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「今のこの時間から見れば、こいつがいる未来は、あくまでも可能性のひとつだ。俺たちがいた時間から見れば、この時間は、定まったひとつの過去だが」
「テル。お前、また下らないことばかりしているんじゃないのか。しようのないやつだな」
「そうカリカリするなよ、リュナムク。俺ら他所の時間のやつが介入して変わるほど、歴史はヤワじゃない。ちょっと旅行に来たようなものだ」
「旅行?」
「そうだ。柏葉との親睦会も兼ねてな」
「だからと言って、どうしてわざわざ過去に来るのだ」
「いいじゃないか、別に。おぉ、そうだ。また面白い話があるんだ。聞くか?」
「そんなことはどうでもいい」
「なんだ。夏目漱石を池に落としてやって、これぞまさしくボッチャンだなという話だぞ」
「ふん。下らない」
「テルの武勇伝は、いつもおもろうてなぁ。うち、大好きやで」
「いい歳して、悪戯にかまけてるんじゃないぞ」
「悪戯こそ、俺の生き甲斐だ。人生は短い。好きなことをやらいでか」
「ややわぁ。テルで短い人生ゆうたら、うちなんか、右見て左見たら死んでるやん」
「ふむ、惜しいな。お前のような器量良しも、いつかは死んでしまうとなると」
「生命は限りあるもんや。せやから、大切にしやなあかん」
「うむ…」
「な、お母ちゃん」
「ん?そんなこと言ってたのか?」
「お前にとっては未来だろう。そんなことを言うのか?が正しい」
「余計な口出しをするな。ややこしくなる」
「せやで。テルは、余計なこと言わんとって」
「うっ…。親子が揃うと、やはり迫力が違うな…」
「まあ、お母ちゃんは、ようそういうことゆうてるねぇ。今もそうなん?」
「いや…。自覚はないけど…」
「でも、お母ちゃんやったら、ゆうてる気ぃするわぁ。だって、お母ちゃん、今のお母ちゃんと全然変わらんもん」
「ふぅん…」
「ええなぁ、変わらんゆうんも」
「お前の時間では、オレは何歳なんだ?」
「お母ちゃんの歳?せやねぇ。うちは、今十六やで」
「ということは、三十後半以上ということか…」
私自身とはいえ、そんな年齢の人間と変わらないと言われると、さすがに、少しばかりへこむものがあるな…。
つまりは、悪く言えば、それだけ老けているということだ。
「お母ちゃん、なんか落ち込んでる?」
「いや、別に…」
「そう?せやったらええけど」
「しかし、未来の人間と話すというのは、また不思議な感覚だな。…テルはともかく」
「なんで俺は除外されるんだ?」
「お前はしょっちゅう未来から飛んできては、下らない話をしていくだろう」
「そうだったか?」
「まったく…。今もそうではないか」
「下らない話を聞かせようとなんてしていない。だいたい、夏目漱石を池にボッチャンは、柏葉に一番受けた話だぞ?」
「テルのイタズラは、いちいちアホっぽくて子供っぽいから」
「ほら。聞いたか?」
「半分バカにされているんじゃないのか、お前」
「うちは好きやで、そういうんも。お母ちゃんは、真顔でツッコミ入れるやろけど」
「まあ、そうだな」
「とにかくだな…」
「あ、いたいた」
「ん?」
特大の水筒を背負って、桐華が現れた。
テルと柏葉の前を横切り、私の横に自然に座ると、どこからともなく湯呑みを取り出して、人数分お茶を入れていく。
「はい、冷茶だよ。お上がりなさい」
「あっ、すんません。いただきます」
「何しに来たんだ、お前は」
「何って、紅葉の子供を見に来たんだよ。どんな子なのかなって」
「どこから情報が漏れてるんだよ…」
「ぼくは、テスカトルから聞いたよ」
「あいつは、まったく…」
「まあいいじゃん。紅葉のお腹の中から、どんな子が生まれてくるのか気になるし」
