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「まだまだ甘いな」
「なんで~…?完璧な作戦だったのに…」
「完璧かどうかは、実践してみて初めて分かるということだ」
「むぅ…。撤退撤退!」
桜の号令で蜘蛛の子を散らすように逃げていくチビたち。
人海戦術といっても、烏合の衆では全く意味がない。
桜も望も、少し焦りすぎたようだな。
「ねーねー、これ、おいしいよ」
「ああ。そうだな」
「あっ!葛葉!こぼしてるって!」
「あぅ…」
「あーあ。着替え、私が取ってこようか?」
「ありがと、美希。でもいいよ。またどうせお風呂に入るし」
「じゃあ、葛葉。あとで一緒に風呂に入ろうな」
「うん!」
ベタベタになった服を拭いてもらいながら、葛葉はニッコリと笑う。
美希も、それに応えて。
「夏月、お兄ちゃんの分もやるから、しっかり食べるんだぞ」
「うん!」
「祐輔もしっかり食べるんだ。ほら、僕のをあげるから」
「あ、兄さま」
「たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん寝る。それが祐輔たちの仕事だ。分かるな?」
「うん」
「よしよし。良い返事だ」
「えへへ」
利家に撫でられて、耳をパタパタさせる。
夏月はそれをジッと見ていることが出来なくて
「夏月も!夏月もなでて!」
「あー、分かった分かった。分かったから、ちゃんと座ってろ」
「ん~」
夏月は利家の膝の上に座り撫でてもらう。
そして、その手を掴んで甘噛みを始めた。
「あっ!こらっ!先に夕飯を食べろ!」
「むぅ…」
「拗ねるなよ。ほら、あーんして」
「…えへへ。あーん」
「………」
「祐輔もやってほしいのか?」
「えぇっ!?」
「ふふ、また今度な」
「う、うん…」
また顔を真っ赤にさせているけど、嬉しそうに頷いて。
「わわっ!ね、姉さま!?」
「ふふふ」
その様子がとても可愛かったので、ギュッと抱き締めた。
祐輔の、さらに火照った顔がまた可愛くて。
片付けの慌ただしさも収まり、そろそろ夜勤組が起きてくる頃。
「ん~」
「夏月。甘噛みも良いけどな、むやみやたらにやるなよ」
「んー?」
「手というのは、いろんなバイ菌が付いてるんだ。汚い手を噛むと、お腹が痛くなるぞ」
「んー…」
「兄ちゃんみたいな汚い手は噛んじゃダメってこと」
「え…。にーに、きたないの?」
「ちゃんと綺麗に洗ってるから大丈夫だよ…」
「ねーねは?」
「オレは、いつでもピカピカだ」
「じゃあ、ねーねにする!」
利家から私の膝へ移り、手を握ってニッコリ笑う。
頭を撫でてやると、足をバタバタさせて。
「あ…だから、綺麗だって…」
「ん~」
「はぁ…」
「ボクがしてあげよっか?」
「桜の場合、"噛み付き"になりそうだから嫌だ」
「そ、そんなことないもん!」
「じゃあ、するか?」
「え、あ…うぅ…」
予想外の展開に耳を忙しく動かす。
利家は夏月の涎でベタベタになった手で桜の頬を突ついて。
「うがぁ!」
「ふん。甘いな」
桜が噛み付こうとしたところで、サッと手を引く。
カチンと歯が合わさる音だけが響いた。
「ただいま」
「あ、おかえり」
「美希~…。としにぃに噛み付いて~…」
「なんでそんなことをしないといけないんだ」
「ボクの仇討ち…」
「じゃあ、やる義務はないな」
「なんでさ~…」
「美希、美希。おやつ~」
「あぁ、そうだったな。…望は?」
「部屋に戻った。響と光も一緒に」
「そうか…。まあ、一個ずつ残しておいてやろうか」
そう言って、美希は懐から袋を取り出して、みんなの中心に置く。
