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加奈子は、私たちが昼を食べた料理屋の前の公園にいた。
真ん中の方で、木の枝で土を掻いている。
「おい、加奈子」
「………」
正面に座って、肩に手を置く。
すると、ゆっくりと顔を上げ、私を見て。
「………」
「少し、話をしようか」
「………」
梅吉は大和に任せるとして。
澪と私で、加奈子の相手をする。
…まあ、澪は、今は遠巻きに見ているだけだが。
「オレは紅葉だ」
「………」
すると、土が見えているところに、加奈子、と書く。
やはり読唇術を使えるらしい。
さっき、梅吉の言ってたことが理解出来たのは、そのせいだろうな。
続けて、男の人?女の人?と書く。
「女だ。見て分からないか」
「………」
おれとか言うから、と書く。
まあ、女はあまり使わない一人称かもしれないが。
それでも、見た目で判断してくれてもいいとも思う。
…千秋みたいなやつも、確かにいるけども。
「どうして、あの店にいたんだ」
「………」
何も書かない。
言いたくない、ということだろうか。
また目に涙を溜めて、それを袖で拭っている。
「身寄りはないのか?」
「………」
まあ、あれば、こんなところにはいないだろうな。
梅吉が、いつからかは知らないが、しばらく面倒を見ていたんだろう。
「………」
「………」
加奈子、きらわれたのかな、と一際小さな字で書く。そして、すぐに消す。
独り言のようなものなのかもしれない。
それから、またメソメソと泣き出して。
「嫌われてなんかない」
「………」
頭を撫でてやると、また顔を上げる。
そして、涙を拭き、弱々しく笑って。
「なぁ、紅葉…」
「やっと来たか。何か話してみろよ。年格好の似てるお前の方が、話しやすいかもしれない」
「でも、耳が聞こえないんだろ…?」
「口の動きだけで、何を言ってるのか分かるらしい」
「そんなことが出来るのか?」
「まあ、訓練次第ではな」
「ふぅん…」
加奈子は、さっき勾玉を買ってくれた客を認めると、またニコニコと笑う。
愛想笑いなんかではなく、本当の笑顔なんだと、なんとなくそう思った。
梅吉に追い出される原因になった澪に対しても、その笑顔を見せることが出来るんだから。
「あ、あの…。ごめんな…。私が、勾玉を買ったせいで…」
「………」
まがたま買ってくれてありがと、と書いて。
それから、またニコニコと笑う。
「ありがとうなんて…」
「………」
あなたはわるくないもん、と書き足す。
さらに、ほんものだからね、と続けて。
…どうやら、卑弥呼の勾玉というのは、加奈子の見立てでは本当だったらしい。
「本物?本当に?」
「………」
たぶんね、と書いて。
土の中にうまってた。
「へぇ…。そうなんだ…」
「………」
澪もたいがい人が良いというか、なんというか。
まあ、発掘したと言うなら、卑弥呼の勾玉でないにしても、歴史的価値のあるものの可能性は充分にある。
加奈子は懐を探って、もうひとつ勾玉を出す。
「あ、同じ勾玉だ」
「………」
いっしょにうまってた。
きっと、えんむすびのおまじないなんだよ、と続けて。
「縁結び?」
「………」
小さく頷いて、あなたは加奈子のおよめさん、と続ける。
…お嫁さん?
むしろ、お婿さんだろうと思うが、今の澪は女の子の姿なんだから、お嫁さんでも仕方ないのかもしれない。
「お、お嫁さんだなんて…。私には、まだ早いよ…」
「………」
いいなずけ、と書く。
どこでそんな言葉を覚えてくるのかは知らないが、まあ、それならば、今すぐ結婚ということでなくてもいいな。
…しかし、余程歳を取っているはずの澪が、完全に加奈子の調子に呑まれてしまっている。
なかなか強かな娘のようだな。
いや、澪が頼りないだけか?
「わ、私のお嫁さんか…。加奈子が…」
「本気にするなよ」
「えっ、冗談だったのか?」
「………」
加奈子は本気だよ、と書いている。
…まあ、お似合いなんじゃないか。
なんとなく頼りない婿と、しっかり者の嫁。
なかなか良さそうだ。
ニコニコしている加奈子と、しどろもどろになっている澪を見ながら、そんなことを考える。
「まあ、加奈子。それもいいんだけど。あの店にいた理由、教えてくれないか?何度も聞いて、悪いとは思うけど」
「………」
カリカリと、何かを書いている。
お金がなかったから、かしてもらったの。
帰るところもないから、とめてもらったの。
食べるものもなかったから、ごはんをもらったの。
お父さんとお母さんは、ずっとむこうの方の国のいくさでしんじゃって、加奈子だけこの国までにげてきたの。
…と、そこまで書くと、木の枝を投げ出して、膝を抱える。
澪が心配そうに頭を撫でるけど、今度はなかなか顔を上げなかった。
「紅葉…。どうすればいいんだ…?」
「落ち着くまで待っていてやればいい」
「うむ…」
「………」
あの笑顔は、哀しみを隠すためだったのか?
辛さを紛らすためだったのか?
…私には、そうは思えなかった。
あれは、加奈子自身の本当の笑顔なんだと、そう思った。
「………」
「加奈子、大丈夫か?」
「………」
顔を上げて、涙を拭う。
それから、また笑顔になって。
…今度のは、作り笑いだと分かった。
加奈子はまた木の枝を取ると、さっき書いたものを消してから、また新しく書き始める。
つらいときも、かなしいときも、えがおでいなさいって、お父さんとお母さんに言われたの。
そしたら、いつかきっと、本当に笑えるときがくるから。
今はこんなえがおしか作れないけど、また笑えるようになるから、ちょっとまっててね。
「加奈子、無理しなくていいんだぞ?泣きたいなら、泣けばいいんだ」
「………」
泣いてたら、きっと、お父さんもお母さんもかなしい。
あなたも、いろはもかなしい。
みんな、かなしい。
だから、むりなんてしてないよ。
加奈子は、笑いたいから笑ってるの。
なみだが出ても、さみしくなっても、笑ってたら、すぐに元気になれる。
あなたも、笑って。
「出来ないよ…。私は、加奈子ほど強くはない…。哀しみは、涙と時間が解決してくれるまで待つしかないんだ…」
「加奈子は、その涙と時間を流す間、笑顔を作っていればいいと言っているんだろうよ。哀しみを乗り越えるのは、もちろん簡単なことじゃないが、加奈子は、少しでも軽くする方法を教えてくれているんだ」
「私には…真似出来ないな…」
澪は、加奈子の涙を、自分の服の袖で拭って。
それでも止まらない涙を溢しながらも、加奈子は笑顔を絶やさない。
…健気というか、なんというか。
強かな娘は、同時に、強い娘でもあるようだった。
「………」
「………」
しかし、加奈子のそんな痛々しい姿を見るのは、澪には相当酷なようで。
前の主を亡くしている経験があるから、余計に堪えるんだろう。
…それでも、澪は真っ直ぐに加奈子を見ていた。
そして…優しく微笑んでいた。