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「北の言葉には文字がない。話し言葉だけなんだ」
「ふぅん」
「基本的には、主語、術語、その他の順番なんだけど、内容が伝われば順番なんてあまり関係ない。ただ、神を表す言葉や神の名前だけは、絶対に最後に持ってくる」
「なんで?」
「最後の言葉というのは一番新しい言葉だ。つまり、最後に言葉を持ってくるというのは、その言葉の…なんていうのかな…。その言葉の霊力…を強く残しておくということだ」
「言霊信仰?」
「あー、まあ、そんなかんじだ」
「へぇ~」
「コトダマシンコウ?」
「言葉には霊力や神が宿っているという考え方だ。神関連の言葉を一番最後に持ってくるということは、神の恵みをあなたにも…という思いやりになるんだな」
「言葉は大切、なんだぞ」
「ふふ、そうだな」
「ちょっと、ルウェ。動かないでよ」
「う、うん…」
ルウェは本当に好奇心が強いな。
分からない言葉があれば、すぐに聞き返してくる。
とても良いことだ。
「ねぇ、お母さん。お話の続き」
「ん、よし」
「ヤーおねえちゃん、夏月にかわって~」
「うん。どうぞ」
「…いちおう言っておくけど、オレは椅子じゃないからな」
「えへへ」
ヤーリェがどけると、すかさず夏月が座る。
頬に触れてやると、嬉しそうに甘噛みをして。
…鋭さが足りないな。
まだ全然生え変わってないんだろう。
「姉ちゃん。たとえばさ、神様を表す言葉って、どんなのがあるの?」
「ルィムナ、ヤンリォ、タルクメス…。とにかく、たくさんいる。全てのものに神が宿っているという考え方だからな」
「今のは何の神様なの?」
「ルィムナは月の神。使徒はルウェ。ヤンリォは日の神。使徒はヤーリェ。タルクメスは炎の神だな」
「火と炎って違うの?」
「日は太陽の日だ」
「あぁ。それにしても、ルウェとヤーリェかぁ」
「ヤンリォとルィムナは兄妹なんだよ。とっても仲が良いんだ~」
「ふふ、ヤーリェとルウェみたいだね」
「「うん!」」
二人は元気良く頷く。
月と太陽、光と闇か。
仲がいいのは至極当然なのかもしれないな。
「お母さん、続き」
「ん?あぁ、そうだな」
望は袖を握ってきて、催促をする。
"知りたい"という願望が強いんだな。
まだ甘噛みをしている夏月の頭を撫でながら、話し始める。
「じゃあ、北の言葉で一番多い言葉は何か。分かるか?」
「どういう意味?」
「ひとつの事柄に対して表す言葉がいくつもある言葉だ」
「"笑う"って意味で、笑う、微笑む、嘲笑する…みたいな?」
「ああ」
「うーん…何だろ…」
「あっ!あたし、分かったかも!」
「何だ?」
「"寒い"!北だから!」
「うん。"寒い"もたしかに多いけど、それよりも多い言葉があるんだ」
「えぇ…自信あったのに…」
「使徒の二人は分かるか?」
「え?自分のことか?」
「そうそう。ルィムナとヤンリォの使徒」
「うーん…」
「ぼくは、"暖かい"だと思うな」
「じゃあ、自分も!」
「なんだそりゃ…。まあ、"暖かい"も少なくはないが多くもない」
「うぅ…」
「祐輔は?」
「"神様"…かな」
「ふふ、なるほど。でも、神様はたくさんいても、こっちの"神様"にあたる言葉は"カムナイル"しかないんだ」
「むぅ…」
「とんちみたいだけどな。それでも、着眼点は良かった。神様がたくさんいるって話を聞いて、すぐにそれを応用出来たから」
「えへへ」
「祐輔は偉いんだぞ」
「う、うん。ありがと、ルウェ」
ルウェに褒められて恥ずかしいのか嬉しいのか、自分の尻尾をいじっている。
…もしかして、ルウェのことが好きなのかな。
桜の色合わせから解放されて、横に寄り掛かるように座ってきたルウェをだいぶ意識しているようだった。
「夏月はどう思う?」
「んー。"かむ"」
「噛むのは良いけどな…」
「"かぞく"!」
一際大きな声でそう言うと、ニッコリ笑って私の手をギュッと握った。
「正解だ、夏月。よく分かったな」
「やった~!」
「"家族"?なんで?」
「寒いから、それだけ家にいる時間も長いんだろうな。それに、一番身近なものだから、いろんな言葉が出来た」
「へぇ~」
「そう考えられるというだけだがな」
「ん~」
また指を噛み始める夏月。
もう涎でベトベトだが、まあ良いだろう。
ご褒美に頭を撫でてやると、嬉しそうに耳をパタパタさせて。
「美希、もっと~」
「ダメだ。これ以上食べたら夕飯が食べられないぞ」
「うぅ~…」
「良い子にしてたら、夕飯に美味しいものを作ってやるから」
「むぅ…」
「葛葉は良い子か?」
「うん」
「よしよし」
「えへへ」
美希が撫でると、葛葉は足をバタバタとさせて、ニッコリ笑う。
「美希と葛葉みたいな、とても仲の良い兄弟姉妹のことは、ヤンルナって言うんだ」
「"家族"の言葉のひとつだよね」
「ああ。じゃあ、語源は分かるか?」
「語源かぁ…」
「あっ!分かった!」
「はい、祐輔」
「ヤンリォとルィムナ!」
「あぁ、ヤンルナかぁ」
「正解だ。祐輔なら気付くと思ってたよ」
「えへへ」
「祐輔の言う通り、ヤンルナはヤンリォとルィムナから来てる。北で、神がいかに大切にされてるか分かるよな」
「ヤンルナも一番最後に持ってくるのか?」
「良いところに気が付いたな。ヤンルナは神の名前が語源ではあるけど、ヤンルナ自身は神に関係のある言葉ではない。だから、どこに持ってきても良いんだ」
「へぇ~。じゃあさ…」
厨房での講義は続く。
言葉を学ぶということは、文化を学ぶということだ。
みんな真剣に、私の話を聞いてくれた。