二十章
第二十章 コーウェルとトォノマ
悲嘆して泣く老人たちを前に、わけもわからずに立ち尽くすシュミレットとルーネベリとパシャル。彼らの嘆く理由を問いていいのかもわからずにいると、ゲルグと呼ばれた老人がすっと立ちあがり、座り込んで涙を流すリウと老人たちに向かって言った。
「まだ決まったわけじゃなかろうに。なにを嘆くことがあろう」
リウは片眼鏡を下ろして、服の袖で涙を拭いながら言った。
「賢人がやって来た。我々にはもうなにもできやせん」
「今更、諦めるのか?――私は諦めんぞ。たとえ殺されようとも、この命尽きるまで私は諦めん。皆の本心も同じだろう」
ゲルグはシュミレットの方を向いて、軽く頭をさげた。
「皆が取り乱して申し訳ない。少しの間、私の話を聞いていただきたいが、よろしいか?」
シュミレットは黙って頷いた。すると、ゲルグは二度頷き返してから言った。
「私はゲルグと申します。コーウェルの地に生を受け、若い時分に戦場にてトォノマ兵に捕まり、捕虜としてこの砦に連れて来られました。砦で鍛冶屋の下働きとして働かされていた私はトォノマの娘を娶り、子にも恵まれましたが。家族ができようと捕虜の身であることにはかわらず、妻と息子と引き離され、この場所に幽閉され、旧生成術の解明をさせられてきました。ここいる皆も、私と似たような境遇の者も多く、代々、捕虜として働かされている者もおります」
「そうなのだね」とシュミレットが相槌を打った。ゲルグは言いつづけた。
「私たちは先に幽閉されていた同士から解明できた旧生成術の知識と『賢人の怒り』の話を聞かされました。トォノマは『賢人の怒り』を使って、私たちの生まれ故郷のコーウェルを滅ぼすつもりなのです。小さな抵抗かもしれませんが、私たちはなにがあっても旧生成術の解明を終わらせないと決意しました」
「コーウェルを滅ぼす?」と思わずルーネベリが口を挟むと、シュミレットも言った。
「『賢人の怒り』というのは君たちの故郷を滅ぼすほどの、それほどの力をもっているというのかな?」
ゲルグは静かに頷いた。
「『賢人の怒り』、すなわち、世界を滅ぶすに等しい強大な力。『劫火の雨』、『破滅の襲来』――幾つも恐ろしい名のある旧生成術の中でも最も凶悪な秘術。『賢人の怒り』に一度でも襲われた土地は生物も草木さえも生きられません。心がある者が作ったものとは思えない、残酷な秘術です」
シュミレットは腕を組んだ。
「なるほどね。君の話を要約すると、トォノマはその『賢人の怒り』という旧生成術の秘術を使ってコーウェルを滅ぼしたいと思っている。けれど、コーウェル人である君たちはそれを阻止したいと思っている。悪夢の日というのは、『賢人の怒り』が行使される日のことを指していたのだね」
ゲルグは険しい顔をして言った。
「あなたが賢人で、地上から消え去った悪夢のような秘術を蘇らせるのなら、私はあなたを殺す。皆が反対しようと、トォノマ兵に殺されようとも、私は命をかけてあなたをとめます」
片手をあげたシュミレットは言った。
「君の話をよくわかったのだけれど、今度はこちらの話を聞いてもらえるかな?僕は君たちの誤解を正したいのだよ」
誤解という言葉をどうも老人たちは悪く受け取ったようで、ひどく不安そうな顔を見せていたので、ルーネベリは言った。
「あぁ、心配しないでください。あなた方が考えているようなことではありません。きっと……」
シュミレットがルーネベリを見てクスリと笑った。
「そう、その通り。君たちの予想を大きく裏切ることになるのだけれどもね、そもそもが間違いなのだよ。僕は確かに賢者という役職名を名乗っている者だけれど、君たちのいう賢人なのではけしてないのだよ。旧生成術というものが、何なのかも理解できていない。解明しようにも、君たち以上に時間がかかってしまうだろうね。君たちの言語がわかるかもわからない」
老人たちは涙を拭いて、「賢人じゃなかったのか?」と口々に質問してきたので、シュミレットははっきりと頷いてみせた。
