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「テスカトルは、晩年、言葉の思想について、こう述べている。私が言葉を追い求めるのは、言葉が純粋だからだ。しかし、そのような清らなものを手に入れられるわけもなく、だから、私は懸命に手を伸ばすのだ、と」

「ははは、おれのことか。しかし、晩年って、おれはまだ採れたてピチピチだぞ」

「声が大きい」

「そういえば、思想家テスカトルは、八十年を生きたあとも老い衰えることはなく、生涯若く美しい娘の姿のままであったといいます」

「生涯って、おれはいつ死んだんだ」

「講義中なんだから、喋るなって言っただろ」

「なんでだ。気になるじゃないか。おれの話だぞ?」

「だから、声が大きいんだよ、お前は」

「テスカトルは旅が好きで、旅から旅の生活を続けたと言います。最後、このルクレィあたりで消息を経ってから、テスカトルの思想活動は途絶えてしまいます。一説によれば、この最期の旅のうちに、骨を埋める場所を見つけられたということですが」

「おれは、まだ死ぬ気はないぞ」

「はぁ…。そうだな…。あと一万年は生きるような気がしてきたよ…」

「ははは。一万年あれば、言葉の真理に辿り着けるだろうか」

「無理じゃないか?」

「…そうだな。言葉は、時間を掛ければ手に入れられるものでもなかったな。私には、一生掛かっても届きそうにない」


言葉の話をするときだけは、テスカトルに普段のおちゃらけた様子はなくなり、狩りをするような真剣な目になる。

でも、狩りの目とは少し違い、そこには我が子を見る母のような優しさがあるように思った。

…どっちが本来のテスカトルかは知らないが、なぜか桐華を思い出した。

あいつも、ときどきそういう風になることがある。

まあ、お茶の話をするときとか、決まったときにそうなるわけではないけど。

それにしても、今日はよく桐華を思い出すな。

今頃、私の部屋で昼寝でもしてるんだろうか。


「おぉ、そうだ。リカルの習字も見てやらんとな」

「忙しいやつだな、お前は…」

「おれがおれの姿でいられる一生は、この一回きりしかないんだ。しっかり楽しんでおかないと損だろう?」

「お前が哲学の話を聞きたいと言うから、こんな離れた場所で聞いてるってのに…。まあ、講義の邪魔にならない程度に…」

「んー、そうか。やっぱりやめた。あっちには、セカムもいることだしな。大丈夫だろう」

「はぁ…。お前な…」

「ははは、そう怒るな。こういう性格なんだ、おれは」

「怒ってないけど…。それに、お前みたいな性格のやつには慣れてる」

「そうか?それならいい」


こういう自由奔放なところも、桐華そっくりだな…。

何やらご機嫌に、鼻唄なんか唄ったりしてるけど。


「しかし、こうやって、自分が昔言ってたことを他人から聞いてみると、なんだかこそばゆいな。そんな熱った(いきった)ことを言ってたのか、とか」

「熱るねぇ」

「知らないか?関西弁なんだが」

「いや、知ってるよ。生意気だとか、そんな意味だろ」

「ふふふ、よく知っているのだな。しかし、なかなか上手く、雰囲気を説明してるとは思わないか?もとの火照るとか、激怒するとかいう意味からは、かけ離れているというのに」

