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「これが洗濯ですか」
「ああ。知らなかったか?」
「言葉自体は知っておりましたが、拝見するのは初めてです」
「ははは。おれらには、毛皮という便利な服があるからな。洗濯をしたり、着替えたりしなくともよい服がな」
「着替えはともかく、洗濯はしておかないと獣臭いぞ、お前ら」
「おれが匂うなどということは有り得ない話だ。あるとすれば、気高く高貴で美しい雌豹の香りがするはずだ」
「…自尊心が高いことだけは分かったよ」
「匂うのはこいつじゃないのか?烏の行水を越える、セカムの行水だ。こいつは、毛が濡れるのは、あまり好きじゃないからな」
「身体に付く虫などを、殺したり追い払うことが出来ればよいのです。水浴みなどしなくとも、砂浴みのあとに焼いて消毒さえしておけば、清潔さは保てます」
「焼く?」
「法術のひとつに、浄化というものがあります。自身に害のあるもの、つまり、寄生虫や細菌等を、炎で焼いて殺してしまうという術です」
「おい、浄化を使えるなんて聞いてないぞ」
「言ってませんから」
「そんな便利な術が使えるようになったなら、まずはおれに報告しろ」
「テスカトルさま。浄化が使えるようになりましたので、ご報告いたします」
「遅い!」
…なんだかんだで、こいつらはいい関係だと思う。
何かと必要以上に騒がしいテスカトルと、必要以上は喋らないのに実は皮肉屋のセカム。
正反対なんだけど、上手くやっていけるような。
そんな二人だ。
「まったく…。今度からは、おれの純潔を守るためにも使えよ」
「浄化は清潔さを保つ術です。純潔を保てるかどうかは、むしろ、テスカトルさま次第といったところでしょう」
「純潔な乙女は、清潔でもあるのだ」
「では、今までのテスカトルさまは純潔ではなかったのですね」
「浄化を使わずとも、おれは清潔を保てるんだ。お前とは違ってな」
「では、私が浄化を使うこともないでしょう。これまで通りの方法で、清潔を保たれた方がよろしいかと存じます」
「つべこべと言わずにやれ!」
「はっ、仰せのままに」
「まったく…。これだからセカムは…」
「…テスカトル。尻尾に火が点いてるぞ」
「ん?わっ!な、なんだ?」
「浄化の炎です。消毒が済むまで、今しばらくお待ちください」
「熱っ!熱い!」
「清潔を保つための、相応の対価です。もちろん、毛並みや肌に害が及ぶわけではないので、ご安心ください」
「熱いなら熱いと最初から言え!というか、急にやるな!」
「浄化は炎を使って焼くわけですから、害はないですが、多少熱いです。今から始めますので、ご覚悟ください」
「だからお前は…熱っ!い、紅葉、水を!」
「消えるのか?」
「消えたら意味がないですので」
「終わるまで我慢しろだとさ」
「とにかく冷やしてくれ!」
そう言って、近くにあった桶に身体ごと浸かって。
確かに、水を掛けても消えてないけど、水の中でも燃え続けている炎というのも、なんだか不思議なかんじがするな。
「それより、エスカ。あなたは先程から一言も話していないようですが、もしかすると、どこか具合でも悪いのですか?」
「そうなのか、エスカ?具合が悪いのなら、私に言いなさいと言ってるのに…」
「あ、いえ、違うんです。セカムさんはお喋りが上手なんだなって思って…」
「そんなことを言われたのは初めてですね」
「そ、そうですか?」
「そもそも、お前はあまり人と交わらんだろう…。おい、熱いのはどうにかならんのか」
「なりません」
「私が言えることじゃないですけど…お友達とかいないんですか?」
「いないな、こいつは。目付きも悪いし」
「………」
「あの、じゃあ、私とお友達になりませんか…?」
「エスカ…。いや、驚いたな…」
「そうだな。この前まで、チビたち以外と話すのにも怯えてたのに」
「あっ、えっと、レオナさんとかナナヤさんが、もっと自分からお友達を増やそうとしないといけないと仰っていて…」
「ふふふ。だから、セカムはその実験台だということか」
「あっ!け、決して、そういうわけではないですっ!本当に、セカムさんとお友達になりたいなって思って…」
「テスカトル。エスカをからかってやらないでくれないか」
「よいではないか。しかし、こんな男の友達第一号候補が、エスカのような愛らしい娘子とはな。美人の主人も持って、まったく贅沢なやつだ」
「………」
「あ、あの、セカムさん…」
「…ありがとうございます。喜んでお受けいたします」
「セカムさん…!」
「よかったな、エスカ」
「はいっ!」
「しかし、せっかく友達が出来たというのに、笑顔のひとつでも作ってみたらどうなんだ」
「………」
セカムは、テスカトルを睨みつけて、ため息をつく。
それから、エスカの方を見て、パタリと尻尾を動かして。
無愛想の極みだな。
…しかし、こいつらは、本当に主従の関係なのかと思うくらい、セカムのテスカトルに対する不敬っぷりが物凄い気がする。
いや、従者だからといって、主人を敬う必要はないのかもしれないけど。
要は信頼関係ということだろうな。
「うむ、なぞなぞを考えた。上は大火事、下は大水、中は両方。これ、なーんだ。答えは、今のおれ自身だ」
「なぞなぞになっていませんし、一時的な状態はなぞなぞには不向きです」
「言葉は遷移していくものだ。なぞなぞもな。…ところで、これはいつ終わるんだ?」
「火が消えたら終わります」
「終わったら火が消えるんだろう。前後関係がおかしい」
「浄化が終わる瞬間と、火が消える瞬間は同時です。同時である以上、前後関係は存在しません。よって、どちらが先で、どちらが後でも、本質は変わらないということになります」
「す、すごいです、セカムさん!」
「………」
「すごかないさ。屁理屈だよ、屁理屈」
「私には、お前の方が負け犬の遠吠えに聞こえるがな」
「ふん。おれは犬ではない」
「下らないことで拗ねるな」
「拗ねてない!」
頭の上に火柱を立てながら、バシャバシャと水をこちらに飛ばしてくる。
なんとも滑稽な姿だ。
一方でセカムは、いつものことだとでもいうような、涼しい顔をしていて。
…まったく、面白い二人だな。
「はぁ…」
「慣れれば、お灸みたいで気持ちいいですよ」
「………」
テスカトルは、すっかり少なくなった水に浸かって、不満そうに尻尾の先を動かす。
悔しいけど、確かになんだか気持ちよくなってきた…といったところか。
すでに、うとうとし始めている。
…それからは、静かになったテスカトルの代わりに、エスカがよく喋るようになった。
友達としては、まだまだぎこちないけど、セカムとも楽しそうに話していて。
この調子で、他のみんなとも仲良くなってほしいものだけどな。