「お前な…」
「あとで利家も来るって」
「どれだけ広まってるんだ、噂は…」
「さあ?でも、テスカトルも結構言い触らしてるみたいだし、だいぶ知ってるんじゃないかな。それに、調理班が知ったら、片っ端から広まっていくじゃない」
「はぁ…。そうだな…」
「でも、やっぱり、紅葉に似てるね。そっくりだよ」
「そ、そうかな…。お母ちゃんはだいぶ美人やけど、うちはそんなことないし…」
「柏葉も美人だよ。あ、名前はテスカトルから聞いてるから。ほら、目のところなんて、紅葉にそっくり。紅葉ほど目付きは悪くないけど」
「悪かったな、目付きが悪くて」
「どう?紅葉、未来でも、こんな目付き悪い?」
「うちは、一回も目付き悪い思たことないけど。でも、お母ちゃんはホンマ変わらんよ?」
「じゃあ、目付き悪いんだ」
「…桐華はどうなんだ、桐華は」
「桐華さんも、なんも変わらんなぁ。今でも、掴み所のないフワフワした人やで」
「なぁんだ。ぼくも変わらないんだ」
「せやねぇ。あ、でも、団蔵にぃには、よう世話んなって」
「団蔵にぃ?誰?」
「あれ?ああ、そうか。よう考えたら、まだやねぇ」
「……?」
「とにかく、よう世話んなっとります」
「そっか。うちの団蔵が」
「とりあえず分かったようなフリをするなよ…」
たぶん、桐華の旦那か息子だろうな。
こいつが結婚するなんて、全く考えられないけど…。
しかし、ひとつの未来として、それも有り得るということか…。
「…でも、じゃあ、お前たちは、これから起こることは把握してるってことか?」
「だいたいはな。だが、この今が、俺たちの時間とは違う未来へ歩き出すかもしれないし、そこはなんとも言えないな」
「その場合はどうなるんだよ。ちゃんと帰れるのか?」
「少し寄り道をする程度のものだ。問題ない」
「ふぅん…」
「少し未来が変わる程度で道に迷うなら、過去になど旅行出来ない。今、どこそこの蟻が一匹死んだが、俺たちの時間では生きていたとか、どこそこの国がなんとかという国に滅ぼされたが、俺たちの時間では逆だったとかな。そんなのは日常茶飯事だ」
「いや、例の度合いが恐ろしく違う気がするんだけど…」
「蟻も国も同じだ。世界から見れば、ごくちっぽけな違いでしかない。そうだな…。帰れなくなるとすれば、この大地自体が消し飛ぶとか、俺たち自身が死んでしまうとかだな」
「なるべくなら、ちっぽけなことでも、余計なことはしてほしくないものだがな…」
「藤原道長に南瓜を投げつけるのも、徳川家康に煮え湯を飲ませるのも、前田慶次に水風呂を用意させるのも、夏目漱石を池に落とすのも、全ては俺の楽しみのためだ」
「ええやんねぇ。子供のイタズラみたいな、アホらしいて、しょーもないことなんやし」
「そうだそうだ」
「柏葉よ。面白いからといって、テルを甘やかさないでくれるか」
「えへへ、分かった?」
「まったく…」
「そういえば、なんで藤原道長に南瓜なんだ?」
「特に意味はないが、平安時代に南瓜はなかったからな。何か恐ろしく硬い、石のようなものだと、少し驚かしてやろうと思っただけだ」
「まさしく子供だな…」
「あはは、なんか面白いね」
「だろう?俺の高度な悪戯が分からんのだな、頭の固い連中は」
まあ、確かに、桐華とは気が会うだろう。
桐華も子供な部分が多い…というか、子供がそのまま大きくなったかんじだし。
柏葉は、そんなかんじはしないけど、子供の悪戯も一緒になって楽しめる、純粋な心を持っているということだろうかな。
…我が娘ながら、なかなかいい成長をしているようだ。
なんだか、生まれてもない娘の話をするのも変な感覚だけど。
でも、そのまま、また真っ直ぐに成長してほしいものだな。