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「今日は面白い話が聞けた」

「そうか。オレは、お前がまた怒鳴り出さないか心配だったけどな」

「うっ…。それを言われるとだな…」

「まあ、こいつはそうそう怒ったりしない。それだけの何かがあったのだろうよ」

「………」

「ふん。まあ、あの論は、言葉の話をしているようで、芸術こそ至高と言っていたからな。言葉は、ただ否定されるだけの道具だった」

「そうだ。それが我慢ならなかった。芸術を語りたいなら、勝手に語ればいい。勝手に悦に浸っていればいい。それなのに、どうでもいい犠牲者として、言葉を引き合いに出した。言葉は嘘をつくという、最も汚い嘘をついた。おれは、そういう連中が赦せんのだ。おれの言語論を否定するなら、大いにしてくれ。言葉はただの道具でしかないとか、そういうものでも、論拠がしっかりしていれば、おれも楽しんで読ませてもらう。しかし、しかしだ…!」

「分かっている。それ以上言わなくていい」

「………」

「人は、傲り昂っているときが最も醜い。自身も自然の一部だということを忘れ、自身こそが神であると錯覚しているときが」

勘雀(かんじゃく)か…。あいつは確かに、謙虚な人間だったな…」

「人に絶望することはない。なまじ知能を持ってしまったばかりに傲り昂るようなやつもいるけど、その逆に、その知識で以て謙虚に生きていけるやつもいるということだ」

「…ああ、そうだな」

「悪いところというのは、良いところよりも目立ってしまうものだ。お前が聞いたという、現代芸術家を名乗る者の言うことは、その勘雀の言葉よりも、お前にとっては目立つものだろう。しかし、そういう者の言葉も忘れてはならない。そういうことなんだろうな」

「…そうだな。忘れていたよ。ありがとう、紅葉、リュナムク」

「いや…」


テスカトルも、ようやくいつもの明るい表情に戻ったようだった。

それだけ、あの言葉は、テスカトルにとって赦し難いものだったということなんだろう。


「テスカトルさま」

「む、セカムか。どうした?寺子屋はもういいのか?」

「はい。講義も終了いたしましたので」

「そうか」

「…テスカトルさま」

「ん?なんだ?」

「我々の存在というのは、どういったものなのでしょうか?」

「なんだ。民族学の講義に感化されたのか?」

「自分自身を知るために民族の研究をするのであれば、自分自身とはいったい何なんだろうかと思いまして」

「さあな。お前はいつも、難しい話を持ってくる」

「すみません」

「いや、しかし、それは悪いことではない。そうだな…。リュナムクはどう思う?」

「私か?まあ、改まって聞かれると、自分が何者であるかというのは、怪しくなってくるところではあるな。自分は自分であって、他人ではないということくらいしか、実質分からない」

「実際、自分が何者かなんて、考えることはないからな。今ここにいる自分が、自分自身だ」

「ふむ、なるほどな。そういうことだ、セカム。分かったか?」

「テスカトルさまは、何も仰っておられないようですが」

「おれはいいんだ。みんなのまとめ役として、自分の役割を全うしたからな」

「いつ、まとめ役になったんだよ…」

「私は、テスカトルさまのご意見も、拝聴してみたいです」

「他人に聞く前に、自分から名乗れ!」

「お前、実は何も考えてないだけだろ…」

「そんなことはあるはずがない!」

「じゃあ、すんなり言えよ」

「いえ、紅葉さま。確かに、テスカトルさまの仰る通りです。人のご意見を窺う前に、自分自身の意見を言っておくべきでした」

「そうだそうだ」

「子供か、お前は…」

「では、私の意見を言わせていただきます。私は、自分自身の存在は、他の周りの方々によって支持されているものだと考えました。ですので、他がなければ自もない。森があって木があり、木があって森がある。だから、教授さまは、森である民族を研究し、木である人という存在を見出だそうとしているのではないでしょうか」

「なるほど、おれと概ね同じ意見だったな」

「お前な…」

「では、テスカトルさま。私の意見は述べましたので、概ね同じだとしても、テスカトルさまのご意見をお聞かせください」

「うっ…」

「自分で言い出したことだ。もう逃げられんぞ、テスカトルよ」

「墓穴を掘ったな」

「う、五月蝿い!今から素晴らしい意見を言ってやるから、感動しすぎて腰を抜かすなよ!」

「はいはい。ごゆっくりお考えになってください」

「バカにして…」

「さあ、どうぞ。テスカトル先生」

「…自分がいて、他人がいて、お互いに認め合うと、その二者間で自分と他人という存在が現れる。自分一人での存在など有り得ないし、認識されない存在も存在しないに等しい。幽霊の存在が、個々人によって曖昧なのは、ある者には幽霊は認識され、別の者には認識されないからだ。つまり、存在というのは他人からの認証であり、自身の存在を知ろうとするならば、自ずと、民族、集落、家族というものの見直しが必要となってくるんだ」

「思い付きにしては上々だな」

「そうだな。よく出来ている」

「ふん。おれを誰だと思ってるんだ」

「しかし、延ばしに延ばしたのだから、そこまで威張れるほどのものではないぞ」

「そんなことはないだろう。ならば、リュナムクは、これと同等以上のことが出来るのか?」

「偶然を楯に偉そうな顔をされても、私たちの方が困ると言っているのだ。私が今、もう一度やれば、お前のように偶然上手く出来るかもしれないし、やっぱり出来ないかもしれない。上手く出来たとして、それで威張られてみろ。お前はどう思うんだ」

「…ちょっと腹立つ」

「それと同じことを、お前が今しているということだ」

「むぅ…」


テスカトルは、もうリューナに反論出来ないようだった。

素直に偶然だと認めるあたり、テスカトルらしいのかもしれないけど。

一度ため息をついて、座り直す。


「格好悪いです、テスカトルさま」

「五月蝿い」

「しかし、テスカトルさまのご意見も、大変参考になりました。ありがとうございます」

「はぁ…。そうかよ…」


どうも、リューナから受けた傷は深いようだった。

どんよりとした空気を背負って、自分の尻尾の先を突ついていじけている。

…まったく、子供みたいなやつだ。

まあ、でも、物事を純粋に楽しむためには、少し子供なくらいがいいのかもしれないな。

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