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「んー…」
「風華ちゃん、大丈夫?」
「はい…。タルニアさんこそ大丈夫ですか…?遅くまで付き合わせちゃって…」
「ターニャは大丈夫だよな。夜の生活に慣れてるから」
「そうねぇ」
「え…?姉ちゃん、なんか言った…?」
「…もう一回、ちゃんと寝てこい」
「でも…タルニアさんたちが昼に発っちゃう…」
「ラズイン旅団のやつらも、そんなヘロヘロのやつに見送られたくないだろう」
「むぅ…」
「そら、部屋に戻って」
「うーん…」
風華の手を取って、来た道を引き返す。
でも、風華はグッと引っ張って抵抗して。
「まだ…足りないもん…」
「足りないのはお前の睡眠時間だ」
「ヤだよ…」
「まったく…」
「私が連れていくわ。それなら風華ちゃんも納得するでしょう」
「ああ。すまないな」
「いいのよ」
「んー…」
タルニアは風華の手をそっと握って、廊下を歩いていく。
角を曲がるとき、一瞬こっちを見てニコリと笑って。
と、同じ角からルウェが飛び出してきた。
「ルウェ、おはよう」
「お、おはよ…狼の姉さま…」
「ん?そわそわしてどうした。厠か?」
「うん…」
「すぐそこだ。一緒に行こう」
「う、うん」
前を押さえて走るルウェを誘導して。
間もなく厠に到着したが、戸は全部閉まっていた。
一番手前の戸を叩いて声を掛けてみる。
「おい、誰かいるのか」
「あっ、え?紅葉?ち、ちょっと待って…」
「ん。いや、いい。隣が空いてた。ルウェ、こっちだ」
「うん…」
よし、間に合ったみたいだな。
この前の葛葉みたいには…ならないよな?
「戸が閉まってると、どこに誰が入ってるか分からないな。どうにかならんか」
「うーん…そうだね…。って、これ、今話すこと?」
「そうだったな。ごゆるりと」
「…なんか嫌だね、それも」
「そうか?」
「うん」
何か呻いているルウェの様子が気になるけど、とりあえず外でジッと待ってることにする。
「はぁ…。男女で別々の厠にならないかなぁ」
「まあ無理じゃないか?」
「男の人はいいかもしれないけどさぁ…」
「香具夜は気にするのか?」
「当たり前じゃない」
「そうか」
「紅葉は気にならないの?」
「ならんが」
「紅葉の神経は注連縄くらい太いんだね」
「どういう意味だ」
「さあね」
厠に入ってることを知られるのが嫌なのか、厠から出てくるのを見られるのが嫌なのか。
いろいろ考えられるが、私はどれも嫌だとは思わない。
そして、戸が開いて香具夜が出てきた。
「さっぱりしたか?」
「もう!紅葉って、本当に下品だよね!」
「下品ってなぁ…」
「狼の姉さま…」
「ん?」「何?」
「えっとね…」
「そういえば、お前も狼の姉さまだな」
「え?私のことじゃなかったの?」
「どっちでもいいから!」
「まあ、そうかもしれん」
「それで、どうしたの?」
「か、紙がないんだぞ…」
「あれ?切らしてた?もう…。掃除当番は何してるのかな…。しっかり注意しないと…」
「いや、それよりルウェの紙だろ」
「あ、うん。私のところにならあったよ」
「そうか」
一番手前の個室の中に入ろうとすると、香具夜が前に立ちはだかる。
心なしか、顔が赤くなってるようなかんじもする。
「私が取るから!」
「なんで」
「もう!なんでそうなの?」
「なんでって言われても…。それに、先にオレが聞いてたんじゃないか」
「普通は恥ずかしいものなの!」
そう言って私を睨み、紙を取る。
…恥ずかしいって、何が?
「ルウェ、紙」
「うん…ありがと…」
「こんな下品なお姉ちゃんでごめんね」
「……?」
「下品はないだろう」
「下品でしょ。少なくとも、上品ではない」
「まあ、それはそうだけど」
「なんでこんな風に育ったのかな…」
「母さんの教育が良かったんだろ。ところで、手は洗ったのか?」
「あっ!紅葉のせいで忘れてたよ!」
「え?オレのせいか?」
「当たり前じゃない」
「なんでオレなんだ…」
「ふん」
そして、手洗い場に向かう香具夜。
その後ろ姿、丁寧に結われた銀色の髪は、ちょうど射し込んできた日の光を反射してキラキラと輝いていて。
「相変わらず綺麗な髪だな」
「ん?あぁ。ありがと」
「オレも結おうかな…」
「どうかな。紅葉はそのままが一番綺麗だと思うよ」
「そうか?」
「うん」
「香具夜お姉ちゃん、自分は?自分はどう?」
いつの間にかルウェが出てきていて。
香具夜の隣で手を洗う。
「ルウェは、まず髪を伸ばさないといけないね」
「どれくらい?」
「そうね…。紅葉くらい伸ばしたら、きっとモテモテよ」
「モテモテ?」
「好きになってくれる男の子がたくさんいて大変、ってこと」
「大変なの?」
「大変よ~。紅葉もだけど、灯って子がね。モテてモテて仕方ないのよ」
「灯は白狼だからな」
「……?ハクロウ?」
「数多ある種族の中で、最も美しいと言われる種族だ」
「灯も例に漏れず、ね」
「ふぅん」
「なんか呼んだ?」
「お前の話をしてたんだ」
灯は、ちょうど名前だけ聞こえたらしく、ほとんど何も聞いてないみたいだった。
どんな内容だったか知りたいという風に目を輝かせていて。
「さあ、朝ごはんだな」
「朝ごはん!」
「そうだね。じゃあ、行こっか」
「え?何?何の話だったの?」
「今日は何かな」
「昌士が当番だから…魚が中心だろうね」
「お魚!楽しみなんだぞ!」
「ねぇ、待ってよ。なんで私が出てきたの?ねぇ!」
灯のことを褒めてたなんて、そうそう言えたものではないからな。
まあ、また今度だ。