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「わぁ、箱いっぱいにお手玉が入ってるんですねっ」
「まあな。でも、全部持っていくわけにもいかないし、好きなのを選べ」
「はいっ。じゃあ、えっと…」
「ねぇ、えじちょーさん」
「ん?どうした」
「えじちょーさんは、いつから髪の毛を伸ばしてるの?」
「髪か?さあな。とりあえず、切った覚えはない」
「リカルも、えじちょーさんみたいに伸ばしたら、銀色の髪になるかな?」
「それは無理じゃないかな…。オレは、もともと銀色だから、銀色なんだし…」
「そうなの?」
「ああ。でも、リカルの黒髪も充分綺麗なんだから、銀色にならなくたっていいんだぞ」
「ホントに?」
「ああ。…そうだ。今度、美希に手入れしてもらうといい。あいつは、香油とかも使ってくれるからな。きっと、もっと綺麗になれるぞ」
「リカルが綺麗になったら、お姉ちゃん、喜んでくれるかな」
「たぶんな。でも、リカル。テスカが喜ぶかどうかじゃなくて、お前がどうしたいかどうかで考えて、自分で決めてみたらどうだ。そういうことも大切だぞ」
「リカルがどうしたいか?」
「そうだ。お前は、美希に手入れしてもらって、綺麗になりたいのか?」
「うーん…」
「テスカに喜んでもらうというのも、目標のひとつとしてあるのはいいだろうが、これからは自分もどうしたいかということも考えて、その上で決めるといい」
「うん…」
まあ、まだリカルには難しいことかもしれないけど。
でも、リカルが自分で考えて行動したことなら、テスカも絶対に喜んでくれる。
可愛い妹が、自分の手を離れていく寂しさもあるだろうけどな。
…姉というのは、そういうものだ。
「師匠、これがいいですっ」
「そうか。まあ、記念に持って帰ってもいいぞ」
「そうですか?ありがとうございますっ」
「えじちょーさんのはこれー」
「ん?これは穴が開いてるな。ついでに繕っておいてもらおうか」
「む、虫食いですか?」
「いや、これは違うな。糸がほつれてるだけだ」
「そうですか…」
「なんだ、虫は嫌いか?」
「い、いえ…。ただ、飛ばれると怖くて…」
「そうか」
「師匠は平気なんですか…?」
「まあ、こっちに向かって飛んできたら、叩き落とすくらいはするけど」
「わ、私は、怖くて出来ないです…」
「リカルはね、こうやって、パシッ!って捕まえるよ!でも、ゴキブリ捕まえたら怒られた」
「ゴ、ゴキブリですか…。私は、もう逃げることしか出来ませんね…」
「なんで?捕まえてね、こうやってバッ!って離すと、どっかに飛んでいくんだよ。それでね、また追い掛けて捕まえるの」
「えぇ…。ちょっと、私には真似出来ませんね…」
「でも、最近は、ぐんそーが来て、ゴキブリを退治しちゃうんだ」
「軍曹ですか…?そんなすごい軍曹がいるなら、私の家のゴキブリも退治してほしいです…」
「秋華。その軍曹っていうのは、たぶんアシダカグモのことだぞ」
「えっ?蜘蛛さんですか?」
「ああ。脚の長さも入れると、全体で三、四寸くらいはあるんだけど」
「おっきな蜘蛛さんなんですね」
「まあな。ゴキブリの天敵なんだけど、アシダカグモ自身もかなりな容姿だから、どちらを取るかで意見が分かれるところだな。ただ、家のゴキブリが絶滅したら、いつの間にかいなくなってるらしい」
「へぇ。格好いいですね。私、蜘蛛さんは結構好きですよ」
「なら、軍曹が来るのを待つんだな。まあ、お前の家は広いから、二、三匹では足りないかもしれないけど」
「捕まえてきて、家に離せばいいんじゃないですか?」
「どうだろうな。臆病な性格だから、あまり人間の前には出てこないらしいぞ」
「そうなのですか…。リカルちゃんは、見たことあるのですか?」
「一匹ね、虫籠に入れて飼ってるよ」
「えぇ…。そうなのですか…」
「ゴキブリを見つけたら、捕まえてげんすいにあげるんだ」
「軍曹から、えらく昇進したな」
「美味しいのかな」
「リカルちゃんは、ゴキブリなんて食べちゃダメですよ…」
「なんで?」
「ゴキブリだからですっ」
「ふぅん」
「まあ、ゴキブリは衛生害虫とも言われるからな。軍曹はともかく、お前は食べたら腹を下すどころではないかもしれないな」
「そっか」
「ゴキブリを触ったあとも、ちゃんと手を洗ってくださいね」
「うん。洗ってるよ」
「そうですか、よかったです」
秋華に頭を撫でてもらって、リカルはご機嫌のようだった。
…まあ、ゴキブリを触ってること自体が、問題ではあるのだけど。
「はぁ…。でも、アシダカグモって、巣を張ったりするのですか?」
「いや、あいつらは張らなかったんじゃないかな。ゴキブリより速く走って追い掛けるとかなんとか聞くけど」
「それはすごいですねぇ。リカルちゃんは、どうやって捕まえたのですか?」
「んー。こう、バシッ!って」
「またバシッ!ですか…」
「本当はね、虫籠の中で休んでたから、そのまま飼ってるだけだよ」
「そうなのですか…」
「うん」
「まあ、何にせよ、飼うなら飼うで、大切に世話してやれよ」
「うん!」
アシダカグモを飼ってるとは、実に女の子らしくないけど。
でも、何か生き物を飼って、しっかり世話をするというのは、いろいろな大切なことを学ぶのに役に立つからな。
蜘蛛でも、ちゃんと面倒を見てもらいたいものだ。
…とりあえず、お手玉の箱をもとあった場所に戻して。
穴の開いたお手玉を持って、二人と一緒に倉庫をあとにした。