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「なんだ、この愛くるしい生き物は」
「葛葉だけど。昨日もいただろ」
「そうだったかな…。昨日は散々転がされたから、よく覚えてない」
「テスカ、今日はいもむししないの?」
「もう簀巻きは御免被りたいな。何の拷問かと思ったよ」
「拷問じゃなくて、罰だけど」
「葛葉は尻尾が九本もあるんだな」
「九尾の狐だからな」
「ふぅん…。ほら、こっちに来い」
「なぁに?」
「…紅葉。こいつは抱き締めてもいいのか?」
「好きにしろよ…」
「そうか」
テスカが手を広げると、葛葉は迷うこともなく飛び込んでいって。
…まあ、なんというか、リカルのときも、こんなとろけきった顔をしてるんだろうか。
してるんだろうな。
「はぁ…。至福の一時だな…。チビっこは、やはり可愛い…」
「テスカ、おちちおっきい」
「ん?ふふふ、そうだろ?あの貧相な胸には帰りたくなくなるだろ」
「ふん。五月蝿い」
「やわらかい」
「あまり揉むな。また大きくなってしまうからな」
「ならないだろ…」
「紅葉は、揉んでもらう人に恵まれなかったんだな」
「じゃあ、お前は、節操もない尻軽女というわけだな」
「私はもとから大きいからな、揉まれずとも。ちなみに、処女だ」
「はいはい、そうかよ…」
「まくら~」
「ふふふ。これ以上ない、極上の枕だな」
「何をバカなことを言ってるんだ…」
「羨ましいのか?」
「乳がでかいだけで、それだけ威張れるバカさ加減が羨ましいよ…」
「胸を張って威張れるからな」
「ふん」
もう慣れたものだけど。
でも、どうして人はこうも不平等なんだろうか。
あいつの乳の半分くらいを私に寄越してくれたなら、ちょうどいい具合になるだろうに。
はぁ…。
「ちょっと、テスカさん!うちの葛葉に何させてるんですか!」
「あ、風華」
「葛葉、ダメだよ。あんな人のお乳なんて揉んだら、バカが伝染るから」
「えぇ…。酷いなぁ…」
「酷いのはテスカさんですよ。ほら、離れて」
「んー…」
「あのこと、まだ根に持ってるの?」
「まだって、セトはまだ禿げてるんですよ?これからしばらく禿げてるんですよ?」
「もう…。だから、セトが鱗龍だったら、あんなことには…」
「お前だったら、鱗でも剥がしそうだけどな」
「えぇ…」
「葛葉に近付かないでください」
「あぁ、私の愛しい葛葉…」
「まったく…。もう診察もお薬も要りませんね。では」
「えっ、あっ、おい!」
風華は、そのまま肩を怒らせて部屋を出ていってしまった。
それを見送ると、テスカはまた葛葉を抱き締めにかかって。
「何しに来たんだろうな、風華は…」
「さあ?」
「しかし、抱き心地が最高だな、葛葉は。リカルに退けを取らないぞ」
「ん~」
「それなら、リカルも早く抱き締めてやれよ」
「それは…。そうしてやりたいけどな…」
「どうしたの、テスカ?」
「…いや、なんでもない。ごめんな」
「……?」
テスカは笑っているけど、その心の中を察知したのか、葛葉は心配そうに頬に触れる。
まあ、子供は、こういう変化に敏感だからな。
…葛葉の心配を払拭しようとしてか、テスカは少し乱暴に頭を撫でているけど。
「ダメだな、私は…。姉として…」
「…思うんだけどな、理想の姉なんて追い求めなくていいんじゃないか?リカルが求めてるのは、ただ単に、姉であるお前なんじゃないのか?」
「………」
「強くて格好いいお姉ちゃんだとは言っていたけど、それだけ歳が離れていれば、そうも見えると思うんだけどな。そりゃ、普通のお姉ちゃんに比べたら、腕は立つかもしれないけど」
「リカルはきっと、今の私を見れば幻滅してしまう…。弱くて、格好悪くて…。あいつの失望した顔なんて見たくないんだ…」
