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「あの、ありがとうございます…」
「何がだよ」
「その…いろいろ、買っていただいて…」
「そういえば、今日はリョウゼン書店に行ったんだったな」
「ああ。お前の喜びそうな料理の本も、たくさんあったぞ」
「そうか。またお金を貯めて、買いに行かないとな」
「そうだな」
「それで、愛弟子には何を買ってやったんだ?」
「これだ」
横に置いてあった風呂敷包みを美希に渡す。
秋華は一瞬焦っていたけど、結局、ジッと黙っていた。
「拳法術の研究、生き残るために、刀剣の扱い方、日ノ本名景。なかなか渋い趣味なんだな」
「えっと…」
「…おい、いくらしたんだ?」
「秋華には言うなよ。拳法術の研究と日ノ本名景は二万円、生き残るためには一万円、刀剣の扱い方は一万五千円だ」
「やっぱり、本を買うなら、それくらいは必要か…」
「あ、あの、もう返してもらってもいいですか…」
「ん?なんか、見られたら困るといったようなかんじだな。たとえば、これと、これとか」
「はわわ…」
「ははは、なるほどな。これは斬新な刀剣の扱い方だ。それに、こっちは確かに日ノ本名景だな。秋華は、こういうのが好きなのか?」
「あの…」
「今日が初めてだからな。これから好きになるんだろ」
「し、師匠…」
「そういえば、風華から聞いたぞ。今日は、紅葉の特別講習があったらしいじゃないか」
「み、美希さん…」
「ふん。愚痴ってたのか?」
「そうだな。愚痴ってた」
「まったく…」
「まあ、自分で処理出来るというのも大切だからな。この本は、彼氏が出来れば必要なくなるかもしれないけど」
「えっと、あの…」
「風華も私以外には言ってないようだし、私も秘密は守る。安心しろ」
「は、はい…。安心出来るような、出来ないような…」
「ふふふ。しかし、秋華もそういう年頃か。私は、秋華の歳くらいには、師匠と一緒に旅に出ていたけど、そういう処理は自分で覚えてしまっていたな」
「そ、そうなのですか?」
「ごはんの時間にする話でもないかもしれないけど」
と言いつつ、葛葉の皿に稲荷を補充し、サンの口を拭き、りるが落とした匙を拾っている。
…三人娘の世話をしながらする話でもないと思うけどな。
「美希、ショリって何?」
「ある物事を的確に遂行することだ」
「……?」
「ほら、こっちの春雨も食べてみろ」
「うん」
「…それで、何だったかな」
「あの、別に、今でなくても…」
「じゃあ、布団の中で、私と濃密な夜を過ごすか?」
「えっ?えっと…」
「紅葉の方がいいだろ?」
「そういうわけでもないだろ…」
「えっと、よく分からないです…」
「まあ、あるときに師匠に見つかってな。師匠は男だったけど、ちゃんとしたやり方や注意点とか、いろいろと教えてもらった。次の日は、大人になったなと言って、初潮の日以来の、豪勢な食事にも連れていってもらった」
「へぇ…」
「紅葉師匠のお祝いは、この本というわけだな」
「うちより美味い食事を出せる店なんてないからな」「言うと思った。まあ、私も、飾りばかりで量が少なかったり、必要以上に手間を掛けて客の舌と顎を甘やかす料理は好かないからな。師匠が連れていってくれたのは、師匠の行き着けの大衆食堂だった」
「まあ、涼の食堂なら、ここに並ぶかもしれないな」
「うちの灯と一緒に、料理大会本選に出たくらいだしな」
「ああ。そういえば、料理大会はどうなった」
「まだ音沙汰なしだ。どうやら、また準備しなおしてるらしい」
「そうか…」
「あの、美希さん…。そろそろ返していただいても…」
「ん?あぁ、そうだな。大切に使えよ」
「はい…」
秋華は顔を真っ赤にして本を受け取り、いそいそと仕舞って。
…大人になった、か。
