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「こういうものには、徐々に慣らしていくような治療法が効果的だとも言われている。似たような状況を作り、それぞれが平気なんだったら、目標の状況も平気だろうという風に、少しずつ自信を付けていく作戦だ」
「ふぅん」
「だから、状況をより詳しく再現するために、あとででいいから話を聞かせてくれないか?」
「ええよ」
「無理はしなくていい。なんなら、再現は向こうの人に任せても…」
「事故んことはなんも思てへん。でも、空飛ぼう思たら、あのときのことが頭ん中で蘇って、足が動かんようになんねん。おかしいやろ?他んときは別に怖い思てないのに、そのときだけ動かれへんなんて…」
「記憶が同じ状況を避けさせているんだ。一種の回避能力なんだけど…とにかく、そういう病気だ。過去の記憶に対して過剰な反応を示す。自分の気持ちとは食い違っていても」
「そっか…」
「大丈夫だ。段階的に慣らしていこう」
「うん…」
「…じゃあ、紅葉。僕は、まだちょっと仕事があるから」
「ああ」
「ごめんな、うちのために…」
「国民のために動くのが、国王の仕事だ。たとえ、未来の国民であってもね。それから、病気で苦しんでる人を助けるのが、薬師の仕事だ。どっちにしても、僕には大切な仕事だよ。だから、気にすることなんてない」
「…うん。おおきにな」
「そ。それでいい」
利家は柏葉の頭を撫でると、部屋を出ていって。
…キザなやつだな。
いや、確かに、私の夫だけど…。
「また飛べるやろか」
「飛べるよ、お前なら。オレの娘だろ?」
「…せやね。お母ちゃんは、うちのお母ちゃんや。うちは、お母ちゃんの娘や」
「ああ」
柏葉ならやれる。
どんな治療法なのかは知らないけど…でも、きっと。
しかし、本当にこいつは私の娘なのか?
生まれてくる腹を間違えたんじゃないだろうか。
「お母ちゃん、何を見とるん?」
「いや…」
「お乳バインバインですねぇ。服の上からでも分かってましたけど…。むふふ」
「ひゃぁ!な、何しよるん!」
「そして、柔らかぁい…。それでいて、しっかりハリもあって…」
「気を付けろ。フィルィは、百合属性の乳魔神だ」
「ゆ、百合…?ていうか、乳魔神てなんなん!」
「いてっ!」
第二波は、柏葉の鉄拳によって凌がれてしまったようだ。
フィルィは軽く二丈は吹き飛んで、再起不能になってるようだけど。
しかし、妬まし…いや、我が娘ながら羨まし…いや、なかなかやるな…。
「ボイーン」
「こら、りる。触らへんの」
「うぅ…。ぼくとのこの差は…」
「桐華は、お乳触っても、いつも笑ってる!」
「ほんなら、桐華さんはええねん。でも、あんまり人のお乳は触るもんちゃうねんで」
「枕ー」
「聞いとる…?」
「でも、羨ましいよ。どうやったら、そんなに大きくなるの?」
「えっ、どうやったらって、そんなん分からんけど…」
「姉ちゃんも知りたいよね?」
「お前だけだろ、風華」
「えぇ…」
「ふふふ。下々の者たちの小さき悩みなど、我々天上人には計り知れぬものよのぅ」
「そんなこと言って、灯は普通くらいじゃない。美希が言うなら分かるけど…」
「このバカと一緒にするな」
「バカとは何よ、バカとは!」
「実際そうだろ」
「むぅ…」
「納得しちゃうんだ…」
「してない!」
「ふふふ。せやけど、みんなで入るお風呂は、やっぱり楽しいねぇ」
「はい、本当に。私、ずっとお風呂なんて知りませんでしたし」
「えっ?じゃあ、エスカって…不潔…」
「ち、違うよ!リュナムクさまの術で浄化っていうのがあって、それでちゃんと清潔にはしてたんだよ。それに、ちょっと遠くの川まで行って、ちゃんと水浴みもしてたし…」
