497
もとの姿に戻った大和は、広いはずの医務室も少々圧迫感を感じさせるくらいにして。
風華が治癒の術式とかいうのを当て終わると、大きなため息をついていた。
「情けない…。あの程度の落下で足を痛めるとは…」
「歳なんだろ」
「はっきりと言うな…。まあ、寄る年波には逆らえないということか…」
「そうだな」
「歳もそうだけど、小魚とか、そういう骨のもとになるようなものを食べて、適度な運動をすることも大切だよ。ちゃんと運動してるの?」
「むぅ…。最近は日向ぼっこが心地よくてな…。それに、澪の妖術も見てやらんと…」
「言い訳しないの。そんなだから、骨が弱くなってヒビが入っちゃうんだよ」
「手厳しいな、風華は…」
「とにかく、しっかり魚を骨ごと食べて、しっかり運動して…」
「分かった分かった…」
「ホントに分かってるの?」
「分かっている…」
「怪我人なんだから、もう赦してやれよ」
「怪我人だからだよ。注意しておかないと、また怪我するでしょ」
「それは、まったくその通りだな…」
「お、おい、紅葉…」
「大和。自分のことなんだよ。分かってるの?」
「分かってはいるが…」
「じゃあ、しっかり聞きなさいよ」
「怪我をして、まさかこんなことになるとはな…」
「だから、次はそうならないようにって、注意してるんでしょ」
「それはそうだが…」
「私は、大和のためを思って言ってるのに…」
「まあ、治るまで時間はたっぷりあるんだ。耳に痛い話だし、ゆっくり言い聞かせてやれ」
「もう…。甘いんだから…」
風華は不満そうに大和の方を睨んで。
それから、立ち上がって薬棚の方へ行ってしまった。
…まあ、なんとか危機は脱したというところか。
先延ばしにしただけとも言えなくもないけど…。
「はぁ…。しかし、本当に情けないな…。こうやって動くことも出来ないなんて…」
「だいたい、なんで天守閣の上になんて登るんだよ」
「朝日を望むのが日課になっていてな…。いつも、白み始める前から見ているのだが…」
「ふぅん…。でも、レオナだって、かなり早いだろ」
「レオナが来る日にも、いちおう天守閣には登っておくんだ…。冷たい風に当たって、目を覚ますという意味合いもあるし…。朝日は、広間の屋根縁から見るんだが…」
「そうか」
「しかし、天守閣に登るのは、もうやめた方がいいのだろうな…」
「ここに来る前はどうしてたんだ?」
「ん?あぁ…。住んでいた山の頂上まで登ってな。住んでいた山と言っても、ここからそんなに離れていないが」
「…帰りたいとは思わないのか?」
「近いと言っただろう。まあ、周辺の管理も任されているが、散歩のついでに見て回るくらいでいい。今は、ここが好きだからな。お前もいることだし」
「そうか」
大和は外の方に目を向けて、少し感傷に浸るような、そんな顔をする。
それから、しばらく経って、ふと気付いたように下へと視線を移動させて。
「…ところで、この狼は何なのだ。ずっと私を見ているようだが」
「気に入ったんじゃないか?」
「………」
「まあ、セルタの狼だよ。クアっていう名前らしいけど」
「そうか。そういえば、昨日、不機嫌そうな気を発していたのはお前だったかな?」
「………」
「やはりそうだったか。どうだ、長旅の疲れは癒えたか?」
「…ワゥ」
「そう畏まらずともよい。まあ、そういう若い時期というのは一瞬だからな。今のうちに、しっかり謳歌しておくのだぞ」
「………」
「ふん。まったく、心に沁み入る言葉だな」
「…五月蝿い」
大和は不機嫌そうにそっぽを向いて。
そして、邪魔だと言わんばかりに尻尾を振る。
…今は、ああいうかんじの皮肉が一番堪えるんだろうな。
あとで、もっと言ってやろう。
「お前たちは寺子屋にでも行ってこい…。面会時間はもう終わりだ…」
「あ、終わった?じゃあ、さっきの続きを…」
「いや、まだ終わってない。紅葉、クア。まあ、こんな状態で茶のひとつも出せないが、ゆっくりしていってくれ」
「私の話を聞きたくないだけでしょ…」
「決して、そんなことはないぞ」
「まあいいけど…。姉ちゃんは、寺子屋には行かないの?」
「ん?まあ、今日はいいかと思ってな。大和もこんなだし」
「それはそうかも。心配だしね」
「うっ…。すまないな、不甲斐ない妖怪で…」
「普段から気を付けておけば、こんなことにはならないんだよ」
「そうだな…。これからは気を付けるよ…」
「………」
「そういえば、うちにもいたよね。なんか狼」
「明日香だろ。伊織と蓮の家に住み着いてるらしいけど」
「そうだったんだ。最近見ないと思ったら」
「まあ、放し飼いも同然だしな…」
「ごはんとか、どうしてるのかな」
「調理班が用意してるんじゃないか?伊織と蓮のも、あいつらが用意してるんだし」
「あー、まあ、そっか」
「お前たち、かなり適当だな…」
「そうなんだけどさ…」
「全員を一度に見ることなんて出来ないということは分かるが…」
「じゃあ、みんながみんなを少しずつ見てたらいいんじゃないのかな。私の見てないところは、他の誰かが見てくれてる。他の誰かが見てないところは、私が見てる。それで全部を見られるんだったら、いいんじゃないかなって」
「まあ、そうかもしれんな」
「………」
この城は大きい。
そこにいる人の数も多い。
でも、それだけ見られる範囲も広いということなんだろう。
だからと言って、他の誰かに頼りっぱなしというのも問題だろうけど。
「私は、誰を見ているのだろうな」
「澪と姉ちゃんじゃない?」
「二人だけということはないと思うが…」
「いいじゃない。姉ちゃんを見ることが出来る、数少ない人だと思うよ」
「…どういう意味だよ、それは」
「えぇー。別にー」
まったく、本当にどういう意味なんだよ…。
私は、そんなに見辛いのか?
そんなことはないと思うけど…。
ないよな…?