追放された鑑定士は辺境で商会を救う ~今さら戻れと言われても、帳簿はもう渡しません~
本文に生成AIを使用しています。
ダンジョン「灰の回廊」の最深部から帰還した夜。
ギルド併設の酒場「止まり木亭」は、ほとんど銀翼の牙の貸し切りだった。
「乾杯だ! 今回も俺たちの完勝だな!」
ガルドが木杯を掲げると、ミレーヌが甲高い声で笑った。
盾役のドルンは黙って杯を持ち上げ、エルナは末席で、控えめに杯の縁を合わせた。
テーブルの中央には、今日の戦利品が並んでいる。
古い魔導書、黒鉄の短剣、獣の牙の束。
そして一番端に、深い青の石をはめた銀の指輪。
エルナはその指輪を、ずっと気にしていた。
酒が三巡したころ、ガルドが杯を置いた。
「エルナ。大事な話がある」
その声の調子で、何を言われるのかは分かった。
「お前はクビだ。戦えない鑑定士なんて、もう要らない」
酒場のざわめきが、少しだけ遠のいた気がした。
「素材を眺めているだけで取り分をもらうなんて、図々しいと思わない?」
ミレーヌが爪の先をいじりながら言う。
「俺たちが命を張っている間、お前は後ろで『これは本物です』と呟いているだけだ。そんなもの、誰にだってできる」
「……誰にでも、ですか」
「ああ。ギルドの査定所に持ち込めば、あっちが勝手に値をつけてくれる。お前の出る幕はない」
エルナは杯を卓に置き、静かに顔を上げた。
「本当に、よろしいのですか」
ガルドは鼻で笑った。
「当然だ。むしろ遅すぎたくらいだ」
エルナはほんの少し、目を伏せた。
怒りも悲しみもなかった。
ただ、長い間胸のどこかに積もっていたものが、音もなく崩れたような感覚だった。
「分かりました。では、これまでお預かりしていた買取交渉の記録と、報酬の管理台帳は――」
「そんなものは勝手に置いていけ。装備も全部だ。退職金代わりにな」
「……鑑定の道具だけ、いただいていきます。これは私のものですので」
エルナは革の小さな鞄を抱え、席を立った。
去り際、卓の隅の青い指輪にもう一度目をやる。
口を開きかけて、やめた。
さっき「本当によろしいのですか」と問うた。あれが最後の確認だった。
出口へ向かう途中、ドルンと目が合った。
大柄な盾役は何か言いたげに唇を動かしたが、結局、視線を落とした。
扉の外は、冷たい夜風が吹いていた。
◇◇◇
王都を出て三日。
エルナは辺境の町ノルテに着いた。
持ち金は銀貨十二枚。宿に泊まれば数日で尽きる。
鑑定の仕事を探して商店街を歩いたが、「冒険者崩れの鑑定士」を雇おうという店はなかった。
石畳の通りの突き当たりに、小さな商会があった。
看板には「リヒト商会」とある。
その店先で、何やら言い争う声がした。
「間違いなく北方産の魔石だ! 今なら金貨八十枚でいい!」
旅装の商人が、紫色に光る石を突き出している。
向かいに立つ五十代ほどの女性が、腕を組んで石を睨んでいた。
白髪混じりの髪をきっちりまとめた、背筋の伸びた人だった。
「……光り方がどうも、気に入らないんだよ」
通りすがりのエルナは、足を止めた。
止めるつもりはなかった。ただ、見えてしまった。
「それは魔石ではありません」
二人が振り向く。
「加工した水晶に、魔力を帯びた塗料を重ねたものです。底面に削り跡があります。そこだけ、塗料が剥がれています」
女性が石をひっくり返す。
確かに、底の縁に細い傷があった。
商人の顔色が変わる。
「な、何だお前は! 言いがかりを――」
「ならば、そこの鑑定盤にかけてみましょうか」
女性が顎で店内を示した瞬間、商人は石をひったくって走り去った。
通りに残された沈黙の中、女性がゆっくりエルナを見た。
「あんた、何者だい?」
「通りすがりの鑑定士です。……元、冒険者パーティの」
「元?」
エルナは事情を、短く話した。
追放されたこと。行く当てがないこと。
女性は最後まで黙って聞き、それから言った。
「帳簿は読めるかい」
「はい。孤児院で、会計の手伝いをしていました」