「術で清潔に?胡散臭いなぁ。本当に綺麗になってたの?」
「なってたよ…」
「確かにそういう術はあるぞ。私は修行不足で使えないが…。ほら、セカムが使えたと思うから、またやってもらったらどうだ?」
「セカムねぇ。でも、澪みたいに全身鱗だったら、身体を洗うのも楽なんじゃないの?あと、お姉ちゃんもだけど」
「それはそうだけど、今は人間の姿だろ」
「オレは、さっさと普通の身体に戻りたい」
「まあね…」
浄化の術というと、テスカトルが喰らっていた、あのえげつない炎のことだろうか。
清潔のためとはいっても、あんなものの世話にはなりたくないな。
「むふふ…。親子同士の触れ合い…。なんでオレより乳がでかいんだ!揉ませろ!や、お母ちゃん、やめて!紅葉さんは、柏葉ちゃんのたわわに実った果実を鷲掴みにして、その柔らかい感触を確かめる。いい具合に熟しているじゃないか。お母ちゃん、恥ずかしいわ…。そうは言いつつも、次第に感じ始める柏葉ちゃん。お腹の中から熱いものが込み上げそうになった、そのとき!ふふふ、こっちの蕾は、まだ誰にも汚されていないようだな。あっ、あかん!少し触れられただけで、敏感になっていた柏葉ちゃんの身体は絶頂に達してしまい…」
「なぁ、おねーちゃん。フィルィは、あたまがおかしいのか?」
「ああ。だから、あいつを見てると、凛もああなるぞ」
「じゃあ、みない。あんなきもちわるいのになりたくない」
「それが正解だ」
「と、止めた方がええよね?」
「いんじゃなーい?面白いし」
「あ、灯お姉ちゃん…」
「かえはのほうがおねーちゃんだろ。なんで、あかりをおねーちゃんってよぶんだ」
「えっ?そ、それには、深いわけが…」
「柏葉は私を敬ってるからねぇ」
「嘘を教えるな」
「凛も、私を敬えば、美味しい料理を作ってあげるよ」
「うやまってほしいなら、うやまえるようなことをしてみろ」
「もっともだな」
「うっ…」
「灯お姉ちゃんは、相変わらず墓穴掘りやね…」
「なんだとぉー!」
「ひゃぁ!や、やめて!」
「その豊満な乳を吸い取ってやるー!」
「やめろ、バカ」
「あたっ!」
「あかりもフィルィもバカだ」
美希に殴られて、灯は敢えなく撃沈して。
浴槽の底へと沈んでいった。
まったく…。
こいつも、乳魔神認定だな…。
しかし、身内に二人も乳魔神がいるとは、恥ずかしい限りだ…。
部屋に戻ると、チビたちは早速布団に飛び込んで、バタバタと暴れ始める。
まあ、事態の収拾はいつも通り風華に任せて、私と柏葉は屋根縁に出て。
「あ、姉さん。見て、これ。何だろ」
「零式綾華戦闘飛行機械と訓練型三十八式狙撃機関砲やで。うちの宝物」
「えっ、あっ!ご、ごめんなさい!全然知らなくて…」
「だから言っただろ。誰のものか分からないのに、勝手に触るのはやめといた方がいいって」
「うぅ…」
「ええねん。そんなすぐに壊れるもんでもないし。それに、そうやって興味持ってもらえんのは、すごい嬉しいよ」
「そ、そっか…。ごめん…」
「それで、キミはなんて名前?僕は翡翠で、こっちはツカサだけど」
「知ってるよ」
「えっ?」
「まあ、うちは柏葉言います。柏に葉て書いて。あんじょうよろしゅうお願いします」
「ご丁寧にどうも」
「ねぇ、これ、バラバラだけど種子島だよね?撃てるの?」
「種子島なんてちゃちいもんちゃうけどね。まあ、撃ってみよか?」
「うん。お願い」
「…おい、大丈夫なのか?」
「大丈夫やて。訓練用やから、出てくるんは空気の塊だけやし、威力も大したことあらへん。それに、三十八式を撃つのに関しては、何もないから」
