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「し、質問、よろしいでしょうか…」
「どうぞ」
「どうして、二掛ける二は四で、二掛ける三は六なんですか…?」
「深く考えたら負けや」
「えぇ…」
「適当だな、お前…」
「ええやん。一足す一が二なんも、二掛ける三が六なんも、全部そうなるって決まってるからそうなるんやろ」
「確かにそれはそうだけど、そうなるって決まってるなら、定理や公理であっても理由があるはずだろ。それをちゃんと説明しないと」
「めんどいから、数学バカは黙っとれ」
「算数の教師が、数学をバカに出来るのかよ」
「算数の基礎がなかったら、数学っちゅー城も築けんねんやろ。数学こそ、算数をバカにすんなって話やろ」
「算数をバカにしてるのはお前だ」
「あ、あの、レオナさん、銀次さん…。喧嘩はよくないですよ…」
「もともとはゆうたら、フィルィのわけの分からん質問のせいやろ」
「は、はいぃ…。すみません…」
「レオナ。八つ当たりと責任転嫁はやめろ」
「姉ちゃん…。でも…」
「そうなるものだと無理矢理納得するのもいいが、真理を知りたいというのは、何も特別なことではない。お前のように、そうなるからそうなると押さえ付けてしまうと、その問題は、もうそれ以上発展しない。ひとつの可能性を潰すわけだ。そうじゃなくて、教え子の可能性を広げてやることが、教師の務めなんじゃないか?」
「そんなんゆわれても…。そんなん、うちは実用的なこと以上は分からんし…」
「分からないのであれば、周りの人間を頼ってもいいんじゃないのか。今はちょうど、銀次もいるんだから」
「はぁ…。分かった分かった…。んじゃ、銀次先生、どうぞ…」
「まったく…。じゃあ、ここに、一辺の長さが一、面積が一の正方形があるとする。正方形を含む長方形の面積は、縦の一辺掛ける横の一辺だということは知ってるな」
そう言いながら、黒板に小さな正方形を描く。
描き慣れているのか、定規などを使わなくとも線は真っ直ぐで、ちゃんと正方形だった。
「なんで、長方形の面積は、それで求まるんですか…?」
「それは、今から説明することにも関わってくる。じゃあ、この正方形を、さらに長方形になるように並べてみよう。横にひとつ並べると、これで、縦の長さが一、横の長さが二の長方形が出来る。長方形の面積を求める式を考えると、これは一掛ける二。そして、面積が一の正方形が二つ並んでるから、面積は二だ。これは、単なる足し算だけど、式をまとめると、一掛ける二は一足す一、つまり二ということになる」
「ほぇー…」
「さらに、この下に長方形を広げて…一辺の長さが二の正方形が出来る。この正方形の面積は、二掛ける二、そして、一足す一足す一足す一で四だ。分かるか?これが掛け算の一番基本的な考え方で、長方形の面積を求める考え方でもある。縦が百、横が二百の長方形があれば、百掛ける二百、一足す一足す一足す…足す一で、面積一の正方形が二万個並んでいるというわけだ。分かるか?」
「はぁ、だいたいは…」
「…じゃあ、もうひとつ、別の見方を教えよう。この面積四の正方形は、一掛ける二の長方形が、縦に二つ並んだ図形とも言える。二の長方形が二つで二足す二。同じ数字の二が二つあるから、掛けるを使うと、二掛ける二だ。さらに、この下に正方形を二つ描いて、縦が三、横が二の長方形を描く。この長方形は、一掛ける二の長方形が縦に三つ並んでるから、二足す二足す二。二という数字が三つあるから、二掛ける三ということになる。もうひとつ、縦に見れば、三掛ける一の長方形が横に二つ並んでるから、三足す三。三が二つあるから、三掛ける二というわけだ。それから、縦が百、横が二百の長方形の場合、一掛ける二百の長方形が、縦に百個並んでると考えればいい。二百が百個あるから、二百掛ける百だ。または、一掛ける百の長方形が、横に二百個並んでると考えて、百掛ける二百でもいい。こういう風に、掛け算は、連続した同じ掛け算の中でなら、前後を入れ換えても結果は同じになる。同じ長方形を、違う角度から見てるだけだからな。…まあ、この話をまとめると、掛け算は、同じ数字がいくつあるか、というのを示した式であるということだ」
「そうなのですか…。難しいですね、掛け算って…」
「理屈を理解しようとすれば、どんなものでも難しくなり得る。…二つに割れた煎餅を繋ぎ合わせても、どうして一足す一にならないのか。まあ、普段使うことだけで言えば、こういう理屈を理解する必要はないんだけどな。ややこしくなるだけだから。そういう意味では、レオナの言う通り、そうなるものはそうなると、二掛ける三は六なんだと、納得してしまう方が手っ取り早いんだけどな」
「そ、そうですか…」
「さて、長々と喋りすぎたようだな」
銀次の視線の先には、船を漕いでいるナナヤが。
横の望は一所懸命に聞いてるというのに、恥ずかしくないのか、あいつは…。
「ぎんじ!」
「ん?どうした、凛?」
「おせんべをふたつにふやすには、どうすればいいんだ?」
「…新しく買ってくるか、どこからか持ってくるしかないだろうな」
「でも、ふたつにわったら、ふたつになる」
「それは二つになったんじゃなく、半分になったんだ。数学的に言えばな」
「とくしたきぶんになる」
そう言いながら、手元の皿の煎餅を二つに割って。
そして、なんとも幸せそうな顔をする。
「ふふふ。まあ、数学では、そういった主観は全て排除されてしまうからな」
「なんだ、それ」
「…でも、世の中は数学だけじゃない。一足す一が三や四になったり、一割る二が二になったりすることもある」
銀次は、自分の皿から煎餅を一枚取って、凛に渡す。
すると、凛は嬉しそうに耳と尻尾を立てて。
「一足す一は、凛の笑顔だな」
「もっと!」
「ダメだ。夕飯が食べられなくなるだろ」
「えぇーっ!」
「一足す一は我慢を覚えろ、だ。そうでなくとも、お前は勝手に盗み食いしたりして…」
「いたっ…。うぅ…」
銀次に叩かれて、拗ねたように睨み付けている。
睨み返されて、すぐにシュンとなったが。
「数学は、この広い世界のごく一部を説明しているに過ぎない。何事も、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れて、そして、心で感じることが大切だ。体験に勝るものはない。黄金体験、ということだな」
「よくわからん」
「とりあえず、お前は食べ過ぎと我慢を体験することだ」
「うぅ…」
唸りながらも、銀次に貰った煎餅を、ちまちまと齧っている。
まあ、確かに、私も食べ過ぎだと思うな。
これ以上、盗み食いしないように、見張っておくこととしよう。