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「空兵隊か。なかなかいい案だね」
「犬千代。感心してる場合か。空兵隊の訓練中に、柏葉は怪我をしたんだぞ」
「でも、戦略的に、空はまだまだ未開発だ。今は鳥系の種族に頼るしかないし、せっかく空から攻めても、遠距離攻撃手段が少ないから、結局は降りて白兵戦…なんて、全く無駄だろ?やっぱり、強い軍隊を作るなら、これからは空を制圧しないとダメなんだよ」
「そうは言っても…」
「火器を軽量化するか、馬力のある飛行手段を用意するか…」
「戦なんて、やらないのが一番なんだ」
「…そうだね」
「うちは、空飛ぶんは好きやで。怪我してからは飛んでへんけど。うちは、また飛びたい思てる。次に怪我したら、もうどうにもならん言われたけど」
「巻き戻した時間さえも壊れてしまうと、どうにもならないからな。いかにテルと言えど…」
「うん。テルにもそう言われた」
「でも、何十年かあとには、こんなものが発明されるのか…」
目の前にある、硬質な機械。
空が大好きという柏葉は、肌身離さず持っていたらしい。
ここに来るときも、例外ではなく。
…部屋の隅に置いてあった、大きな荷物はこれだったのか。
これと、訓練用の火器。
着替えか何かと思っていたけど…着替えなんかより、大切なものということか。
「これで、どうやって飛ぶんだ?」
「リカルお姉ちゃ…リカル博士は、術式にも精通してる。適性は人それぞれやけど、たとえば、うちやったら、豪火の術式を使て飛んでたんよ」
「術式か…。柏葉の時間では、術式は一般的なものになってるのか?」
「うん。今の戦が始まったとき、風華お姉ちゃんと響お姉ちゃんが中心なって、術式を広めてくれた。まあ、才能のあるなしはあったみたいやけど、それでも充分、みんなが自分の身を守れるくらいには広まって。ほんで、うちの豪火みたいな、強力な術式を持続的に使える人は、空兵隊に入って活躍してるってわけ」
「ふぅん…」
「そうか、術式が一般的に…。戦が始まるより前に広めておけば、もしかしたら、被害を減らせるかもしれないけど…」
「なかなか上手いこといかんのちゃうかな。ゆうたら悪いけど、平和ボケしとるうちは、そんなもんに手ぇ出す人は少ないんちゃう?危機的状況になって初めて、藁にも縋る思いで一所懸命やりだす思うわ」
「そうだな…。追い詰められなければ、本気になる人は少ないか…。特に、術式みたいな、本当にあるかどうかも分からないようなものは…」
「としにぃとかお母ちゃんみたいに、国を守らんならん人は別としてな。平和なうちに、そんな危機感持てゆうんも、なかなか難しい話やし」
「うーん…」
「ふふふ。まあ、ええやん。としにぃが、戦のない世の中にしてくれるんやろ?」
「え、えぇ…。そうだなぁ…」
「うちのおる未来に繋げたらあかんよ」
「努力するよ…」
柏葉にしてやれることは、今の私には、もう残されていない。
でも、これから生まれてくるかもしれない柏葉…いや、これから生まれてくる子供たちみんなにしてやれることは、まだあるのかもしれない。
未来が変えられるのなら、そういう未来を変えられるのなら、全ての可能性を信じたい。
信じて、変えていくんだ。
「よっと。ほんなら、ちょっと飛んでみるかな」
「おい、やめておけ」
「なんで?うちは飛びたいねん」
「また怪我をしたらどうするんだ」
「そんなん怖がってたら、いつまでも飛べんわ。それに、うちな、いちおう、新人の中でも筆頭の成績やってんで。精密狙撃能力、判断力、飛行能力、姿勢制御能力、航行力、持続力、最高速度、離着陸制御能力…なんでも一番や。好きなことやったさかい、なんもせんでも、ただ楽しんで飛んでるだけで一番。うちは幸せもんや」
「僕は、飛びたければ飛べばいいと思う」
「犬千代」
「ただ、僕が心配なのは…」
硬質な機械も、柏葉がそれを着けると、柔らかい優しさに足を包んでいるようだった。
訓練用とはいえ、柏葉自身の背丈よりも大きい、重厚で冷たいかんじのした武器も、柏葉がそっと撫でると、生命が吹き込まれたような気がして。
…柏葉は、本当に、この機械たちが好きなんだと分かった。
私が感じた、冷酷で非道な、そんな戦闘兵器としての側面は、この機械たちのほんの一面でしかなかったんだ。
それ以外の面も、柏葉は知っている。
そして、その面も含めて、柏葉は全部好きなんだろう。
でも…。
「………」
「…心的外傷後過負荷障害だな」
「あかんねん、うち…。空を飛びたいのに、空を飛べん…。足の震えが収まらん…」
「大怪我をしたとか、怖い思いをしたとか、そういうときに、心にも傷を負ってしまうことがある。そして、同じ状況に陥ったとき、その状況を回避しようとして、居すくみが起きたり、錯乱してしまったりもする。それが、今の柏葉の状態だ」
「…うちは、もう空は飛べんってこと?」
「そうじゃない。治療法はある。でも、柏葉自身の努力が不可欠だ。もう一度、空を飛びたいと思う強い気持ちが必要なんだ」
「飛びたいと思う気持ち…。それは、誰にも負けてへんつもりやで」
「うん、それなら治していける。人によってそれぞれだけど、長期戦は覚悟しておいた方がいい。向こうには、誰かいるの?」
「としにぃもおるし、風華お姉ちゃんもおる。疎開先やったら、マオお姉ちゃんもおるし」
「そうか。じゃあ、診断書と治療方針をまとめてくる。持って帰れるよな?」
「うん。大丈夫やで」
「分かった。それじゃ、またあとで」
そう言って、利家は部屋を出ていって。
柏葉の足はまだ震えていたけど、目は真っ直ぐに空を見ていた。
…大丈夫だ、柏葉なら。
きっと、そんなものは吹き飛ばしてしまえる。
そして、また空へと羽ばたいていける。