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変な夢を見た。
とにかく大きな蛇が、何かを呑んで腹を膨らませている横で、それを眺めているという。
目の前には、その蛇の顔があるのだけど、酷く疲れたような顔をしていた。
そして…。
「あまり見ないでください…」
「………」
「醜い姿ですよね…。獲物を呑み込むしか能がなくて、お腹もこんなにして…」
「………」
「次の眠りは、やつがれにとっては永遠の眠りになりましょう…。こんな姿を見せてしまうのは非常に申し訳ないのですが、貴女にだけでも見送ってもらえるのは、とても嬉しい…」
「………」
「そうだ…。ひとつ、話を聞いてもらえませんか…。いえ、ただの独り言でしょうか…」
「………」
「毒を持つ蛇は、獲物に含ませた自身の毒で死んでしまうことがあるそうです…。やつがれは毒を持ちませんが、この苦しみは全て、今までの報いの毒なんだと思います…」
「………」
「やつがれの毒は、こうして生きていることだったのかもしれません…」
「…お前は醜くなんかない。今のお前は綺麗だぞ」
「ありがとうございます…。やはり、最期に貴女に逢えて、やつがれは幸せでした…」
「綺麗だよ、本当に」
「そ、そんな、師匠…。恥ずかしいです…」
「ん…?」
目を開けると、秋華が頬に手を当てて、顔を赤らめながら、私の顔を覗き込んでいた。
寝言を言ってたか…。
まあ、こいつが誤解している以外は問題はないけど。
とりあえず、秋華の頭を小突いてやる。
「あっ。し、師匠…。今のは、どういう意味だったのですか…?も、もしかして…」
「お前、フィルィに毒されてるんじゃないか?」
「えっ。い、いえ…」
「はぁ…。まあ、なんでもいいけど…。少なくとも、お前が期待してるようなことではないからな。それに、お前は綺麗というよりは、可愛いの方が合ってる」
「か、可愛い…。はっ…。こ、これは、師匠からの試練なのでは…。これしきのことで、心を惑わせてはならないという…」
「どう捉えるかなんて、お前の自由だけどな…。とにかく、さっきのはただの寝言だ」
「ね、寝言ですか…?どんな夢を見てらしたのですか?」
「大きな蛇がいて…」
「へ、蛇…。もしかして、蛇に食べられる夢…」
「ツカサなら、そんな夢を見るかもしれないな」
「えっ?ツカサさんが?なぜです?」
「いや、なんでもない」
「そ、そうですか…。それで、本当はどんな夢だったのですか?」
「大きな蛇が、死に掛けて苦しんでいる夢だ」
「えぇ…。そんな可哀想な…あっ!」
「なんだ、いきなり大声を出して…」
「動物は、死ぬ間際に不思議な思念を飛ばして、誰かに報せるというようなことを、どこかで聞いたことがあります!」
「誰かに報せる、ねぇ…」
「はい。私はここで死んでしまったから、迎えにきてほしい…と」
「ふぅん…」
「誰しも、独りぼっちで死ぬのは嫌なのかもしれませんね…」
「そうだな」
「その大きな蛇さんは、きっと、師匠に見送ってほしかったのですよ」
「…望みが叶ったのなら、いいんだけどな」
「はい。…あっ!」
「なんだ、今度は…」
「すっかり話し込んでしまいましたっ!し、師匠、申し訳ありませんが、お話はまた明日ということでっ!」
「はいはい、楽しみにしてるよ…」
「で、では、行ってきますっ!」
今日は、お辞儀の最速記録が出たか?
