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りると凛は、秋華に連れられて寺子屋に行ってしまって。
本当に、嵐のようにやって来て、嵐のように去っていったけど。
でも、二人…主にりるの相手をして、リューナの気もある程度紛れたようだった。
今はもう、心配しすぎて動揺、ということもないみたいだ。
「寺子屋を、ここで開いているのか?」
「ああ」
「そうか。…どんな講義をしているんだ?」
「いろいろだな。読み書き算盤はもちろんだけど、他にも、民族学とか数学とか。たまに、体育、哲学、医学、薬学、育児相談なんかもやってるな」
「本当にいろいろだな」
「ああ」
「…エスカも、一人で本を読むばかりでなく、他の同志大勢と一緒に、師から学ぶということをさせてやった方がいいのだろうか」
「どうだろうな。オレは、その方が多くを学べるとは思うけど」
「そうだな…。独学ではどうしても限界がある。それに、一人では分からないことも、師に助けてもらったり、同志と共に考えたりすることで、紐解かれることもあるからな。私の知識だけでは、どうしても分からないこともある。その道を専門とする師というのは、学ぶということに於いては、やはり必要なのだろう」
「そうだな」
長い間、リューナとエスカはどれだけの本を手に取り、知識を得てきたのだろうか。
でも、言ってしまえば、本は本でしかない。
生きた師には、どうしたって敵わないこともある。
記録し、いつまでも遺せることが本の強みではあるけど、人の全ての記憶が記されているわけではないし、疑問に的確に答えてくれるとは限らない。
それを言えば、人も同じかもしれないけど。
「人は今を語り、本は永遠を語る。何かに書いてあったな。本が今を語ることは出来ないし、人が永遠を語ることも出来ない。人も本も互いに代替不可の存在だが、学ぶのなら人に、聞くのならば本に。人は本より多くを話し、本は人よりよく喋る」
「ふん。詩か?」
「何だったかな。歴史書の導入だったかもしれない」
「ふぅん…。えらく文学的な歴史書もあったものだな」
「記憶が曖昧でな。お前の言う通り、何かの詩集の一篇だったのかもしれない」
「そうか」
「エスカならば、こういうことはよく覚えているのだが…」
「オレは、聞いたことはないけどな」
「うぅむ…。何だったかな…」
「無理に思い出すことはないだろ。またそのうち思い出すさ」
「そうだな…。しかし、気になるな…」
「まあ、そうだろうけど」
リューナは諦めきれない様子で、しばらく唸っていたけど。
…どうしても思い出せなかったことが、何かの拍子に思い出せるということがある。
でも、ずっと考えてるときは、なぜか全然思い出せなくて。
何なんだろうな、本当に。
「そういえば、こいつは食事とかは摂るのか?」
「もちろん摂るが」
「ふぅん…」
「私の力だけでは、生命を保つことしか出来ないからな。何も食べなくたって生きてはいけるだろうが、そのうちに痩せこけてしまい、指一本動かせなくなるだろう。そのあたりは、普通の人間と同じだ」
「意外と不便なんだな」
「飲まず食わずでも生きていけるなど、この大地に生ける者としての最低限の尊厳をも失うようで、私は嫌だがな。別の生から生命を貰い、自分の生を長らえる。自分が死ぬときは、他の生命の一部となって。…しかし、楽を出来る部分は楽をして生きるというのは、ある意味では生物の本能なのかもしれない」
「まあ、お前の言うことも尤もなのかもな」
「一人、生命の輪から離れて生きるなんていうのは、本当に生きていると言えるのか、と思うのだ。…人間はよく、現世の苦難や苦労を忌み嫌い、幸福ばかりある極楽浄土や天国などといったものを望み、必死に宗教にしがみつくが。たとえ、死んだあとにそんな場所へ行けるとして、何になると言うのだろうかと、私は思うのだ。そのような場所には生がない、生命がない。幸福だけが存在するというのは、"何もない"が在るということじゃないだろうか。悩みも苦しみもない、死への恐怖すらない世界。では、何のために生きるのか。毎日何もせず、雲のような布団に身を沈め、一日中寝ているのか?あるいは、尽きることのない食べ物を満足するまで食べ続けるのか?闇は光がないと成り立たないように、幸福というのは苦難や苦悩があってこそ成り立つものであり、つまり、幸福だけの世界というのは、何もない世界だ。飢えにも死にも、何にも縛られず、ただ永久に保持される生命は、それと何が違うだろうか。食事は単なる娯楽と化し、絶対であった時間も無きが等しいものとなる。生に参加することもなく、生命の輪からも外れ。死後、人間がすがろうとする世界の住人と同じ存在になっているんだ。それを理想としている人間にとっては魅力的に見えるかもしれないが、そのうち、地獄に堕ちた方がよかったとさえ思うことになるだろうな」
「熱弁じゃないか」
「む…。確かに熱く語りすぎたな…」
「それに関して、何かあったのか?」
「何もないが、不老不死なんてのはバカげたことなのだと、いつもエスカと話していてな…」
「エスカだって、不老不死なんだろ?」
「私が生きているうちはな。私が死んで、力が供給されなくなれば、残った分を使い果たした時点で、エスカも死んでしまうだろう。私が死ぬのはともかく、エスカも道連れにしてしまうことを考えると、胸が締め付けられる思いだがな…。もっと、世界を見せてやるべきなんじゃないかと…。このままでは、エスカは暗い洞窟の奥で一生を過ごしてしまうことになる…。人間として、一人の女として、生きることもなく…」
「それが、お前があいつに強いた人生なんじゃないのか?」
「私には分からないのだ…。これが正しかったのかどうか…」
「間違ってはいないんじゃないか?」
「そうだろうか…。人並みに恋をし、契りを結び、やがてはややこを生み…。人間として、生ける物として、それくらいは当然の望みだろう…。エスカが、私に隠れて恋愛小説なんどを読んでいるのを見ると、心が苦しくて…」
そう言って、またさめざめと泣いて。
いや、涙を流しているかどうかは分からないけど。
悲痛な呻き声が聞こえてくる。
…何にせよ、エスカが目覚めないことには、なんとも言えないだろうな。
リューナとのこの生活を望んでいるのか、もっと自由に生きたいと願っているのか。
「エスカ…」
「………」
だから、今はしばらく置いておこうと思う。
リューナが落ち着くまで。