二十二章
第二十二章 幻の要塞都市
頭痛は酷くなり、シュミレットの意識は寝入るようにふと途切れ、ふと気づけば暗がりの中に立っていた。
暗がりの中、ぼんやりとした青い色がぽつりぽつり見えたかと思うと、どうやらそれらは服の色だったようで、見たこともない虚ろ顔の人々に周囲を取り囲まれていた。大人や子供、老人……。年齢の異なる男女が入り混り、暗がりを埋め尽くすほど沢山立っていた。しかし、そこには近くにいたはずのルーネベリもパシャルの姿もなかった。
長年の経験からシュミレットはすぐに意識あるいは体が別の場所に移されたのだと思った。奇術、時術と類似した何かの力が働いたのだろう。魔術よりも神秘で不思議、理解しがたい領域だか、これだけははっきりしている。何者かが何かを伝えようとしている。遠くにいるのか、言葉を音として発せられないのかはわからないが……。
シュミレットは人々に言った。
《僕に話があるのでしょう。話をはじめてくれるかな》
虚ろな顔の人々は待っていましたといわんばかりに一斉に話はじめた。一人一人はしっかりと言葉を話していたのだか、皆が遠慮なしに同時に話すので単語しか聞き取れなかった。この状況は、鎧の人物と接した時とまったく同じだった。
虚ろな顔をした彼らは好き勝手に話をして、沢山の異質な音は雑音のようになっていた。彼らには話をしながらも互いの話が理解できているのかもしれないが、統率する者なしでは話一つ聞き取れない。
シュミレットは仕方なく、彼らを先導することにした。話を聞かなければ前に進めないからだ。まず、片手をあけて彼らの口を閉じようとしたが、その仕草では通じなかった。なので、シュミレットは《この中で最も利発な人物と一対一で話したい》と言った。
彼らの言葉がとまった。
シュミレットの右手前に子供が立っていた場所に、入れ替わるように老人が現れ。沢山いたはずの人々の姿も消えていた。
暗闇にぽつんと立っていたその老人は薄っすら生えた白髪頭で、喉仏ほどまでに白い顎鬚をたくわえ、背は弓のように曲がっていた。顔に幾重にもたるんだ皺を見るかぎり、自然の摂理に逆らうことなくあるがままの老いた姿を誇りにしつつも、虚ろな顔は死を遠ざけてしまった後悔が滲んでいた。
シュミレットはなんの確証もなかったが、思いついたまま《君たちは不死なのだね》と老人に言った。
老人は《はい》と答えた。
シュミレットは言った。
《君が最初に不死の人となったのだね》
老人はまた《はい》と言い、さらに言った。
《あなたは的確な思考をしていました。私たちは言葉の概念を越えた手段で意思疎通をするようになりました。言語の知識を失ったので、あなたの頭にある知識を借りて話をしています。あなたの知識は私たちの保有する知識に近いです》
《褒めていると受けとめるよ。だけれどね、君たちの高度な文明には遠く及ばないと僕自身も感じているのだよ。この世界に辿り着いた時点からね……》
老人は無表情のまま言った。
《私たちとあなたとは似て非なる者同士です。賢いあなたは真理に近づくのをやめました。私たちは近づきすぎました。代償は大きく、二度と取り戻すことができません》
《代償?》とシュミレット。老人は言った。
《私たちに纏わる話の一部と、セロトという国ができた話をします。セロトに住む民は私たちを賢人と呼びますが、私たちはコクハという生物におけるひとつの種です》
《コクハ?》
《コクハの意味に関する知識は、あなたの中には存在しません。コクハはひとつの種の名称だと判断してください。私たちは知を愛し、技術を好み、叡智を貧欲に求めた種でした。人間は食物を栄養としていますが、私たちは物質であればどんなものでも栄養とすることができました。水分や空気の補給は必要としません。住む場所も選びません。私たちは生物としての域を超えることを目指していました。そして、生まれ故郷を旅立ち、新たな世界で出会ったのがダラバドルという生物でした。彼らは不老不死で物質であれば如何なるものにも変化する強靭な肉体を有する極めて稀な種でした。私たちは彼らを敬愛しました》
《コクハ=ダラバドルという要塞の名前は二つの種の名からきているのだね》とシュミレット。老人は静かに言った。