「交渉は?」
「パーティでは、ギルドや商会との買取交渉をしていました」
女性の眉が、ぴくりと動く。
「へえ。鑑定士のくせに、交渉までやってたのかい」
「……鑑定だけでは、値はつきませんので」
女性は、初めて口の端を持ち上げた。
「私はヴェルナ。このリヒト商会の主人だ。うちで働きな。給金は、あんたの価値に見合う額を出すよ」
エルナは瞬きをした。
「……価値、ですか」
「他に何があるんだい」
当たり前のように言われて、エルナは言葉に詰まった。
自分の仕事を、仕事として見てもらえたのは、いつ以来だっただろう。
「……よろしく、お願いします」
深く頭を下げた拍子に、目の奥がじんと熱くなった。
ヴェルナは見ないふりをして、店の扉を開けてくれた。
◇◇◇
リヒト商会は、たしかに小さかった。
倉庫には売れ残りが山積みで、仕入れ値と売値の帳尻も怪しい。
エルナはまず倉庫の全品を鑑定し、一冊の帳簿にまとめた。
「この三十二点は、相場より高く買わされています。この十五点は偽物ではありませんが、今の季節は売れません。逆に、この棚の古い薬草は、王都の薬師ギルドが高く買います」
ヴェルナは帳簿をめくりながら、低く唸った。
「……あんた、半日でこれを?」
「在庫が少なかったので」
不良在庫は三週間で動いた。
次に、取引先の選別に手をつけた。
支払いの遅い相手、粗悪品を混ぜる相手を、鑑定の精度と取引記録の両方から洗い出し、切るべきところは切った。
噂は、すぐに広まった。
「リヒト商会の品なら、偽物は混じらない」
「あそこの目利きは、呪われた品まで見抜くそうだ」
半年が経つころ、ノルテの小さな商会に、王都の大店の使いが頭を下げに来るようになっていた。
エルナは「リヒト商会の目利き」と呼ばれ、ヴェルナは帳簿を見るたびに満足そうに頷いた。
* * *
その一方で。
王都では、銀翼の牙が、少しずつ軋み始めていた。
エルナがいなくなって最初の変化は、戦利品の査定額だった。
「たったの三百八十ルク? 先月は同じ品で六百だったぞ」
「相場が下がったんでしょう」
ギルドの査定所の職員は、事務的に答えた。
相場は下がっていない。
ただ、これまでは誰かが、他の買い手の提示額を示し、品の来歴を説明し、値を吊り上げていた。
その「誰か」がいなくなっただけだった。
「くそ、あいつ……」
ガルドは舌打ちしたが、まだ自分たちの強さを疑ってはいなかった。
続いて、装備だった。
エルナは長い間、パーティが拾った装備の呪いの有無を、無言で選り分けていた。
気づいた者はいなかった。
「危ないものは、いつの間にか売却品の山に回されている」と、誰もが思っていた。
その選別が消えた。
ミレーヌは、拾った杖を試しに握って三日寝込んだ。魔力を吸い取る呪いだった。
ドルンは、鎧の留め具が呪われていることに自分で気づき、危うく難を逃れた。
そしてガルドは、あの青い指輪を指にはめていた。
「見ろ、この輝き。目利きなんてなくても、いい品は分かるんだ」
その指輪は、装着者の体力を少しずつ、確実に奪っていく。
ひと月、ふた月。
ガルドの剣は鈍り、息が上がりやすくなった。
依頼は失敗が続き、違約金がかさんだ。
ギルドの評価は下がり、割のいい依頼は、ほかのパーティに回るようになった。
借金が膨らんだ夜、ガルドは苛立ちまぎれに杯を床に叩きつけた。
「あいつが、戻ればいいんだ」
誰も、否定しなかった。
◇◇◇
追放から、ちょうど一年が経とうとしていた秋のことだった。
リヒト商会の応接室に、来客があった。
「銀翼の牙の、ガルド様とミレーヌ様とおっしゃる方々が」
店員の取り次ぎに、エルナは手を止めた。
隣で帳簿を見ていたヴェルナが、ちらりと視線をよこす。
「会うかい」
「はい。……会います」
扉が開き、二人が入ってきた。
エルナは、一瞬、誰か分からなかった。
ガルドの頬は削げ、目の下には濃い影が落ちている。
かつての自信に満ちた体躯は、一回り小さく見えた。