そういうことを覚えるのも、大人になった証なんだろうか。
それぞれの考え方かもしれないけど。
でも、成長は喜ばしいものなのに、この複雑な気持ちは何なんだろうな。
これが、親心というものなんだろうか。
秋華は、風呂で茹蛸のようになってしまい、すぐに部屋へ運び入れたんだけど、完全に伸びてしまっている。
横で、セカムが団扇で扇いでるけど。
「ははは、なるほどな。そういうことで」
「ああ」
「な、なんか、俺らは聞いちゃいけない話のような気がする…」
「そうか?」
「翡翠は平気な顔しすぎだろ…」
「平気だからな」
「しかし、懐かしいというか、なんというか。私も、師匠に教わったんだ。いや、襲われたの方が合ってるか。川で身体を洗ってたら、いきなりやってきて、股を開け!なんて言ってな」
「なんとも松風らしいな…。すごくガサツだ…」
「とにかく驚いて、そのときは何も気持ち良くもなかったけど、あとからやってみて、やっと意味が分かってな。フィルィは、自分で覚えたみたいだけど」
「し、師匠…。秘密だって言ったじゃないですかぁ…」
「しかし、夜中にみんなが寝静まったあと、こっそりと自慰に耽る弟子を見つけるってのも、なんとも複雑な気分なんだな」
「うぅ…。もうお嫁に行けませぇん…」
「私をおかずにしていただろ」
「だってぇ、師弟愛がそのまま本当の愛にって、なんかいいじゃないですかぁ」
「妄想だ」
「妄想だな」
「うっ…。ツカサも翡翠も酷いです…。でも、こう、師匠に焦らされて、じわじわ責められてるって考えると…」
「受けだ」
「百合だな」
「うぅ…。なんだか、自分の性癖を暴露しちゃってる気分です…」
「気分だけじゃないと思うけどな…」
「それに、ヨウにも手伝わせたことがあるだろ」
「それもバレちゃってるんですか…?」
「お前、隠れてやるなら隠れてやるで、もう少し徹底した方がいいぞ」
「はぁ…。完璧だと思ってたんですが…」
フィルィはため息をついて、ぼんやりと外を見る。
そして、手元にあった本に気が付き、それを手に取って。
「日ノ本名景ですかぁ。なんだか、秋華ちゃんらしい本ですね。…はわわっ」
「えっ?何?」
「な、なんでもないですっ!」
「……?」
「どんな本なんだ?」
「お前らは見ない方がいいな。フィルィも、だったけど」
「えぇ?何を隠してるんだ?」
「た、確かに日ノ本の名景でした…。また秋華ちゃんに借りないと…」
「へぇ、そんなに良い本なんだ」
「い、いえ!良くない本です!」
「どういうこと?」
「まあ、そっとしておいてやれ」
「……?」
しかし、思えば、こういうのは、こいつら男連中も使えるんじゃないのか?
少女の裸しか描いてないわけだからな。
二人にも、これくらいのものなら買ってやってもいいかもしれない。
…いや、どうだろうか。
秋華にならともかく、こいつらには露骨すぎるかもしれない。
フィルィ含め。
「あっ、こっちの刀剣の扱い方と、日ノ本名景の筆者が同じだ」
「えっと…ホントだ。多才な人なんだろうな」
「どうしても見ちゃダメなのか?」
「ダメです!これは、秋華ちゃんと私の宝物にします!」
「いや、そういうのが欲しいなら、また私が買ってやるから…。それは秋華に返してやれ」
「い、いいのですか、師匠?本ってすごく高いんですよ?」
「知ってるよ、それくらい。まあ、旅団が少し儲かってからだな」
「ありがとうございます、師匠!」
「まったく…」
「ふん。またお前をネタにされても困るしな」
「そうだな…」
テスカはフィルィから本を取り上げて、パラパラとめくってため息をつく。
まあ、どこもいろいろ大変だということだな。
「大丈夫ですか、秋華さま」
「うーん…。世界が回ってます…」
「そうですか」
秋華は、まだ起き上がれないみたいだな。
セカムが、いつもの仏頂面で、風を送っていた。