中に入っていたのは
「カミカミだ。昼、夏月が甘噛みしてるのを見て、久しぶりに食べたくなってな。灯に買ってきてもらったんだ」
「カミカミ~」
「でも、端ないって聞いたんだけど…」
「ん?風華はお淑やかじゃないから大丈夫だ」
「なっ!」
「はい、お母さん」
「うん…。ありがと、葛葉…」
「ほら、祐輔と夏月も」
「うん」「ん~」
私もひとつ。
懐かしい食感だった。
噛んだ歯を跳ね返すような、独特のあの食感。
「市販のも、意外と美味しいんだな」
「自分で作ったのしか食べてなかったのか?」
「ん?誰から聞いたんだ?」
「風華から。犬千代から作り方を教わったって」
「なるほど。昔の話だけどな。店で買う余裕もなかったし、ユールオまで行かないといけなかったから。僕はスクンじゃなくて、ムツカィとデガナを磨り潰したものを入れてたんだけど。その方が甘味を強く感じられる」
「ふぅん…」
「へぇ…。スクンは甘さは控えめだけど、少し旨味が出るんだな…。勉強になる…」
…何かブツブツと言ってるけど、またカミカミを作る気になったんだろうか。
新しい味の実験は嫌だけど、利家の作ったカミカミなら食べてみたいな…。
「んー…」
「どうした?」
「ねーね、これ、かたい…」
「じゃあ、これと替えてやるよ」
まだまだ原型が残っている夏月のカミカミと、片方はだいぶ噛み潰して柔らかくなった自分のとを交換してやる。
祐輔はともかく、夏月にはこの固さはまだ少し早かったようだ。
「お母さん、葛葉も~」
「はいはい」
「えへへ」
「私のもあげような」
「ありがと、美希!」
葛葉のものは夏月と同じくらいか、少し上といったところ。
そして風華のは、意外と噛み潰されているみたいだった。
「風華は顎の力が強いんだな」
「そ、そんなことないよ…」
「んふふ~。風華は凶暴だもんね~」
「…桜?」
「や~、噛み砕かれる~」
ギロリと睨まれ、桜は茶化すように私の後ろに隠れる。
風華は怒髪天を衝くといったかんじで。
「おいしいね」
「うん」
「葛葉、あとでちゃんと歯を磨こうな」
「はみがき~」
葛葉や夏月にとって、そんなことはお構い無しのようだった。
ただ、祐輔だけはガタガタと震えていて。
「風華。夕飯が怯えてるぞ」
「えっ。あ、ごめんね、祐輔」
「う、うん…」
「やーいやーい」
「近所の悪ガキか、お前は」
「あたっ」
利家は桜に制裁を加えて。
祐輔も、風華に撫でてもらって落ち着いたようだ。
とりあえず、これで一件落着だな。
静かな寝息と虫の声。
ルィムナは、今夜も私たちを見守ってくれる。
「"月の神"ルィムナ。"星の御子"カルア。"夜の帷"ヤッカル」
「暗記が得意なんだな」
「まあね。"日の神"ヤンリォ。"護りの樹"トルァト。"情熱の炎"タルクメス。"遥かな大地"クノ。"白銀の獣"カゥユ。"生命の源"ルクエン」
「使徒は?」
「えっと…」
「ふふ、いいよ」
「それにしても、ホントたくさんいるよね」
「ああ。だから、北の人はあらゆるものを大切にする。神が宿っているからな」
「うん」
風華はそっと私の胸に額を当てて。
「私には、神様じゃないけど、大切な人がいる。大切なものがある」
「ああ」
「私は私が好き。私は私が好きなものが好きだから。私はみんなが好き。みんなは私が好きなみんなだから…」
風華の頭を優しく撫でると、額を擦り付けてくる。
そしてそれも次第に緩やかになっていって。
「んぅ…」
「お休み、風華」
ちゃんと肩まで布団を掛けてやり、もう一度、風華を抱き締める。
…私は風華が好きだよ。
風華は私が好きな風華だから。