秋華は、残像が見えるんじゃないかと思うくらい素早くお辞儀をすると、そのまま全速力で門の方へ駆けていった。
…まったく、朝から元気なやつだ。
「…お前はどう思う?霊夢とでも言うんだろうかな」
「……?」
「そうだな。夢の続きを見てみようか」
「ォオン…」
「まあ、あまり期待はするな」
セトの毛をもう一度寄せ集めて。
目を瞑ると、ちょうどいい具合に温かくて。
…お休み。
誰かは知らないけど。
また逢えるといいな。
眩しい光に起こされて。
目を開けてみる。
そこは、いつもの広場の隅っこだった。
…結局、もうあの夢は見られなかったということか。
秋華と話してる間に、死んでしまったのだろうか。
「む、起きたか」
「ん?カイト。なんだ、今日は」
「いや…。懐かしい気配を感じたのでな」
「懐かしい気配?」
「そうだ。私たちの旧友なのだが…」
「なんだ、銀太郎もいたのか」
「私はいつでも、凛の傍にいる」
「そうかよ…」
「銀太郎のことはさて置いてだ、紅葉。何かおかしなことはなかったか?」
「おかしなこと?漠然としすぎてるな。お前たちみたいな鳥が喋ってることも、なんともおかしなことじゃないか?」
「確かにそうかもしれないが、そういうものではないな」
「そうだ、紅葉。私たちは、鳥と言えど聖獣だ。だから、話していてもおかしくはない」
「銀太郎。今はその話もよい」
「むぅ…」
「はぁ…。夢なら見たよ、確かにな。おかしな夢だった。それくらいだ」
「おかしな夢だと?」
「どんな夢だったのか、聞かせてはもらえまいか」
「…大きな蛇が死んでいく夢だ」
「やはりだな、カイト」
「うむ…」
「何なんだ。お前らの知り合いか?」
「銀太郎が言っていたであろう。旧友だとな」
「ふぅん、なるほどな…。だから、やつがれなんて古めかしい言葉を使っていたのか」
「私たちが古めかしいというような言い方だな」
「事実であろう。いちいち、そんなことで目くじらを立てるな」
「お前は知らないが、私はいちおう、気だけでも若く保っているつもりだ」
「なるほど、喧しくお喋りが過ぎるのも、そのせいか」
「ジジイになってからが本領よ。気を若く保つことが、長生きの秘訣だぞ」
「そういうことは、私を送るときになってから言うことだな。お前を送ることになれば、黙して多くを語らず、静かに生きることこそ長生きの秘訣だと言ってやろう」
「…それで、お前ら、いったい何をしに来たんだ」
「おぉ、そうだったそうだった」
「さっきも言ったが、その蛇は私たちの旧友でな。人知れず息絶え、骸は私たちで埋葬したのだが、最期を看取った者がいてくれたのかというのが、長年気になっていたのだ」
「最期を看取ったって、ずっと前に死んでるんだろ?確かに、それらしい夢は見たけど…」
「私も伝承に聞くのみだが。時を越えて、最期の思念が届くことがあるらしいということを聞いたことがある」
「あいつは時の妖術に長けていたからな。ある意味では納得だな、うむ」
「まあ、礼を言わせてくれ。ありがとう」
「そうだな。ありがとう、紅葉」
「いや、ありがとうと言われてもな…。それに、途中で秋華に起こされたし…」
「あいつは笑っていたか?」
「ん?…蛇が笑うのかどうかは知らないけど、まあ、幸せだとは言ってたな」
「それならいい」
「うむ」
「そうか」
「…さて。では、少し朝の風に当たってくるとしようかな」
「私は凛の様子を」
「はいはい」
銀太郎はすぐに翼をはためかせて、城の方へと飛んでいった。
それを、カイトとセトと、三人で見送る。
…小さい銀太郎が、さらに小さくなって見えなくなると、カイトはこちらを向いて。
「それで、最後になってしまったが」
「ん?」
「手の甲や腕のそれは、一葉あたりに見せるとよい。霊同士、何か分かるやもしれん」
「手の甲?」
「ではな」
「あっ、おい」
目を細めると、カイトもゆったりと空へ舞い上がっていって。
朝日の方に向かって飛んでいってしまった。
「行ってしまったな…」
「ォオ…」
結局、あの蛇が何なのかは、教えてもらえなかったな…。
二人の旧友、もう死んでる、そして、時の妖術が上手かった…という以外の情報はない。
そして、言われて初めて気付いたこの手や腕。
加奈子のような、蛇の細かい鱗が現れていた。
…なんだ?
呪いか?
カイトの言い振りからすれば、害のないものだとは思うけど…。
それに、あの蛇も、こんな呪いを掛けるようなやつじゃないと思う。
しかし、手触りもまったく蛇の鱗そのもので。
はぁ…。
あの夢には謎が多すぎるな…。