二十三章
第二十三章 四人の男
バッナスホートは嘲笑った。
「年頃をとうに過ぎた女が結婚しないときたか。身の程を知らん奴だな。世の若い娘どもならば身分の高い男三人に見初められでもすれば踊って喜んだだろう。何が不満だ?」
「煩い、お前になどわかるものか!」
「素直に受け入れろ。女としての幸せを謳歌できるぞ」
「バッナスホート!」
憎しみを込めた声でそう叫び、アラは力のかぎり腕の拘束を解こうともがいた。けれど、アラの腕を縛る銀色の縄は金属製の腕輪のごとく頑丈にできており、解けるどころかますます腕に食い込むだけだった。縄が腕に食い込むたびに痛んだが、それでも玉座の背凭れに身体をぶつけながら暴れるアラにコーウェルの三人の男は慌てふためいていた。三人の男たちは未来の花嫁が怪我をしないか心配のようで、「お嬢さん、落ち着いて」と言ったのだが、アラは怒って「お嬢さんと呼ぶな」と怒鳴った。
バッナスホートは腕を組んだままニヤついた顔でアラを見ていた。
カーンが「アラ、冷静になれ」と言ったが、アラの耳には到底届いていなかった。アラはバッナスホートに向かって叫んだ。
「お前の思い通りになどけしてなるものか!」
深い怒りに満ちた目でアラはバッナスホートを睨んでいた。その尋常ではないアラの様子にコーウェルの三人の男たちはアラとバッナスホートの間になにかしらの縁を感じ取っていた。
口元にほくろのある男が二人を訝しみながら言った。
「バッナスホート殿、この女性とはどういう関係だ?」
バッナスホートは平然と言った。
「容姿を見てのとおり、同郷の者だ。変な疑いは持つな。俺にはすでに郷里に許嫁がいる」
二重の男が少し安心した顔で言った。
「許嫁がいるのか?羨ましい」
バッナスホートは苦笑した。
「郷里に戻ったあかつきには祝言をあげる。そのお嬢さんの耳にも届ているはずだ」
アラは小さく嘲笑い、叫んだ。
「お前など!」
「俺の器は天秤の剣が見定めるだろう。選ばれるのは俺だ。女のお前にはどうしようもできんことだな」
奥歯をぐっと噛みしめたアラはバッナスホートを睨んだ。怒りのあまり我を忘れるほどバッナスホートの一言一句に反発するアラを見ながら、カーンは「天秤の剣」の前日に相棒パシャルから聞いた話を思い出していた。
パシャルによると、剛の世界で武道の覇者と謳われるバッナスホートの許嫁は剛の世界の管理者の娘、世界三大美女の一人ユー・ヴィアだそうだ。パシャルとカーンが剛の世界を離れているうちにいつの間にか二人は許嫁になっており、ここ数カ月前から天秤の剣が閉じられる日に婚姻するというお触れが出まわっていたらしい。カーンも相棒のパシャルも、天秤の剣が公開される日までユー・ヴィアの姿を見たことがなかったが、遠目で見てもわかるほどの美女だった。剛の世界の男たちは絶世の美女を妻に娶ることのできるバッナスホートを羨んでいたが、カーンはその中には入っていなかった。ユー・ヴィアは美しい。しかし、その光のような美しさにはつき纏う影がある。黒夜はユー・ヴィアが誕生した二十八年前にはじまり、その五年後に終わった。カーンが二歳から七歳までの間の話だ。幼かったカーンは黒夜をよく覚えていないがパシャルから黒夜の話を聞くと、いつもユー・ヴィアが黒夜を招いたのではないかと思っていた。事の真相はわからないが、ユー・ヴィアの姿を見たときにはっきりと感じた。心奪われる光と不吉な影を纏う美しい娘。管理者一族は呪われている――。
コーウェルの男三人は尚も暴れるアラを諫めようと懸命にあれやこれや提案したが、アラが一向に求婚を受けるつもりがないと言うので、バッナスホートが代案はどうだろうかと言い出した。
バッナスホートはアラの前まで歩き、コーウェルの男たちに向かって言った。
「このコーウェルの地には王がいないと聞いた。婚姻の条件として王になる器を持つ者がこのお嬢さんと婚姻するというのはどうだ?」
