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チビ三人は、あやとりを存分に楽しむと、また外へ遊びに行ってしまった。
結局、エスカは川を作るので精一杯だったけど。
「旅日記って、面白いんだよ。自分も一緒に旅してるみたいで」
「そうなのですか。私は、あまり本格的な旅日記は読みませんね…。どちらかと言えば、指南書や幻想小説なんかを」
「幻想小説?どんなのが好きなの?」
「翔るとか、空の下でとかですかね」
「へぇ。勇者とか魔法とかの方じゃないんだね」
「はい。あまり、そういう話は好きではなくて…。面白い話もあるのですが、勧善懲悪というのはどうも苦手で…」
「あ、分かるかもしれない。私は、悪にも正義はあるんじゃないかとか思うんだよね。何のために世界征服をするのかとか、何のためにそんなことをするのかとか、そういうのが曖昧になってることが多くて」
「そうなんですっ。あと、私は、完全なる悪っていうのも嫌なんですが。人を苦しめたりすることに対して何も理由がないなんて、おかしいと思うんです。最終目標は世界征服とかかもしれませんが、悪行を重ねて手に入れた世界に、悪役は何を求めているのかとか、完全なる闇の世界とか、悪が正義の世界とか、全然意味が分からないんです」
「力で手に入れた世界は、破滅の輪廻を生む。確かに、その世界は悪者にとっては住みやすいかもしれないが、いつかは、自分がやったように、力で世界を変えようとする者が現れる。正義の裏には悪があり、闇の陰には常に光がある。結局は、同じことを繰り返していくだけだ」
「うっ…。そ、そこまでは考えてませんでした…。リュナムクさんはすごいですねっ」
「なるほど…。リュナムクさまのご思慮深さに感銘を覚えるばかりで、エスカは自分の浅慮を恥じ入ります…」
「む?」
「お前、二人の他愛ない会話に、ガチガチの理論で突撃していくなよ…」
「うむ…。つ、つい…」
「力で手に入れた世界は、いつか、同じ方法で奪い返される、ですか…」
「うーん…」
「す、すまない…。私が横槍を入れたばかりに…」
「いえ、そんな。リュナムクさんの考えで、なんだか別の世界が見えてきそうですっ」
「はい。ありがとうございます、リュナムクさま」
「むぅ…」
まったく、余計なことをする。
女の子同士、楽しく話をさせてやればいいのに。
…いや、エスカが本当は何歳で、女の子と呼べる歳なのかどうかは分からないけど。
でも、見た目はナナヤたちとも変わらないから、女の子でいいのかもしれない。
「あ、私は、そういう意味では、鷹光団見参!(ようこうだんけんざん!)が好きです」
「あぁ、なるほど。世界に平和を満たすために、世界征服を目論む…だっけ」
「はいっ。いつも失敗に終わりますが、面白可笑しい作戦や突拍子もない展開に、いつも大笑いしていて。でも、さりげなく世の中への風刺や批判も含まれていて、読んだあとにも、しっかりと考えさせられるんです」
「うん。深いよね、鷹光団は」
「はい。私の好きな言葉は、総督が言った、世に光を当てれば、必ず闇が生まれる。闇が悪と言うのなら、それで世に光が満たされると言うのなら、私は喜んで悪になろう…なんです」
「さよなら、鷹光団!の台詞だね。そのあと、敵役の正義の味方が、お前たちが闇であるなら、俺は光であろう。光がなければ、闇は存在出来ないからな。闇がなければ、光も存在出来ないんだ。死ぬなよ、我が友よ…って言って」
「まあ、戦闘員中村くんが、誰が友だよ!って雰囲気を壊しちゃうんですけどね…」
「中村くんだから仕方ないよ」
「そうですね」
鷹光団は、私も読んだことがあるな。
昔、母さんが熱心に読んでいたのを見て、そんなに面白いんだろうかと手に取ってみたけど。
鷹光団の面白さは、世代を越えるようだな。
「…そういえば、何の話だったっけ?」
「私が、幻想小説が好きだったという話だったと思います」
「あ、うん。そうだったね。で、秋華ちゃんは、翔ると空の下でが好きだったんだよね」
「はい」
「いい話だよね、両方とも。翔るは、錬金術師の女の子の話だったっけ」
「はい。不思議な錬金術で路銀を稼ぎながら、世界を渡り歩くというのが、私には魅力的で」
「そういえば、翔るの作者って、リュナムクさまと同じ、神さまって呼ばれてる人の一人なんだよ。そうでしたよね、リュナムクさま」
「えっ、そうなのですか?」
「………」
「おい、聞かれてるぞ」
「む?うむ…。話に入ってもいいのか?」
「周りの状況を見て、自分で考えろよ…」
「むぅ…。それもそうだな…。まあ、そいつは私の知り合いというか、かつての悪友の一人だ。テスカトルと言えば分かるか?」
「テスカさんですか?」
