503
「蛇の夢って…それって、金運急上昇の予兆じゃない?」
「いや…。蛇が死にゆく夢だし…」
「いいなぁ。私もお金が欲しい」
「だからな…。はぁ…。もういい…」
「ふふふ。冗談だよ、冗談。でも、蛇の夢を見たからって、こんなことになるとも思えないけど…。呪いか何かの類じゃないの?」
「いや、そんな呪いは聞いたことないな」
「ミケ…」
「ミケ?あ、三毛猫」
入口にぬらりと立っていたのはミケだった。
風華がおいでおいでをしているけど、見向きもせずに日当たりのいい場所まで歩いていって、どっかりと座り込む。
「ありゃ…。自尊心の高い猫だね…」
「ミケだ。猫又の」
「猫又…ってことは、妖怪?へぇ、そうなんだ…」
「あまり近付くなよ。呪いを掛けられるからな」
「えっ、呪い?」
「そう見境なく掛けるほど愚かではない」
「わっ、喋った」
「小生のような高等妖怪になれば、誰に言葉を発し、誰に発しないかを決めるのも容易だ」
「ふぅん。どうでもいいけど。…それに、小生とか言いながら、喋り方は不遜だね」
「………」
「それで、姉ちゃんのこれは、蛇の呪いじゃないの?」
「…呪いというのは、もっとえげつないものだ。手足だけでなく、全身が蛇そのものになってしまうとかだな」
「えぇ…。それは怖すぎるよ…」
「鱗が出るにしても、皮膚が変成するときに痒みを伴い、掻くと鱗がボロボロと落ち、終いには筋肉や骨が見えるくらいまで掻きむしり、全身から出血して死ぬとかな」
「呪術って、そんな強烈なのしかないの…?」
「もちろん、これは呪術の中でも最上位に君臨するようなものだ。小生も、何の代償もなしには使うことは出来ない」
「代償?」
「たとえば、この美しい毛が全て抜け落ちてしまうとか、この愛らしい尻尾が腐り落ちてしまうとか。まさに死活問題だな」
「その程度なんだ…」
「その程度とはなんだ、その程度とは。お前には、この美貌が如何な努力によって保たれているのか、分からないのか?」
「美貌…。まあ、普通の猫よりはよく手入れされてるよね…」
「その辺のガサツな輩とは比べものにもならない。やつらの数百…いや、数千倍は手入れに気を使っているのだ」
「はいはい…。でもまあ、幸せなことだよね、それって」
「うむ。小生の世話を焼いてくれる者には、ちゃんと感謝している。その上で、だ。小汚い家猫…まして、野良猫などと並べられるだけでも鳥肌が立つ思いだ」
「はいはい、そうですか…」
「まったく…。本当に分かっているのだろうか…」
「それで、この鱗は何なんだ」
「む、そうだったな。小生の見解では、それは強い思念や想いの結晶…あるいは、背後霊や守護霊とでも言った方が分かりよいか?」
「守護霊…?」
「蛇の守護霊?」
「そうだな。まあ、守護霊といっても、憑いている者に直接実害を及ぼすことは少ない。しかし、ある程度条件を満たしてしまうと、今の紅葉のような風になると聞いたことがある」
「条件って?」
「守護霊となった者の想いが強く、憑かれた者が強い霊感を持っていると、そういう風になってしまうということらしい。たとえば、猫の守護霊ならば猫目になったり、犬の守護霊ならば鼻がよくなったり」
「ふぅん…。でも、鼻がよくなっても、姉ちゃんは分からないかもね」
「さらによくなるかもしれないぞ?一里離れた場所にいる者の匂いを嗅ぎ分けるとかな」
「やめてくれ…」
「ふふふ。と、まあ、小生に分かるのはこのあたりまでだ」
「そうか」
「まあ、霊的な何かなら、私の出番はないかな。それでさ、なんでミケはここに来たの?」
「む?まあ、面白そうな匂いがした、とでも言っておこうか」
「面白そう…?」
「あーっ!猫だ!」
「ん?のわっ!」
何か小さな影が横をすり抜けていったかと思うと、次の瞬間には、ミケに向かって頭から豪快に滑り込む誰かが。
…まあ、りるなんだけど。
ミケは逃げる間もなく、ガッチリ捕まっていた。
「猫だ~」
「む、こら!離さないか!」
「なんかニャーニャー言ってる」
「この小娘…」
「お前、りるに爪を立てるなよ」
「む…。そ、そこまで大人気なくはない…。この玉肌を傷付けるほど…」
「ヒゲぴーん」
「や、やめないか!抜ける!」
「りる。ヒゲが抜けるから離してやれ」
「んー」
「まったく…。末恐ろしい娘だ…」
「ニャンニャン」
「美しい毛並みが乱れてしまったではないか…」
「あっ!おかーさんの手、加奈子みたい!」
「ん?そうだな」
「格好いいー」
「格好いいか…?」
「うん!」
「ふん。こいつの感性を疑うばかりだな。そんな鱗のどこが格好いいのだか」
「ねぇ!りるもそれしたい!」
「いや、やろうと思ってやってるわけじゃないからな…」
「んー!」
「りる。これはね、病気みたいなものなの。たぶん伝染ったりはしないけど、格好いいものでもないんだからね」
「お母さん、病気なの?」
「病気じゃないけど…。病気みたいなもの」
「……?」
「まあ、伝染りはしないだろう。紅葉からりるに乗り換えるというなら別だろうが」
「乗り換えって…」
「ねぇ、触ってもいい?」
「いいのかな?」
「伝染病ではないのだから、触ったところでどうにもならないだろう」
「いいってさ」
「えへへ」
りるはこちらまで駆けてくると、私の横にチョコンと座って。
それから、ゆっくりと鱗を撫で始める。
…鱗越しにでも、意外とりるの手のかんじとか温かさを感じられるものなんだな。
「んー」
「楽しいか?」
「うん!」
「そうか。それならよかった」
「蛇さんが、お母さんの腕に巻き付いてる」
「ん?」
「蛇さん、蛇さん」
「りる、蛇が見えるの?」
「蛇?」
「見えるの?」
「おっきい蛇!おっきすぎて、尻尾の先っちょしか巻き付いてない」
「えぇ…。どういうことなんだろ…」
「そのままの意味だろう。その小娘は、強い霊感が備わっているのだな」
「でも、霊感といえば、姉ちゃんも…」
「自分の背後にいる者をどうやって見る。憑かれている者は決して見ることが出来ない。それが背後霊というものだ」
「えぇ…」
「蛇さん、風華はごはんじゃないよ」
「えっ、ご、ごはん…?」
「ふぅん。そうなんだ」
「りる、蛇と喋ってるの…?」
「うん。ごはんじゃないのは分かってるって」
「へ、へぇ…」
風華はビクビクしながら後ろを振り向いたりしてるけど。
まあ、今まで見えていなかったんだから、後ろを見たところで何も見えないだろうな。
ミケの言う通りなら、私も見えないというのが一番厄介かもしれない。
直接、話を付けることが出来ないから。
…りるは、何も気にせず、お喋りに興じてるけど。
しかし、大きな蛇より先に、ミケに飛び掛かるとはどういうことなんだろうか。
というか、ミケには蛇は見えてないのか?
せっかく、テスカの問題が収束に向かってるというのに、早速何か非常に面倒なことになってる気がする…。