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「ねーね、あれ、なに?」
「あれはセトだ。ここに住み着いてる龍」
「これは?」
「特殊伝令用の笛だ。吹いてみろよ」
「うん」
笛を渡してやると、一所懸命に息を吹き込む。
でも、音は聴こえなくて。
「ならないよ?」
「ふふ、そうだな。なんでだろうな?」
「夏月のふきかたがわるいのかな」
「そうかもしれない。練習してみるといい」
「うん」
あれやこれや試してみるけど、やっぱり音は聴こえない。
次第に泣きそうな顔になってくるけど、それでも我慢強く試行を重ねて。
「ちょっと貸してみろ」
「うぅ…」
「ルィムナ、ムルア」
「……?」
「これで鳴るようになったぞ。ほら、吹いてみろ」
「…うん」
おそるおそる息を吹き込む。
すると、さっきより低い音が響いた。
「なった!」
「鳴ったな」
「ねーね、ねーね、さっきの、なに?」
「ルィムナ、ムルア。不思議な言葉だ」
「ルィムナ、ムルア!」
夏月は嬉しそうに、不思議な言葉を繰り返していた。
そんな夏月を見ながら、風華がこっそり話し掛けてくる。
「ねぇ、どういう意味なの?ルィムナって月の神だったよね?」
「"夏の月"だ」
「夏の月…。そのまんまだよね」
「良いじゃないか、別に」
「良いけど~?」
「けど、何なんだ」
「なんでもないよ~」
ニシシと笑う風華の頭を軽く小突いてやる。
…良い考えだと思ったんだけどなぁ。
「手が止まってるよ!」
「分かったから、耳元で大声を出さないでくれ…」
「口と手を同時に動かす!そらそら!」
「わわっ、水、飛んでるって!」
「それよりさぁ、議会ってすっごく大変なんだよ?チビたちが乱入してくるから。セトは何のためにいるの?」
「少なくとも、子守のためじゃないだろ」
「セトだって、なんでここに来たのか分からないって言ってるんだしさ」
「そうだけどねぇ。取り分が減るんだよ」
「…何の?」
「お茶菓子」
「何してるのよ!議会ってそんなだったの!?」
「ん?みんな、相手を食い千切らんばかりに殺気を放ちながら討論してると思ってた?」
「そこまでは思ってないけど…。お茶会をしてるなんて思わないよ…」
「お茶会じゃないよ。議会。ちゃんと重要なことを真剣に話し合ってるんだから」
「要は、そこにあるものは大した問題ではないということだな」
「そういうこと」
「むぅ…」
「まあ、お喋りも良いけど、洗濯もしっかりな」
「あ…」
「ふふ、空まで手が止まってたら世話ないな」
「と、利家…」
利家は困ったような笑みを浮かべて、洗ったものを干しに行った。
「はぁ…。じゃあ、頑張ろっか」
「ああ」「そうだね」
そういえば、桜たちは何をしてるんだろう…なんて考えながら、洗濯物に取りかかった。
まだ体力が完全には回復しきってなかったのか、夏月はまた夢の中だった。
祐輔も、その横で眠っていて。
「望ね、さっきの、ちゃんと聴こえてたよ」
「そうか。偉いな、望は」
「えへへ」
頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めて、尻尾をパタパタと振る。
「むぅ~…」
「あ、ごめんね」
望の尻尾を鼈甲の櫛で鋤いていた葛葉は不満そうな声を洩らす。
慌てて望は元の位置に尻尾を戻して。
「ん~」
「上手いね、葛葉は。とっても気持ち良いよ」
「えへへ」
そして、葛葉は望に抱きついて。
望は優しく葛葉の頭を撫でる。
「高い空の向こう 深い海の底
川は奏で 木々は唄う
気の向くまま 風の吹くまま
今日は何して遊ぼうか 今日もきっと楽しい日
さあ行こうよ 手を繋いで
さあ行こうよ みんなの待つ あの場所へ」
望は葛葉をそっと抱き上げ、夏月の横に寝かせる。
「寝ちゃった」
「望は唄が上手いんだな」
「えへへ」
「今の唄は何なんだ?」
「旅の唄だよ。美希お姉ちゃんに教えてもらったの」
「へぇ。美希がなぁ」
「うん」
頷き、こちらに擦り寄ってきて私の胡座の上に座る。
後ろから抱き締めてやると、そっと腕を掴んで。
「お母さん」
「どうした?」
「お母さんにも、唄、教えてほしい」
「そうだな…」
遥かに記憶を遡り。
お姉ちゃんに教わった、あの唄を。
「朝日が昇る 地平線の遥か向こう
セルオ ユクラゥ
大きく伸びをしよう 尻尾の手入れは忘れずに
空と大地におはようと 月と星におやすみを
セルオ ユクラゥ
今この場所に わたしはいるよ
今この場所で あなたと一緒に
歩き出そうか 手を繋ぎ
歩き出そうよ どこへでも
セルオ ユクラゥ
さあ紡ぎ出そう ただひとつだけの 物語を」
しばらく望は黙ったままで。
静かに目を瞑り、眠っているかのようにも見えた。
「セルオ、ユクラゥ…」
「ああ。…望も紡いでくれるか?長い、長い、この物語を」
「うん。紡いでいく。ずっと、ずっと」
望は、また静かに目を閉じて、腕を掴む手に強い意志を加える。
私も、それに応えてギュッと抱き締める。
…決して切れることのない糸は、紡がれてゆく。
いつまでも、いつまでも。