《あなたの考えは的確です。私たちはダラバドルとの出会いが私たちの望みが叶う切欠となることを切望していました。しかし、ダラバドルの生まれ故郷はすでに滅びの道を歩んでいました。不老不死の身を持つ優れたダラバドルでも、故郷が滅びるという事は種の絶滅を意味していました。
私たちはダラバドルを救うために彼らの世界に似せた球体の船をつくりました。船に存在するすべてのダラバドルを乗せ、新たな世界へ船で旅立ちました。そうして辿り着いた新たな世界もまた滅びの道を歩みはじめました。原因を調査し、発見に至りました。私たちの船の旧発動機が作り出す強大なエネルギー体が原因でした。セロトの民が呼ぶ「賢人の怒り」は私たちがつくりだした船の旧発動機です。武器ではありませんでした》
《エンジンが原因で世界が滅びようとしていた……と言いたいのだね》
《私たちが作りだした旧発動機は不適合だったのです。破壊してしまった世界に住むすべての生物を船に乗せ、世界が滅びる前に新たな発動機を作りだし、より安全な世界へ避難することにしました。ダラバドルは船の外壁の強化のために身体を金属に変化させて船を守りつづけてくれることを約束してくれました。私たちは船の中核で船の管理と発動機の設計構築に忙しく、救出した生物の管理に時間を割くことができませんでした。私たちは知能のある二百十五人の人間に王という地位を与え、王の証として身体に旧発動機の部品を埋め込みました。王が死ぬとき、その血筋に部品が受け継ぐようにしました。強大なエネルギーを生む旧発動機の部品を保管するための処置でした。二百十五人の王たちは船の中に国を築き、セロトの民と名乗りました。二百十五人の王たちは民の上に立ち、政を行いました。私たちは彼らの行いを中核から眺め、関与はしませんでした》
シュミレットはこっくり頷いた。
《君の話で色々と納得したよ。賢人が消息を絶ったというのはセロトの民の誤解だったようだね。それもこれも、王がいなくなったということが原因なのかな。確か、王が「賢人の怒り」を使ったとか言っていた気がするのだけれど……》
《あなたの考えは的確です。私たちは人間をよく理解していませんでした。長い歳月が絶ち、私たちとの接点がなくなった二百十五人の王は球体の船の中で戦いをはじめました。私たちは人間の性を知りませんでした。王たちは船の旧発動機を「賢人の怒り」という恐ろしい兵器だと民に触れまわり、恐怖する民を戦わせたのです。私たちは発動機の部品を王に埋め込むときに王同士が争うとき、王の身体に埋め込んだ部品が共鳴し周囲にいる生物の攻撃性を沈静させるように仕込んだのです。人間の自滅を避けるための策でした。私たちは戦いがはじまっても干渉しませんでした》
《君たちの予想に反して、王同士は戦わなかったのだね。その結果、王が民に追われ王位が不在になり、指揮官も不在になっても、トォノマとコーウェルという二つ民は戦いつづけているのだね。今現在、干渉しないようにしていた君たちが彼らに干渉しようとしている理由を聞かせてくれるかな?》
《セロトの民の使う生成術は船を破壊しています。私たちはすでに新しい発動機を完成させており、新しい世界へと旅立っている途中です。このままセロトの民が船を破壊しつづけると、船が内部から壊されていまい、すべての種が絶えてしまうのです》
《なるほどね、君たちはセロトの民に戦争をとめてほしいのだね。……君たちの話を聞くかぎり、王がいなければ不可能なのではないかな?》
《王は存在しています》
《生きているというのかな?》
《王は現在、三人生き残っています。あなたはそのうち一人の顔を思い浮かべています》
シュミレットはクスリと笑った。
《そうだったね、僕の考えは筒抜けだったね。君から王の話を聞いた後、僕はエンヤという女性がその王なのではないかと考えていたのだよ。正確な根拠はなかったのだけれどね。僕らがはじめてこの世界で目を覚まし、最初に出会った人物と二度目に出会った人物は同一人物。そして、つい先ほど出会った白銀の鎧の兵士も同じ。エンヤという女性だね。ただし、彼女の意識があったのは、二度目に出会ったときだけだろうね》