ミレーヌの髪は艶を失い、高価だったはずの外套は、あちこちほつれていた。
「……エルナ」
ガルドは、ぎこちなく笑った。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「お久しぶりです。どうぞ、おかけください」
二人が腰を下ろす。
茶が出されても、手をつけなかった。
「単刀直入に言う」
ガルドは膝の上で拳を握った。
「戻ってきてくれ。お前が必要なんだ」
エルナは何も言わなかった。
「あの時は、その……少し言い過ぎた。だが、あれは俺たちの未来を思ってのことで」
「未来、ですか」
「そうだ。ともかく、待遇は前と同じでいい。……いや」
ガルドは言葉を探し、結局、最悪の言い方を選んだ。
「少しは、取り分を考えてやってもいい」
ミレーヌが、ほっとしたように頷く。
エルナはしばらく、二人の顔を見つめていた。
それから、静かに立ち上がり、机の引き出しを開けた。
「その前に、お見せしたいものがあります」
取り出したのは、擦り切れた表紙の、一冊の帳簿だった。
「これは……?」
「パーティ時代に、私が付けていた記録です。置いていくよう言われたものとは別に、写しを取っておりました」
エルナはそれを、二人の前に広げた。
「過去二年間の、銀翼の牙の総売却額は四千二百万ルク。ここまでは、皆さんもご存じのとおりです」
細かい字が、ぎっしりと並んでいる。
日付、品名、査定額、実際の売却額、交渉相手。
「このうち、ギルドの標準査定額に対して、私が交渉で上乗せした分が、約千百万ルク」
ガルドの指が、止まった。
「それから、呪われた装備を事前に除外したことで、回避できた損失の見積もりが、約六百万ルク。呪具を装備した場合の治療費と、全滅した場合の違約金の概算です」
ページを繰る音だけが、応接室に響く。
「合計すると、およそ千七百万ルク。総売却額の、約四割になります」
エルナは顔を上げた。
「あなた方の報酬の約四割は、私の仕事によるものでした」
「そんな、はずは……」
ガルドが呟いた。
しかしミレーヌは、もう数字を追っていた。指先が震えている。
「この日付……あの、黒竜の鱗を売った時の……」
「はい。ギルドの提示は八十万ルクでしたが、王都の細工師組合に直接持ち込み、百五十万で成立させました」
「……私、あの時、ガルドが交渉してくれたんだと」
「ええ。ガルドが、そう言っていましたので」
ミレーヌの顔から、血の気が引いた。
ガルドは、視線を逸らした。
エルナはそこで一歩、ガルドに近づいた。
「ひとつだけ、お伝えしておきます」
そして、彼の右手の指を、静かに指さした。
「その指輪。あの夜、卓の隅に置かれていた戦利品です」
ガルドの目が、はっと見開かれた。
「呪いがかかっています。装着者の体力を、少しずつ奪うものです。外せば、まだ間に合いますよ」
「……あの時」
ガルドの喉が、鳴った。
「お前、何か言いかけて、やめた」
「はい。ですが、あの席で『本当によろしいのですか』とお尋ねしました。『当然だ』と、あなたはお答えになりました」
ガルドの顔から、表情が消えていく。
自分は、あの時、確かに聞かれていたのだ。
最後の確認を、鼻で笑って切り捨てたのは、自分だった。
「ガルド」
低い声がした。
それまで黙って立っていたヴェルナが、一歩前に出る。
「あんたの話は、さっきから聞いてたよ。『戻ってきてくれ』『取り分を考えてやる』。ずいぶん、上から物を言うね」
ガルドは何か言い返そうとして、口を開いた。
しかし、言葉は出てこなかった。
「うちはね、この子の仕事を、『見る目のある人間』にしか任せないんだ。数字も読まず、呪いにも気づかず、働いた人間の名前も覚えていない連中に、渡す席はないよ」
静かな、だが容赦のない声だった。
ガルドは唇を噛み、拳で膝を打った。
エルナは、その様子を、淡々と見つめていた。
勝ち誇る気持ちは、不思議となかった。
ただ、長い間の宿題を、ようやく提出し終えたような静けさがあった。