リウが言った。
「誤解?どこから誤解だというのです……」
「はじめからだね。剣を向けてきた彼女に従わなければ殺されるかもしれないと思ってね、大人しく従っていると、ここへ連れて来られたというわけなのだよ。僕には『賢人の怒り』など起動できるわけがないのだから、要らぬ心配はしなくていいのだよ。もう一度言うけれど、僕は賢人などではない」
シュミレットの言葉を聞いて、話の内容がすべてわかったのかは怪しいが、とにかく賢人ではないという事がわかったので老人たちは途端に大喜びし、歓声をあげて抱擁までし合っていた。挙句の果てには、シュミレットにぞろぞろと近づいて抱きつこうとしてきたので、シュミレットは老人たちの手から逃れるように俊敏に身体を動かして避けていた。老人たちに捕まれば、頬にキスされて感謝されていたかもしれない。中身が老人であるシュミレットには非常に嬉しくないことだ。しかし、よほど安心したのだろう。老人たちの喜びようはしばしつづき、尋常ではなかった。外部の者であるシュミレットたちには無縁の問題で、危機感もまるで感じないが、愛すべき故郷を脅かされる心配がなくなったのは喜ばしいことなのかもしれない。同じ過酷な状況下にいれば、きっと、そうだっただろう……。
ルーネベリは立ちあがって他の老人たちのようには喜びもせずに、一人寂しく両腕を組んでいたゲルグに近づいて言った。
「あの、詳しく旧生成術について教えてもらえませんか?興味本位ですが、俺は学者なんです」
「学者?」
「ここには学者はいないんですかね。簡単にいうと、知識を学ぶ者です」
「学ぶ者か……、いいですとも。旧生成術は賢人が使った秘術。私たちが今使っているのは生成術といいます」
「すみません、生成術は本来、何をするためのものなんですか?この部屋を見ていて感じたのは、化学反応によって何かをつくりだす技術だと思ったんですが」
「化学反応?」
「えっ、あぁ……」
一部の言葉が通じないことにルーネベリだけでなく、ゲルグも気づいていた。ゲルグは声を小さくして言った。
「あなた方はどこからやって来たのですか?コーウェルでもトォノマの民でもないようで。生成術を知らず、『化学反応』という不思議な言葉を口にする」
「俺たちは……なんていえばいいのか、よくわかりませんが。旅人のようなものです。遠くからやってきたんです」
「この世界にはまだ別の民が生きていたのですか?」
「あぁ、いや……恐らくそれは違うかと……。それよりも、コーウェルとトォノマ以外の他の民は存在していないんですか?」
ゲルグはルーネベリの赤い瞳を覗き込むように見上げて頷いた。
「『賢人の怒り』によって滅ぼされました。恐ろしい秘術です。私たちの事を何もご存知ないようなので、歴史から説明をしましょう」
「あぁ、助かります」
「いいえ。遥か昔、この世界には無数の国々がありました。コーウェルとトォノマは、賢人という秘術を使う稀有な一族に仕える民でした」
「賢人に仕えていたということですか?ということは、コーウェルとトォノマというのは一つの国に……」
「ご想像のとおり、コーウェルとトォノマの民は一つの国セロトに生きていました。コーウェルとトォノマは、生成術という複数の物を組み合わせて新たな物を作り出す技術をつくりました。非常に複雑な賢人の旧生成術を私たちでも使えるように簡単にしたものです。生成術は器や鎧に活用できたので、今も受け継がれています」
「あの燃える剣が生成術によってつくりだされたものということですね……。しかし、コーウェルとトォノマは今、仲がいいとはいえない様子ですよね。何があったんですか?」
目を閉じたゲルグは疲れた様子で目頭を押さえた。
「大昔、コーウェルとトォノマが仕えていた賢人一族が突然消息を絶ったのです。仕える者を失ったコーウェルとトォノマはそれぞれ、賢人の代わりとなる王を立てました。愚かな王たちです。権威を振るために、他の国々と戦い、賢人が残した『賢人の怒り』を使い国々を滅ぼしたのです」