「名前の由来は、確かにテスカトルからだけど、テスカじゃないからな」
「うっ…。そ、そうでしたか…」
「まあ、テスカトルが、あのような可愛らしい小説を書くとは思っていなかったがな。読んで感想を聞かせてくれと、本を送り付けられたときは驚いたよ」
「でも、素敵な小説でした」
「本来のあいつを知っている私は、なかなか楽しめなかったがな…」
「まあ、あいつがこんなことを考えていたのかとか、そういう余計な雑念があると、読みにくいだろうとは思う」
「そうだな…。あいつ自身は、私ではなくエスカに贈ったつもりだったのかもしれないが…」
「作家さんとお知り合いなんて、すごいですね。それで、そのテスカトルさんは、今は何をなさっているのですか?」
「さあな。あいつは昔から旅が好きだったから。今も、どこかを旅してるんじゃないだろうかな。まあ、唯一の便りが、その本の続巻が今も出ていて、毎回送られてくるということだ」
「そうなのですか…。ちょっと不思議で、だけど魅力的で読みやすいお話なので、それを書いている人はどんな人なんだろうって思ってたのですが…」
「まあ、作者の実状など、知らない方がいい。特に、テスカトルの本性などはな」
「うぅ…。そう言われると、余計に気になります…」
「そうだ、あいつの従者も、テスカトルの小説を代筆する横で、自分の小説も書いているらしいな。私は読んだことはないが、降雨霊人日誌という本のようだ」
「あっ、それも知ってますよ!雨の降る日だけに現れる幽霊の雨月と、鍛冶師の青年の藤也が、不思議な交流を経て、次第に想いを寄せていくという、素敵なお話ですっ」
「ほぅ」
「そ、そうなんだ…。私は、まだ読んだことないかな…」
「えぇ、そうなのですか?勿体ないですよ。今度、読んでみてくださいっ」
「うん、そうするよ…」
「………」
エスカが妙に緊張してるのは、例のリューナに隠れて読んでいる恋愛小説というのが、その降雨霊人日誌だからなんだろうか。
何も隠すことはないのにとも思うが、そのあたりは年頃の娘の複雑な心境といったところか。
好きな本くらい、人の目を気にせず好きに読んで、好きに語らえばいいと思うけどな。
「でも、テスカトルやその従者が書いた本が、秋華の目に触れるようなところにまで出回るのか?リョウゼン書店で売られるんだろ?」
「何も、リョウゼン書店が出版したからと言って、リョウゼン書店しか取り扱えないということはないだろう。リョウゼン書店は、確かにリョウゼン書店が製本したものしか取り扱っていないが、他の製本所が出版している本を売るための契約を交わしたりしているから、内容は同じだが、リョウゼン書店が製本したものと、本来の製本所が製本したものの二種類が売られているということも多い。たとえば、さっき出ていた空の下でという小説なんかは、本来の製本所は神戸川製本所というところだが、リョウゼン書店も製本しているから、私たちにも買えたというわけだな」
「ふぅん…」
「リョウゼン書店の査定委員会というものがあって、委員の八割以上が面白いと思った本が、契約交渉されるらしいですよ。私とリュナムクさまが利用していた移動書店の御者さんも、委員だったらしいです」
「ふむ。そういえば、そんなことも言っていたな」
「へぇ。委員会は何人くらいいるのですか?」
「百二十三人らしいよ」
「ほぅ。八割はなかなか厳しそうな壁だな」
「はい。あ、それと、空の下では、その御者さんが推薦したものらしいですよ」
「そうなのですか?ご自身が推薦された本が認められたら、嬉しいでしょうね」
「うん。すごく嬉しかったって言ってた」
「とにかくだ。リョウゼン書店が出している本は、今のところはリョウゼン書店しか製本していないが、だからと言って、リョウゼン書店でしか売られていないわけではないし、リョウゼン書店が他の製本所の本を製本して売るということもあるということだ。ちなみに、契約で製本したものは、リョウゼン書店と本来の製本所の連名で書く決まりになっている」
「そうか」
まあ、それでだいたいは繋がったな。
リョウゼン書店しか利用してないからといって、エスカが普通の人間が書いた本を読めないということはないし、リョウゼン書店を利用してないからといって、秋華がリョウゼン書店が出版した本を読めないということはない。
だから、話も合うし、好きな本を語り合うことも出来る。
…今度、貸本屋に行ったときは、製本所に注目してみるのも面白いかもしれないな。
リョウゼン書店が製本していれば、人間が書いた本ではないということだからな。
リューナやテスカトルのような、あるいは、大和や澪、翡翠のような者たちが、何を考えて、何を信じているのか。
そういったものに触れてみるのも、いいかもしれない。