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「ん~」
「どうしたんだ?」
「えへへ。狼の姉さまは、やっぱり良い匂いがするんだぞ」
「ん?そんなに匂うか?」
袖や尻尾など、自分で嗅いでみても分からない。
自分の匂いは自分では分からないっていうのは本当なのか?
「いいにおい~」
「いろはねぇ、そんなに匂うんだ~」
「桜は分かるか?」
「んー…。あ、ホントだ。良い匂い」
「えぇ…。ちゃんと風呂にも入ってるのになぁ…」
「良い匂いなんだからいいじゃない。臭いならまだしも」
「臭いって…」
「ホント、良い匂い…。何か香油とか付けてたりしないの?」
「全然」
ちょうどいい場所に来たから、桜の鼻をつまんでみる。
すると、桜はムスッとした顔をして。
「むぅ~…。いいじゃん、匂わせてよ」
「一日十秒までだ」
「ケチ」
「褒められても、身体の匂いを嗅がれるのは嫌なものだ」
「え?そうなのか?」
「ルウェは気にしないか?」
「うん」
「じゃあ、ルウェの匂いは…」
「夏月も~」
「おい…」
桜はルウェの首筋に近付いていき匂いを嗅ぐ。
「ん?なんか、すごく獣臭い」
「獣?」
「ルウェとクーアの匂いなんだぞ」
「……?ルウェ?」
「あそこの狼がルウェ、この狐がクーアだ」
足下にいたクーアをつまみ上げて桜に渡す。
クーアは桜に抱えられて、しばらくの間バタバタと暴れていたが、やがて観念したように静かになった。
「クーアはいいけどさ、ルウェが二人もいるなんてややこしいよね」
「そうかな?」
「お前は呼び分ける必要がないからな。でも、ルウェって呼んでもどっちが呼ばれてるのか分からなかったら不便じゃないか?」
「んー…」
「あ、そうだ。ルウェ壱号とルウェ弐号は?」
「そんなの、ヤ」
「オレは、ルウェと狼ルウェって思ってたけど」
「それならいいよ」
「えぇ…。なんでボクのはダメなのさ…」
「可愛くない」
「夏月はね、オオカミさんとキツネさんに、なまえをつけてあげたらいいとおもうの」
「え?ルウェとクーアが名前なんじゃないの?」
「ルウェはルィムナの遣いとしての名前で、他に名前を貰うこともあるって大和が言ってた」
「大和って?」
「ルウェのお兄ちゃん」
「ルウェにお兄ちゃんがいるの?」
「ルウェやクーアというのは、いわば種族の名前であって個人を指すものではない」
「びっくりした…。いきなり出てこないでよ…」
桜の後ろ、私の正面にカイトが。
ただ、いきなり出てきたわけではなく、ずいぶん前からいたんだけど。
「幼い聖獣には普通は名前がないから、ルウェだとかクーアだとか、そういう名前で呼ぶのだ。私は、我が主から昨日貰ったばかりだが」
「ふぅん」
「カイト~。あったかい~」
「む?たしか、夏月だったか」
「うん!」
「私で暖を取るのはいいが、火の粉には気を付けるのだぞ。夏月に火傷をさせるのは忍びない。私も努力するが、夏月自身も気を付けてくれ」
「うん。わかった」
「ところで、カイトってなんで人間の言葉を話せるの?そりゃさ、ボクだってセトとか明日香と話すこともあるけど。でも、人間の言葉は使わないし」
「人間と意志疎通をしようと思うなら、人間の言葉を使うのが一番手っ取り早いだろう。それに、なぜ桜は私が人間の言葉を使うことを疑問に思うのだ」
「だって…普通は話せないでしょ?」
「話せないのが普通なら、なぜ人間は話せるのだ。人間だけが特別なわけでもあるまい」
「え、えーっと…」
「言語を考えたのは人間かもしれないが、その習得には人間も人間以外も関係ないということだ。要は、それを使う必要があるかないかということ。あの銀龍の若者も幼き白狼も、意志疎通の手段として言語を使う必要がないから使っていないだけだろう。私は聖獣として、より人間と通じ合いたいと思ったから、こうして言語を使っている」
「カイト、なにいってるの?」
「難しい話なんだぞ」
「む…。お前たちには少々退屈な話になってしまったな。すまなかった」
「ボクにも難しかったよ…」
「む?」
「ふふ、オレはなかなか面白い話だったと思うけどな」
「えぇ~…」
「狼の姉さまは、今の話、分かったのか?」
「まあな」
「ねーね、すごいね!」
「ルウェも夏月も、いつか分かるときが来るよ」
「ボクは?」
「もちろん、桜も。だから、そのときまでたくさん経験を積み、知識を蓄えて。よく食べよく寝て。しっかり成長してくれよ」
「分かってるよ」「えへへ」「うん」
「…特に桜」
「えぇっ!?ボク!?どちらかというと夏月でしょ!」
「歳を考えると、お前が一番成長していない。オレは、桜の成長を切に願う」
「もう!なんなのさ!いろはねぇのバーカ!」
「そういうところを言われてるんだろ?」
「あ…としにぃ…」
すでに洗ってある洗濯物が満載されているカゴを抱えた利家が通りかかる。
あとから風華と葛葉も付いてきて。
「お喋りもいいけど、しっかり手も動かしてくれよ。前にも言った気がするけど」
「ねーねー、葛葉がてつだう~」
「ホント、姉ちゃんはお喋り好きだよね」
「オ、オレか?」
「もう…姉ちゃんがしっかりしないと、この中で誰がしっかりするのよ」
「ボク!」
「それは却下」
「えぇーっ!なんでさ!」
「ふふふ。桜はまだまだ認められていないということだな」
「もう!カイトまで何さ!」
頬を膨らませ、ムッとした顔をする桜。
それがまた面白い顔で。
…まあ、その子供っぽさが桜の良いところでもあるんだけどな。
その心は、いつまでも無くしてほしくないな。