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正直、瑞鶴屋とか亀田屋とか、そういう流行り物の話は全く分からない。
灯とフィルィが熱心に話している横で、私はただりると一緒に外の風景を眺めているだけで。
「あの雲、柏餅みたいー」
「そうだな」
「お腹空いたー」
「さっき、おやつ食べたばかりだろ。夕飯が食べられなくなっても知らないからな」
「んー…」
「ん?」
「なぁに?」
「いや。ちょっとな」
「……?」
遙が帰ってきたみたいだ。
ついでに、天照の馬車も何台か入ってきてるみたいだけど。
…何だろうか。
仰々しいというか、団員から妙な緊張が漂ってくるようで。
遙は除くが。
ひとつの馬車から出てる威圧感のせいだろうか。
「なんか怖い…」
「あれは囚人護送車でもないし、そんなに構えることもない。しかし、無駄に威圧感を与えてくるやつだな…」
「んー…」
「大丈夫だ。オレがいるからな」
「うん…」
りるは、あれに耐えられないらしい。
灯とフィルィは、相変わらずお喋りに夢中になっているけど。
…陰になって馬車が見えなくなると、幾分りるの緊張も解けたみたいで。
でも、たぶん、あの客人はこの部屋に来るだろう。
まったく、誰だか知らないが、うちの子たちを怯えさせないでほしいものだ。
「お前は知らないのか、あいつのことは」
「ん?ぼく?」
「そうだ、お前だ」
「さあ、誰だったかな…。知ってるような、知らないような…」
「役立たずだな、相変わらず…」
「まあ、料理大会の委員長だったりしてね」
「委員長はルイカミナにいるだろうし、いくら特急便で来ようとも、事件発覚前から出てないと間に合わないだろ」
「それもそっか」
「だいたい、委員長だとして、あの無駄な威圧感は何なんだよ…」
「さあ?機嫌が悪いとか」
「機嫌が悪いのはこっちだよ…。手紙が遅れてるっていうのに…」
「あはは。まあ、そのうち分かるよ」
「紅葉。あの威圧感は…」
「テスカ」
「あっ!」
「えっ?あ…」
颯爽と登場したはいいが、あの客人に気を取られて、フィルィまで気が回らなかったらしい。
今更コソコソと隠れようとするけど、フィルィはそれを逃さないで。
「テスカ師匠!」
「フィルィ…」
「なんで逃げるんですか…。師匠が自分から会ってくれるまで会わないって決めてましたけど…すぐ目の前にいるのに、もう我慢出来ません!」
「………」
「逃げ回っていてどうするんですか!ぼくはともかく、リカルちゃんからも…。そんなんじゃ、いつまで経っても、何も変わらないですよ…!」
「私は…」
「フィルィ…。とりあえず落ち着きなって…」
「分かってる…。ごめん、灯ちゃん…」
「謝るのは私にじゃないでしょ?」
「………」
「………」
「師匠。逃げるなら逃げるでいいです。でも、ぼくだって、いつ愛想を尽かすかなんて分からないんですからね。いつまで待っても答えを出さない師匠よりも、草平さんの方がずっと頼り甲斐がありますし」
「………」
「今は見逃してあげます。でも、ぼくにだって、我慢の限界があることを覚えておいてください。以上です」
「…すまない」
「今の師匠に謝ってほしくなんてない」
「…明日、決める」
「………」
「明日、決めるから…。もう逃げられないように、決めておく…」
「…知らないです、そんな決断なんて」
「私の独り言だ…。それと、紅葉。今の威圧感は、セルタの狼だ。たぶん、師匠に叱られたのと、ここまでの長旅で、気が立っているんだろう。でも、大丈夫だ。それだけ伝えておく」
「えっ、セルタさんも来たんですか?」
「………」
「今しがた到着したようだ。お前と灯は、お喋りに夢中で気付いてなかったみたいだけどな」
「そうですか…。これで、旅団蒼空が…」
「ああ。蒼空の団員が揃う。だから…決める」
「…分かりました。待ってますよ」
「………」
テスカは何も言わずに、そのまま屋根縁を伝って下の階に降りたようだった。
しばらく、フィルィはずっと立ち尽くしていて。
…廊下から騒がしい足音が聞こえてくるまで、ぼんやりとテスカのいた場所を眺めていた。
「ワゥ!ワゥ!」
「な、何…?」
「…セルタさんの狼だよ」
「えっ…。気が立ってるって言ってた…」
「大丈夫だよ。優しい狼さんたちだから」
「えぇ…」
「ワゥ!」
一番最初に部屋に飛び込んで来たのは、まだまだ若い二匹の狼で。
フィルィを見つけるなり、飛び掛かっていった。
「わっ。お、重たいですよ、二人とも…」
「だ、大丈夫…?」
「大丈夫です…。で、でも、ちょっと退いてくれないですか…?」
「ワゥ!」
「嬉しいんだろ」
「そうかもしれないですが…」
「……?」
二頭の若狼はフィルィから視線を上げて、こっちを見る。
それから、ゆっくりと弧を描くように近付いてきて。
…りるは少し居心地悪そうにしているけど。
ある程度近付いたところで、斜めを向いて地面に伏せる。
「あはは。誰が一番強くて、逆らっちゃダメなのか、分かってるんだね」
「お前か」
「紅葉でしょ。決まってんじゃん」
「………」
「お母さん…」
「大丈夫だ、りる。こいつらに攻撃の意思はない」
「……?」
「まあ、一緒に触ってみようか」
「うん…」
りるを連れて、若狼に近付いていく。
まだ少し怯えてるりるを横に立たせ、私が先に二人の背中を撫でて。
一人はすぐに仰向けになって服従の意思を示したので、そっちをりるに触らせることにする。
「ほら。こっちのやつを、オレと同じように撫でてみろ」
「うん…」
「上手くやるコツとしては、怖がらずに堂々としていることだ。怯えてると、こいつにもそれが伝わってしまうからな」
「うん…」
「大丈夫大丈夫。なんなら、ぼくが一緒にやってあげようか?それとも、お茶でも飲んで、とりあえず落ち着いてからにする?」
「一緒にやって…」
「はいはい」
まあ、りるは桐華に任せるとして。
こいつらの親は、セルタとかいうやつと一緒に来るんだろうか。
…遙の調査結果も気になるし、料理大会がどうなるかも知りたい。
料理大会はともかく、調査結果は今回の事件の真相に辿り着く鍵にもなるだろうから。
いろいろと大変になりそうだな。