「賢人が滅ぼしたのではなくて、コーウェルとトォノマが他の国々を?」
ルーネベリがひどく驚いたので、ゲルグは言った。
「コーウェルの民もトォノマの民も望んでいなかったことです。いつの時も、上に立つ者が下の者たちを虐げ、滅ぼすことをあたかも皆の総意だとしたのです」
「それは酷い……」
気づけば、老人たちの歓喜の声が落ち着いており、皆がゲルグの話に聞き耳を立てていた。耳はまったく遠くなってはいないようで、老人たちは苦い顔をしていた。先ほどまで喜んでいたというのに、コーウェルとトォノマが歩んできた歴史がそれほどまでに皆の人生を狂わせてきたのだろう。
ゲルグは言った。
「『賢人の怒り』が壊れ、賢人の力を失った王たちは民に追われ。王の代わりに将軍が指導者として上に立ちました。コーウェルとトォノマの戦いがはじまったのは、将軍たちの命のもとでした」
「将軍ということは、あなた方が今仕えているのは将軍なのですか?」
「コーウェルには将軍はいません。いつからかは知りません。私が生まれた頃にはいないことが当たり前になっていました」
「トォノマにはいるんですか?」
「トォノマにもいないでしょう。トォノマの民は誰も将軍の話をしません。妻もそうでした」
ルーネベリは赤い髪を掻いた。
「いないって……?それじゃあ、一体誰が兵に指揮をして戦争を……」
「隊長と呼ばれる者たちが兵を指揮していますが、戦略などあるようでないのだと思います。兵は戦うことを仕事とし、民は砦で兵のために働き、畑で作物をつくる。捕虜は労働させられるか旧生成術の解明をします」
「まるで与えられた役割だけをこなしているみたいですね……」
ゲルグは「その通りです」と頷いた。
「戦争が永遠に終わらない理由が指導者の不在だとわかっても、捕虜の身ではなにもできません。……兵士だった、若い頃もきっと同じです。与えられた役割を黙々とこなしていくだけでした。代々、コーウェルとトォノマの民はそうして生きてきました」
「どうして指導者を立てないんですか?コーウェルとトォノマにそれぞれ指導者が立てば、和解だってできるかもしれないじゃないですか。和解すれば、故郷にだって帰れたかもしれない」
聞き耳を立てていた老人たちが口々に「指導者なんぞ、いらない」と言いだした。
「えっ?」とルーネベリが言うと、ゲルグが言った。
「愚かな歴史を繰り返すぐらいなら、私たちは役割をこなすだけでいいのです。故郷に帰れなくても、家族は砦にいます。ただ会えないだけです。私たちの望みは『賢人の怒り』を蘇らせないことです。寝床も食事も与えられて、不服はありません」
ルーネベリは「それでいいんですか?」と問いたかったが、シュミレットがルーネベリの名を呼んだので声に出すことはなかった。
シュミレットは黙って首を横に振っていた。よく知りもしないのに口を出すことじゃないとそういいたいのだろうが、ルーネベリには歯がゆくてしょうがなかった。
右の拳にぐっと力を入れて我慢していると、パシャルがすたすたと歩いてルーネベリに近づいて肩に手を置いた。
「あんまり気にするなよぉ」と気を配ってくれたのだが、ルーネベリはパシャルの顔を見て一瞬、戸惑った。
「――えっ、あぁ、あれ、足は大丈夫なのか?」
「思っていたより、平気だぁ。全然、痛くねぇ」とパシャルがその場で足踏みして暢気に笑った。
ルーネベリがパシャルの足を見てみると、汚れていたズボンは洗ったように綺麗になっていた。上着もまったく乱れていない。どういうことかと、パシャルの肩に手を置いて背中を見てみると、パシャルは大剣を背負っていたので、まさかとは思いつつ、剣の柄を掴んで鞘から抜いてみた。パシャルが「なにするんだぁ」と言ったが、ルーネベリは驚いて大剣をじっと見ていた。
