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「大変なことになってるみたいね」
「…母さん」
「そう睨まないの。お母さんだって、暇じゃないんだから」
「はぁ…。まあ、助けてくれないか…」
「紅葉さん、誰と話してるんですか?」
「母さんだ」
「母さんって、幽霊の…ですか…?」
「ああ」
「ぼ、ぼく、急に急用を思い出しました!し、失礼します!」
「急用は、そりゃ急だよね」
「そういう話じゃなくてだな…」
「ひやぁ!な、なんか寒気が…」
「私、何もしてないけど」
「こいつの被害妄想だから気にするな。とにかく、なんでもいいから、蛇と話をつけてくれないか?鱗の侵攻は止まってるけど…」
「あはは。紅葉が私を頼るなんて珍しいねー」
「いや、さっさとしてくれよ…」
「はいはい。蛇さん、蛇さん。今の聞いてたでしょ?ちょいと話し合いましょうや」
「ま、まさか、紅葉さんのお母さんが、ぼくに取り憑いたんじゃ…」
「ないから」
「うぅ…。肩が重い…」
「はぁ…。別の悪霊にでも取り憑かれてるんじゃないのか…」
「い、紅葉さん、祓ってくださいぃ…」
「オレは退魔師じゃないからな」
「こんなときに、松風師匠がいてくれたら…」
「あいつ、退魔師もやってたのか」
「うぅ…」
何か呻き声を上げながら、フィルィは床に伸びて。
まったく、被害妄想もいい加減にしてほしいものだ。
…フィルィがバカなことをしてる間、母さんはなんとか蛇と話そうと呼び掛けてくれていて。
でも、蛇はなかなか応じないようだった。
「はぁ…。強情ね、この蛇」
「何か言ってるのか?」
「何か言ってるのが聞こえた?」
「いや。でも、背後霊って…」
「後ろにいる人の姿は見えないけど、後ろの音は聞こえるでしょ。蛇が何か喋ったら、背後霊と言えど、紅葉に聞こえるはずよ」
「ふぅん…。幽霊に詳しくなったんだな」
「まあ、自分自身が幽霊なわけだし。でも、話すだけなら、紅葉だって話せるはずよ?」
「姿は見えなくて、声だけのやつと話すのはなんかな…」
「分からないでもないけど。でもねぇ、私がいくら話し掛けても、聞く耳持たないみたいなのよ。まあ、蛇だから耳はないんだけど」
「オレだったら聞く耳を持つのか?」
「さあね。誰だったら話を聞く気になるのかは知らないけど、とりあえず、私の出る幕はないみたいね。残念だけど」
「そうか…。悪かったな」
「いいのいいの。我が愛娘のためだし」
「それを言うなら、もっと早く出てきてほしかったけどな…」
「だから、私も忙しいって言ってるじゃない。ツカサくんの耳元でボソボソと囁いたり、ツカサくんに取り憑いて悪寒を感じさせたり…」
「ツカサがお気に入りなのか?」
「だって、反応が可愛いんだもん。中途半端に霊感があるのって、罪よねぇ」
「いや、それに付け込んで、イタズラする方が悪いと思うけど…。だいたい、そんな下らないことばかりして、ツカサの仕事を妨害したりしてないだろうな」
「妨害だなんて。ちょっとだけしかしてないよ」
「ちょっとでも大問題だろ。まったく、ツカサに毎日報告させようか…」
「ダメよ、そんなの。私の楽しみがなくなっちゃうじゃない」
「あのな、母さん…」
「あはは、冗談冗談。大丈夫だって」
「はぁ…」
「ため息つくと、幸せが逃げちゃうぞ」
「誰がつかせてるんだ、誰が…」
「ふふふ」
まったく、母さんは変わらないな…。
三つ子の魂百までと言うけど、死んでも変わらないとは…。
諺の文言の方を変える必要があるかもしれない。
「ところで、フィルィだけど」
「分かってるよ…。おい、フィルィ」
「は、はいっ。どうしましたか?」
「お前、雑霊の遊び道具にされてるからな」
「えっ。ざ、雑霊…?」
「まあ、害はないけど、さっさと起き上がった方がいいだろうな」
「は、はい…」
フィルィが起き上がると、上に乗っかっていた雑霊どもは、ふよふよと綿毛のようにどこかへ霧散していった。
まあ、雑霊程度ならそれでいいけど、この蛇の背後霊はどうしたものかな…。
「紅葉自身で、話をつけてみたら?」
「やってみないことはないけど、なんだかな…」
「まあ、鱗のある生活もいいと思うよ。紅葉に対しても聞く耳持ってなくても大丈夫!」
「はぁ…。不安になる励ましをどうも…」
「あはは、大丈夫だって!」
まったく、その自信はどこから出てくるのやら…。
とりあえず、見えない相手と話す心の準備をして。
なんか変なかんじだけど、やるしかない。
「おい、オレに取り憑いてるお前」
「………」
「あ、紅葉さん、蛇さんとお話ですか?」
「フィルィ。今はちょっと黙っていてくれ」
「はぁい…」
「お前、聞こえてるんだろ。返事くらいしたらどうなんだ」
「…私は、お前という名前ではない」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。名前が分からなかったら、お前と呼ぶしかないだろ」
「…一理ある」
「一理どころじゃないだろ…」
「…私は、リュナムク。リューナと呼ばれている」
「リュナムクっていうと、北の伝承に出てくる破壊と災厄の邪神の名前だねぇ。リュナムクは冥府の番人でもあり、自身も幽霊のように実体がなく、古の神々も手を焼いたとかなんとか」
「………」
「リューナ。お前は、そのリュナムクと関係はあるのか?」
「…その伝承の邪神というのは、私のことだろう」
「そうか。それで、なんでオレに取り憑いてるんだ」
「いやいや、紅葉。そこは、な、なんだってーっ!くらいは言わないと」
「なんで言わないといけないんだよ」
「紅葉さん、何を言うんですか?」
「オレに取り憑いてる蛇の霊が、リュナムクっていう古の邪神だったから、驚けとか母さんが言ってるんだ」
「えぇっ!邪神というと、人々に厄災をもたらしたりするっていう…」
「その邪神だな」
「た、大変ですっ!今すぐ退治しないと!」
「………」
「今のところ害はないんだから、そうやって焦ることもないだろ。オレに取り憑いた真意を聞こうとしてるところなんだ。黙っててくれないか」
「うっ…。しかし…」
「嫌なんだったら、この部屋にいてもらう必要はないんだから、どこへなりとも行けばいい」
「うぅ…。紅葉さんは意地悪です…」
「わけの分からないことを言うな。それで、リュナムク」
「…お前は、私が邪神だったと聞いても平気なのだな」
「今更慌てても仕方ないというだけだ。だいたい、邪神として振る舞う気なんだったら、なんでこんなまどろっこしいことをするんだ。全く意味が分からないだろ。オレは、お前から話を聞き出して、さっさと離れてほしいと思ってるだけだ」
「…そうか」
「い、紅葉さん…。ぼ、ぼく、怖くて堪らないんですが…」
「洩らしてもいいように、厠にでも籠ってたらどうなんだ」
「うぅ…。酷いです…」
「だから、意味が分からないから…」
まったく、これでは話が進まない。
私の話を聞く気はあるみたいだから、早く聞いておきたいのに…。
そして、早く離れてほしい。
いや、むしろ、話す前に離れてほしい。
…そのためにも、早く話を進めたい。