「どうだろうな。方言だからと言ってしまうことも出来るだろ」

「まあ、それはそうかもしれないな。しかし、その挑戦的な態度は好きだぞ。おれが、かの伝承の邪神テスカトルと知るや否や、付和雷同の(てい)を取るやつもいるからな」

「ふん。オレは、お前もリューナも、伝承の神としてなんて見てないからな」

「うむ、それでいいんだ。おれたちは、そんな神と呼ばれるような存在ではない。お前たちと同じ、この大地に住まう家族の一員なのだから」

「家族ねぇ…」

「そうだ。だから、おれはお前の姉だ」

「随分歳の離れた姉だな…。というか、自分が女という自覚はあるんだな」

「女でなければ、リュナムクの妻にはなれないだろう?それに、おれは別に、自分を男とは思ってないし、男として扱ってほしいとも思っていない。言動はこんなだがな」

「ふぅん…」

「お前だってそうだろ、紅葉?」

「まあ、そうかもしれないな…」

「おれたちは、やはり姉妹ということだ」

「はぁ…。そういうことにしといてやるよ…」

「ふふふ」


テスカトルは、子猫が甘えるように、私に擦り寄ってきて。

ただし、大きさは普通の豹だから、いろいろと不自然だけど。

…そして、こちらを見上げる金色の目は、角度によっては赤く光るということを発見した。


「言葉は嘘をつく。言葉にあるのは闇と混沌のみで、人の言葉に光明を見出だしたならば、それはその人物に秘められた太陽を見ているのである。つまり、人とは元来光であるが、言葉という道具に惑わされ、穢され、光を失っているのである」

「なんだと!」

「テスカトル。大声を上げるなと言ったはずだぞ」

「言葉こそ太陽だ!言葉は純粋で美しい。しかし、その言葉を嘘で塗り潰すのは、穢れた心そのものだ!人の心に本来あるのは混沌だ。その混沌に光を当て、煌めく宝石を見出だすのは言葉であり、その者自身の清浄だ。そして、言葉の光に気付かず、混沌の中から嘘や穢れを拾い集め、言葉の光を奪っていくのは、心の腐った屑だ。人は元来混沌であるということは、恥ずべきことではない。正しく清浄であるならば、言葉が行く先を照らし、導いてくれるからだ。混沌であることを忘れ、嘘や穢れを捏ねて作った汚泥の太陽を信仰する者は、自身がその汚泥に呑み込まれているのにも気付かず、窒息してなお、自身こそが光であると信じて疑わない。何も考えず、言葉に感謝もせず、あろうことか憎しみさえする者は、いつまでも同じ過ちを繰り返し、先の愚の轍を踏み、破滅していくばかりだ。おれは、言葉を憎む輩が憎い。これほど美しく、清らなものを穢し、貶める、心の腐っている輩がな」

「………」

「…失礼した。講義の途中だったな。申し訳ない」

「あ、は、いや…。い、今の文言は、テスカトルの考えを批判し、言葉そのものの存在を否定する、無用主義を提唱した現代の芸術家庭幹の言です。彼は、心のままに表す芸術こそが人の光であると、今も主張していますが、私はそうは思いません。テスカトルと…先程の声の主の言う通り、言葉は純粋で美しいものです」

「………」


テスカトルの背を叩いて合図すると、肩を落としながらも、すんなりとついてきた。

また気を取り直して、講義は何事もなかったように再開されたが、私たちはそのまま広間を出ることにする。

…リューナのこともあるから、出入口を出てすぐ左で立ち止まって。


「すまない…。紅葉…。静かに聞く約束だったのに…」

「お前が、それだけ言葉に対して真剣だということだ。それに、最初から最後まで、約束なんて守ってなかっただろ」

「そうかもしれないな…」

「…まあ、気にするな」

「………」

「どうしたんだ、テスカトル。大きな声を出していたようだが」

「………」

「なんでもない」

「そうか。…お前はすぐに熱くなるタチだからな。いちおう、哲学の区画にいた者たちの記憶に、先の数分間だけ、薄く靄を掛けておいた」

「世話を掛けるな、リュナムク…」

「いや、礼などいい。それより、早く心の整理をつけることだ」

「ああ…」

「…紅葉。不便を掛けるが、テスカトルをよろしく頼む」

「それはいいんだけど、お前はどうするんだ?」

「む…。そうだったな…。しかし、エスカの算学も見てやらねば…」

「はぁ…。じゃあ、そこの屋根縁で頭を冷やすとしようか」

「………」

「すまない…。よろしく頼む…」


屋根縁は、哲学の区画からも一番離れてるしな。

ちょうどいいのかもしれない。

…でも、テスカトルのあの目は、群れの家族を傷付けられた狼たちに似てると思った。

いつだったか、あの目を、私は見たことがある。

遠い記憶の向こうに。

でも、群れの中にいた頃ではないと思う。

いつだったかな…。

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