折れていたはずの大剣が、まったくの元通りの姿のまま輝いていたのだ。傾けながら鞘からすっかり抜いてみても、折れていた形跡がないのだ。
「これは一体……?」
剣を折ってしまったパシャルさえも、大剣を見ると驚いた顔をしていたが、すぐに豪快に笑っていた。
「得したなぁ。鍛えなおさなくてよくなった」
「そういう問題なのか?さっきまで折れていたんだぞ」とルーネベリが言うと、パシャルは「無駄な金はかからないほうがいいだろぉ」と言った。前向きな答えに「そうだな」としかルーネベリは言えなかった。
パシャルはルーネベリから大剣を強引に取り戻して背中の鞘に手慣れたように収めながら、ゲルグの方を向いて言った。
「なぁ、じいさん。ちょっと聞いていいかぁ?」
アラとカーンの体力は一向に尽きそうになかったのだが、手にしていた燃える剣の限界はとうに迎えていたようだった。何十人目かの白銀の鎧を着たコーウェル兵の剣を受けた時に剣にヒビが入り、その後、爆発したと同時に剣が砕けたのだ。剣もろともアラもカーンも吹き飛んだ。吹き飛びながら空中で激しい痛みに悶えたが、痛みは瞬時にひいて、傷口も瞬時に塞がった。
背中を地面に叩きつけても痛みは尾を引かず、身体を起すこともたやすかった。不思議な感覚だった。痛覚はあるというのに傷の治りが異常にはやい。普通の人間の身体では不可能だ。
身体に疑問を抱きながらも、黄色く燃える剣を向けてこっちに向かってくるコーウェル兵に対峙しよう構えたが、奪い取った剣は砕けてなくなってしまっていた。仲間の兵士たちが連れ去ったのか、周囲には倒れている兵士の姿がなく、奪えそうな剣が一本もなかった。
いつもの癖でアラが背中の大剣の柄に手を伸ばし掴んだのだが、折れてしまっていたことを思い出しやめようかと思うと、柄を掴んだ感触が重くいつもと同じだったので、引き抜いてみると、折れた大剣が元通りになっていた。カーンはその剣を見て、アラと同じように自身が背負う背中の大剣を引き抜くと、カーンの大剣も元に戻っていた。大事な剣が直っただけに嬉しくあったが、この剣では鎧の者たちには敵わないとわかっていたので、二人とも顔を見合わせた後、やむなく大剣を地面に落とした。
「降参する」とアラが言った。
コーウェル兵は黄色く燃える剣を向けたまま、「跪け」と二人に命令した。
ゲルグがパシャルに「何でしょうか?」と言った。パシャルはすっかり剣をしまい終わると、言った。
「賢人って奴は、人を眠らせることができるのかぁ?」
老人たちがぴたっと動きをとめた。パシャルは尚も言った。
「ルーネベリ、俺がここに連れて来られるまでの話をしてなかっただろうぉ」
「あぁ、そういえば、そうだったな。忘れていた」
「俺とクワンなぁ、変な奴に会ったんだよぉ」
「変な奴って?」とルーネベリが聞くと、パシャルは言った。
「目が覚めたら俺とクワンは煙の中にいてなぁ、どっちに行ったらいいのかわからねぇからうろうろしていたら、煙の中からいきなり飛んできた白銀の鎧を着た奴がいてなぁ。そいつ、俺たちに向かってわけのわからない言葉をしつこく言ったんだぁ。なんでかわかんねぇんだが、パニックになったクワンが剣を抜いてそいつに剣を振りあげたんだ。そしたらなぁ、変な奴が黒い粉をクワンに振りかけたんだぁ」
「黒い粉?」
パシャルは首を掻いた。
「もうよくわかんねぇんだよ。黒い粉を浴びた後、クワンは寝ちまって。叩き起こしても起きねぇんだ。そうこうしている間になぁ、変な奴はいなくなるし、同じような白銀の鎧を着たやつが襲ってくるし、俺一人で戦っている間にクワンを連れて行かれたんだぁ。一人ぼっちになって俺ぁ、逃げたら。今度は黒い鎧の奴らに見つかって、ボロボロにされて砦に連れて来られて」
血相を変えたゲルグが言った。
「何と言っていましたか?最初に出会われた方は……」
パシャルは言った。
「変な奴のことか?あいつは、『コクハだ』って言っていた。お前の名前なのかって聞いたらなぁ、違うって言ってたぁ」