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「言葉を操ることが人である条件ならば、私たちはまだ人ではないだろう。私は、自身が本当に言葉を操ることが出来ているのかということに懐疑的だ。これは、中世の思想家テスカトルの言葉であり、彼は言葉の真理を追い求めるために、"この橋より"という随筆型の小説も書いていた。今度、読んでみてください」

「…テスカトルって、あのテスカトルか?」

「そうだろうな。あいつは、とかく言葉というものが好きらしい」

「ふぅん…」

「テスカトルは同様に、言葉は形を自由に変えることの出来る水のようなものだ。しかし、何らかの容器に入れて初めて形を為すものが、どうして、言葉と同じく、決まった形のない抽象や概念というものを説明し得るのか。私には、まだ言葉の真髄を知ることは出来そうもない…と言っている。テスカトルは言葉に非常に敏感で、生涯を旅に過ごし、言葉を模索し続けていた。彼はまさに思想家であると、私は考えており、憧れでもあります」

「ちなみに、テスカトルは女だ。まあ、男勝りな性格だし、言動も全く女らしくないがな」

「ふぅん」

「テスカトルの言葉への思索は、後の思想家にも多大な影響を与えています。考えるということに言葉は欠かせない。しかし、たとえば、その言葉が不安定な土台の上にあるとすれば、私たちは何を頼りに思考を巡らせればいいのか…とは、現代の詩人孝慮(こうりょ)の著書、"聡明"に書かれている一節です。言葉は人の最大の発明であり、最大の失敗作であると、そのあとに記されています。この孝慮は現在三十二歳であり、ある寺で今も修行を積んでいる。この若さで著書も多く、彼の一番最初の著書では、テスカトルの言葉の思想について言及し、彼女が生涯の目標であるとも書いている」

「ふふふ。テスカトルが生涯の目標か」

「いいじゃないか。何を目標にしたって」

「まあ、そうなんだがな。知らぬが仏、ということか」

「人は、言葉を使う以外に伝達する手段を知らない。言葉を伝えるのも言葉である。よって、決して言葉を信じてはならない。信じるべきは人である…と、近代の小説家である霊時(りょうじ)は述べている。彼女は、孝慮と同じくテスカトルの思想の影響を受けた一人で、彼女の作品である"若葉より"は、テスカトルのこの橋よりを彼女なりに解釈し、書き直したものです。もともと随筆であったものを、主人公のテスカと、その従者のリューナの旅日記という形に書き換えていて、老若男女、誰にでも親しみやすいものとなっています。この橋よりも、さすが言葉の思想家といったところでしょうか、非常に読みやすいのですが、彼女の若葉よりを併せて読むことで、より理解を深め、楽しむことが出来ると思います」

「テスカと、従者のリューナだとさ」

「ふん。まあ、共に旅をしていたこともあるからな。従者というわけではないが、あいつは都合のいいときだけ男女の別を引き合いに出して、私をこき使っていたこともあった」

「どんなやつか、俄然興味が湧いてきたな」

「方々をフラフラと歩き回っているからな。そのうち会えるやもしれん」

「楽しみにしてるよ」

「やめておけ」

「ふふふ。余計に楽しみだな」

「ところで、さっき出てきたテスカとリューナですが、この二人は、北の伝承の神であるテスカトルとリュナムクをもとにしていると思われます。テスカトルは、もちろん今回の講義の中心である思想家と同じ名前ですが、神々の名前をお借りして、それを子供に付けるというのは、今でもある習慣ですね。思想家テスカトルも、そういう一人だったのでしょう」

「まさに、その、名前を借りてくる神なんだけどな…」

「まあ、気にするな」

「そうだな…」

「話を戻して。テスカトルは破壊と創造の神、リュナムクは破壊と厄災の神として知られています。テスカトルにはセカム、リュナムクにはエスカという従者がいるとされ、それぞれ北の言葉で、遠吠え、小さな花という意味です。エスカは、同名の花もありますね。テスカトルは、この世界に顕現するときには必ず遠吠えをすると言われており、従者の名前もここから来たのでしょう。そして、リュナムクは、貢物の生贄として捧げられた赤子にエスカの花を添えて、いつまでも大切にしたと言われています」

「そうなのか?」

「さあ、どうだろうな」

「テスカトルとリュナムクは、黎明の大戦という、この世の始まりにあった神々の争いで共闘して以来、生涯の友だったと言います。…さて、どうしてこんな話をするのかというと、もととなった人物や物事といった背景を知ることで、読書をより深いものにすることが出来るからです。若葉より以外でも、そういう本はたくさんあります。是非とも、そういった読み方も試してみてください」

「ふむ。それはそうかもしれないな。一度読み終わった本でも、背景を知り、少し間を置いて読み直してみると、新しい発見が出てくることもある。本の楽しみ方のひとつだろうな」

「そうか」

「では、テスカトルの思想に戻りましょうか」


哲学の講義は、静かに続いていく。

隣の区画で、算数と習字をやっているとは思えないな。

チビたちの元気な声も、思考の波が緩衝材となって、こちらには届かないようだった。

…と、ふと、子供たちの中に、エスカの姿が見える。

半ば強引に連れてこられたが、そんな荒療治も役に立ったようだ。

望とレオナに、いろいろと教えてもらってるらしい。

緊張している様子もないようだし、終わり良ければ全て良しといったところだろうか。

まあ、このあと、昼休憩のときにでも感想を聞いてみよう。

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