《あなたの考えは的確です。私たちは王が金属を纏うとき、意識を統合できるのです。多くの意識があるため、王は意識を失います》
《沈静効果のほかにも幾つか仕込んだというわけだね》
《私たちと人間には言語という壁があります。王の肉体を借りて私たちはセロトの民に語りかけた時期もありました。しかし、現在は王の身体に埋め込んだ部品は破損しつつあり、意志の統一には限りがでてきました。私たちの望む言語を王は話すことができません》
シュミレットは片手をあげた。
《ちょっといいかな、王の血筋が絶えた後、部品はどうなるのかな。「賢人の怒り」という発動機が復活する可能性はあるのかな》
老人は言った。
《王の亡骸から部品はセロトの地層へ染み込み、船の中核へ運ばれ自己再生します。自己再生した部品は旧発動機の形になるよう自動的に組み立てられます》
《王の身体の中で部品が壊れていても、君たちのいる場所へ運ばれると部品は元通りになるということだね。王の血筋が絶えると、旧発動機が元通りになる。君たちはそのことに関しても不安を抱いているのだね》
《あなたの考えは的確です。私たちは王の血筋を絶やすことを防ぎ、戦争を終結させたいのです。
トォノマの地にエンヤ、ゲルグという名の王が存在しています》
《驚いたね。ゲルグも王だったというのだね。最後の一人は誰なのかな?》
《コーウェルの地にいます》
《名前は何というのかな?》
老人はしばし間をおいてから言った。
《コーウェルに存在する王は三代前より金属を纏っていません》
シュミレットは言った。
《だったら、どうしてコーウェルにいるとわかるのかな?》
《エンヤとゲルグの知識から検索し、分析しました。ゲルグがコーウェルの地に存在したとき、部品は微かに共鳴反応を見せていました。第三の王がゲルグの近くにいたことになります》
シュミレットは首を傾けた。
《ゲルグはコーウェルの生まれだと言っていたね。若い頃、彼の近くに三人目の王がいたけれど、一体、誰なのかまではわからない。ゲルグの年齢からして王の世代交代している可能性もあるわけだね。とにもかくにも、僕らに三人目の王を見つけろというのだね》
《私たちはあなた方に心から感謝の意を表します》
《何をされても、僕らは進むしかないのだよ。まったく、天秤の剣というのはつくづく、こうも偶然のように必然に巡り合わせるものだね……。三人目の王について、もう少し手掛かりになるようなことはないのかな》
《疑わしい人物に金属を纏わせてください》
《何回も試すことができるのかな?》
《意志の統一は、王の身体に負担はありません。しかし、王同士の共鳴は一度にしてください。エンヤの身体にある部品は脆く、数度の共鳴は破損に繋がりエンヤの生命に関わります》
《なるほどね、だいたいが読めてきたよ。「剣の交わる歌を聞け」だね。三人の王に剣を持たせて、交わらせると戦争が止むのだね》
《私たちはエンヤと意識を統一させゲルグに兜をかぶせ、あなた方と共にコーウェルに導きます。砦の外で待っています》
《わかったよ。……ところでね、少し気になったのだけれど、君たちは僕の血筋を知っているのだね?》
シュミレットの問いかけると、いつの間にか老人は遠くの方に立っていた。無言こそが老人の答えだったようだ。コクハという賢人たちとの短い交流はどうやらここまでのようだ。老人はどんどん暗闇の中へ遠ざかっていった。と、同時に、シュミレットの意識は光の方へ向けられていた。――本当に眩しい光だった。周囲が揺れていて気分はよくなかったが、シュミレットは心地の良い世界に戻っていた気がしていた。
ふと目を開けると、鋭い赤目の男が顔を近づけて叫んだ。
「先生!しっかりしてください」
我に返ると、助手のルーネベリが血相を変えてシュミレットの身体を揺さぶっていた。やはり、意識だけがどこかへ飛ばされていたようだ。近くで唾を飛ばしながら懸命に叫ぶルーネベリをひどく煩く感じて、シュミレットはルーネベリを思いっきり押し返した。
「君ね、もう意識は戻っているのだよ。やめなさい」
「……あぁ、よかった。ぼんやり宙を眺めて動かないので、あの兵士に何かされたのかと思いましたよ」
