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「私はいいよ…」
「なんでだ。今日もリカルは来てるだろうし」
「だから、リカルに会わせる顔がないって…」
「ダメですよ、テスカさん。こんな陰鬱な医務室にいたって、余計に気分が滅入るだけですし。傷の治りも遅くなっちゃいますよ」
「だから、私はどこも怪我してないだろ…」
「してますよ。こんな臆病な人が、リカルちゃんのお姉さんなわけないですもん」
「私は…。そうだよ、私はリカルの姉じゃない。だから、リカルに会わなくてもいいだろ」
「…リカルちゃんの前で、同じことが言えるんですか?言えるなら言ってきてください。他人なんだったら、そんなことを言うくらい、なんともないでしょ」
「………」
「嘘でも、そんなこと言っちゃダメなんです。分からないんですか」
「私は…とにかくダメなんだ…」
テスカは、部屋の隅に逃げるように座り込んでしまって。
まったく、リカルにとっては、こんな姉では見る影もないんだろうな。
傷付け、傷付くことを恐れている、こんな姉では。
「はぁ…。風華、こいつはオレに任せて、お前は寺子屋に行ってろ。今日は受けたい授業があるんだろ?総合薬学…だっけか」
「でも…」
「オレには任せられないか?」
「そんなことは…。じゃあ、よろしく頼もうかな…」
「ああ」
「ごめんね」
「いや、大丈夫だ」
「よろしく」
そして風華は、用意してあった荷物を持って、すぐに部屋を出ていった。
まあ、時間ギリギリだしな。
テスカは相変わらず隅に座り込んだままで、まるで動こうとしない。
…さて。
とりあえず、屋根縁に出て、のんびりと広場でも見てようかな。
今日は、異色の授業…というか、座学以外を教える講師も来ているらしく、広場では動きやすい格好をした子供たちが、各々体操をしたり柔軟をしたりしている。
座学の方は、聞いた話では高度な授業ばかりらしく、いつもの民族学や高等数学に加えて、風華が受けにいった総合薬学、それから、哲学や経済学の講師も来ているらしい。
聞いてるだけで頭が痛くなりそうな授業ではあるが、興味がないわけでもない。
特に、哲学の授業なんかは、一度は受けてみたいと思っていたんだけど。
「………」
「………」
まあ、こいつを連れ出すのが先決だろうな。
…私の部屋から見るより、広場がよっぽど近い。
階が違うから、当然といえば当然だけど。
体育の授業を受けているのは、やはり子供が多いけど、ところどころに監督代わりなのか、風華やナナヤくらいのやつらも見える。
というか、ナナヤは実際にいるんだけど。
レオナもいるな。
算数の授業がないから、こっちに参加しているんだろう。
千秋は、広場の真ん中あたりで、りるとナディアと何か話している。
桜とユカラの姿も見えるな。
桜は無理矢理連れてこられたというかんじではなく、むしろノリノリで柔軟をしている。
まあ、積極的にやってくれてるならいいんだけど。
美希と灯もいるな。
料理大会はまだなんだろうか。
あと一品にも気付けたのか…とか、気になることはたくさんあるけど。
でも、休養も大事だし、私がとやかく言うこともないだろう。
「………」
「なぁ、紅葉…」
「なんだ」
「リカルはいるのか…?」
「自分で見てみろよ。ここなら、広場全体をよく見渡せる」
「………」
だけど、テスカは結局隅に座ったままで。
広場全体を見渡せるということは、広場のどこからでもここが見えるということだからな。
リカルの前にも出ていきたくないと思っているテスカが、ここに来ることがないのも当然なのかもしれないけど。
でも、それは、テスカの我儘でしかなくて。
…リカルは、ナナヤの近くで、加奈子と何かを話しているみたいだった。
伝言板は、昨日は完成しなかったのか、加奈子は木の棒で地面を掻いている。
またあとで、昨日のことも聞いておかないとな。
テスカに付きっきりで、昨日は望や加奈子に話を聞くことも出来なかったし。
「ん?」
「…なんだ」
「いや、独り言だ。それより、どうだ。寺子屋で授業を受ける気にはなったか?」
「そんな簡単にはならないよ…」
「だろうな。そんなところに引き籠ってるようでは」
「………」
まあ、そんなにすぐに出てこれるとも思ってないしな。
気長に待つとするよ。
…それより、気になるのは、翡翠が広場にいることだ。
いつもなら、ツカサと一緒に市場にいる時間のはずだけど。
寝坊したというわけでもないらしい。
周りのみんなと似たような格好をして、準備体操をしている。
「紅葉には…兄弟はいるのか…?」
「ん?ああ、いるよ、一人。妹がな」
「ふぅん…」
「まあ、リカルほど小さくはないけど。風華より少し歳下くらいだな」
「そうか…。姉として、何か出来てるのか…?」
「何かやっているという感覚はない。だいたい、リカルと違って、あいつはオレのことを尊敬してるわけでもないだろうしな」
「姉として、私は、リカルに何をしてやってきたんだろ…」
「そんなことを考える前に、その卑屈な態度を改めてほしいんだがな」
「はぁ…」
ため息をつきたいのはこっちだよ。
広場に目を戻すと、講師がみんなを集めて何かを話していた。
…講師は、爽やかな青年そのものといったかんじで。
よく通る声は、ここにいてもそこそこ聞き取れるほどだった。
「集団行動と当たりか」
「当たり…。懐かしいな…」
「お前も、少し身体を動かしたら、考えが変わるんじゃないか?」
「動くと痛いから嫌だ…」
「さっきは、動けるなら動いておきたいとか言ってたのに」
「痛いから動けない…」
「まったく…。子供の言い訳だな…」
「いいさ、子供で…。私なんて、まだまだ子供だよ…」
そう言って、余計に膝を抱え込んでしまう。
…旅団崩壊の危機に晒されて、心が折れそうになってるのかもしれないけど。
やっぱり、こんなところにいてはダメだな。
なんとかして、連れ出す必要がありそうだ。