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「姉ちゃん、ごめんなさい」
「なんだよ、急に」
「朝のこと…」
「なんでオレに謝るんだよ」
「………」
「大和とリューナだろ、謝るんだったら」
「大和には、もう謝ってきた。あとは、姉ちゃんとリュナムクやから、順番に謝ろ思て…」
「オレは何も言われてない」
「そんなこと…」
「レオナが謝りたいと言うのだから、謝らせてあげなさい。私も、謝られるようなことはされていないとは思うがな」
「………」
「レオナは、ただ、大和のことが心配だった。そうだろう?」
「でも…。キツいことばっかり…。うち、こんな関西弁やし…」
「何かを守ろうとすれば、攻撃的になるのは当然だ。キツいことを言われたとは思っていない。それに、関西弁であるかどうかは、何も関係がないだろう。方言は、言葉の話し方が違うというだけのことだ」
「………」
「そうだ。方言は、言葉の美しい変化が、最もよく表れたものだ」
「テスカトル…。どこから涌いてくるんだよ…」
「なんだ、人を蛆虫みたいに。言葉の話が聞こえてきたから、参上した次第だ」
「フィルィにしろ、お前にしろ、好きな話題にはとことん地獄耳だな…」
五里先の話題でも聞き付けてくるんじゃないだろうか。
まったく、この話に関しては、油断も隙もあったものじゃないな…。
「方言の話をしていたな。おれは方言も好きだ」
「方言の話というわけでもないのだがな…」
「関西にいるやつらは、自分の地方の言葉を誇りとする傾向が強いと言われ、異なる方言を話す地方に放り込まれても、引き続き関西弁を話すということも多いそうだ。関西弁は、地方に愛されている方言ともいえるだろうな。人は、違う地方に行けば、その土地の方言を獲得するまでは標準語を使う傾向にあるが、断固として母国語を使うというのは、ある意味では強い精神力と意志が必要だ。関西弁はキツいだとか、喧嘩言葉だとか言われることもあるが、そういう強い意志と意志のぶつかり合いの中で、そういう言葉としての性質も必然的に生まれたのかもしれないな。話が前後するが、エセ関西弁というものを、関西圏の人は特に嫌う。ちょっとした発音の違いにも文句を言い、果ては言い直しを求めることもあるほどで、………」
「いつまで続くんだ?」
「放っておけば、明日の朝まで喋ってるだろうな」
「まあ、セカムにでも任せようか」
「そうだな」
「とにかくだ。少し言葉はキツかったかもしれないが、お前が朝のことで謝る必要なんてないんだ。オレたちは何も気にしてないし、お前も気にすることはない」
「でも、謝らな、うちの気が済まん…。大和にもそう言われたけど、無理矢理謝ってきた…」
「はぁ…。それなら仕方ないな」
「ああ。気が済むまで謝りなさい」
「うん…。ごめんなさい…」
レオナもレオナなりに、一日中考えていたんだろう。
エスカやフィルィと話してたときだって、気持ちの整理がついてなかったのかもしれない。
それでも、普段通りに振る舞えるのは、やっぱりレオナの強さなんだと思う。
…テスカトルのどうでもいい講釈を背景に、レオナは静かに頭を下げていた。
風呂から上がって部屋に戻ると、今日は翡翠がいなくて、ツカサと望が屋根縁に座っていた。
「あ、姉さん」
「お母さん、お帰りなさい」
「ただいま。どうだ、月のものの方は」
「う、うん…。大丈夫だよ…」
「そうか」
「しかし、望もいよいよ大人への第一歩か。なぁ、ツカサ?」
「えっ、な、なんで俺なんだよ…」
「将来の嫁なんだから、今から大切にしてやれよ」
「ね、姉さん!」
「………」
「人が悪いな、紅葉も」
「まあな」
二人とも、顔を赤くして。
青春してるな、こいつらも。
…なんて言うと、なんか一気に老け込んだ気がするけど。
「翡翠はどうした」
「テスカと」
「なるほど。夜伽というわけか」
「そ、そこまでいくのかな…」
「テスカも、なかなか積極的だと思うぞ」
「えぇ…」
「ヨトギって何?」
「えっ?よ、夜伽?うーん…」
「それも、また今度教えてやろう。秋華と一緒にな」
「うーん…。分かった…」
「余計なこと言わないでよ、姉さん…」
「まあいいじゃないか」
「もう…」
首を傾げる望の頭を撫でて。
まあ、夜伽とまではいかなくても、夜の逢瀬といったところか。
こっちもこっちで、仲良くやってるみたいだけど。
「あっ、師匠、望!それに、ツカサさん…」
「なんで、僕のときはちょっと残念そうなの…?」
「い、いえ、あの…」
「席を外してほしいんだとさ」
「えぇ、そうなんだ…」
「い、いえっ。あの、その、すみません…」
「分かった。じゃあ、ちょっと部屋に戻ってるね」
「す、すみません…」
そう言って、ツカサは部屋に戻っていって。
物分かりのいいやつで助かるな。
…秋華は、ツカサが部屋に戻ったのを確認すると、おずおずと、例の包みを差し出して。
「これ、何?」
「お、お祝いですっ。その、初潮の…」
「そうなんだ。ありがと。開けていい?」
「ど、どうぞ」
「えっと…」
「あ、あの、望なら、絵にも興味があるんじゃないかと思って…」
「水墨画?」
「は、はい…」
「こっちは?日ノ本名景?」
「あ、あのっ、それは、誰にも言わないで、望だけのときに、こっそり見てくださいっ」
「なんで?」
「えっと、その…」
「今ならいいから、ちょっと見てみろよ」
「………」
「……?」
望は、私と秋華の顔を見比べながら、日ノ本名景をゆっくりと開く。
最初の方をペラペラとめくってみるけど、そのあたりは、普通の図説といったところで。
そして、問題の部分に差し掛かる。
「わっ」
「あ、あのっ、これは、その…」
「上手く使えよ。これは、オレからのお祝いだ」
「お、お母さん…」
「こういうことを知っておくのも大切だと思うぞ」
「あのっ、わ、私も、これと似たのを持ってますので、その、えっと…」
「恥ずかしがることはない、だな」
「は、はいっ。また、一緒に…」
「うん…。分かった…」
なんとも微妙な空気が、辺りを漂っている。
まあ、当然といえば当然なのかもしれないけど。
ちょっと、こいつらには過激すぎる贈り物だったかもしれないな。
…ツカサは、そわそわしながらこちらの様子を窺っていて。
とりあえず、もう少し待機させておこうか。