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「加奈子連れてきたー」
「………」
「ぼくも来ちゃいましたぁ」
「…フィルィ。お前、秋華に変なこと吹き込んでないだろうな」
「え、えぇ?変なこと…ですか?」
「なんで動揺してるんだ」
「い、いえ…。心当たりがあるような、ないような…」
「お前な…」
「嘘、冗談ですよ!何も言ってません!」
「まったく…」
「あの、それにしても、すごいですね」
「格好いいの!」
「えぇ…。そ、それに、腕だけって聞いてたんですが、広がってません?」
「そうだな…」
一刻も経たないうちに、腕から身体、そして足の方にも鱗は広がっていた。
ミケは害はないと言っていたけど、不安なものは不安だ。
風華にも、幽霊は嫌だと匙を投げられたし…。
「あはは、なんか本当に蛇になっちゃいそうですね」
「笑い事じゃないぞ…」
「ふふふ、すみません。あ、蛇睨みとか出来ます?」
「お前で試してやろうか?なんでも、手練れの蛇のやつなら、蛇睨みだけで相手の心臓を止めることすら出来るとかなんとか」
「えぇ…。ぼ、ぼくはいいですよ…」
「ふん。根性なしだな」
「うぅ…。どうせ、ぼくは…」
「いじけるな、鬱陶しい」
「うっ…」
「ねぇ、お母さん、蛇になっちゃうの?」
「ん?さあな。なるかもしれないな」
「………」
加奈子といっしょだね、か…。
まあ、一緒は一緒でいいかもしれないけど、出来ることなら、そうなってはほしくない。
蛇が嫌だというわけではないけど、やっぱり、なんか複雑で…。
「そうだ。今からお出掛けしてみません?」
「だから、なんでそういう発想になるんだ」
「だって、なんだか楽しそうな気がするんです」
「…お前に伝染してやろうか」
「えっ、伝染るんですか?」
「この筋に詳しいやつからすると…口付けをすると伝染るらしい」
「え、えぇっ!ぼ、ぼくと紅葉さんが口付けをっ?ぜ、是非っ!」
「バカか、お前は…。そんなことで伝染るわけないだろ…」
「う、伝染らないんですか?じゃあ、何をしたら…あっ!ひ、秘密の花園ということですか…!あ、あの、ぼく、そういうの初めてなんで…や、優しくしてくださいね…。じ、実は、ぼく、一目見たときから紅葉さんのことが好きになってしまって、その…う、嬉しいです…」
「何を妄想爆走してるんだ…。しかも、さりげなく、どえらいことまで告白して…。まあ、お前にこんな下らない嘘をついたオレも悪いけど…。あのな、これは伝染るものではない。オレに憑いている蛇の霊の仕業らしい」
「蛇の霊、ですか?はっ…。人知れず紅葉さんに恋した蛇…。しかし、その恋は決して許されることはない。蛇は恋に身を焦がし、ついには死んでしまうが、それでも諦められない。未練が残り、それが霊魂となって現世に留まってしまった…。そして、蛇はようやく紅葉さんとひとつになることが…」
「ねぇ、おかーさん。モーソーって何?」
「こいつみたいに、変なことばかりを考えることだ」
「ふぅん」
「………」
ふぃるぃ、すごくへん。
…まあ、変だな。
それは間違いないだろう。
まったく、こいつたちの教育にも悪いし、こういうのはやめてほしいんだけど…。
「おかーさん、ミケは?」
「ミケ?さあな。どこかその辺で寝てるんじゃないか?あるいは、もう帰ったかだな」
「んー…」
「もっと遊びたかったか?」
「うん」
「まあ、だいたいは六兵衛の家に行けば会えるんだけどな…」
「じゃあ、行ってくる!」
「あ、おい、待て」
「何?」
「六兵衛のところなら大丈夫だとは思うが、何の断りもなしに他の人の家に行くのはよくない。まずは行く日時を約束して、それから、その約束した日の約束した時間に行く。これが基本だ。そうしないと、相手が忙しいときに行って迷惑を掛けたり、そもそも相手がいなかったりする。分かるか?」
