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「師匠、具合でも悪いのですか?」
「いや…。ただ、昨日の夜は、いろいろと大変だったなって…」
「そうなのですか」
「ああ…。しかし、お前に心配させてしまうとはな。師匠失格だ」
「そ、そんなことありませんよっ!どんな師匠だって、お疲れが出るときはありますよっ!」
「そうか?そう言ってもらえるとありがたいけど」
「いえ…。私は、いつも、師匠に甘えてばかりですので…」
「まあ、お前は弟子だからな。そんなことは気にしなくていい」
「し、しかし…」
「秋華。もうそろそろ行かねば、遅れるのではないか?」
「あっ、そうでしたっ。す、すみません、師匠…」
「行ってらっしゃい」
「い、行ってきますっ」
秋華は素早くお辞儀をして、そのまま急いで走っていってしまった。
走るのが速いものだから、すぐに門の向こうへ見えなくなって。
「元気な子だな。見ているだけで、活力を分けてもらえるようだ」
「そうだな」
「エスカにも、あのような時期があった」
「ふぅん」
「とにかくよく走り、転ぶ子でな。毎日ひとつは擦り傷を増やしていた」
「そういう子供はよくいるな」
「ああ。しかし、その頃から、本にも興味を持ち始めてな」
「それで、引き籠るようになったと」
「む…。まあ、そうだが…」
「本を読むのも大切だけど、やっぱり陽の光は浴びておかないとな。お前がいなければ、大火傷してしまうとしても」
「ふむ…。やはり、一日程度しか効果は続かないのだが、日除けのための術を掛けてやるくらいの方がよいのだろうか…」
「そうだな。今は友達も出来て、その友達同士で出掛けたいということもあるだろうし」
「ふむ…」
「可愛い娘なんだったら、いつまでも過保護ではな」
「そうだな…。また、エスカに聞いてみるとしよう…」
エスカも、リューナと一緒がいいと言うだろうが、そのあたりは、私もいろいろ口出しさせてもらおうと思う。
リューナなら、エスカのその言葉に甘えかねないからな。
…エスカにも、リューナとは関係ない、自分だけの時間というのは必要だと思う。
その時間を支えるのが、友達というわけだ。
「あ、千秋」
「む?千秋だと?」
「おい、千秋。こっちに来い」
「えっ?あ、紅葉。いたんだ」
千秋が帰ってきた。
この時間まで働いてたんだろうか。
とりあえず、少し駆け足でこっちに来て。
「紅葉。まだ起きてたんだ」
「どういうことだ?」
「さっき、そこで秋華に会ってさ。紅葉って、秋華を見送ったあとは、すぐに二度寝するって聞いてたから」
「すぐにってわけでもないかな。すぐ寝るときもあるけど」
「そうなんだ」
「お前は、今、帰りか?」
「うん、まあ、そうなんだけど。昨日は長くなってさ。ここまで帰るのもしんどかったから、リュカの家に泊めてもらってたんだ」
「泊めてもらったって、誰もいなかったんじゃないのか?」
「うん。だから、長屋の大家さんに鍵だけ借りて」
「人の家の鍵を、そう易々と貸すなよ…」
「釜屋と繋がりがあるからさ、大家さんも。それに、事後だけど、今朝、リュカが帰ってきたときに承諾も貰ったし。これからは、いつでも使っていいからって、予備の鍵も貰ったし」
「どういうことだよ…」
「俺が仕事で夜遅くなるのは知ってるからさ、城まで夜道を帰るのは危ないからって。特に、勲さんがいないときなんかは。そういうときは、泊めてくれるって」
「ふぅん…」
「そういえば、リュカの家、紅葉の姿絵が飾ってあったぞ。秘密にしとけって言われたけど」
「そうか」
「俺の屋根裏にもあるぞ」
「どこから仕入れてくるんだよ、そんなもの…」
「光に描いてもらった。俺はな」
「そんな下らないことをさせるな」
「いいじゃないか。好きな人の姿絵くらい、飾ってもいいだろ」
「そういえば、好きな人といえば、お前、ツカサのことも好きなんだって?」
「えっ、な、なんで知ってるんだ?」
「翡翠がペラペラ喋ってたぞ」
「翡翠のやつ…」
「まあ、お前も、リュカの秘密を喋ったわけだから、人のことは言えないけどな」
「うっ…」
「それで、どうなんだ?」
「………。すまない…。それは事実だ…」
「どうして謝るんだ。俺は別に、そのことでお前を責めようとしているわけじゃない」
「でも…」
「不純だって言うなら、オレだって同じだ」
「………」
「そんなことより、お前にも、女らしいところが残っていたんだな」
「それは…」
「まあ、身体は女なわけだし。そういうところがあるって分かって、嬉しかったよ」
「えっ?」
「完全に男だっていうのも、別に悪くはないけど。でも、男の心も、女の心も、両方持ってるんだとしたら、それはそれで魅力が増すだろ?」
「普通であれば、異性の気持ちなど、なかなか計り知れないものだからな。両方の気持ちが分かるのだとすれば、貴重な存在と言えるだろう」
「ああ」
「そんな大層なものじゃ…」
「夫という立場でありながら、女のオレの気持ちも分かってもらえると思うだけでも、オレは嬉しい。まあ、オレが女の心を持ってるのかどうかは分からないけど」
「紅葉は…強くて、頼りになって、俺の心の支えになってくれる。お姉ちゃんみたいだなって、いつもそう思うんだ」
「姉さん女房というわけか」
「…うん」
「まあ、それもいいかもしれないな。…それで、ツカサのことは、どう思ってるんだ?」
「そ、それは…」
「なんだ。言えないのか」
「ツ、ツカサは、単純に、男らしくて格好いいなって…。リュカもそうなんだけど、リュカは、なんていうか、兄貴っていうか…。でも、ツカサは、こう、なんか守ってあげたいって思えるところもあって…」
モジモジしながら話してる様子は、まさしく恋する乙女といったかんじで。
普段は気にしてなかったけど、こうやって見てみると、千秋は私なんかより体型も抜群にいいし、女としての魅力も溢れているように思う。
私が男で、千秋が本当の意味で女だったなら、放ってはおかないだろうな。
「ツカサは、もう知ってるんだよな…?」
「知ってるな」
「どうだった…?」
「反応か?まあ、悩ましげだったな」
「そ、そうか…」
「二人とも、好きになってやれるんだろ?ツカサも、望も」
「もちろんだ」
「それなら、望がいるからといって、遠慮することはない。女として、二人とも好きになってやれ」
「…うん」
これでよかったのかな。
私は、よかったと思ってる。
ツカサがどういう選択をするかは分からないけど、きっと上手くやってくれる。
そう信じてる。