「王か、それは良い考えだ」と三人の男たちはすぐさま頷いた。
「婚姻など!――うっ」
アラが叫ぶと、バッナスホートは振り返り素早く近づいてきて大きな手でアラの口を塞いだ。並大抵の力ではなかった。ぐっと首が仰け反り玉座の背凭れに追い詰められたアラに、バッナスホートは低く囁くように「余計な口を挟むな。首を掻っ切るぞ」と脅したのだ。随分と勝手なことだ。先ほどまでは機嫌がよかったというのに、急に邪魔をするなと鋭い赤い瞳がアラを見ている。逆らうものなら、バッナスホートは平気で剣を抜くだろう。悔しいが、拘束されたままのアラにはこれ以上の抵抗はできなかった。小さく頷きは見せたが、心の中で男に悪態をついていた。
バッナスホートにとって女は人間以下の存在なのだろう。意思表示してはならない、表に立ってはならない、男に給仕するだけの弱い都合の良い存在なのだ。この男とて女の腹から生まれたというのに、傲慢で鼻もちならない。他人の心など関係なく強引に己の意のままにしようとする。こんな男が名誉ある武道の覇者など呼ばれていることにもアラは我慢ならなかった。アラ自身に力があれば、バッナスホートを高見から引きずりおろしていた。こんな身体でさえなければ……。
バッナスホートはアラから手を離してコーウェルの男三人の方を向き、何事もなかったようににこやかに言った。
「お嬢さんも承諾した」
にわかには信じられない言葉だった。はじめコーウェルの男三人もバッナスホートがアラにとった野蛮な行いに眉を顰めていたが、強引ではあるがアラが結婚の条件を飲むというならば話は変わっててくると考えを改めたのだ。
口元にほくろのある男が胸に手をあてて「私の名はダンです」と言った。少し背の高い男は「マークです」と言い、二重の男は「ビオ」と名乗った。
バッナスホートはコーウェルの三人の男をじろじろと見たが、どの男が王に相応しいかなどバッナスホートがわかるわけではなかった。武道の覇者たるバッナスホートには茶髪で黒いチュニックのような服を着た貧弱な若い男が三人立っているようにしか見えていなかった。この三人の中に王がいること自体、分不相応にしか思えてならなかったのだ。
ダンが無作法に見つめてくるバッナスホートに「何だ?」と言ったが、バッナスホートは短く「いや」と答えただけだった。
「兄貴!」
バッナスホートが振り返った。よく知った顔を見て少し微笑んだ。
「ネディ、今まで何をしていた?」
眼鏡をかけたひょろりとした小柄の男の首元を掴んで広間にやって来たのはバッナスホートの弟分リカ・ネディだった。
リカ・ネディの容姿は非常に柄が悪かった。生まれつきの赤い髪を脱色して金髪にしようとしたのだろうが、失敗して褪せたオレンジ色になっており、ひどく痛んでごわごわしていた。深緑色のベストから剥き出した筋肉のついた太い腕に皮膚の色がほとんど見えないほど色とりどりの入れ墨をしており。そのほとんどが剣を持つ女の翼人の絵図だった。恐らくはリゼル信仰のものだろうが、過去に負った無数の深い切り傷のせいで無残になっていた。この男はバッナスホートに忠実な男だった。バッナスホートに陶酔しすぎるあまり、普段から崇めたて手柄はすべてバッナスホートに捧げていた。バッナスホートが武道の覇者と崇められるようになったのは、リカ・ネディのおかげでもあるのだ。なので、カーンはリカ・ネディの方こそが武術に長けているのではないかと思っていたが、相棒は信じていなかった。
見た目と違って気の良いリカ・ネディは明るい声で言った。
「すんません。話が長げぇのでちょいと寝ちまって」
バッナスホートはやれやれとため息をついた。
「お前の馬鹿さかげんには呆れる」
「そんなこと言わんでくだせぇよ、兄貴。言われた通り、あちこち話を聞きまわって疑わしい男を見つけてきましたぜ。祖父の代から城の地下のに住んでいる奴で、鎧どころか剣も握ったことがないんだと。親子三代に渡って鎧を身に着けたことがない男はこれで四人目ですぜ」