「でも、ルウェとユタナはいつもいるよ」
「もうあいつらとも友達になってたのか…。まあ、だから、そういうやつもいるけど、そうじゃないやつもいるということだ」
「じゃあ、約束してきたらいいの?」
「そうだな。とりあえず、ミケと遊びたいと言っても、まずは六兵衛と約束するんだ。ミケは六兵衛の家の猫だからな。まあ…ミケとは約束しなくてもいいだろ」
「分かった!加奈子、一緒に行こ!」
「……!」
どうやら行く気はなかったらしく、驚いている加奈子の手を引っ張って、りるは部屋を出ていってしまった。
しばらくすると加奈子だけが戻ってきて、忘れていた伝言板を持って。
行ってきます、とだけ書いてから、また部屋を出ていった。
…りるがさっきの話を本当に理解していたのかは疑問だけど、まあ加奈子もいることだし、たぶん大丈夫だと思う。
りるなら、"今から遊ぶ"約束をしてくるとか、平気で言いそうだからな…。
「はぁん…。蛇と紅葉さんの禁じられた恋…。今日は興奮して寝られそうにありません…!」
「お前はいつも、頭の中が春爛漫の花畑みたいで羨ましいよ」
「蛇は紅葉さんを傷付けまいとするけど、想えば想うほど、紅葉さんの身体には鱗が広がっていき…。これが全身に広がってしまうと、紅葉さんは生命を落としてしまい、蛇は永遠の後悔と共に悪霊と化してしまうだろう。しかし、この想いを止めることは出来ない。ならば、いっそのこと、この禁じられた愛を永遠に誓い、自分の身を地獄に堕としてしまう方がいい…!蛇は紅葉さんも知らないうちに決心をし、誓いを立てようとしていた、そのとき…。実は、蛇の底知れぬ愛と、自身を地獄に堕とす決心をしていたことを知っていた紅葉さん。そんなのダメだ。お前を地獄に堕とすことは出来ない…。なぜなら、オレもお前のことを愛しているからだ!そう言って、紅葉さんは、隠し持っていた小刀で自身の首を掻き斬ってしまった…!蛇は何が起こったのか分からず、ただ泣くばかりで。息も絶え絶えの紅葉さんが、最期の力を振り絞って遺した言葉は…。これで…私とお前は永遠になれる…。蛇の見守る中、血溜まりに崩れ落ちていく紅葉さん。それから間もなく発見された紅葉さんの遺体は、優しい微笑みを湛えていたという…。そして、天へ昇ってゆく魂が二つ…紅葉さんと蛇は、そうやって、永遠に結ばれることとなった…。お終い」
「オレを勝手に殺すな」
「わわっ!い、紅葉さん、もしかして、口に出ちゃってました…?」
「最初から最後までな」
「はわわ…。き、聞かなかったことにしてください!あと、松風師匠には言わないでください!お願いします!」
「まったく…」
「いたっ…。うぅ…」
松風なら、私がわざわざ密告しなくても知ってそうだな。
まあ、今すぐにでも下着剥ぎの刑に処したいところだけど。
それは、また松風に任せておこう。
今は小突くだけに留めておいて。
…しかし、本当にどうにかならないのかな。
母さんも、こういうときに限って出てこないし。
まさか、どこかで成仏してしまったのか?
まあ、それはそれでいいことかもしれないけど。
「はぁ…」
「うっ…。ぼくへのため息ですか…」
「それもある」
「うぅ…」
霊的なものなら、自分で直接話して決着を付けられるんだけど。
でも、ミケの言う通り、この蛇は背後霊らしく、私には見ることが出来ない。
後ろを振り返ってもダメみたいだ。
…りるでは、話をさせるには少し…いや、かなり不安だし。
だからと言って、このまま全身が鱗だらけになっていくのを見ているだけというのも、気持ちのいいものではない。
やっぱり、今は母さんが頼みの綱だな…。