「そうか…」
「ふふふ。ありがと、お母ちゃん」
「いや…」
柏葉は暗い中だというのに、的確に三十八式とやらを組み立てていく。
そして、瞬く間に、昼に見たあの大きな機関砲が完成して。
「わぁ、すごい。触っていい?」
「どうぞ。人に向けたらあかんよ」
「分かってる」
「…へぇ、すごいなぁ」
「いいなぁ。すごく格好いいな!」
「男の子て、こんなん好きやね。うちもやけど」
「好きだよ。こっちの…なんだっけ?」
「零式綾華戦闘飛行機械」
「そう!その零戦もすごく格好いいし!確かに、種子島なんて目じゃないなぁ」
「零戦ねぇ。うちは綾華て呼んでたけど、そっちもええね」
「…おい、未来でツカサはどうなってるんだ」
「ん?空兵隊第一編隊隊長で、翡翠にぃと二人合わせて地獄の番犬て言われとるよ」
「ふぅん…」
「無傷の飛行士としても有名で、開戦のときから被撃墜とか負傷どころか、被弾すらしたことないねんで。うちの憧れの人」
「好きこそものの上手なれとは言うけど、そうなってくると、いよいよ恐ろしいな…」
「なぁ、撃ってみてよ!」
「ツカサにぃが撃ってみたら?」
「えっ、いいのか?」
「反動で肩が外れたりしてな」
「えぇ…。イヤだな、それは…」
「大丈夫大丈夫。ほら、構えてみて」
「えっ?種子島から考えると…こう、かな」
「へぇ、ホンマに初めて?サマんなってるわぁ」
「そ、そうかな…。でも、軽いね。こんなに大きいのに」
「空中で狙撃しやんなあかんからね」
「空中で?あっ、零戦で空を飛ぶんだ!」
「せやで。まあ、これはうち用のやつやさかい、ツカサにぃは装着出来んやろうけど」
「そっか。でも、すごいなぁ。これだけ砲身が長かったら、すごい飛びそう」
「うちの憧れの人は、この三十八式で、五里先にある三寸四方の的を撃ち抜いたんやで」
「えぇ…。五里も飛ぶんだって驚き以前に、その人が化け物じみてて怖いよ…」
「まあ、五里も飛んだんは、その人の相棒が術式で補助してたからなんやけど。まあ、なんもなしやったら、四半里が限度かなぁ」
「二十倍も長く飛ばすなんて、ますます化け物二人組だな…」
「ふふふ。まあええやん。撃ってみいな」
「うん」
ツカサは、急に地面にうつ伏せになると、砲身の横の棒を動かしたりして。
一連のわけの分からない操作が終わると、ツカサは照門を覗いて、どこかに狙いをつけながら、徐々に引き金を絞っていく。
そして、引き金を引くと、大きな音のあとに、何かが空気を切る音、鳥が一斉に飛び立つ音が順に聞こえた。
ツカサは、また横の棒を引いたり押したりしながら、二発、三発と次々に撃って。
「花火だぁー」
「えっ、花火?」
「花火とちゃうんやで」
「なんだ、違うんだ…」
「ごめんね」
「すごい…。この先っちょの部分で火薬の爆風を受け止めて、さらに横に逃がすことで反動を抑えてるんだ…。装弾数は五発…。しかも、この筒自体に火薬が詰めてあるから、いちいち詰め直す手間も要らない…。種子島なんて豆鉄砲だ…」
「薬莢に詰まってるんは、火薬やのうて、うちの術式やけどな。でも、ホンマに初めて?」
「初めてだよ、こんなすごいの!」
「初めてで、なんの説明もなしに、地上での狙撃姿勢、次弾装填方法、構造理解まで完璧にこなす人なんか、うちも初めて見たわ」
「すごい、すごいよ!」
「僕は、柏葉の話を聞いた限りでは、ツカサの方がすごいと思うけどな…」
「すごいなぁ…」
ツカサは、全く話を聞く気もないようだった。
ただ感心するだけで。
…しかし、あの謎の操作で、空になったヤッキョウの排出と、次弾の装填をしていたのか。
ツカサは、なんで分かったんだ?
それが一番の謎だ。