「ガルド、ミレーヌ。お断りします」
二人が、顔を上げる。
「私はもう、私を正しく見てくれる場所にいますから」
それだけだった。
ミレーヌが、泣きそうな顔で何か言いかけた。
しかしエルナは、軽く頭を下げた。
「どうか、お大事に。その指輪は、鑑定所に預けて、処分してもらってください」
ガルドは、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと指輪を外し、掌に載せ、見つめた。
「……すまなかった」
絞り出すような声だった。
それは謝罪というより、ただ、もう遅いことを認める音だった。
二人は立ち上がり、よろめくように部屋を出ていく。
扉が閉まった。
しんとした応接室で、ヴェルナが息を吐いた。
「やれやれ。ちょっとは、すっきりしたかい」
「……いえ」
エルナは小さく首を振った。
「ただ、肩が少し、軽くなりました」
ヴェルナは、からりと笑った。
◇◇◇
銀翼の牙は、その冬のうちに解散した。
ガルドは借金の返済のため、薬草採取や荷運びといった地味な依頼を、黙々とこなしているらしい。
呪いの抜けた体は、少しずつ、かつての力を取り戻しているという。
ミレーヌは王都の魔術学院で、雑用の仕事を得たと聞いた。
ドルンは、パーティを抜けた。
別の小さなパーティで、堅実に盾を構えているらしい。
ある日、リヒト商会に、彼からの手紙が届いた。
『あの夜、お前を止められなかったこと、ずっと後悔している。あの指輪が呪われていることにも、うすうす気づいていた。何も言えなかった自分が、情けない。許してくれとは言わない。ただ、詫びたかった』
エルナは手紙を、二度、読んだ。
それから、返事を書いた。
『お手紙、ありがとうございます。あの時、あなたが私を見送ってくださったことを、覚えています。どうか、お元気で』
短い返事だった。
それで十分だと思った。
* * *
冬が明けるころ、ギルド本部に、ひとつの噂が届いた。
辺境の商会が、鑑定士の働きだけで、一年足らずで王都の大店と肩を並べた。
その鑑定士は、かつて「戦えない」という理由で、冒険者パーティを追われた娘だった、と。
ギルドは調査を行い、報酬構造における「鑑定士の貢献」が、これまで過小評価されてきたことを認めた。
そして翌春、鑑定士を対象とした報酬の最低保証制度と、取引記録の公的保護制度を新たに設けた。
制度の名には、誰の名前も入っていない。
けれど、制度の草案に添えられた参考資料の一枚目には、小さく「リヒト商会提出帳簿より」と記されていた。
* * *
その春、エルナは、ヴェルナから呼ばれた。
「あたしも、そろそろ歳だ」
ヴェルナは机の向こうで、腕を組んでいた。
「この店を、あんたに任せたい。共同経営者として、ね」
「……私に、務まるでしょうか」
「務まるかどうかを決めるのは、あんたじゃない。あたしだよ」
その言い方があまりにヴェルナらしくて、エルナは思わず笑った。
「では、お受けします。よろしくお願いします、ヴェルナさん」
「ああ。こき使うからね」
店先に、春の光が差し込んでいた。
その午後、一人の若い冒険者が、古びた剣を抱えて店に入ってきた。
鞘は擦り切れ、柄の革もほつれている。
冒険者は、少し気後れした様子で、それをカウンターに置いた。
「あの、これ……売れますか。親父の形見なんですけど、使えなくなって」
エルナは、手袋をはめ、そっと剣を抜いた。
刃こぼれは細かい。
刀身には、長年研ぎ続けた跡が、淡く波のように残っている。
「……いい品です」
エルナは微笑んだ。
「市場の値は、決して高くありません。ですが、持ち主が、とても大切にしてきたのが分かります」
冒険者の目が、わずかに潤んだ。
「修理すれば、まだ十分に使えますよ。よろしければ、腕のいい研ぎ師を紹介します」
エルナはそう言って、鑑定の灯りをそっと点けた。
その光の下で、古い剣の刃が、静かにきらりと光った。




