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「はぁ…。結局、テスカ師匠には会えませんでした…」
「まあ、あいつもここから逃げ出すわけにはいかないからな。なんだったら、オレが捕まえてきてやるけど」
「いえ、いいですよ。テスカ師匠が会いたくないと言うのであれば、今は会わない方がいいのではないでしょうか」
「どうかな。あいつは、ただ単に逃げ回ってるだけのようにも見えるけど」
「…それでもいいんです。ぼくは、やっぱり、ちゃんとテスカ師匠に会いたいんです。ぼくに会いたくないと言うのなら、無理矢理会うなんてことは出来ないですよ」
「そうか」
フィルィは、こういうところで、テスカよりもよっぽど強いのだと思える。
だけど、なんだろうな。
それでも、フィルィを見てると、確かにテスカが師匠なんだと分かる気がして。
「えへへ。美味しいですね、ここのお料理は」
「そうだな」
「草平さんやセルタさんにも、食べさせてあげたいです」
「セルタとかいうのは知らないけど、草平は怪我が治ったらこっちに来るんじゃないのか?」
「はい。でも、いくら草平さんでも、今回ばかりはかなり危なかったと言っていました。なんでも、死んだはずのかーちゃんが見えたとかなんとか」
「ふん。聞いた限りでは、すぐに回復しそうだな」
「ふふふ。そうですね」
しかし、座敷わらしの母親か。
妖怪がどうやって子供を作るのかは分からないが、草平とかいうやつに母親がいるのなら、翡翠にもいるんだろうな。
一度見てみたい気もするけど。
「………」
「どうしました?」
「そういえば、今日一日、翡翠とテスカを完璧に放置してたなと思って…」
「テスカ師匠が何か?」
「いや…。なんでもないんだけど…」
「そうですか。…翡翠さんというのは、どんな方なんですか?」
「お前のところの草平と同じ、座敷わらしだ。城の裏の降龍川を管理しているらしいんだけど、最近ここに住み着いてしまってな」
「へぇ、そうなのですか」
「まあ、またあとで会えばいい」
「そうですね。そうします」
「ところで、フィルィ。今、どんな下着を穿いているんだ?」
「えっ!い、紅葉さん…!なんで、いきなりそんなことを…!」
「いや、オレじゃないからな…」
「いてっ…」
横に座ったナナヤを殴っておく。
こいつは、今から夕飯なんだろう。
しかし、座っての第一声がそれなのか?
「ナ、ナナヤちゃん…。なんで、そんなこと、聞くんですか…?」
「えぇ?そりゃ、フィルィが先にお風呂に入ったって聞いたもんだからさ。いったい、どの下着を穿いたのかなって」
「ふ、普通のやつですよ…」
「あれ?普通のやつは、私が全部抜いてお…いたっ!」
「やっぱりお前か、犯人は。まったく、フィルィをいじめて楽しいのか?」
「だってさ…。普通のがなかったら、どれを穿くのかなって…。仕方なくでも、それを選んだんだったら、それが一番お気に入りってことでしょ?どんな下着が好きなのかなって」
「それを知って何になるんだ」
「そりゃ、今度、フィルィのために、新しい下着を買ってあげようと」
「買っていただけるのは嬉しいですが、普通の下着でお願いします…」
「えぇー。そんなの、つまんないじゃん」
「お前が穿けよ」
「お姉ちゃんは、どんな下着を着けてるの?」
「ごく普通の、ヒヨコ柄だが」
「えぇ…。絶対嘘だ…」
「…お前な、前々から思ってたけど、言動がいちいちおっさんだぞ」
「そんなことないよ。ねぇ?」
「ぼ、ぼくに聞かれても…」
「とりあえず、これ以降、フィルィに何か変なことをしたり、聞いたりしたら、容赦しないからな。分かったか?」
「はいはい。なんだよなんだよ。親睦を深めようとしただけじゃん」
「別の手段でやれ」
「いたっ…」
最後に、念押しでもう一回殴っておく。
それから、フィルィと二人で席を立って。
…まったく、仲良くなりたいなら、こういうのは逆効果なんじゃないのか?
悪気はないと庇うにも、限度というものがあるぞ…。
部屋に戻ると、屋根縁でツカサと翡翠が何か話してるみたいだった。
布団はもう敷いてあって、昨日より一人分多い。
「あ、姉さん」
「ツカサ。今日は、望はいいのか?」
「うん、まあ。…あの人がフィルィさん?」
「ああ」
「ふぅん…」
「どうしたんだ?」
「いや、なんでもない」
「あ、あの、紅葉さん…?」
「あぁ、紹介しよう。こっちがツカサで、この龍が翡翠」
「よろしく、フィルィ」
「よろしく」
「は、はい、よろしくお願いします…」
「どうしたの?」
「い、いえ…。そ、その…あ、あまり、殿方とお話をしたことがなくて…」
「えっ、そうなんだ」
「でも、旅団の中にも男はいるでしょ?」
「草平さんとセルタさんは、いつも一緒にいますので、慣れてしまったというか…」
「ふぅん。まあ、慣れってのも大事だよねー」
「す、すみません…」
謝りながら、私の陰に隠れて。
そういえば、今日、フィルィがまともに話した男は、銀次だけかもしれない。
話したというか、質問した?
いや、正確に言えば、レオナに質問したんだけど。
…まあ、それはいいか。
とりあえず、男は少し怖いらしい。
「テスカさんには会った?」
「い、いえ…。まだ会えてないんです…」
「テスカさんの弟子なんでしょ?」
「だから、ツカサ。テスカは、まだ決心がついてないんだよ、たぶん」
「あ、そっか…。そうじゃなかったら、会わないわけないもんね…」
「………」
「ご、ごめん…。ちょっと、無神経だったね…」
「いえ。事実ですので」
「ごめんね…」
「いいんです。テスカ師匠が会いたいって言ってくださるまで、ぼくは待ちますから」
「そっか…」
一瞬前までの、男に怯えておどおどしていたフィルィはどこへ行ったのやら。
本当に、テスカのことだけは、こいつの中では特別なことらしい。
「そ、それで、あの…翡翠さん…」
「ん?」
「翡翠さんも、座敷わらしだと聞いたのですが…」
「そうだよ」
「ぼ、ぼくのところにも、座敷わらしの方がいるんですよ…」
「うん、聞いてるよ。どんな人?もしかしたら、知り合いかもしれない」
「えっと、草平さんという方で…」
「んー、仮名じゃ分からないかな…。たとえば、どこに住んでた、とかは分からない?」
「えっ…?そ、そういえば、どこかの川を守っていたと聞いたことが…。翡翠さんも、そうなんですよね…?」
「守っていた?過去形?なんで?」
「ぼくは、ただ、草平さんから聞いただけなので…」
「そっか…。そういえば、この前、天昇川の水源が荒らされてるって聞いたけど、まさか…。いや、でも…」
「あの…」
「ん、あぁ、ごめん。そうか…。草平か…」
「あ、あの、また思い出したら、お知らせします…」
「うん、ありがと」
「い、いえ…」
毅然とした態度になるのは、本当にテスカのときだけなんだな。
まあ、話すこと自体は、少し詰まるけど、どうということはないようでよかった。
…テスカが、部屋の入口からこちらの様子を窺っていたが、三人とも気付いていないようなので、放っておくことにした。
まったく、手間の掛かる師匠だな…。
フィルィも来てくれたのに、問題はまだまだ山積みのようだった。