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「では、師匠。行ってまいります」
「行ってらっしゃい」
秋華はいつも通りにお辞儀をして、そのまま走っていく。
しばらく見送って、秋華が門を越えたあたりで、またセトのたてがみの中に身体を埋めて。
…本当に、早起きが習慣になっているのはいいことなんだろうけど、二度寝まで習慣になってるのはいただけないな。
まあ、二度寝する瞬間は、普通に寝るときよりも幸せな気がするからいいけど。
「師匠、師匠!」
「なんだ…。忘れ物か…?せっかく、うとうとしかけてたのに…」
「い、いえ…。門の外に、すごく大きな龍が…」
「翡翠か澪じゃないのか…。そうでなくても、そんなもの、放っておけばいい…。こんなところにまで来るやつなら、こちらから危害を加えない限りは攻撃してこないだろうし…」
「あ、あの…。道を塞いでるのですが、乗り越えるのは大丈夫なんでしょうか…」
「その程度なら大丈夫だろ…。ふぁ…。そんな度量の狭いやつらじゃないよ、龍ってのは」
「そ、そうですか…」
「ォオン」
「どうしてもと言うなら、セトが退けるように言ってやらんでもないと言ってる」
「は、はぁ…」
「ゥウ…」
「はいはい…。正しくは、不安なんだったら、セトが行って退かしてやるってさ」
「あの、お願い出来ますか?そ、その、ちょっと怖いです…」
「ォオン」
「まあ、怖いなら、空から街まで送ってやるとさ。その帰りに、退去命令を出しに行くと」
「ありがとうございます。あの、セトに乗ればいいんですか?」
「ああ。しっかり掴まっておけよ」
「は、はい…」
秋華をセトの背中に押し上げて、ちゃんと掴まっているのを確認してから、セトに合図する。
セトはゆっくりと立ち上がると、そのまま大きく翼をはためかせて、空へと舞い上がった。
「では、行ってまいります、師匠」
「行ってらっしゃい」
今度こそ、二人は街の方へと向かっていく。
二度寝用の布団はなくなったけど、まあ仕方ない。
…ついでに、その龍とやらを拝んでいってやろうか。
広場を横切って、門を潜り抜け、橋を渡る。
するとすぐに、件の龍にぶつかって。
秋華が大きな龍と言ってたから、澪くらいはあるのかと思ったが、実際は翡翠程度で。
まあ、邪魔には変わりない。
まだ眠っているようだけど、そのうちに誰か来るだろうし、郵便屋がもう来てるはずなんだけど、引き返したんだろうか。
こいつの朝ごはんになったわけでもなさそうだけど。
「おい、お前。起きろ」
「………」
「起きろ」
「…なんだ。誰だ」
「お前が誰なんだ。こんなところで寝て」
「ふむ…。門が閉まっているから、開くまで待っているんだ…」
「もう門は開いてる。だいたい、閉まってても、お前なら飛び越えるくらいは出来るだろ」
「それは盲点だったな…。いつもは、この姿を取っていないから…」
「なんでもいいから、そこを退け。もしくは、城の中に入れ」
「ふぅむ…。そうだな…」
そう言うと、大きな欠伸をしてから伸びをして、のしのしと門を潜っていった。
私もそれを追い掛けて、中に入る。
「む…。ここには、別の龍の匂いが染み付いているな…。それも、かなり強力な…」
「そんなことはどうでもいいから、まずは名乗れ」
「それもいいのだが、傷がまだ回復しきっていない…。ここの龍脈の渦は心地いいから、しばらく休ませてくれないか…」
「得体の知れない龍を置いておくわけにもいかないからな。名乗るくらいも出来ないのか」
「ふむ…。名前を聞く前に、自分から名乗れと教わらなかったか…?」
「主導権はオレにある。名乗りたくないのなら、今すぐ出ていってもらうからな」
ゲシゲシと蹴ってやると、困ったような顔でこっちを見て。
それから、大きなため息をつく。
「分かった分かった…。俺の名前は草平だ…。旅団蒼空の団員で、この城に厄介になってる、うちの団長テスカと、その弟子のフィルィに会いに来たんだ…」
「どうして、それしきのことをパッと言えないんだ」
「すまないな…」
「…まあ、オレは、この城の衛士長をしている、紅葉という者だ。いちおう、テスカを取り押さえた張本人だけど」
「なっ!あ、あなたが紅葉さんでしたか…!こ、これは失礼を!松風から、紅葉さんのことは聞いておりましたが…。まさか、こんな早朝に、自ら見回りをなされているとは露知らず…」
「見回りをしていたわけじゃないんだけど…。しかし、なんだ、その態度の豹変ぶりは」
「団長の生命の恩人とあらば、敬意を払わせていただくのも当然です。さらに、どこぞの工作員とはいえ、二人もの人間にかなりの重症を負わせましたのに、その慈悲深き御心で以て、この件については不問にしていただき…」
「気持ち悪いからやめろ、そういう話し方は」
「は、いえ、しかし…」
「オレは、お前たちに恩を売ろうと思って不問にしたわけじゃない。状況を見渡して、テスカには情状酌量の余地があると判断したまでだ。それに、オレはその判断を認めただけであって、実際に判断を下したのは現場を見てきた者たちだ。不問どうこうと礼を言うのなら、そいつらに言ってやれ」
「しかし…」
「傷もまだ治ってないんだろ。さっさと治して、あいつらをここから連れ出してくれ」
「な、何かご迷惑を…」
「ここは旅籠じゃないんだから、早く傷を治して元気になって、さっさともとのように働きに行けと言ってるんだよ」
「は、はい…。それは、ごもっともで…」
「…と、その前に」
「え、あ、あの…」
いわゆる伏せの体勢になってる草平にもたれ掛かって。
…うん、セトには少し劣るが、ちょうどいい布団具合だ。
二度寝には持ってこいだな。
「紅葉さん…?」
「いいから寝てろ、お前も」
「私…も?あの、紅葉さん…?」
「五月蝿いぞ。寝られん」
「は、はぁ…」
寝る時間が少し短くなってしまった。
草平が困惑のため息をついているが、まあ関係ないな。
…とりあえず、日の出までまだもう少しある。
それまで、お休み…。