「ほぅ、四人目か」とバッナスホートがネディの首根っこ掴まれたまま大人しくしている男を見た。
ネディに捕まっている男は、柄の悪そうな男たちにこれから何をされるのかが気が気ではないらしく「仕事は怠けていません」と震えながら言った。
ネディは言った。
「こいつ、どうします?」
バッナスホートは玉座の方を指さして言った。
「そこに並ばせろ。お嬢さんの婿候補だ」
ネディは「お嬢さん?」と、バッナスホートが指さした玉座を見ると、見覚えのある顔があるのに気づいて「――んんっ、男姉ちゃんとパシャルの相棒じゃねぇか」とネディは玉座に座るアラと床に縛られて転がっているカーンを見て大層驚いていたが、バッナスホートが何かを言う前に、ダンが不服そうに大きな声で言った。
「待て、そいつも婿候補にすると誰が許した?」
「俺だ」とバッナスホートが言った。
「ふざけたことを!」とマークが憤慨すると、バッナスホートは澄ました顔で言った。
「一人増えたぐらいで動揺するな」
「身分の低い者と比べられるのは我慢ならないのだ」とダンが高飛車に言った。
「気に食わないのなら婿候補から外れろ。つまらぬ事を言う奴は王の器がないと見なす」
バッナスホートが勝手なことを言うのは腹立たしいが、ダンもマークもビオも玉座のアラを見て押し黙った。バッナスホートは鼻を鳴らして三人の男たちの隣を指さした。
「ネディ、そいつも婿候補だ。そいつをそこに」
「あい、兄貴」
ネディは男を放り投げ、尻餅をついた眼鏡の男に「名は?」と聞いた。
男は怯えたように「アワードです」と答えた。
バッナスホートはすたすたと哀れなアワードの前まで歩いて、玉座の方を向いた。
「お前たちの妻になるやもしれぬ女だ。名はアラ・グレイン。女にしてはなかなか剣術の腕が立つが、家事の腕前までは保証しない」
アワードがアラを見ると、アラはきっと睨みつけてきたのでアワードは震えあがった。どう見ても貧相な体つきのアワードよりも体がふたまわりも大きな粗雑な女にしか見えなかった。
ビオはアワードに小さく舌打ちした後、言った。
「私は大臣の息子だ。コーウェルの地に王がいなくなった後、代々、要塞にて食糧の貯蔵量の報告を受けるのが義務だ。お嬢さん、私の妻になればこの四人の中で最も食べる物には困りません。どうぞ、私の妻に」
アラの前で大袈裟にビオが跪くのをマークが見て、急いで隣に跪いた。
「私は裁判長の息子です。王がいなくなった後、代々、罪人に仕事をあてがうのが義務です。私の妻になれば、皆あなたを敬いお慕いして仕えることでしょう。他の者の妻では見向きもされません。どうぞ私を」
マークの隣にダンが跪いて言った。
「私は司祭長の息子です。私の一族はコーウェルの者たち皆を励ましてまいりました。私の妻になればコーウェルの祝福を受けることでしょう。栄誉ある立場にいる私を選んでください」
バッナスホートはアワードの気持ちなどお構いなしに「お前も自己紹介しろ」と命令してきたので、「僕はあの……」と薄れそうなほど小さな声でアワードが言った。
「おい、はっきりと話せ」
バッナスホートが大きな声でそう言うものだから、アワードは「はい!」と少し飛びあがり背筋をぴんと伸ばしてたどたどしく言った。
「ぼ、僕は、要塞の書庫で本の整理を、するのが、仕事です。得意なことは、本を名前順に、並べることです」
ネディは悪そうに笑っていた。哀れなアワードは額に脂汗をかいていて伸ばした袖元で必死に拭いていた。恐らくは普段から人前にでることもなく細々と書庫で働いてきたのだろう。わけもわからずに矢面に立たされ、目線をどこへ向けてよいのやらもわからず床で小さな鼾をかいて穏やかな顔で寝ている赤い髪のクワンを見つめていた。
バッナスホートが玉座の方へ歩てきてアラに言った。
「もう口を聞いてもいいぞ。どうだ、この四人の男に何か感じるか?」
「何をどう感じろという」と静かにアラが言うと、ネディが言った。
