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「師匠、もう望に贈るものは決まってしまいましたか?」
「いや、何も話してない」
「そ、そうですか。よかったです」
「何か考えてたのか?」
「は、はい、いろいろと」
「そうか。まあ、また一緒に決めよう」
「はいっ!」
秋華は返事をしながら、勢いよく立ち上がる。
その拍子に、足を滑らせて転けそうになって。
だから、しっかりと抱き止めてやる。
「あ、ありがとうございます、師匠…」
「危ないんだから気を付けろ」
「つ、つい癖で…」
「まったく…」
「姉さまにも、よく怒られます…。風呂場は危険だからって…」
「千秋と入ってるのか?」
「はいっ。あ、今日は一緒ではないですが、こちらに来たときは、よく」
「そうか」
「わ、私も、姉さまみたいな綺麗な身体になれるでしょうか…。いつまで経っても、こんな背も低くて…。そのうちに、正光に追い越されてしまいます…」
「まだまだこれからだろ、お前は。それに、千秋の妹なんだから大丈夫だ、たぶん」
「そ、そうですね…。たぶん、大丈夫ですよね…。あっ、でも、このままでも、師匠と一緒ですねっ。それはそれで嬉しいです」
「…複雑だな、オレとしては」
「あっ!そ、そういうわけではないんですっ!す、すみません、師匠…」
「いや、自覚はあるからな」
「あ、あの、師匠は、私よりも背が高いし、それに、む、胸はあまりないかもしれませんが…で、でも、腰のくびれとか、お尻の大きさとかはちょうどよくて、必要な筋肉は付いてるのに、女性らしい丸みもあって…」
「ふふふ。ありがとう、秋華。そんなによく言ってもらえたのは初めてだ」
「えっ、い、いえ、そんな…。よく言おうと思ったわけでは…」
「そうでなくとも、嬉しいよ。私は今まで、体型のことで良い思いをしたことは、ほとんどなかったからな。何かにつけて、遙とかにバカにされていたし」
「わ、私はむしろ、師匠が羨ましいです。綺麗な体型で、しかも、肌も綺麗だし…」
「お前は、私なんかよりも、もっと綺麗になるよ。今でも、これだけ可愛いんだから」
「あ、あの…。えっと…。百合の花というものでしょうか…」
「いや、違うけど。というか、誰にそんなことを…って、だいたい分かるけど」
「フィルィさんは関係ないですよっ」
「何も言ってないけどな。というか、あいつは、今は何をしてるんだ?」
「テスカさんのお手伝いじゃないでしょうか。旅団蒼空も、もうすぐ再編されるようですし」
「そういえば、準備はどこまで進んでるんだろうか」
「私は、あまり聞いてませんが…」
「オレも聞いてない」
「あっ」
「ん?」
「師匠、オレに戻っちゃいました」
「何がだよ」
「一人称が、さっきまで私だったのにという話です」
「そうだったか?」
「はいっ。なんだか、私って言ってる師匠は、ますます麗しの令嬢といったかんじで…」
「オレがか?なかなか傑作だな」
「ダメですよ、師匠。綺麗になるのも気持ちからです」
「いや、オレは別に、綺麗になりたいだとかは…」
「勿体ないです、師匠。綺麗な人が、綺麗にならないなんて」
「そう言われてもだな…」
私は、自分が綺麗だとも思ったことはないし、化粧だとか着飾ったりだとかは嫌いだ。
綺麗になるってのがどんなものなのかも分からないし。
「…湯船に浸かってくる」
「あっ、師匠、待ってくださいっ」
秋華は慌てて石鹸を落とし、私についてくる。
また転けないかが心配だったけど、大丈夫なようだ。
…体型について褒められたのは嬉しかったけど。
でも、そのあとがまたなんとも言えない、微妙なところだな。
私は、綺麗になるとか、そんなつもりはないんだけど。
まあ、少しくらいは綺麗になった方がいいのかもしれないな。
利家のためにも。
「いやいや…」
「……?」
「いや…。こっちの話だ」
「そ、そうですか」
なんで、利家のために綺麗にならないといけないんだ。
我ながら、意味不明なことを考えていた気がする…。
部屋に戻ると、テスカと翡翠が屋根縁で話し込んでいるみたいで、ツカサはつまらなさそうに寝転んで、天井を眺めていた。
あいつらは、何を話してるんだろうか。
「あ、姉さんに秋華。お帰り」
「ただいま帰りましたっ」
「まあ、秋華の家はここじゃないんだけどな」
「いえっ。ここは第二の我が家ですからっ」
「そっか」
「それで、あいつらは何を話してるんだ?」
「今後の予定とか、連絡の取り方とかだと思うけど」
「ふぅん…」
「旅団と連絡を取るのって、あんまり難しくないんだってね。相手の名前と、相手が所属する旅団を書いて送ると、ちゃんと相手に着くって」
「そうだな」
「なんだか、不思議なかんじがするけどな」
「そうか?地域を越える手紙は、とりあえずは、どこかの旅団に委任されている。それが、各地の郵便局やなんかに届けられ、私たちの下までやってくてるんだ。旅団は、各団員がどこにいるかをだいたい把握出来てるから、自分のところの団員なら直接渡して、他のところなら、目的地の街まで転送されたりする」
「ふぅん。まあ、俺たちの見えないところで、みんな頑張ってるってことだよね」
「そうだな」
「そう考えると、手紙ひとつ取っても、なんかありがたみが増すよね」
「そうかもしれないな」
「私も、ときどき姉さまに手紙を書きますっ」
「うーん…。それは、普通にユールオの郵便局に集められて、そのまま直接こっちまで来るんじゃないかな」
「そ、そうですか…。しかし、郵便局の方たちにも、見えないところでお世話になっていますし、それだけでも、たくさんの方々が関わってるに違いありませんっ!」
「まあ、そうだよね。郵便局がなければ、遠方に手紙は届けられないし。見えないところでお世話になってるってのは、いろいろありそうだよな」
そうだな。
目に見えないところで、私たちはたくさんの人に支えられている。
なかなか気付けないかもしれないけど。
…それに気付けるようになりたいものだ。
私たちを支えてくれている、多くの人に感謝を。