたので、恐らくここが下へと降りる場所なのだろう。
「どうやってここから下りるんだぁ?」とパシャルの問いかけはもっともなもので、あの流動する液体に触れてもよいのやら皆困惑していた。
三つ編みおさげのリンはルーネベリに近づいてきて言った。
「私の名前、考えてくれましたね?」
「えっ、あぁ……まぁ」と顎を撫でたルーネベリにリンは言った。
「名前を付けてくれたら、私がずっと考えてきた方法を教えますね」
「方法を考えていたのか。ルーネベリ、名前を付けてやれ。賢いお前には名前を付けるなんて朝飯前だろう」と言ったのはアラだった。
シュミレットが「君、彼女の言うとおりにしなさい」と言い急かすものだから、何か女の子につけるに相応しい名前はないかと考えた。これまで出会った女性の名前が幾つか思い浮かんできたが、皆、中途半端にしか覚えていなかった。かつての同僚や知人の妻の名前は呼びにくいなと考えていると、ルーネベリは咄嗟に思いついた名前を口に出してしまった。
「シーナ……」
「私の名前はシーナですかね?」
ルーネベリは「あっ、いやーー」と口元を覆って慌てたが、時はすでに遅く。「シーナいいじゃないかぁ」とパシャルが言った。アラも「いい名前だ」と言うので、今更別の名前に変えたいだなんて言えなくなってしまった。三つ編みおさげのリンも名前を貰えて嬉しそうに微笑んでいた。ーーまさか、ここに来て彼女の名前を思い出すとはルーネベリも思ってもいなかった。
シーナという名前を貰ったリンは、さっそく下へおりるために何が必要なのかを説明してくれた。どうもルーネベリたちが知りたかったことをすべて噂などから聞き取っていたようだ。
「マントのお方様ね」とシーナはシュミレットを呼んだ。
「まったく、変な名前をつけてくれたものだね」と少々捻くれた言い方をしたが、シーナがあまりにも和やかに微笑むのでまんざら嫌ではなさそうだった。
シーナは言った。
「マントのお方様の力を戻す方法は花の中にある液を飲むことですね」
「なるほどね、つまりここでできるかぎり花を集めて持っておりればいいのだね」
「はいね。それから、下へおりる方法はマントのお方様がだした火よりも真っ赤な生き物に乗っておりればいいのですね」
シーナの話にシュミレットもルーネベリも大きく頷いてしまった。ヘルビウスのように空を飛ぶことのできるものなら、確かに難なく下へおりられるだろう。
「なるほど、考えてみれば既に先生がいい方法を思いついていたわけですね」とルーネベリが言うと、シュミレットは言った。
「君ね、そうやって僕の盲点をつついて楽しんでいないかな?」
「いいえ、とんでもありません。すべて計算のうちかと思いましたよ」とルーネベリ。シュミレットは咳払いした。
シーナは和やかに笑った。
「私はマントのお方様の力が戻るまで、皆様のお役にたてるように頑張りますね」
「お願いします」とカンブレアスとグヒムはシーナの柔らかな手を握って言った。シャウも二人の隣で会釈した。黙り込んだままだったバッナスホートは声をかけることはなかったが、シーナはバッナスホートにもきちんと気を配り微笑んだ。
それから十人と一人は近くの鉱石の花畑から少し紫がかった濃いさらりとした流動する液体がきちんと入っている花だけを選んで手で捥ぎ取ってポケットに入れたのだが。わりと大きな鉱石の花なので、ポケットにつき一個しか入りきらなかった。ルーネベリはリュックにも入るだけ入れたのだが、やはり花が大きすぎて三個しか入らず。シュミレットもマントの下に隠れた鞄に入れるも、一個しか入らなかった。皆が持っている鉱石の数をかぞえてみたのだがーー。一つしか持てないのはパシャル、カーン、グヒム、バッナスホートの四人。二つしか持てないのはシュミレット、アラ、カンブレアス、シャウ、クワン、シーナの六人。五つも持つことができたのはルーネベリだけだった。持てる鉱石の花は計二十一個だとわかった後、シーナに液体を飲むとどれほど回復するのかシュミレットが聞いた。
シーナの話によれば、液体を飲んだからと言ってもすぐに効果はでず、回復するまでしばらく時間がかかるそうだ。回復時間も毎回不規則で、また、一度に大量に液を飲めばいいわけでもなさそうだ。シュミレットはシーナと二十一個を分けて飲まなければならないので、必要に迫れた時以外は互いに確認しながら液体を飲むことを約束しあっていた。
力の補充方法についての準備は整ったので、次は何を作って下へおりようかという話に話題が移った。シュミレットは言った。
「マグマでできたヘルビウスを作り出しても構わないけれど、皆の身体が焼けない保証はしないよ」
ルーネベリは苦笑い、言った。
「恐らく奇力体である俺たちはともかく、シーナは確実に燃えてしまうでしょうね。なので、マグマのヘルビウスは除外しましょう。火の類ももちろん除外です。氷もやめましょう」
「そうなると、限られてくるな」とカンブレアスが言った。
「毛のある動物はつくれないのだろうか?」
グヒムがシュミレットに聞いた。シュミレットは言った。
「この世界の力が魔術と似ているなら、生命体は作り出せないはずだよ」
「はいね」とシーナは答えた。
「やはりね。魔術は空中に漂う要素から、あるいは元となる物体の密度・容積を増減させたり、物質に状態変化を起こすものだからね。完全なる無から何かを作り出すことは不可能だね。ただ、生憎僕らは衣類を纏っている。これでヘルビウスをつくりだせばいいのだよ」
シュミレットは自らのマントの端を掴むと、自然と切り落とされたかのようにマントからぽとっとシュミレットの手の内に落ちた。しかし、切り取られたと思えないほどマントの形状は変わっていなかった。
黒いマントの生地から黒い大きなヘルビウスが形作られた。さながら縫いぐるみのような見た目だったが、中には何が入っているのか疑問だった。シュミレットは二つ大きなヘルビウスを作り出した。
グループ分けしたとおりに、シュミレットを筆頭に五人と塊に閉じ込めた六人がヘルビウスに乗り。ルーネベリを筆頭にシーナを含めた六人がもう一匹のヘルビウスに乗り込んだ。もちろん、そこからはルーネベリの方にのっていたシーナがヘルビウスを操り、十二人を乗せたヘルビウスは宙に舞い上がった。
遠目に大勢のリンたちは二匹のヘルビスが宙をのぼっていく姿を見ていたが、誰も何も口にしなかった。
二匹のヘルビウスは天高く昇り、勢いをつけて急落下しはじめた。勢いをつけて神の庭を取り囲むあの流動する液体の川を突っ切るためだ。その後はもう皆は黒いヘルビウスにしがみつくことに必死でろくに周りを見る余裕もなく皆目を閉じていた。途中、ぬるっとした液体が身体に纏わりついたことは覚えていたが、川を突っ切った後、ヘルビウスが下へおりまでの間は何もわからなかった。
気づいた時にはヘルビウスの動きは止まっており。温かな風があちこちから吹いてきた。そして、ひときわ明るい甲高い声が聞こえてきた。
《ポカイの呻き声はいかがかな~?安眠に最適、不眠症も眠れる~》