「王らしいと思う男はいないか?」
ふっとアラは笑った。
「王にこだわるっているようだな。……その三人の男たちに尋ねたい。私を伴侶にしたいと言う理由は何だ?女など要塞には山ほどいるだろう」
跪いたままのダンが言った。
「赤い髪の美しい人、あなたのすべてが素晴らしい」
ネディは失礼にもアラの顔を見てけらけらと笑った。剛の世界ではアラは美人の部類には入っておらず、並程度というところだろうか。この程度の容姿で美しいなどと言うのはよっぽどのことだろうとネディは己の容姿を顧みずに思っていたのだろう。アラ自身も自己の容姿への評価は低かったので、ネディの嘲りにたいして反論はできなかった。
しかし、顔をあげたビオは違った。純粋な目で言ったのだ。
「コーウェルの女は皆身体が細く肌も骨も脆い。病にかかりやすく短命だ。あなたは肌つやも良いし、なにより健康そうだ。王の妻として相応しい。私たちの婚礼によって王が立つとなれば、民も喜ぶでしょう」
アラは不満そうな顔をしていた。彼らの言う美しさは健康的な美しさなのだ。確かにアラは病気をほとんどしたことがない。身体が丈夫なことに関して褒められるのは誇らしくあるが、彼らは健康的な「女」として賛美しているので嬉しいとは思わなかった。
複雑な心境の中、バッナスホートは跪く三人お男に「立て」と言った。
「お嬢さんには考える時間が必要だ。お前たち四人はしばしここから出ていろ。あまり遠くには行くなよ。探しに行く手間がかかる」
バッナスホートの横暴な物言いにダンやビオやマークの三人は内心腹を立てたままだったが、アワードだけはほっとした顔していた四人はぞろぞろと部屋を出て行った。
ネディは馬鹿にしたように笑った。
「兄貴、あいつらの誰が王になってもこの国は滅びるな」
ふんとバッナスホートは鼻を鳴らした。
「誰が王になろうと、俺の知ったことか。王を見つけるだけだ」
アラは玉座に座りながら首を傾げた。
「王を見つける?――お前、何を考えている?」
バッナスホートはアラを見て言った。
「馬鹿みたいに騒ぎ立てるな。外に聞こえるだろう。俺たちは中核からここへきた。中核に住む賢人という胡散臭い連中に王を見つけろと言われてな。察するにこの世界から出るには王を見つけなければならないのだろうな」
「中核というのは何だ?」
この質問にはカーンも同様に知りたがったが、バッナスホートはわざわざ説明するという面倒な手間を省いて言った。
「自分で調べろ。王を見つければこの世界から出られるということだけ頭に入れておけ」
「……王を見つける方法は?」と、アラ。ネディは首を横に振った。
「わかってりゃ苦労はしねぇぜ」
バッナスホートは床にどすんと座り込んだ。ちょうど縛られて床に転がっているカーンとクワンの隣だった。
「賢人が言っていた王は、三代前まで鎧や金属を身に着けていなかったそうだ。要塞をまわって疑わしい連中を探したが、あの四人だけだった。他は祖父が兵士をやっていたという話や、武器の運搬をしていたという」
「あの権力者の息子たちと、書庫で働く男か……。本気で私を婚姻させるつもりはなかったのだな。私をからっていたのか!」
アラがそう言うとバッナスホートは言った。
「演技だ、演技。俺はお前に一切の興味はない。お前たちがコーウェルの砦に連れてこられ、やつらに気に入られたのを見てお前に王を見つけさせようと思ってな。女の勘ならわかるだろうかと思ったんだが、安易すぎたな」
「残念だったな」とアラが皮肉一杯に笑った。バッナスホートは太い腕を組み、身体をゆらゆらと揺さぶった。
「どうせ会う定めならば、賢い者と出会いたかったものだ。誰もあてにはできん」
「さすがのお前もお手上げか」とアラが言うと、バッナスホートは言った。
「お前も馬鹿だな。王が見つけれらなければ、この世界からお前も手出られんのだぞ」
「いや、こちらにはまだ望みはある。私と取引をしないか?」