ルーネベリがそういった後、後ろからパシャルがひょいと顔をだして「賢者様、正気に戻ったのかぁ」と言った。シュミレットはさぞ慌てていただろうルーネベリの姿を思い浮かべてクスリと笑った。
「賢人たちと話をしていたのだよ」
「そうですか、賢人……。えっ、賢人ってどういうことですか?」
「彼らに頼みごとをされてね。これからエンヤとゲルグと一緒にコーウェルに向かわなければならないのだよ。トォノマの砦の外で二人が待っているだろうから、ゆっくり向かいながら詳しい事情を話すことにするよ」
ルーネベリは「はぁ、わかりました」と不思議そうに言った。
その頃、コーウェル兵に両腕を後ろで縛られてコーウェルの砦へと連行されたアラとカーンは、眠るクワンと共に砦の奥にある上等そうな赤いカーペットひかれた広間にいた。
赤いカーペットの上でごろんと寝転がっていたクワンの隣でカーンがこちらを睨みつけてくる三人の二十代初め頃の茶髪の若い男に眉を顰めていた。そして、なんと、部屋の奥にある金の玉座には腕を縛られたままのアラが座っていた。アラは嫌悪の表情を浮かべ、どうやってこの状況から脱するかを考えていたのだが、茶髪の三人の男以外にもこの広間には危険視すべき男がいたので、どんな良い策も潰されてしまうだろうと思っていた。
アラは玉座の傍の壁際にもたれて腕を組む強靭な赤い髪の男を見た。ちょうどアラから見ると右手になる。
足元にすぐにでも握れるよう長剣を置き、黒い半袖から伸びた腕は丸太のごとく太く、胸板もカーンやパシャルとは比べものにならないほど厚かった。蔑むような鋭い左目の下に斜めの切り傷があり、大きな鼻の下にはうっすらと髭が生えていた。武闘の覇者と呼ばれるバッナスホートだ。
なぜこの男は拘束もされず、三人の男の様子を黙って眺めているのだろうかとアラは考えていた。
コーウェルの三人の男といえば、カーンに「あの女とどういう関係なんだ?」と質問したり、三人で「私が相応しい」などと言い争っていた。アラの勘違いでなければ、三人の男はアラを嫁にしたいようなのだ。玉座に座らせたのも、彼らにとっては特別扱いしているようなのだろうが。アラにとってはすべてが苛立つ状況でしかなかった。
アラは黙って様子を見ているバッナスホートに言った。
「お前、何を考えている?」
ちらりとバッナスホートがアラを見た。少し面白がっているのか、心僅か笑っているようにアラには見えた。
バッナスホートは低く独特な声で言った。
「話しかけるな。誤解されるだろう」
アラは舌打ちした。
「誤解などされるものか」
「お前がどう思おうと、お前は女だ。俺は男だ。連中にはそれだけで十分だ」
「……また馬鹿にするのか?」
ふっとバッナスホートは笑った。
「いつまでも昔の事を掘り返すな。成人して身に染みているだろう。お前は俺には勝てない。男には勝てない。大人しく誰かの妻にでも収まれ。子を成せば俺への恨みを晴れるだろう」
アラは憎しみを込めた目でバッナスホートを睨みつけた。
「お前は今でも私を認めないんだな」
「認めることに意味はない。お前は女だ」
バッナスホートがそう言った後、三人のコーウェルの男がこちらを振り返った。
「何をこそこそ話している?」
「このお嬢さんは状況が読み込めないらしい。説明していた」と適当なことをバッナスホートは言った。お嬢さんと呼ばれアラはまたバッナスホートを睨みつけた。三人のコーウェルの男はすんなりと納得して、玉座に座るアラに駆け寄った。
三人とも地味な顔をして見分けづらいのだが、あえて違いを言えば、
口元にほくろのある男と、二重の男、二人よりも少し背の高い男だ。
ほくろのある男が玉座の前で跪いてアラに言った。
「美しいお嬢さん。私たちはあなたを妻にしたいのです。私たちの中で気に入った者を仰ってください」
アラは三人のコーウェル人の顔をじっくり見る前にぴしゃりと言った。
「誰とも結婚などしない。私たちを離せ」
少し背の高い男も玉座に跪いて懇願した。
「あぁ、お嬢さん。そんなつれない事を言わないでください。私たちはコーウェルでもそれなりに地位のある者です。妻になってくれたら、食うものにも着るものにも事欠かないようにします。住まいも整えます」
「男と結婚などしない。私たちを解放しろ」