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「いやぁ、遅くなった遅くなった」
「遅すぎだぞ、お前」
「だってさぁ、涼さんがお赤飯炊くから待ってろって言うんだもん」
「やっぱり、食堂に寄ってたんだな…」
「お腹空いたんだもん、そりゃ寄るよ」
「まったく…」
「いいじゃん、みんなに祝ってもらったら」
「それは別にいいけど…」
「あーあ。でも、これで、望も月のものに悩まされる乙女の一人になっちゃうのかぁ」
「事前情報が足りなかったから、一日黙って過ごしてしまったんだ。今後、同じことにならないように、何か対策を考えておかないとな」
「考えておかないとって、みんなにそういうことを教えておくしかないんじゃないの?」
「それはそうなんだけど…」
「じゃあ、簡単じゃん。女の子は、大人になると、月に一回、股の間から血が出てくるようになるよって言えばいいんだよ」
「そう簡単にはいかないし、そんな説明では不充分だ。それに、お前自身がそういう説明をすることを想定して言ってるか?」
「えっ?ま、まあ、私は、誰かに説明するとか、そんなガラじゃないし…。だいたい、そんなこと、恥ずかしくて言えるわけないじゃない…」
「自分はやりたくないのに、人にはやれと言うのか」
「うっ…」
「なんで月のものがあるのかとか、どこから血が出てくるのかとか、そういう質問をされたとき、どう答えるんだ。あるからあると答えたり、実際に見せたりするのか?」
「実際に見せるなんて、絶対に有り得ないよ!」
「子供たちは好奇心の塊だ。股の間から出てくると言われて、肛門なのか、尿道口なのか、あるいは、別のところなのか、興味を持たないとは言えない。適当な説明や曖昧な説明で納得するほど、子供は甘くないぞ。そして、そういうときに、実際に陰部を拡げてみせて、ここから出てくるんだと説明出来ないとなれば、別の方法を考えないといけない。性教育は、大人は恥ずかしくて詳しく説明はしたくないと感じ、子供は興味津々でいろいろと聞きたいと思う分野のところを、いかに恥ずかしさを抑え、ぼやかさずに説明出来るかということが肝心になってくる。そういうことまで考えないといけないんだ」
「はぁ…。はいはい、分かりましたー…。そんなんだったら、私なんかに言わないで、お姉ちゃん自身が説明したらいいのに…」
「オレも、どういう仕組みで月のものがあるのかとか、そういうことの詳しいところは知らない。専門的な知識を持ったやつと、どういう方針にしていくかということを、じっくり考えていかないといけない」
「それなら、ますます私の出番じゃないね」
「性教育についての本は、私も持っていないな…」
「いや、それは別にいいんだ。でも、専門知識がないからといって、何も出来ないわけではない。何も出来ないなら、そういう話は薬師に任せるしかないけど。どうすれば分かりやすく教えられるかとか、そういう工夫面ではオレたちにも出来ることはあるだろ」
「まあ、それはそうかもしれないけど…」
「自分には関係ないと、適当に済ますなということだ」
「はぁ…。はいはい、分かりました分かりましたー…」
「まったく…」
「私は男の上、人間でもないから、そういう意味では役には立てないが、言葉の選択や校正の部分では、なんとか役に立てると思う」
「ああ。まあ、お前がいる間に、そういうことを考える機会があれば、よろしく頼む」
「うむ」
女なら誰にでも来るものなんだから、今回みたいにのんびりと構えていたり、あまり先延ばしにするわけにもいかないということだな。
望には悪いことをしたけど、同時に気付くことが出来た。
「まあ、その話はいいとしてさ、何かお祝いとかしないの?」
「いちおう、厨房にはお祝い用の料理を作ってもらうように頼んであるけど」
「お祝い用の料理かぁ。でも、初潮なんて急に来るものだし、お祝いっていってもなかなか準備しにくいよね」
「そうだな」
「あとから用意も出来るけどさぁ。何がいいのかな」
「ふむ。聞いた話なのだが、ある地方では、初潮のお祝いに犬の人形を贈るらしい」
「ふぅん。なんで犬なんだ?」
「多産や安産のお守りだそうだ」
「犬?犬かぁ。柴犬とか飼ってあげるの?」
「いや、リューナによると、お祝いに犬の人形を贈る地域があるらしい」
「ふぅん。犬の人形ねぇ。今から市場に走ったら、間に合うんじゃない?」
「せっかくのお祝いなのに、そんな適当に選んだようなものはやめておいた方がいいだろ」
「まあ、確かに。でもさ、それを言ったら、何もあげられないよ?」
「今日すぐに、何かを贈らなくともよいのではないか?」
「そうだな。今日のところは調理班に任せて、また日を改めてちゃんとしたものを渡す方がいいかもしれない」
「リュナムクと相談したの?」
「ああ」
「まあ、犬の人形くらい、望も持ってるかもしれないしねぇ。やっぱり本物の犬だよ、犬」
「うちには龍もたくさんいるし、明日香だっているじゃないか。その上、犬まで飼うと収拾がつかなくなるぞ」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるって」
「…じゃあ、食べるものの用意も散歩も、お前が全部世話をするんだな?」
「えっ?えぇ…。そっちにいくかなぁ…」
「犬を飼おうと提案したのはお前だ。それくらいはやるべきだろ」
「うっ…。まあ、そうなるんだったら、望にじゃなくて、自分で飼うよ…」
「それがいいだろうな」
「はぁ…。お金貯めないとなぁ…」
ナナヤはどうやら、口先だけでなく、本当に飼う気らしい。
それはそれでいいと思うけど。
…とにかく、望へのお祝いは、またあとでということだな。
何がいいんだろうか。
さっき出た犬の人形か?
何か、もっと別のものがいいんじゃないだろうか。
こういうのは、考え出すと本当にキリがないな…。