「まったく…」
一貫してこれだからな。
姉として気負っていたというのもあるかもしれないが。
…いや、今のテスカの姿に幻滅しているのは、もしかすると、テスカ自身なのかもしれない。
まあ、どちらにせよ、可哀想なのはリカルだな。
テスカも、気付いていないはずはないと思うんだけど…。
「んー…」
「あっ…。葛葉…」
葛葉が、何か嫌がるようにして、私の方にやってきて。
そして、胡座の上に座ると、難しい顔をしてテスカを見つめる。
「………」
「リカルも、こうやって逃げていくんだろうな…」
「…あのな。葛葉は、お前のそのウジウジとした態度が気に入らないんだろうよ。誰だって、好き好んでそんなやつの傍にいようとは思わない。まあ、そういう意味では、リカルもそうだろうな。その態度を改善しないと、いつまで経っても、お前が考える、リカルの理想の姉にはなれないんじゃないか?」
「そんなこと言っても…」
「あれ、紅葉。加奈子と一緒に行ったんじゃなかったんだ」
「…翡翠。なんでここにいるんだ?」
「なんでって…」
「翡翠~」
「わっ、葛葉」
部屋に入ってきた翡翠は、早速飛び付いてきた葛葉を抱き上げて。
それから、テスカを避けるように大きく迂回して、こちらまで来る。
「加奈子、伝言板を取りに行ったよ」
「そうか。…一人でか?」
「いや、望と。てっきり、紅葉も一緒に行ってるんだと思ってたけど」
「望と行ったならいい」
「えぇ…」
「それより、お前はなんでここにいるんだ。昨日もそうだったけど」
「えっ?何が?」
「仕事はどうしたんだって聞いてるんだ」
「あぁ、仕事。仕事は休みだよ」
「休み?」
「うん。まあ、いろいろあってね」
「いろいろって何だよ」
「ほら、どうしても調子が悪いときってあるだろ?月に一回くらい」
「お前は男だろ。ふざけてないで、ちゃんと答えろ」
「はいはい。昨日のは仕事のうちだよ。子供たちの見張り役。あの先生のお手伝いってことで、依頼されたんだ。それで、今日は本当に休み。ツカサもリュカも働きすぎなんだけど、月に一日か二日くらいは休みを取らされるんだよ」
「取らされる?」
「うん。商店の集まりみたいなのがあって、そこの規則で、僕たちみたいな遊撃手は負担が掛かりやすいから、休養日を設けることっていう風になってるらしいんだ」
「まあ、仕事内容が決まってない分、負担は大きいかもしれないな」
「そうなんだよ。力仕事も多いしさ」
「でも、お前は一ヶ月も働いてないだろ」
「来月が割と立て込むから、休めるうちに休んどけってさ。まあ、ツカサは相変わらず働いてるけど。あの仕事が好きなんだろうねぇ」
「そうだろうな」
「いくら好きな仕事でも、休める日くらいは休んでおいた方がいい気はするけど…」
「前に休まされたことがあったな、そういえば」
「そうなの?」
「あのときは、たしか昼までの休みだったかな。昼からは、涼の食堂で」
「あぁ、そうなんだ」
「…まあ、事情はだいたい分かった」
「そっか。ということで、僕は今日は休みです」
そう言いながら、葛葉の尻尾を手櫛で鋤いている。
美希が付けたのか、甘い香油の匂いも一緒に広がって。
「今日は、葛葉とゆっくり遊んであげられるね」
「えへへ~」
「よしよし」
「………」
「よしよし…」
「………」
「翡翠?どうしたの?」
「…紅葉。あれ、どうにかしてくれよ」
「テスカ。いじけるのはやめろ」
「そんなこと言ったって…」
「まったく…」
どうすればいいんだろうな。
結局、昨日桐華が連れ出したのも、効果がなくなってしまってるし。
…いや、昨日のは無理矢理だったから、もっと根本から解決しないといけないだろう。
こいつの怯えをどうにか取り去って、リカルと向き合わせてやらないことには…。
そのためには、どうすればいいんだろうか…。