54
月が昇る時間は、日ごとに遅くなってきている。
そのうち新月になって、また満月に向かう。
満月は新月に向かい…
「何を考えてるの?」
「いや…」
「あ、まだダメだよ!」
「………」
ごはんを目の前にして待たされるのは相当辛いだろう。
それでも明日香は、ダラダラと涎を垂らして待っている。
「良いよ。食べなさい」
「……!」
早速駆け寄り、一心不乱に食べる。
今日はセトが捕ってきた熊の肉も入ってるから、いつもより豪勢だ。
いつも明日香の夕飯はみんなのあとなので、不平不満が積もっていってるみたいだから、これで少しでも機嫌が取れれば良いんだけど…。
「ワゥ!」
「ない。それで終わりだ」
「クゥン…」
「ないものはないんだ。セトにまた捕ってもらえばいいだろ」
「………」
「お前一人じゃ無理だろうな」
「………」
明日香はそのまま広間を出ていってしまった。
…明日香"一人"では無理だろう。
でも、まだ続きがある。
それに気付いているんだろうか。
「あ、そういえば、美希さんは?」
「さあな」
「明日には発っちゃうのかな…」
「…さあな」
美希は夕飯のあと、誰にも何も言わず、どこかへ消えてしまった。
別れを言うと、余計に去りにくくなるからだろうか。
もしかしたら、もう遠くに旅立ったのかもしれない。
「まあいいや。また会えるよね」
「ああ。きっとな」
理由は分からないけど。
必ず、また会える。
そう確信出来た。
「グルル…」
「あ、セト。どうしたの?」
「………」
「うん。もう夕飯は終わったよ」
「ウゥ…」
「良いけど、なんで?」
「………」
「黙ってちゃ分からないでしょ」
「………」
「もう…ちょっと待ってて。ごめんね、姉ちゃん」
「謝ることはないだろ。ゆっくりしてこい」
「うん、ありがと」
そう言うと、風華は広間を出ていった。
それにしても、女の子を夜の散歩に誘うとは、セトも隅には置けないな。
覗き…なんて野暮なことはやめて。
どうしようかな…。
「紅葉、暇か?」
「んー、どうだろ」
「暇なら…さ、散歩にでも行かないか…?」
さっきのセトの様子を見てたから驚きは半減。
それに…セトの方が誘うのが上手かった。
だから、少し意地悪をしてみる。
「どうしようかな」
「嫌ならいいんだ…」
「………」
「………」
「ふぅ…」
「…そうか。ごめんな、変なこと言って」
そして、そのまま立ち去ろうとする。
その後ろ姿に抱きついて
「ふふ、嘘だよ。さあ、行こうか」
「え?あ、うん」
利家の手を取り、広間をあとにした。
城の外周は真っ暗だった。
市場の方に行くと、夜店なんかもあるんだけど、そちらには行かず。
「議会も無事に集まり、それほど大きな事件もなく、この国は安定している」
「うん」
「僕がヤゥトにいた頃、ずっと願っていた世界が、今ここにある」
「うん」
「まさか、自分が中心になるなんて思わなかったけどね」
「うん」
「…あ、ごめん。こんな話ばっかりで…」
「ううん。犬千代の話、もっと聞きたい」
「それじゃ不公平だろ。今度は紅葉の話を聞かせてくれ」
「オ、オレの話?そんなのないよ…」
「ないはずないだろ?小さい頃の話とかさ」
そ、そんなこと言われても…。
「あ、そうだ」
「何か思い付いた?」
「綺麗な龍を見た」
「セトじゃなくて?」
「ああ。蒼い鱗の龍」
「へぇ…」
「響が言ってたけど、龍は感情が昂ったときに龍紋という模様が出るらしい。というか、セトの龍紋を昨日見たんだけど」
「龍紋か…」
「あの蒼龍の龍紋は本当に綺麗だったな…。どういう理由で感情が昂っていたのかは、そのときは分からなかったんだけど」
「へぇ~。僕も見たかったなぁ」
「その蒼龍は、いつも同じ場所にいて眠っていたんだ。オレが近付くと起きて、綺麗な龍紋を見せてくれた。それが楽しくて、毎日のように通った。母さんには危ないから近寄るなって言われてたんだけど」
「母さんって、狼の?」
「ああ。オレがまだ狼だった頃の話だ」
「うん。それで?」
「ある日、龍が話し掛けてきたんだ。私はもうすぐ行かなきゃいけないから、もうここに来てはダメだって。どこに行くのか、なんで来ちゃダメなのか、聞いても答えてくれなかった。ただ、何回も"ありがとう"って」
「………」
「次の日に行ったときには、もう龍紋を見せてくれなかった。顔を舐めてみても目を開けてくれず、話し掛けても答えてくれず。思い付く限りの全てをしてみたけれど。いつの間にかお母さんが来ていて、もうやめてあげなさいって。お互いに哀しくなるだけだからって。…私はそこで初めて、身近な死を経験した。初めて…泣いた」
「………」
「そして、私たちは規律に従い…その龍を…」
「そうか…」
利家は優しく肩を抱いてくれて。
ふと見上げると、木々の間から綺麗な星空が見えた。
部屋に戻ると、チビたちと風華はもう寝ていた。
「ごめんな…。辛いこと、思い出させて…」
「いや。あれはオレにとって大切な思い出だから」
「うん…。でも、ごめん…」
「はぁ…。じゃあ…」
利家を抱き締めて、頬に口付けをする。
「……!」
「これで許してあげる」
「あ、うん…。どうも…」
「じゃあね。お休み、利家」
「お休み…紅葉」
振り返りざま、少し流し目で利家を見て、軽く尻尾を振る。
それが伝わったか伝わらなかったか、利家はこちらを見てニコリと笑った。