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「あ、また姉さんはこっちだったんだ」
「ホントだ。鱗くらい、別に気にしなくていいのに」
「そうは言うがな…」
「まあいいや。それで、そっちの子がエスカ?」
「は、はい…。初めまして…」
「もう医務室にいなくていいんだ」
「あの、えっと…」
「夜はともかく、昼は医務室の方が出入りが多いからな。起き上がれるなら、こっちの方がいいんじゃないかって」
「ふぅん。よかったね」
「あ、ありがとうございます…」
「なんか、緊張してる?」
「そ、その、申し訳ありません…」
「リューナ以外の男とは話したことがないから、緊張してしまうらしい。利家に問診されたときも、なかなか難しくてな」
「へぇ…」
「す、すみません…」
「リュナムクさん以外に話したことがないって、本当に筋金入りの従者なんだ。すごいなぁ」
「………」
「エスカ。嫌なら話さなくてもいいんだぞ」
「いえ…。殿方ともお話し出来るようになりませんと、リュナムクさまや紅葉さまにも、多大なご心労とご迷惑をお掛けいたしますので…」
「すごい、こんな丁寧な敬語、初めて聞いたよ」
「まあ、下町の市場で働いてたら、聞く機会もないよね」
「おい、エスカは見世物じゃないんだぞ。お前たちのその態度が、エスカの努力の妨げになるんだ。分かってるのか」
「うっ…。ごめん…」
「あ、あの、僕らと話すときには、敬語とかやめて、楽に話してくれたらいいから」
「ら、楽に…」
「ガチガチに緊張しちゃってるね…」
「す、すみません…」
「でもさ、女の人となら、普通に話せるわけ?紅葉とかさ」
「いや、どうなんだ?結局、オレ以外の女とは話してないからな…。オレは、リューナに取り憑かれてるわけだし、だからということもあるかもしれない」
「じゃあ、僕が女の人の姿になるから、それで話してみてよ」
「いや、術で見た目を変えたところで、中身は男のままなんだから、意味ないでしょ…」
「見た目だけでも、何か変わるかもしれないだろ」
「そりゃ、やってみないことには…って、どうやって女の姿になるんだよ」
「いちおう、変化の術式くらいは使えるからね。妖術だけじゃなくて」
「ふぅん…」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
同調してるから見た目も関係してるかもしれないけど、同調する前から、利家の問診にも緊張している様子だったからな。
やっぱり、見た目なんかは関係ないのかもしれない。
…そういえば、澪も妖術の変化は苦手なのに、変化の術式は少しだけ使えて、前の主の娘に変化してるって話だったな。
変化の術式というのは、術式でも割と簡単な部類に入るんだろうか。
「ん?」
「どうしたの?」
「何か引っ掛かってな…」
「何が?」
「いや…」
今、何かあった気がする。
何なんだろうか。
…と、そんなことを考えているうちに、翡翠は変化を終えたようで。
「じゃじゃーん」
「なんでテスカなんだよ…」
「一番先に思い浮かんだんだもん、仕方ないじゃん」
「声までそっくりだね」
「声だけじゃないよ。隅々までテスカと同じだ」
「へぇ…」
「お前、あとで絞められても知らないからな…」
「なんで?服にもちょっと手を加えておいたし、この姿で変なことをする気もないし。別に、何も不都合はないだろ?」
「そういう意味じゃなくてだな…」
「……?」
自分と全く同じ姿のやつがもう一人いるっていうのは、どんな感覚なんだろうか。
双子ならまだしも、術を使って化けていて。
しかも、自分のことを好きだと言ってるやつが。
…私なら、たとえ変なことをしないと分かっていても、利家や千秋にそんなことをされるのは絶対に嫌だな。
テスカも同じなんじゃないだろうか。
「まあ、どうかな、エスカちゃん」
「あ、あの、えっと…」
「やっぱりダメかぁ」
「す、すみません…。い、いつもの書店員さんなら大丈夫なのですが…」
「いつもの書店員?ちょっと分からないな…。まあ、もとの姿に戻るよ」
「お手数をお掛けしまして、申し訳ありません…」
「いいんだよ、これくらい。でも、こうなったら、少しずつ慣らしていくしかないよね」
「そうだね」
「はぁ…。布団でも敷こっか」
「うん」
翡翠がもとの姿に戻ると、二人は布団を敷き始めて。
エスカは、なんだか申し訳なさそうに座っていた。
…リューナも心配そうなため息を漏らしているが、こればかりはどうしようもない。
洞窟の中にずっと籠っているならいいかもしれないが、この城にいる限り、他の人との交流は避けられないからな。
まあ、経過観察のこともあるし、しばらくはここに留まらないといけないだろうから、その間に慣れるといいと思うけど。
「…紅葉。また夕飯に来なかっただろ」
「澪。もう風呂にも入ったのか?」
「うん…って、そんな話はどうでもいいんだ。私は、紅葉と夕飯が食べたかったのに…」
「モテモテだね、紅葉」
「五月蝿いぞ、翡翠。…しかしだな、澪。こんな鱗肌では、なかなかみんなの前に出る踏ん切りがつかなくてな」
「私は、紅葉のことが大好きなんだ!一緒に夕飯も食べたい!」
「分かった分かった…。大声を出すな…」
「まるで子供だな」
「ふん…。翡翠と違って、どうせ、私はまだまだ子供だ…」
「翡翠。俺たちは、いつも先に食べてるからなんとも思わないかもしれないけど、澪にとって、みんなと一緒に食べる夕飯の時間っていうのは、大切な時間なんだと思うよ。朝だって昼だって、考えてみれば、みんな揃って一緒に食べるなんてことはないじゃないか。そういった意味でも、貴重な時間なんだ。子供みたいだとか、そういうことじゃないだろ」
「分かってるよ…」
「………」
「…澪ちゃんは、寂しかったんですよね」
「えっ?」
「紅葉さまに一緒にいてほしいと思ったのもそうでしょうが、誰か一人でも欠けてしまってる…。そういう夕飯の時間が、寂しかったんじゃないですか?」
「うん…。みんないる中に、紅葉だけがいないなんて…」
「そうか…。悪いことをしたな」
「ううん…。私も我儘だった…。紅葉の気持ちも考えないで…」
「………」
澪を抱き締めて、背中を叩いてやる。
最初は泣いていたけど、そのうちに、ゆっくりと眠りに落ちていったようだった。
…こういうところは、確かに子供なんだけど。
でも、澪の気持ちも分かってやれず、姿を見られたくないというだけで夕飯の席にも出ず。
我儘だったのは、私の方なのかもしれないな。
「寝ちゃった?」
「ああ」
「そっか。…それにしても、エスカ。澪なら普通に話せてたね」
「あ、そういえば。最初から女の子の姿だったからかな?それとも、子供だから?」
「えっ、あ、あの、こ、子供だったからだと思います…」
「そっか。子供なら普通に話せるんだね」
「す、すみません…」
「謝ることなんてないよ。でもまあ、子供と普通に話せるんなら、だいたいは大丈夫だよね」
「うん。子供たちと話す機会の方が多いし」
「そ、そうなんですか…?」
まあ、そうかもしれない。
この部屋で寝てるのだって、澪くらいか、それよりさらに小さいチビどもばかりだしな。
澪より上なんて、数えるほどしかいない。
大人と呼べるようなやつなら尚更だ。
そういった意味では、この部屋で慣らすというのは、確かに得策なのかもしれないな。