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「紅葉」
「………」
「起きているのだろう。狸寝入りをするな」
「…なんだよ、朝から」
「今日は、少し付き合ってもらうぞ」
「何にだよ…」
「澪の修行だ」
「はぁ…。澪だってまだ起きてないじゃないか。修行と言うなら、先にこいつを起こせよ」
私の横で、間抜けな顔をして寝ている澪の頭を撫でる。
大和は、それは気が付かなかったという風に首を傾げるけど。
まったく…。
「師匠…。お出掛けですか…」
「ん?あぁ、お前は寝ててもいいんだぞ」
「んー…。師匠…」
「………」
秋華は寝惚けていただけなのか、頭を撫でてやるとまたすぐに眠ってしまったようだ。
…その向こうで、なぜかりるが目を爛々と輝かせているけど。
「お前も寝てろ」
「どこ行くの?」
「どこにも行かない」
「りるも連れてって!」
「静かにしろ…。それに、まだ夜も明けてないだろ。どこかに行くときは連れていってやるから、今はとりあえず寝ておけ」
「絶対だよ!」
「だから、大声を出すな…」
「うん。でも、約束だよ」
「分かってるよ…」
「うん…」
約束を取り付けられて安心したのか、りるもすぐにうつらうつらとし始めて。
まさか、こいつも寝惚けてたとか…?
まあ、なんでもいいけど…。
「はぁ…。澪の修行に付き合うのはいいがな、時間と順番を考えろ」
「そうだな。配慮が足りなかった。しかし、私も、レオナに起こされた口でな。忘れないうちにと思って声を掛けたのだ」
「そういえば、今日は寺子屋だったな…。わざわざこんな時間に来なくても、みんなで準備すればすぐに終わることなのに…」
「あいつはあいつなりに、寺子屋に一所懸命になっているんだろう」
「それはそうかもしれないけど…」
「とりあえず、続きはりるが起きてからにしよう」
「りるも連れていくのかよ…」
「今日は、裏庭でやるだけだからな」
「なんだ…。りるも期待外れだろうな…」
「まあ、よいではないか。約束は、ちゃんと守れているだろう?」
「はぁ…」
「今日はため息が多いな」
「お陰さまで…」
まったく、裏庭でやる程度なら、わざわざこんな時間に起こして言わなくても、思い出したときに、いつでも呼べるだろうに…。
配慮というものを知らないんだな、こいつは。
自分でも足りなかったと認めてるし。
…もう一度、澪の頭を撫でて。
澪も、私のために頑張ってくれてるんだ。
修行に付き合えと言うなら、喜んで付き合うし、どんな手伝いだってする。
でも、秋華じゃないんだから、こんな時間に起こされるのだけは納得がいかない。
起こしたのは澪じゃないけど。
「お休み」
「………」
はぁ…。
とりあえず、もう一眠りだ。
目が覚めた。
体感では、太陽が山を越えたあたりの時間なんだけど、今日は靄が掛かっているらしく、雨戸から洩れる光は仄明るいといった程度で。
布団から抜け出して、屋根縁に出てみると、なんとも幻想的な光景が広がっていた。
…白く霞んだいつもの景色は、太陽の光を拡散して、いつにも増して輝いていた。
「…紅葉」
「ん?リュカか。なんだ、今日は。仕事じゃないのか?」
「………」
「まあ、なんでもいいけど。見てみろよ。綺麗な景色だと思わないか?」
「…そうだな」
「そういえば、レオナがまた朝早くから来ててな。お前からも注意しておいてくれないか」
「あいつは、寺子屋も紅葉も好きだから」
「オレは関係あるのか?」
「あるさ」
「そうか…」
「紅葉は、レオナのことは好きか?」
「ああ。好きだ」
「それならよかった」
「…お前は相変わらずだな」
「何がだよ」
「いつも、みんなの前では仏頂面してるくせに、妹や弟のことを一番に考えてる」
「………」
「昔と何も変わってない」
「変わったさ…。俺は…」
「じゃあ、どこが変わったんだよ」
「………」
「………」
また街の方に目を向ける。
あの光景は、本当に一瞬のものだったようで。
太陽の光で靄はもうだんだん薄くなってきていて、いつもの忙しい朝の景色に戻っていた。
「なぁ、リュカ」
「…寝惚けてるのか、紅葉?」
「ん?」
振り返るとリュカはいなくて、代わりに澪がいた。
キョトンとした顔をしていたので、とりあえず、頭を撫でてやって。
…何だったんだろうな、さっきのは。
幻想的な世界が生み出した夢…なんだろうか。
リュカは、あの景色を見ていてくれたんだろうか。
「紅葉、大丈夫か?」
「ああ。少し、夢を見ていたようだ」
「夢?」
「お前は、さっきの靄の光景は見ていたか?」
「見てたけど…紅葉がいたなんて、ホントはさっきまで知らなかったんだ」
「…お前は誰と話していたんだ?」
「私のも、夢の世界の話だけど。…この姿を借りている、前の主人の娘と話してたんだ」
「そうか」
「たとえ生きていたとしても随分な歳のはずなのに、うら若い可憐な娘の姿のままだった。私の姿を見て、歳は取りたくないと笑っていたが」
「ふぅん」
「もしかしたら、龍人だから、まだ普通の人間ほどは歳を取っていないのかもしれない」
「会いたいか?」
「会えるなら…また会いたい。新しい主人を見つけられたこと、新しい家族が出来たこと、いろいろ話したいことはあるんだ」
「そうだな」
「さっきは驚いて、あまり話も出来なかった…」
「そうか」
「また会えるかな」
「会えるかもしれないな」
「えへへ。そうだといいな」
澪は嬉しそうに笑うと、また街の方を見て。
あの一瞬の夢は何だったんだろうか。
…私が会ったのはリュカだった。
「あ、そうだ。大和から聞いたか?修行のこと」
「ああ」
「そっか。あのな、筋がいいから、少し実践に移ってみようって言われたんだ」
「となると、オレは実験台というわけか」
「うっ…。まあ、そうだけど…。失敗しないようにするから…」
「当たり前だ」
「はい…」
「………」
「………」
「まったく…」
しょんぼりとする澪の頭を撫でてやる。
まあ、少し意地悪しすぎたかな。
実験台には変わりないだろうけど。
…楽しみにしているんだからな。
いつか、澪に守ってもらえる日を。